「芹名さんって、運動神経いいんだねえ」

 とある日の放課後。
 体育祭が近づいてきて、クラス対抗リレーのメンバーで集まってバトンパスの練習をするために、グラウンドへ向かっていたときだった。

 私に声をかけてきたのは手塚くん。自然ととなりを歩き、さらにペースを合わせてくれるところを見ると、かなり気を遣える人だと考えられる。

「え……っ、と」

 まさか彼が私に話しかけてくれるなんて思いもしなかったから、しばらく驚きが勝って言葉が出なかった。
 人見知りが発動して口をぱくぱくさせる私に対して、手塚くんが焦ったように付け足した。

「いや、急にごめん! なんか話しかけたくなっただけなんだけど」
「あ、こちらこそごめんなさい……! びっくりして、言葉が出なかったの」

 硬直から解けてそう言うと、手塚くんは安心したように表情を崩した。

「なんだ、嫌われてるのかと焦ったじゃんか!」
「まさか……っ、そんなわけないよ」
「はは、それは良かったわ!」

 彼の声は少し大きいけれど、嫌な気分にはならない不思議なトーンだ。
 無邪気に笑う手塚くんに、最初の質問に答えるべく再度口を開く。

「運動神経は、そこまでよくないよ。だから……、みんなに迷惑かけないように頑張る」

 わたしがそう言えば、手塚くんは目を丸くして驚いた様子を見せた。彼の表情は、コロコロ変わって飽きがこない。

「えー迷惑なんか、いくらでもかけてくれていいのに! でも確かに、芹名さんおとなしいイメージあるわ」
「うん。だからといっては何だけど、本音はあまり……目立ちたくないんだ」
「わかるよー、芹名さん絶対優しいじゃん。リレーなんか運動部以外はやりたがらないから、走ってくれるんじゃねえの?」
「いや……最終は自分がやるって決めたんだし、そんなんじゃないよ」

 手塚くんは思ったよりも洞察力がある。私の状況をばっちり言い当ててくるから、少し驚いた。
 でも彼に弱音を吐くのは違う気がして、やんわりと否定した。すると手塚くんは、独り言のように呟く。

「うーん、そっか。うちのクラスの女子、ちょっとキツいところあるからなあ」

 彼の言葉の返答に困ってしまう。なんて答えようかと思考を巡らせていると、突然誰かが彼の頭をペシッと叩いた。

「わっ、痛え! 青衣、なにすんだよお!」
「そんな痛くないはずや、手加減した」
「そもそもなんで俺叩かれたわけ?!」

 そう手塚くんと言い合いをしながら私のとなりに立った青衣くんと目が合い、不可抗力でドキッとする。
 学校でこんなに近くにいるのは初めてだから、どんな反応したら良いのかわからなくて困惑する。

 そんな私の様子に気づくこともなく、手塚くんは青衣くんに向かって唇を尖らせた。

「俺は芹名さんと話してたのに! 邪魔するなよ、青衣!」
「あほ。わざと邪魔しに来たんやし」
「……は?!」

 平然とした表情をしている青衣くんに、ぽかんとした顔をする手塚くん。対照的なふたりが少し面白くて、なんだか元気が出る。

 仲良しだなあ……とほのぼのと眺めていると、青衣くんは私に話しかけてきた。

「いつもおるふたりは? 帰ったん?」

 いつもいるふたり……、莉奈と美蕾のことだろう。彼女たちはリレーのメンバーではないため、もちろん数分前に肩を並べて帰っていった。
 彼の問いにこくりとうなずくと、「そーなんや」と愛想のない返事をくれる。少し機嫌がわるいのかもしれない。

 どうしようかと考えている最中に、手塚くんが私と青衣くんを交互に見つめて、驚いたように声を上げた。

「え、なに、ふたり話したことあんの?!」
「声でけえ」

 青衣くんが顔をしかめるも、手塚くんの驚愕はおさまらないらしい。

「いや、え?! てか青衣が女の子と喋ってるところ初めて見たわ!」
「そーやなあ」
「俺、芹名さんのことちょっと狙ってたのに! 青衣のせいで台無しじゃん!」
「本人に言うてもーてるで」

 ため息をつく青衣くん。私はふたりがコントのような掛け合いを眺めているだけだったのに、手塚くんが『狙ってる』だなんてありえないことを言うから、当然私の心情は穏やかではない。

 ふたりを驚きながら見つめるけれど、彼らはわたしの様子などお構いなしだ。

「まあ、俺と花梨はそんなんやないけど」

 一線を引くように、はっきりとそう口にした青衣くん。『恋愛はしない』と言っていた過去も相まって、少しだけ悲しかった。
 彼の考えは、やっぱり変わることがないのかな……。
 複雑な思いを抱えていると、手塚くんはその空気を察することなく、興奮したように青衣くんの背中をバシバシと叩いた。

「あの青衣が女の子を名前呼びだと……!? え、本気でどういう関係?」

 混乱で目を白黒させる手塚くんに、慌てて誤解を解くことに努める。
 このままじゃ、青衣くんに迷惑がかかってしまう。

「えっと……、なんだろ、青衣くんとはお友だち……みたいな?」

 ……友だち、なのだろうか。私と青衣くんは。
 しっくり来ない関係性に頭を捻る。自分でもどう説明したらいいのかわからなくなり困惑していると、見兼ねたように青衣くんが口を開いた。

「まあ少なくとも、手塚が思ってるような関係性ではないわ」
「いや、……うん。そうだとしても納得いかねえなあ……」

 手塚くんは変わらず気になるそぶりを見せるも、私たち自身もこの関係性に名前をつけるのは難しくて、曖昧に微笑むことしか出来なかった。

 もどかしい。そう思ったけれど、だからといってどうにも出来ない。
 それに青衣くんが私との関係を誤解されたくないのは、当然のようにわかってしまった。
 本当に私のことなど恋愛対象には入っていないんだろう。そう考えたら、胸がちくりと痛んだ。

 そうこうしているうちに3人でグラウンドに到着し、そこにはすでに残りの3人のメンバーが固まっていた。
 女子は、私とバレー部の坂木さんのふたりしかおらず、残りの4人は全員男の子だ。

 青衣くんと、手塚くんと、三木くんと、荒井くん。花宵くん以外は運動部で、すごく速そうなクラスメイトが集まっていて萎縮してしまう。

 私が縮こまっていることに気づいたのか、近くにいた坂木さんが笑顔を見せてくれた。

「女子は私たちふたりだけだけど、頑張ろうね」

 その言葉にじーんと心が温まる。不安だった気持ちが少し和らいで、私も同じく笑みを返した。

「もちろん……! ちゃんと練習して、上位取れたらいいなあ」
「男の子たちがめちゃめちゃ速そうだから、私たちがミスしても、なんとかなりそうだけどね」

 冗談めかして言う坂本さんに笑ってうなずいた。気さくな彼女が同じメンバーで良かった……と心から安堵する。
 どうやら男の子4人も打ち解けているらしく、じゃれあっていた。

「よっし、そろそろ練習はじめようぜ!」

 しっかり者の荒井くんの声かけで、6人で走る順番に縦に並ぶ。

 ちなみに順番は、すでに決めてある。三木くん、荒井くん、坂木さん、手塚くん、私、青衣くんの順番だ。
 アンカーは青衣くんだ。彼は運動部の人たちよりも群を抜いて速いらしく、断る隙もなく任命されていた。
 リレーも、半強制的に選ばれたとこの前言っていた。男の子は50メートル走のタイム順で割り当てられるようで、彼が『省エネがよかったのに』と嘆いていたのは記憶に新しい。

 バトンパスは、チームの勝敗がかかってくる。陸上部の三木くんにパスのコツを教えてもらいながら、軽く走って渡す練習が始まった。

「助走はもうちょい速めでいいかも。俺ら男子とじゃ、歩幅が違うからさ」
「たしかに……。本当に頼りになる、ありがとう手塚くん」
「うへ、どういたしたして。なんか芹名さんって癒されるわ」

 い、癒されるなんて初めて言われた……!
 突然の言葉にあたふたする私に、青衣くんが冷たい視線を手塚くんに送る。

「鼻の下伸ばしてんちゃうぞ、手塚」
「うわっ、青衣こわっ! 芹名さんは俺に話しかけられるの嫌じゃないよな?!」
「え、うん、もちろんだよ?」
「おっしゃ! これわんちゃん望みあるんじゃね!」
「ないわ、あほ手塚」
「やっぱ今日の青衣、俺に当たり強いって?!」

 3人でてんやわんやとしていると、荒井くんの声が飛んできた。

「おまえらー! 喋ってないで練習!」
「……荒井、まじ先生みたいだな」

 手塚くんが嘆くから、はーいと返事をしつつも、笑いを堪えながら定位置に戻る。それからある程度練習すると、チームワークが良くなっていっているように感じた。

 みんな優しくて、すごく居心地がいい。はっきりとした物言いをする人たちが多いおかげか、私も自分の意見を少しは口に出せるようになっていた。
 そんな私の変化に、青衣くんはきっと気づいている。私が発言したときは、私がわかるように相槌を打ってくれるし、優しい瞳を向けてくれるから。

「よし、時間も時間だし、これくらいで終わろうぜ!」

 改善点を見つけて良くしていきながら進めていたら、どうやらもう下校時刻に近づいていたらしい。荒井くんが声をかけてくれ、私たちはお互いを労わりながら更衣室に戻った。

 私と坂木さんが着替え終わって外に出ると、男の子たちは待ってくれていたらしく、手塚くんが「ふたりとも一緒に帰ろうぜ!」と言ってくれた。

『一緒に帰ろう』

 その何気ない言葉がすごくすごく嬉しくて、坂木さんと目を見合わせて微笑んだ。そうして6人みんなで固まって帰路についた。
 たった1時間ほど話してパスの練習しただけの仲なのにも関わらず、すごく息がしやすかった。坂木さんも同じことを思っていたらしく、「なんかいつメンみたいになってない?」と笑っていた。

「当日まで大変だけど、頑張ろうぜ! 俺らならテッペン取れるわ!」

 手塚くんがいつもの調子で人差し指を天高々に突き上げると、青衣くんと冷静なツッコミが入る。

「そんなこと言ってる本人の手塚が、当日コケそうやけどな」
「んなわけねえし!」

 抗議している青衣くんの努力は虚しく、三木くんと荒井くんも同調し出す。

「うわー、ありそう。手塚けっこう抜けてるし」
「まあ、ビリはビリでおもろそうだけどな。手塚、しっかりな」
「なんで俺が転ぶ前提になってんだよー!」

 泣きそうな手塚くんは、縋り付くように私たちのほうを向いて言う。

「なあ、芹名さんと坂木さんはこいつらみたいな寂しいこと言わねえよな?! な?!」

 坂木さんと顔を見合わせ、そのあと同時に彼を見る。
「手塚くん……ケガしたら手当てするからね」
「私も、消毒持参するね」
「女子陣もかよーっ!」

 叫んでいる手塚くんが可笑しくて、坂木さんと目を合わせて吹き出した。

「絶対一位取ろうね」
「うん、頑張ろう」

 ふたりでそう言い合い、エネルギーが湧いてくる。
 このメンバーなら大丈夫。そう感じて、ますます個人練習もしないとと喝を入れる。

 みんなの笑顔が見たい。何かを頼まれて始めたことに対して心の底からそう思ったのは初めてだった。
 その自分の小さな変化が嬉しくて、思わず頬がゆるむ。

 前を歩く青衣くんの色素の薄い髪が揺れている。思わず手を伸ばしたくなる衝動を抑えながら、夜が待ち遠しくなった。