「……え?」
二人で決めたなんて、潮はそんなことはひとことも言っていない。まさに寝耳に水とはこういう事を言うのだろう。僕は潮を演じなければいけないことをすっかり忘れて、素で驚いてしまった。
「……? なにか今日はおかしいぞ?」
「あ、ちょっと風邪を……」
はっと我に返って慌てて取り繕うとしたけど、葛城くんはずいっと近づいてきて、僕の頭の天辺から足の爪先まで舐め回すように見ると、うーんと低く唸った。目の前に推しがいる。近すぎる距離に心臓が破裂しそうだ。
「渚くんじゃないか。……ここでなにしてんの?」
「あ、な、何言ってんだよ、俺は潮だって。なぎはここの学校に通ってないだろ?」
十中八九バレているんだろうと思いながらも、潮との約束だから頑張って演じようとしたのに、葛城くんは何かに気付いたようにニヤッと笑った。
「あー。なるほど。潮の仕業だな」
「だから、俺が潮だって。……なぎは引きこもってんだぞ?」
なるべく自然に、潮らしくって思ったのに、葛城くんはニヤニヤと楽しそうに僕を見ている。
「まずな、潮は俺の前では渚って呼ぶんだよ。そしてふたつめ。潮は俺のことを葛城くんとは呼ばないんだ。結斗、潮って呼び合う仲なんだぜ」
「た、たまたま間違えちゃっただけで……」
まだ苦し紛れで言葉を繋げようとする僕に、葛城くんはバッグからお財布を出すと、小さく折りたたまれた紙を出してきた。
「これ、覚えてないか?」
差し出された紙は、僕にも見覚えのある物だった。破れないようにそーっと広げると、そこにはたどたどしい字で書かれた『だいすき』の文字。やっぱり僕の記憶の中の物と同じだった。もうすっかり潮を演じることを忘れた僕は、渚の口調のままで葛城くんとの会話を続けた。
「なんで葛城くんがこれを持ってるの!?」
「なんでって、俺がもらったんだもん」
「これ、ゆうちゃんにあげたのに」
「だから、俺がそのゆうちゃん」
「え?」
僕が昔よく見ていた夢。幼少期の思い出だけど、時間とともにどんどん記憶は曖昧となり、最近では、実際にあった出来事ではなく夢だったんじゃないかとさえ思い始めていた。
その夢の中の人物が、ゆうちゃん。肩まで伸びた栗色の柔らかい毛は緩やかにカールしていて、ニコニコと楽しそうにジャンプするたびに、ふわふわと揺れるのがとても印象的だった。でもあの子は──。
「だって、僕が遊んだのは……」
「女の子じゃないよ。渚くんが勝手に勘違いしてたけど、すげー嬉しそうにしてるから、言い出せなかったんだ」
僕の言葉に被せるように葛城くんは説明してくれたけど、それでもやっぱり、記憶の中の女の子と目の前の葛城くんが繋がらない。
「大きくなったら、お嫁さんにもらってくれるって約束も、覚えてるか?」
「えっ……。あ、あれは潮が……」
この台詞は、渚が潮の身代わりをしていると白状しているようなものだけど、葛城くんはもうそんなことはどうでもいいようだった。すでに幼少期の話に完全に移っていた。
今の潮と僕を見分けられたとしても、あの時葛城くんは僕としか会っていない。だから、あれは潮だったと言い張ればバレないはずだ。……僕はそう思っていたけれど、葛城くんはそうではないらしい。
「今さら誤魔化したって無駄だ。あの日あの場所で会ったのは、潮じゃない、渚くんだ」
「……なんで、そう断言するの……?」
あまりにも自信満々な葛城くんに、僕は疑問をいだいた。だって、そっくりな僕たちを見分けられるのは、両親くらいだ。ちょっとだけ仕草や話し方を変えれば、皆気づかない。
なのに、葛城くんはこの部屋に入ってきてすぐ、潮じゃないって気付いた。しかも、あんな小さな頃に会ったのも僕だと断言している。どう考えても不自然じゃないか。予め知っていたとしか思えない。
「よく見ればわかるけど、二人は全然違う。どこが違うって説明しろって言われると難しいけど、とにかくわかるんだよ」
「でも、子供の時に会ったのは僕たち双子の片方だし、その後会ってたのは潮だけでしょ? 比べようがないじゃないか」
「……白状すると……。潮に協力してもらって、写真を見せてもらったり、こっそり会いに行ったりしてたんだ……」
「えっ……?」
「仕事で初めて潮に会った時、俺がずっと探していた子だって思った。嬉しくなって子供の頃の話をしたら、潮はそのことを全く覚えていなかった。……そりゃ覚えているわけがないよな、別人なんだから。けど、まさか双子だとは思わなかったよ。そこから、潮に協力してもらって、俺は渚くんのストーカーをしていたんだ」
「ストーカー!?」
推しの口から飛び出してきた言葉は、推しにはあまりにも不釣り合いで、僕の声は裏返ってしまった。
推しが僕のストーカーでした? 何その漫画のタイトルみたいな展開! 嘘でしょ? びっくりして目を見開く僕に構うことなく、葛城くんはどんどん話を続けた。
「引きこもりで家からめったに出ないから、タイミングが難しかった。少しだけ庭に出た時とか、家族でちょっと食事に出た時とか、俺がこの目で直接渚くんを見れるようにって協力してくれた。潮は僕の初恋が成就すると良いねって、全面的にバックアップしてくれたんだ」
「ちょっと待って、そんなの知らない……」
「バレないように細心の注意を払ったからね。俳優の僕といるところをマスコミに嗅ぎつけられたら、渚くんに迷惑をかけてしまうから」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「堂々と会うのは、お互いの気持を確かめ合ってからにしたかったんだ」
「は、はぁ」
僕の口から出たのは間抜けな声だった。
潮の代わりに学校へ来て、推しがいてびっくりして、そしたら推しがあの時の女の子で、推しがずっと僕のこと好きだったって言うし、その上推しが僕のストーカーでした。出来事を整理すれば気持ちが落ち着くかと思ったけど、全然落ち着く気配はなかった。
二人で決めたなんて、潮はそんなことはひとことも言っていない。まさに寝耳に水とはこういう事を言うのだろう。僕は潮を演じなければいけないことをすっかり忘れて、素で驚いてしまった。
「……? なにか今日はおかしいぞ?」
「あ、ちょっと風邪を……」
はっと我に返って慌てて取り繕うとしたけど、葛城くんはずいっと近づいてきて、僕の頭の天辺から足の爪先まで舐め回すように見ると、うーんと低く唸った。目の前に推しがいる。近すぎる距離に心臓が破裂しそうだ。
「渚くんじゃないか。……ここでなにしてんの?」
「あ、な、何言ってんだよ、俺は潮だって。なぎはここの学校に通ってないだろ?」
十中八九バレているんだろうと思いながらも、潮との約束だから頑張って演じようとしたのに、葛城くんは何かに気付いたようにニヤッと笑った。
「あー。なるほど。潮の仕業だな」
「だから、俺が潮だって。……なぎは引きこもってんだぞ?」
なるべく自然に、潮らしくって思ったのに、葛城くんはニヤニヤと楽しそうに僕を見ている。
「まずな、潮は俺の前では渚って呼ぶんだよ。そしてふたつめ。潮は俺のことを葛城くんとは呼ばないんだ。結斗、潮って呼び合う仲なんだぜ」
「た、たまたま間違えちゃっただけで……」
まだ苦し紛れで言葉を繋げようとする僕に、葛城くんはバッグからお財布を出すと、小さく折りたたまれた紙を出してきた。
「これ、覚えてないか?」
差し出された紙は、僕にも見覚えのある物だった。破れないようにそーっと広げると、そこにはたどたどしい字で書かれた『だいすき』の文字。やっぱり僕の記憶の中の物と同じだった。もうすっかり潮を演じることを忘れた僕は、渚の口調のままで葛城くんとの会話を続けた。
「なんで葛城くんがこれを持ってるの!?」
「なんでって、俺がもらったんだもん」
「これ、ゆうちゃんにあげたのに」
「だから、俺がそのゆうちゃん」
「え?」
僕が昔よく見ていた夢。幼少期の思い出だけど、時間とともにどんどん記憶は曖昧となり、最近では、実際にあった出来事ではなく夢だったんじゃないかとさえ思い始めていた。
その夢の中の人物が、ゆうちゃん。肩まで伸びた栗色の柔らかい毛は緩やかにカールしていて、ニコニコと楽しそうにジャンプするたびに、ふわふわと揺れるのがとても印象的だった。でもあの子は──。
「だって、僕が遊んだのは……」
「女の子じゃないよ。渚くんが勝手に勘違いしてたけど、すげー嬉しそうにしてるから、言い出せなかったんだ」
僕の言葉に被せるように葛城くんは説明してくれたけど、それでもやっぱり、記憶の中の女の子と目の前の葛城くんが繋がらない。
「大きくなったら、お嫁さんにもらってくれるって約束も、覚えてるか?」
「えっ……。あ、あれは潮が……」
この台詞は、渚が潮の身代わりをしていると白状しているようなものだけど、葛城くんはもうそんなことはどうでもいいようだった。すでに幼少期の話に完全に移っていた。
今の潮と僕を見分けられたとしても、あの時葛城くんは僕としか会っていない。だから、あれは潮だったと言い張ればバレないはずだ。……僕はそう思っていたけれど、葛城くんはそうではないらしい。
「今さら誤魔化したって無駄だ。あの日あの場所で会ったのは、潮じゃない、渚くんだ」
「……なんで、そう断言するの……?」
あまりにも自信満々な葛城くんに、僕は疑問をいだいた。だって、そっくりな僕たちを見分けられるのは、両親くらいだ。ちょっとだけ仕草や話し方を変えれば、皆気づかない。
なのに、葛城くんはこの部屋に入ってきてすぐ、潮じゃないって気付いた。しかも、あんな小さな頃に会ったのも僕だと断言している。どう考えても不自然じゃないか。予め知っていたとしか思えない。
「よく見ればわかるけど、二人は全然違う。どこが違うって説明しろって言われると難しいけど、とにかくわかるんだよ」
「でも、子供の時に会ったのは僕たち双子の片方だし、その後会ってたのは潮だけでしょ? 比べようがないじゃないか」
「……白状すると……。潮に協力してもらって、写真を見せてもらったり、こっそり会いに行ったりしてたんだ……」
「えっ……?」
「仕事で初めて潮に会った時、俺がずっと探していた子だって思った。嬉しくなって子供の頃の話をしたら、潮はそのことを全く覚えていなかった。……そりゃ覚えているわけがないよな、別人なんだから。けど、まさか双子だとは思わなかったよ。そこから、潮に協力してもらって、俺は渚くんのストーカーをしていたんだ」
「ストーカー!?」
推しの口から飛び出してきた言葉は、推しにはあまりにも不釣り合いで、僕の声は裏返ってしまった。
推しが僕のストーカーでした? 何その漫画のタイトルみたいな展開! 嘘でしょ? びっくりして目を見開く僕に構うことなく、葛城くんはどんどん話を続けた。
「引きこもりで家からめったに出ないから、タイミングが難しかった。少しだけ庭に出た時とか、家族でちょっと食事に出た時とか、俺がこの目で直接渚くんを見れるようにって協力してくれた。潮は僕の初恋が成就すると良いねって、全面的にバックアップしてくれたんだ」
「ちょっと待って、そんなの知らない……」
「バレないように細心の注意を払ったからね。俳優の僕といるところをマスコミに嗅ぎつけられたら、渚くんに迷惑をかけてしまうから」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「堂々と会うのは、お互いの気持を確かめ合ってからにしたかったんだ」
「は、はぁ」
僕の口から出たのは間抜けな声だった。
潮の代わりに学校へ来て、推しがいてびっくりして、そしたら推しがあの時の女の子で、推しがずっと僕のこと好きだったって言うし、その上推しが僕のストーカーでした。出来事を整理すれば気持ちが落ち着くかと思ったけど、全然落ち着く気配はなかった。

