私たちは、互いに見つめ合っていた。縫い止められたように視線を離せず、かといって次に何を話したらいいのかわからない。そんな重苦しい雰囲気が、私たちの間に横たわっていた。
 天藤くんは早々に私たちの間にある違和感に気づいたようで、男の子を連れて近くにある別のゲーム台のところへ歩いていった。

「……久しぶり、詩織」
「うん、久しぶりだね。風花」

 沈黙を先に破ったのは風花だった。私はどうにかぎこちない笑みを浮かべる。
 最後に顔を見たのは中学の卒業式の日だ。ずっと言葉を交わさなくなって、せめて最後くらいはと思ったけれど、結局勇気が出なくて話しかけられなかった。
 ずっと後悔していた。
 風花とは、もう一度ちゃんと話したかったから。

「ユウのこと、見ててくれたんだね。ありがとう」
「んーん。全然、だよ」
「ちょっと目を離した隙にいなくなってて、ほんとビビった」
「あはは……大変、だったね」

 ちゃんと話したい。そのはずなのに、私の口からはしょうもない返事しか出てこなかった。
 何を言えばいいんだろう。前はもっと上手く、楽しく話せていたのに。
 それなのに……無神経で臆病な私が全部、壊してしまったから。
 私、ほんとに最低だ――。

「ごめんっ! 詩織!」

 視界が曖昧にぼやけてきた、その時だった。
 ゲームセンターのうるさいBGMに負けないほどの声量で、唐突に風花が叫んだ。

「は、え……?」

 私はわけがわからず、目を瞬かせる。ぼんやりしていた風花の輪郭が浮かび上がってきて、頭を下げた彼女のつむじがはっきりと見えた。

「ずっと、謝りたかった。つまらない嫉妬して、隼人があたしを幼馴染としてしか見ていないことが腹立たしくて、詩織に八つ当たりした。詩織は全然悪くないのに、傷つけてしまった。酷いのはあたしの方だった。だから、本当にごめんっ!」
「そんな、違う、違うよ。私が、悪かったんだよ。私が、無神経で、風花の気持ちをよく考えもしないで、大野くんと楽しく喋っちゃって……。そ、それに、ちゃんと風花と向き合わずに、逃げたから……だから、ほんとにごめんなさい……っ」

 中二の時、風花の気持ちをもっと考えていられたら。風花の言葉を最後まで逃げずに聞いていたら。風花に自分の気持ちを素直に伝えられていたら……。
 後悔ばかりが口をついて出ていく。言い訳がましい自分が嫌になる。けれど、風花は首を振って私の手を握った。

「それをいったら、あたしも同じだよ。あたしだって、詩織と向き合うことからずっと逃げてた。詩織の言葉をちゃんと聞こうとしなかった。ちゃんと話し合おうとしなかった。だから詩織、そんなに自分を責めないで」
「ふ、風花……」
「ねえ、詩織。今度は聞かせて、詩織の気持ちを。あたしも頑張って言うから」

 風花はギュッと私を抱き締めてくれた。
 柔らかな温もりに包まれて、私はつっかえつつも自分の気持ちをぽつぽつと話した。
 大野くんのことは誤解なこと。風花の恋を応援したかったこと。風花とこれからも友達でいたいこと。
 ゲームセンターというなんとも場違いな、私らしい場所で、私は自分の素直な気持ちを風花に話した。

「……ありがとう。話してくれて」

 私の後に、風花もずっと悩んでいたことや謝りたかったこと、大野くんにはまだ恋をしていること、これからも友達でいてほしいことなんかを話してくれた。
 向き合ってみれば、なんてことはなかった。私と風花は、どこまでもすれ違っていただけだった。嫌われていたわけでも、憎んでいたわけでもなかった。

「なにしてたんだろうね、あたしたち」
「ははっ……ほんとにね」

 額をくっつけて、私たちは笑い合う。
 私たちに足りなかったのは、ほんの少しの勇気だった。
 それから、私たちはさらに少しだけ近況を話した。風花はどうやら大野くんと同じ高校に通っており、リベンジするべく自分磨きをしているところらしい。「詩織みたいに超ギャップをつけて落とすのが目標!」なんて意気込んでいたのが面白かった。
 一方で、私の方も天藤くんについていろいろ訊かれそうになったけれど、ちょうどそこで天藤くんたちが戻ってきたので話はそこまでとなった。

「詩織ー! 今度遊びに行こっ! その時にたーっくさん聞かせてよね!」
「ちょ、ちょっと、風花!」

 もっとも、助かったと思ったのに別れ際に大声でそんなことを言うものだから私は盛大に慌てた。でもそこで、はきはきと物を言う風花に狼狽える私という構図が中学の思い出を呼び起こして、私は少し泣きそうになった。

「いい友達だな」
「でしょ」

 けれど、隣にいる天藤くんに泣き顔は見せたくなくてグッと堪えた。
 きっと元のように戻るにはまだ時間がかかるだろう。でも今度はしっかりと向き合って、失った時間と溝を埋めて、少しずつでも前に進んでいこうと思った。

「棟野も、いい顔してるな」
「え、そう?」
「ああ。なんか、めっちゃスッキリしてる」
「あははっ。それは、そうかも」

 もしそうなら、それは天藤くんのおかげだ。
 一週間前の言葉が脳内に響く。今思えば、あの時から全てが始まった。
 天藤くんの無茶苦茶な提案を受け入れて、一緒にゲームセンターを回って、風花と偶然会って仲直りをした。あの時の天藤くんの言葉がなければ、きっと今も私はウジウジしていたに違いない。

「ねぇ、天藤くん」
「なに?」
「天藤くんは、昔の私を知ってるんだよね?」
「知ってる」
「いつから?」
「小三の時から」

 思ったよりも前なことに私は驚く。あれ、でもその頃って、まだ私はそこまで大会に出てなかったような。
 私が首を傾げていると、天藤くんはふっと短く笑った。

「まあ、もういいか。棟野は、俺のヒーローなんだよ」
「え?」
 
 またも飛び出てきた意外なワードに私は目を丸くする。ヒーローって、どういう意味だろうか。

「俺、小三の時に引っ越してきたんだ。方言丸出しの可愛いもの好きな男の子でさ、いじめってほどじゃないけど、そりゃもうめっちゃ揶揄われた。自分が、嫌いになるほどに」

 天藤くんは苦笑を浮かべる。笑っているけれど、それはとても辛くて、苦しいものだとわかった。私も、そうだったから。

「あの日もそうだった。学校帰りに友達とゲーセン行くことになって、たまたまそこには俺が当時好きだった少女アニメのリズムゲームがあって、それで弄られまくったんだ。ほんとに泣きそうになってた。でもそこに突然乱入してきたのが、棟野だった」
「え、私?」
「ああ。棟野は、無言でそのリズムゲームにお金を入れて踊ったんだ、俺たちが見ている目の前で。すごく気弱そうな感じだったのに、踊り始めたらそれがもうめちゃめちゃカッコよくて。しかも踊り終わったら、『楽しかった~!』って俺に笑いかけてくれたんだけど、その様子だと覚えてなさそうだな」

 言われても、まったくピンとこなかった。確かに小三の頃はお小遣いの範囲であちこちのゲームセンターを回って遊んでいたけど、さっきの天藤くんみたいに誰かを感動させるほど上手なダンスを踊れるとは思えない。

「ご、ごめん。でもそれ、ほんとに私なの?」
「間違いないよ。顔に面影があるとか、そういうことももちろんあるけど、なにより――」

 天藤くんは、ゆっくりと私に向き直って言った。

「あんなに、心から楽しそうに笑ってゲームをしてたのは、棟野に間違いない」

 真っ直ぐな声が、私の胸を打った。思わず息を呑む。鼓動が、一気に早まった。

「だからこそ俺は、今の棟野を見て悲しかった。俺はあれ以来、自分の好きなものは好きで、楽しいものは楽しいで生きてきたのに、それを教えてくれた憧れの少女ゲーマーはどこにもいなくて、ただ苦しそうにゲームをしていたから。だから……俺は棟野に、あの頃の楽しさを思い出してほしかったんだ」
「天藤、くん……」
「察するに、さっきの友達となにかあったんだろうけど、そこは俺が関与するべきことじゃない。それに、わだかまりが解けてもすぐに何もかもが解決するわけじゃないと思う。ただそれでも、知っておいてほしいんだ。心からゲームを楽しんでる棟野には、周りを笑顔にする力があるって。好きなものは好きで、楽しいものは楽しいでいいんだってことを、さ」
「あ……」

 温かい言葉が、心に沁みていく。
 そんなこと言ってくれるなんて、思ってもみなかった。
 昔の私は、ゲームを楽しんでいる“シオリ"は、人を傷つけるばかりじゃなかったんだ。
 さっきは我慢できた涙が頬を流れていって、私は慌てて目元を拭った。

「ゲームしてない元々の棟野は優しいから、きっとたくさん悩んだよな。辛かったよな。ほんと、我慢しすぎだ」
「ふは、は……なんかそれ、ゲームをしてる私は、優しくないみたい」
「優しくねーよ? 格ゲーの時とか、容赦なく華麗にコンボ決めて相手沈ませるじゃん。まあ、それがカッコいいんだけど」
「あはは、そ、そっか」

 天藤くんは照れくさそうに視線を逸らしている。カッコいいのに、そんな横顔は可愛く見えて、私はギュッと胸の前で手を握った。
 心臓の鼓動は相変わらず早い。
 ゲームをしている時よりも、ずっとずっと早い。
 本当に天藤くんは、どこまでもずるい人だ。

「ねぇ、天藤くん」

 そんなずるい人には、私もずるさで対抗しないと。

「私と、格ゲーで勝負して」

 私の言葉に、天藤くんは目を見開く。悲しそうで物言いたげな、クールな彼らしくない表情だ。

「それでね、私がこのゲームに勝ったら、付き合ってよ」
「え?」
「私、ゲームで負けっぱなしは性に合わないんだよね」

 ニヤリと笑ってみせる。天藤くんは、呆気にとられたように私を見ていた。
 やがて、諦めたように笑ってから口を開く。

「それは、俺も負けられないな」
「よし、勝負だね」

 好きなものは好きでいいって、あなたが教えてくれたから。
 だから私は、一切の容赦もせずに、笑うんだ。

「――シオリの、ブイッ! ……えへへ」