────皆が遠慮なく本音を言う世界だとしたら、それは果たして幸せなのだろうか。
そんなことを毎日考えている私は、きっと捻くれている。
ぼんやりと通学路を歩きながら、空を仰ぐ。
広い、きれいな青空。
昨日は曇天だったから、少しだけ爽快な気分になる。
気温や天気は毎秒違うのに、毎日が同じ日の繰り返しに思えるのはなぜだろう。
夏に差しかかっている季節のはずだけれど、まだ朝は冷える。
そろそろ汗ばむ時期かなと思いつつ、カーディガンを羽織り直した。
ひとりで登校している私にとって、少し早い時間に起きて学校に行くのがいちばん落ち着くことは、入学早々に自覚した。
本当は予鈴がなるギリギリに着くとすると20分ほど多く寝られるのだけれど、睡眠よりも人目を重視するために、いつも朝早くに登校することにしている。
その理由は、通学路を歩く生徒たちに流されている私は、そこに馴染めているのかと漠然と不安になるから。ひとりで歩いているときに、話しかけられるのは微妙に疲れてしまうから。
そんなことを言ったら、きっと周りの子に笑われてしまうんだろう。
価値観の違いは、わかり合うことがかなり難しい。
学校に着き、門をくぐる。
靴箱で靴を履き替えていると、何やらこちらに走ってくる足音がしたと思えば、ぽんっと肩を叩かれてそちらを向いた。
「りんりんっ!おはよー!」
「花梨、おっはー」
飛びついてきたのは、同じクラスの笠井莉奈と宇野美蕾。
今日はいつもより登校時間が早いな、と驚きつつ、友人ふたりに同じように挨拶を返した。
ちなみに、莉奈が呼んだりんりんというあだ名は、私がカリンという名前だからだ。
笑みを浮かべると同時に、ふたりがおそろいのツインテールをしていることに気づいた。
「あ……、ふたりともおそろいの髪型?」
遠慮がちに問いかけると、莉奈と美蕾は顔を見合わせて少し気まずそうに笑った。
「あーそう! 昨日美蕾とラインしてて、ツインテール可愛いよね〜って話題から、明日ふたりでしようみたいな流れになったの」
「そうそう。あの、ひとりだと恥ずかしいしね?」
「りんりんはさ、そういうの、苦手かなって思って」
いつもは天真爛漫な莉奈と冷静な美蕾が、焦りながら話しているのが伝わる。
『そういうの、苦手かなって思って』
莉奈が言う、『そういうの』とは、何なのだろうか。
みんなでおそろいの髪型にすること?
ちょっと勇気のいる可愛い髪型をすること?
何も言ってないのに、本当の私は誰も知らないのに、勝手に決めつけないでほしい。
そんなの言えるはずないくせに、心の中だけではたくさん口に出せる。
いずれにせよ、早くこの気まずい空気をなんとかしなきゃ。
私は気にしてないよ。大丈夫だよ。
そう言わなければならないのはわかっている。
私とはラインしないのに、とか、誘ってくれてもよかったのに、とか。
そんなのは、ぜったいぜったい言わないべきだ。
「うん、確かに私には似合わないな〜! ふたりとも可愛いね」
明るい声で返すと、莉奈の表情があからさまにほっとしたのがわかった。
それに、ズキっと心が痛む。
傷ついているわけじゃない。そんなのじゃないはずだ。
「ありがとう! りんりんに無理やりおそろいにさせるのも違うかなって思ってたし、よかった」
「花梨に夜中にラインするのも、申し訳ないしね」
「ええ、気にしなくてもいいのに。ふたりからのラインなら嬉しいよ」
頑張って笑っているせいで、頬が攣りそうになる。
莉奈と美蕾の中で、私の像は出来ているのだろう。おとなしくて、勉強熱心で、自分の意見を言わない人……というふうに。
高校での私は、そんなふうに見られているんだと思う。
それから他愛もない話をしながら、教室へ3人で向かう。
私はいつも、ふたりより一歩後ろを歩いてしまう。気にしすぎかもしれないけれど、やっぱり莉奈と美蕾には見えない絆があるように感じるから、心のどこかで遠慮してしまっているのだ。
楽しそうに話すふたりは、一歩後ろを歩くわたしのことなんて見えていない。
同じ髪型の莉奈と美蕾の背中を眺めながら、ぼんやりと教室に入る。
その途端、前のふたりの表情がぱっと華やいだのがわかった。
「あ! 青衣くんが来てる……!」
「えっ、うそ! 2週間ぶりくらいじゃない?」
「わあ……、やっぱりオーラが違うねえ!」
「ほら、ツインテールにして正解だったかも……!」
「昨日の夜のあたしたち、ナイスすぎる!」
ドア付近できゃあきゃあと盛り上がるふたりに並び、同じように笑みを浮かべる。
どうやら今日は、めずらしく“彼”が来ているらしい。
莉奈たちが塞いでいる隙間から、窓際のいちばん後ろの席を見る。
そこが、“彼”の席。
見れば、本当に彼――青衣瑞季くんが、2週間ぶりに登校してきていた。
奥の方に座っているのに、存在感が半端じゃない。
教室に入った途端に、引力かと疑うほど、視線が青衣くんの方へ惹きつけられる。
ヘッドホンを耳にして、机に突っ伏して寝ている姿は、完全に外界との接触を絶っていた。
彼のほかに教室には数人ほどクラスメイトはいるけれど、みんな静かな子たちだ。
そのせいか、普段明るめの莉奈と美蕾の声は、朝の教室にはかなり響いていた。事実、教室の隅で読書をしている女の子が厄介そうに片眉を上げていて、少し萎縮してしまう。
「話しかけちゃう?!」
「え、そんなの勇気いるって! 無理無理!」
「せっかく2週間ぶりに拝めたって言うのに、美蕾ってばもったいないって!」
構わず盛り上がるふたりに苦笑いしながら、相槌を打つ。何も言えない自分に苛つくのに、だからといって声は出ない。
そんな私に気づいたのか、莉奈がこちらに視線を寄越して声をかけてきた。
「ねえ、りんりんもそう思うよね?」
「えっ?」
「青衣くん! せっかくだから彼に話しかけるべきかなって話じゃん!」
莉奈が美蕾の背中を軽く叩く。
照れたように美蕾が目を伏せ、その動作で何を言いたいのか想像がついた。
「あー……うん! 私もそう思う、かも」
前のめりで尋ねられ、なんとか声を振り絞る。
本当は、話しかけないでとばかりに耳を塞いで寝ている彼を起こすのはやめたほうがいいと思う。
しかも、青衣くんが転校してきたあの日の出来事を思い返すと、あまり話しかけるべきではないと感じていた。
だけど、きっといま、私に求められている言葉はそういうのじゃないと理解していたから諦めた。
「だよねー! ほら、美蕾いくよ!」
何事も行動的な莉奈は、ためらう美蕾を引っ張り、青衣くんの席まで連れて行く。
わたしはただその後を追いかけることしか出来ず、少し離れたところで眺めていた。
「ねーえ、青衣くん……!」
莉奈が、先陣切って彼に呼びかける。
それに続いて美蕾も「あ、青衣くん!」と声を出した。
だけどヘッドホンをしている彼に、その声は聞こえるはずがなく、反応がいっさいない。
困ったように目を見合わせる彼女たちを傍観していると、突然美蕾が私の手を引いた。
「花梨も、一緒に声かけてよ」
「え」
なんで私が? と正直な気持ちが口をついて出そうになり、慌てて堪える。
彼にまったく興味がない私が、わざわざ相手が寝ているときに声をかけるのは、すごく変な気がした。
それなのに、私はいつも流される。拒否することができなくて、言葉を飲み込んで、愛想笑いをするのだ。
「うん、……わかった」
「わ、それでこそりんりん!」
はしゃぐ莉奈を宥めて、なるべく小さな声で彼の名前を呼んだ。
「えっと……、あの、青衣くん」
どうか、起きませんように……!
そう祈っていたせいか、莉奈や美蕾より、確実に小さな声だったはずだ。
だから、聞こえるわけがない。
それなのに。
突然、青衣くんはぱっと顔を上げたのだ。
……え、なんで起きたの?
急に目が合ったものだから、思わず素っ頓狂な声をあげそうになる。
となりで莉奈と美蕾も驚いているようで、目を見開いていた。
こうやって見ると、青衣くんは本当に端正な顔立ちをしているなと客観的に思う。
冷たい印象を受ける切れ長の瞳が、わたしをじっと捉えた。
何もかも見透かすような視線にドキッとしていると、青衣くんは不機嫌そうな様子を隠さずに言った。
「なんの用?」
耳にすっと入ってくる低音。
何か言わなきゃ、と思うのに、真っ直ぐ見つめてくる彼の瞳に気圧されて言葉に詰まる。
……どうしよう。青衣くん、ぜったいに怒ってる。私たちが、大した用もなく声をかけたから。
フリーズしそうなところを、なんとか頭をフル回転させて口を開く。
「あ……、ちょっと、あの」
私はただ声をかけただけで、あなたに用なんてなかったんです。そう言えたらどれほどよかっただろうか。
適切な言葉が見つからなくて口籠もっていると、突然横から莉奈が声をあげた。
「あー! そう、りんりんが! ね!」
「え?」
「りんりんが青衣くんの、【am】のファンらしくて……!」
まるで事実でない莉奈の言葉に唖然として、言葉が出ない。
私じゃなくて、それは美蕾の話なのに。
その真意は、わかっている。
青衣くんが不機嫌で、いまのままだと、美蕾が彼のファンだということを言うと、彼女に対して悪い印象を与えてしまうかもしれないからだらう。
だからといって、私を勝手に使うなんて、酷いと思う。
私は青衣くんの、【am】の曲を一度も聴いたことなんてないのに。
だけど、……わざわざ否定するのも面倒だ。
もう早くここから逃げ出したくて、この話題を終わらせたくて、なんとか笑う。
「……うん、そうなの! ごめんね、青衣くん。起こしちゃって」
早口でまくしたて、愛想笑いのまま莉奈と美蕾を連れて席を離れようとする。
しんどい、息が苦しい。
自分を押し殺すということは、すごく苦しい。
めいいっぱいの笑顔でこの場を去ろうとすると、ずっと視線を私に向けていた青衣くんは、低い声で言い放った。
「つまんねえ」
棘のようにその言葉がグサッと胸に刺さり、気分が悪くなる。
そして青衣くんはその瞬間に興味を無くしたように、また机に突っ伏してしまった。
違う、こんなことをしたかったわけじゃないのに。
叫びたい、そう本当は伝えたいのに。でも、……自分の意見を言えない私が悪いんだ。
となりでは、彼のあまりに抑揚がなく冷たい一声に、ふたりは息を呑んでいる。
さすがに彼女たちに声をかける気分にはなれなくて、無言で自分の席にゆっくりと戻った。
途端に、硬直から解けたように、莉奈が後ろから追いかけてきた。
「ご、ごめんね、りんりん……! あたしのせいで、なんか……変な感じになって」
眉を下げて凹む莉奈を見ていると、責める気にはなれない。
彼女は本当に、悪気なんてないんだと思う。
後ろに立っている美蕾も申し訳なさそうな顔をしているから、ふたりに気にしないでと言うふうに微笑んだ。
「ううん! ぜんぜん大丈夫だよ」
大丈夫、という言葉は一種の呪いのように思える。
そうだと思ったら、本当にそうな気がする。でもその代わりに、何かが心の奥底で崩れ落ちる音が聞こえて苦しい。
「そ、そっか! やっぱりりんりんは優しいね!」
「花梨、なんか、ごめんね……」
「もうー! 気にしないでよ! 私、なんとも思ってないから」
ぐっとお腹に力を込めて、声を出す。そうじゃないと、震えてしまいそうだから。引き攣っている頬が、ふたりにバレないように、頑張らないといけないから。
莉奈と美蕾に笑いかけると、ふたりは安堵したように目を見合わせた。
「うん! えっと、今日の1限なんだっけ?」
「あ、確か化学の実験じゃなかった?」
「うわ、ほんとだ! まだ予習プリントやってないよ」
「美蕾がんばれ! まだ時間はギリギリある!」
「いやあと2分で予鈴なるって……」
いつもの調子で3人で話していると、頭が徐々に冷静になってきて悲しくなる。
何も、問題などない。わたしがこうやって気持ちを表に出さなくても。
他人の真意なんて見えるものじゃないから、隠していようが表に出そうがその人の勝手だ。
わたしは、思いを隠すことでしか生きられない。
空気を読んで、周りを雰囲気を感じて。そんなのきっと、他の人からすれば。
――『つまんねえ』
グサッと刺さった青衣くんの言葉を反芻する。
その通りだ。
私はどうして笑っているんだろう。楽しくもないのに、無理やり合わせようとして。
そうしているうちに、自分がいなくなりそうで怖い。
……でも。
寝ている青衣くんを、ちらりとのぞき見る。自由奔放な様子は、転校初日から変わっていない。誰も寄せ付けないようなオーラを纏って、ただ流れる日々を過ごしている。
青衣くんは滅多に学校に来ないせいか、教室に入ってくるクラスメイトは必ず、彼を見てひそひそと何かを話している。
有名人で、かつ美少年でモテるから。
遠巻きに女の子たちが視線を送っている。その自覚はあるのかはわからないけれど、青衣くんが自分から誰かに話しかけているところは一度も見たことがなかった。
不思議な人だ。
彼のように自由に生きることが出来るひとが、私はすごく羨ましい。意見をハッキリと口に出せる人が羨ましい。
ないものねだりなのは、わかっている。私が彼みたいになる日は、きっと来ない。
……まあ、もう青衣くんと話すことはないだろう。というか、平和に過ごすために、なるべく関わらないようにしたい。
きっと今日の件で彼は私に悪いイメージを持ったと思うし、それでいいと割り切る。
何事も、波風立てないのがいちばんだ。
とにもかくにも、友人ふたりとの関係に精いっぱいで他のことに頭が回らないし、彼のことは忘れよう。
そう思いつつ、莉奈たちに手を振ってから自分の席に着いた。



