きみにとっての“誰か”になりたい


 塾の自習室で数時間勉強し終え、空腹のままぶらぶらと外を歩く。
 家に帰る気分じゃなくて、意味もなく夜の町を周回する。

 空を見上げると、濃い紺色の空に星が散らばっていて、さらに三日月が存在感を放つように光っていた。

 夜空が現実世界だと仮定すると、私はきっと、弱い光を放つ星のひとつだと思う。月であるには不十分だし、一等星のように輝かしく光る気力もない。
 夜空の濃い紺色に侵食されて、いまにも消えそうな頼りない星。

 自分の感情なんてそっちのけで周りに合わせて生きる私と、すごく似ていると感じた。
 そんなことを考えながら歩いていると、すぐ近くに浜辺が見えてきた。それと同時に、穏やかな音色が耳に入ってくる。

 ……ギターの音、だろうか。

 不思議に思いながらも、興味のまま浜辺のほうへと吸い寄せられる。じゃり、とローファーが砂を踏んだ途端、思っていたよりも深く足を取られてしまい、バランスを崩して転げそうになるのを慌てて踏みとどまった。

 ……浜辺の砂の感触さえも忘れていた。

 私たちの住む町は田舎で、学校の近くに小さな浜辺があるのは知っていた。生まれ育った町ではあるけれど、そこまで海に関心があったわけではなく、立ち寄ったことは小さい頃を除いてほとんどと言っていいほどなかった。

 しかし、昼間とは違って夜の浜辺は街灯に照らされて人工的に光っており、やはり興味をそそられるようにそちらへ足が向いた。

 微かな音色が、確かなものになる。
 赴くままに浜辺へと歩み続けると、一段と街灯に照らされているところに、ひとりの男の子が座っていることに気づいた。
 ……こんな時間に、いったい誰だろう?

 不思議に思いながらさらに歩を進めると、彼が同じ学校の制服を着ていることを認識する。
 こんな夜にひとりで浜辺に座っている姿を見て謎の親近感が湧き、深く考えることもなく、その彼に近づく。
 少しドキドキしていると、私の足音が聞こえたのか、彼がゆっくりと後ろを振り返った。

 金に近い色素の薄い茶髪が、海風に揺られてふわりと舞う。

 その瞬間、彼が誰なのかを認識すると、びっくりを通り越して硬直してしまった。

「えっ――青衣、くん」

 思わずそう漏らすと、座っていた彼――青衣くんも驚いたように目を見開いていた。

 いつもは青衣くんとはまったく話さない、というか、そもそも彼は学校に滅多に来ない。それなのに今日に限って、こんなに彼と関わる時間が多いだなんて奇跡に近い。

 どういう反応をしたらいいのかわからず、私が口を開けたまま固まっていると、青衣くんはおもむろに言葉を発した。

「何しに来たんや」

 低めの声が、言葉を紡ぐ。
 聞き馴染みの薄い関西弁が、私の鼓膜を震わせた。
 彼の責めるような、真っ直ぐな視線を浴び、声が出なくなってしまいそうなところをなんとか耐える。

 青衣くんと対話するのは、ちょっとだけ怖い。
 私とは真反対に生きているような人だから、距離を取らないといけない気がする。それに、きっと朝の件で嫌われている。

「……えっと、塾の帰りに、寄ってみただけ」

 何しているのか、と問われたけれど、自分でも何しているのかよくわからない。
 孤独を感じて、本能的に浜辺に寄っただなんて言えるはずもなく、視線を逸らしながら答えた。
 私の返答に適当に相槌を打った青衣くんは、意外にも話を続けてくれる。

「名前、なんやっけ」

 そんなことを尋ねてくるなんて予想してなかったから、拍子抜けする。
 もちろん、私の名前を覚えていなかったことに驚いたわけじゃない。私に、興味を示してくれていることにびっくりしたのだ。

 青衣くんから誰かに話しかけたことは、彼がうちの学校に転校してきてから、私の知る限り一度もない。
 そんな彼が、私と普通に話してくれていることに疑問を持ちながらも、学校内よりもどこか近づきやすい雰囲気を纏っていることに嬉しくなった。
 青衣くんから発せられる関西弁は柔らかい印象を与えて、学校外でクラスメイトに会ってしまったという緊張が、ほんの少しだけほぐれた気がした。

 パーソナルスペースを守りながら距離を取り、彼の横に遠慮がちに腰を下ろす。

芹名(せりな)花梨。漢字は、フラワーの花に、果物のナシの梨」

 落ちてあった小枝で砂浜に名前を書くと、それをじっと見ていた青衣くんはうなずいた。

「花のカリンな。いい名前やん」
「……え」

 まさか褒められるなんて思ってなくて、反射的に彼を凝視してしまう。私の言いたいことが伝わったのか、街灯の明かりの下で、青衣くんは照れたように顔を背けた。

「俺、こう見えてけっこう花に詳しいねんで」
「そうなんだ。ちょっと……意外かも」
「よく言われる。まあ色々あって、花贈ったりする機会多いから」

 そう言うと、彼は私の手から小枝を奪い、私の名前のとなりに“青衣瑞季(みずき)”と大きく書いた。
 綺麗な名前だな、と改めて感心していると、彼は私に言う。

「花梨は、ここに来たん初めて?」

 青衣くんは私から視線を外し、薄暗い海を眺めながら問いかける。

 ナチュラルすぎて気づかないようだけれど、不意打ちで呼び捨てにされたことに、勝手に心臓が高鳴ってしまう。
 だけどここで、苗字で呼ばないの、なんて野暮なことは聞けないわけで、平然とした顔でスルーすることにした。

「小さい頃は、来ていた気がする。正直あんまり、……覚えていないんだけどね」

 いまみたいに、お母さんも勉強勉強と口うるさくなかった頃だ。

 家から近いこの浜辺に、父を含めた3人家族で遊びに来たことは何度かあったと思う。だけど思い出とは色褪せるもので、どんな会話をしていたか、どんなふうに笑っていたかは思い出せない。
 私が中学生、高校生になってからは家ではほとんど会話をしなくなり、家族の形は自然と変わっていったからだ。

「ふーん。小さいときからこんな近くに海あるとこで育ってるって、うらやましいわ」
「そう、かな? 田舎なだけだよ」

 私が首を傾げると、青衣くんは遠い目で言葉を紡ぐ。

「俺が生まれたところは、こんな静かじゃなかったし、住宅と人で溢れてた」
「あ……転校前は大阪、だっけ」
「そ。大阪、行ったことある?」
「ううん、ない」
「じゃあ、一回来たほうがいいで」

 ためらうことなくそう言った青衣くんの表情を観察しようと、横顔をちらりとのぞく。くっきりと目立つフェイスラインと高い鼻が相まって、見惚れるほど美しいと思った。

「青衣くんは、生まれ育った場所が好きなんだね」

 素直にそう言うと、途端に彼は虚を突かれたような顔をしながら私を見た。

 ……え、何か変なこと言ったかな?

 心の中で焦っていたら、彼は、私からすっと視線を逸らして抑揚なく呟いた。

「そうかもな」

 その言葉には、諦めに似たような感情が含まれているように思えた。でも、生まれた街を愛しているのは、きっと真実だ。それは言われなくても、彼の表情を見たらわかるから。

「じゃあ、大阪に戻りたいと思う?」

 何気なく問う。
 そもそも青衣くんがうちの高校に転校してきた理由も知らないし、わざわざ聞くつもりもない。
 でも私に向かって、一度は来い、と断言する場所なら郷愁漂うのも不自然じゃない。

 それなのに、青衣くんは、触れられたくない場所を突かれたように表情を固くした。そして慎重に、何かを確かめるような様子で首を振って言った。

「絶対戻らん」

 初めて聞く、意志の強い声にびっくりする。
 きっと、触れられたくない話題だったに違いない。
 誰にだってそういう部分はあるし、たぶん私は彼をよく知らないくせに、深いところを土足で踏み込んでしまったのだ。

 これは確実に私に非があると思い、話を変えようと自ら口を開いた。

「そっか……。この町も田舎だけど、私は良いところだと思う」
「そうやな。静かやし、何よりこの浜辺がお気に入りや」

 私の言葉に、すぐに表情を柔らかくした青衣くんにほっとする。
 唇で綺麗な弧を描いた彼に安堵しながら、目の前に広がる海を眺めた。

「そんなに良いの?」
「うん。自分だけもの、って感じしやん?」

 そう言いながら、突然青衣くんは腕を横に広げた。
 広い大きな海を、この浜辺を、抱きしめるように。自分のものだと、信じて疑わないように。
 全身で抱え込もうとするその動作を見て、彼のことをよく知りもしないのに、青衣くんらしいなと小さく笑みが溢れた。
 彼の気持ちを理解したくて、私も同じように腕を広げる。それなのに、どうしたってこの海に対して愛着が湧かなくて、少し悲しくなった。

「私には……この海は、どこかの誰かのものにしか見えない」

 私がしょんぼりとそう呟くと、青衣くんは可笑しそうに言う。

「だって、俺のやもん」
「ええ……、ひとりじめしないでよ」
「拗ねんなって」

 無邪気に笑う姿に心臓が暴れ出す。
 青衣くんって、……こんなふうに笑うんだ。眉がほんの少し下がって、雰囲気がぐっと幼くなる。
 初めて知る彼の素顔に、動揺を隠すのに必死だ。どうしたものかと俯いていると、さっきよりも幾分か和らいだ空気の中、青衣くんは私に尋ねてきた。

「あのさ、疲れへんの?」
「……え?」

 なんの脈絡もなく発せられた言葉に顔を上げて、彼の目を見る。
 真意を探りたくても、わからない。
 少なくとも、いままでの話題とは関係がないことは察せられた。
 だとしたら……と頭をフル回転させていると、彼はそんな私を待つことなく答え合わせをしてくれる。

「学校にいるときの花梨。いまみたいなんとちゃうやろ」

 はっきりとした物言いに核心を突かれ、言葉が詰まる。責めているつもりはないのだろう。わかってる。
 でも、どうしても口を開けなくて、反論しようにもできないのだ。

 絶句する私の様子に、青衣くんはやっぱりと言うふうに視線を絡めてくる。
 そして、私の気持ちを探るように、じっと見つめてきた。

「いつも無理して笑ってるやん。顔にしんどいって書いてある」
「……なんで」
「そんなんわかるに決まってるやろ。花梨、結構わかりやすいやで」

 うそだ。そんなの、言われたことない。
 何考えてるかわからないって、いつも言われるのに。
 自分の意見はないの?って聞かれるのに。

 青衣くんは、どうしてほとんど話したことのないわたしのことを、そんなに理解できているのだろうか。

「まあ正直、あんまり学校行ってないし、俺の見えてる花梨とは違うところもあるかもやけどさ」
「……うん」
「今朝、確信した。花梨が俺に話しかけてきたとき、下手くそな愛想笑いしてたもん」
「そんなこと……」
「ある。だって花梨、俺の曲聴いたことないやろ」

 ズバッとした物言いに思わず青衣くんのほうを見ると、目が合った。

 ……私が彼のファンじゃないことは、バレバレだったんだ。
 取り繕って必死に笑っていたことも、ぜんぶお見通し。

 あの数秒で私の心の奥に気づいたなんて、正直信じられない。だけど、青衣くんの表情は真剣で、嘘を付いているようには見えなかった。

 ふと視線を下げると、彼の首元に黒いヘッドホンが掛けてあることに気づく。さらに、青衣くんの足にはギターがあり、座っているすぐ近くにはギターケースが砂浜に横たわっていた。

 そういえば学校に来るときは、常にギターケースを背負って、耳にはヘッドホンを付けて登校してきていたような気がする。
 どこまでも音楽に囲まれている彼は、それらを肌身離さず持っているというより、身体の一部なのだと言われるほうがしっくりくると思った。

「……うん。申し訳ないけど、一度も聴いたことない」
「そうやと思ったわ」

 軽快に笑っている彼は、うなだれている私と違って、なんだか嬉しそうだ。
 そんな彼の横顔を、眩しいなと思いながら眺める。

「最初から、花梨って俺に興味なさそうやもん」
「そんなこと、ないよ? ……ないはず」
「本当かよ。俺が自己紹介してたとき、いっさいこっち見やん奴おるなーって思ってたもん。それが花梨や」
「うそ。そんなに興味なさそうだった? 私」
「おう。窓の外見てぼーっとしてたわ」

 そのときのことを思い出したのか、となりの彼は可笑しそうに私をからかってくる。

 青衣くんは、ちょうど2ヶ月前にうちの学校に転校してきた。そして、この小さな町でも知らない人はほとんどいないであろうほど有名な、いまをときめくシンガーソングライターだ。
 あまりよく知らないけれど、莉奈と美蕾が言うには、青衣くんもとい【am】は、10代の若者に絶大な人気を誇るアーティストらしい。
 去年の夏に彼自身が作詞作曲した曲を、ギターとともに路上で歌っている動画が大バズりしたそうだ。その動画は路上で聴いていた人が本人に許可を取ってからSNSにアップしたようで、端正な顔立ちに伴い、その低音で柔らかい声と心響く歌詞が一躍話題になった。
 そしてたくさん拡散されたこともあり、人気に火がついたのだ。

 音楽やトレンドに疎い私でさえ、クラスメイトが噂している声で【am】の存在は知っていた。
 有名人で、人気者。才能溢れているそんな人が、同じ歳だなんて到底信じられない。

 私とは生きている世界が違うと思っていた彼が、私たちが2年のクラス替えをした日の1週間後、うちの学校に転校してきたとき、それはそれは大きな衝撃をもたらした。

 “あの【am】とクラスメイトになる”

 あまりにも現実味がないそれに、当初は皆んなが半信半疑だったけれど、彼が教室に入ってきた瞬間その空気は一変した。
 画面越しで見るよりも、うんと整った顔立ちに、特に女の子は圧倒されたのだ。

 今日のように首にはヘッドホンがあり、転入初日だというのにギターケースを背負っていて、絵に描いたような音楽少年だと感じたのを覚えている。
 それに繊細そうな雰囲気も相まって、都会っ子だなあとかそんな印象も持った気がする。

 キラキラしたオーラが確かにあって、直視するには眩しい人だったのだ。突然の有名人の転入に、教室中がザワザワとするなか、私は彼をよく知らなかったから自己紹介もまともに聞いていなかった。

 それよりも私は、その頃はちょうどクラス替え初っ端で、莉奈と美蕾と打ち解けられるか不安で仕方なく、自分の友人関係で頭がいっぱいだったのだ。

 転入生というだけで注目を浴びるのに、さらにその人が有名人だとなれば、この小さな町では好奇の目を向けるのが普通だと思う。
 それなのに、あの空間で私だけが彼に興味を示さずに窓の外を眺めていたから、彼にそんな印象を与えてしまったのかもしれない。
 でも、青衣くんは私の態度に悲しむわけでもなく、逆に嬉しそうにするのだから不思議だ。

「今日、帰ったら青衣くんの曲聴くね」

 純粋に彼がどんな曲を作っているのか気になってきたために、そう呟く。本当は、お母さんに音楽を聴くことは禁止されている。勉強の邪魔になるものは、すべて断ち切るように言われているのだ。
 だけど……少しだけ、彼の曲ひとつくらいは聴いても良いだろう。
 そう思って顔を上げると、青衣くんはにやっと笑って、砂浜に小枝を刺しながら言った。

「薄っぺらい感想は、いらんからな」
「そんなの言わないよ。思ったままに伝えるって」
「ほんまか? 今朝みたいな胡散臭い笑顔見せてきたら怒るで?」
「もう! からかわないでよ」

 さっそくネタにしてくる青衣くんに不貞腐れていると、彼は私の瞳を捕らえた。

「別に、さ。みんなに、特に近くにおる友達に、思ってることぜんぶ言う必要ないと俺は思う」

 私の心を包み込むように、優しい声で言葉を紡ぐ。

「でも、言いたいことずっと我慢してたらしんどいやろ。やから、俺の前では素直にありのままでおったらいいやん」
「……え?」

 予想外の言葉に、腑抜けた声が漏れる。
 夜の冷たい海風が私の頬を撫で、それと同時に彼の柔らな髪も誘っていく。

『俺の前では素直にありのままでおったらいいやん』

 そんなこと、いままで誰にも言われたことがなかったから、すごくすごく困惑した。
 私が、自分の意見をためらうことなく伝えられるのかとか。
心の底から笑えることが出来るのか、とか。

 いろんな感情が巻き起こって、でもその中で唯一私の心を支配したのは、嬉しいという率直な感情だった。

「なんで、……私にそんなこと言ってくれるの?」

 そもそも、彼と私は、今日まで一度も話したことがないのだ。
 今朝だって、それに今だって、イレギュラーな状況。明日からも変わらぬ日常が続くのだと思っていたのに、青衣くんは私と過ごす未来の日々を示してくれる。

 てっきり今朝の件で嫌われたと思っていたから、彼の言葉に戸惑いは隠せない。
 でも、じんわりと心の氷が溶けていくのがわかった。
 彼の柔らかい声が、私の頑固な意思を包み込んでくれる。

「別に理由なんかないけど。強いて言うなら、夜の浜辺にひとりで散歩に来るような女子高生、なかなかおらんくて気になるからとかゆーとくわ」
「か、青衣くんだって……! 夜の浜辺を眺めてるなんて、なかなかいない男子高生だよ」
「ふは、確かに。俺ら、似た者同士かもな」

 そんなはずないけれど。
 うんと輝かしくて眩しい彼と私が、似ているはずなんかないけれど。

 そうやって微笑んでくれる青衣くんを見ていたら、彼も私たちとそう変わらないんだなと実感して小さくうなずいた。

「毎日おるとは限らんけど。夜はだいたい、ここにおるから好きなときに来たらいい」
「うん……わかった。そうする」
「おー。じゃ、帰るか」

 ズボンについた砂をぱんぱんと払い、青衣くんはその場に立った。私も同じようにスカートについた砂を払って、彼のとなりを歩いた。

 すっかり光を落として暗くなっている世界は、海が岸に打ち付ける音がやけに鮮明に耳を刺激する。
 ぽっかりと浮いている三日月は、私たちをじっと見ている気がした。

「歩き? 電車?」

 そう尋ねてきた青衣くんに、帰り方を聞かれてるのだと思い、「徒歩だよ」と答える。

 横に並んだ彼を見上げると、思っていたよりも背が高くて少し驚いた。それに随分華奢だと思っていたけれど、肩幅は広くて男の子だということを実感させられる。

「じゃあ、送ってく」

 ギターケースを背負い直しながら、私より一歩前を歩く青衣くん。
 そんな彼の優しさに甘えることなど出来ず、慌てて横に並び、首を横に振った。

「悪いよ。近いし、送ってもらうほどじゃないから」
「逆に言うと、近いんやから送るほうも損じゃねえよ。てか俺が送るって言ってるんやし、よほど嫌じゃなかったら素直にうなずいとったらいいねん」

 青衣くんらしい物言いに、思わず頬が緩む。
 自意識過剰かもしれないけれど、夜遅くにひとりで帰る私を心配してくれているのかもしれない。

 まだ知り合ったばかりで真意は悟れないからこそ、そんなわかりやすい優しさが嬉しかった。

「ありがとう。青衣くん」
「ん、えーよ」

 緩く答える彼と、他愛もない話を少しだけした。
 あまり心の扉を開いていない相手と過ごすのは、いつとならちょっとでも苦しい時間なのに、青衣くんはなぜか平気だった。

 彼が、なんでも受け入れてくれるような雰囲気を醸し出しているからかもしれない。それがすごく、息がしやすかった。

「じゃーな」

 私の家に着くと、手を振ることもなくあっさりと帰っていく青衣くんの後ろ姿を見つめる。

 暗くて、静かで、孤独を感じる夜。ただ過ぎていくだけの夜が、こんなに楽しいものになるだなんて思ってもいなかった。
 しかも、今夜だけの出来事じゃない。
 明日も、そのまた次の日も。ずっと先も。私はひとりじゃないんだと感じた。

 明けない夜はない。
 去っていく青衣くんは、その夜の仄暗さに溶け込んでぼんやりと滲んでいる。
 彼の後ろ姿を見ていると、いまにも消えてしまいそうな儚さがあった。

 一日の最後に、心を温めてくれた青衣くん。

 私も彼にとって、少しでも寂しさを埋められる存在になりたい。そう思いながら家に帰った。