つくづく、私は現実に向き合わないタイプの人間だと思う。
 天藤くんに別れを切り出すと決めたはずなのに、天藤くんの意外な一面を見た日の後も、なんとなく彼との関係を続けていた。
 理由はわからない。本当になんとなくだ。なんとなく、別れを切り出そうとすると躊躇してしまうというか、話を切り出しにくいというか、そんな感じだった。
 かといって、別れたくないのかというとそうでもない。やっぱり天藤くんといると否が応でも昔の私が顔を出すことが多くて、その度に苦しくなったから。
 本当に私は、どうしてまだ天藤くんと一緒にいるんだろうか。
 あの日以降も、私と天藤くんはほとんど毎日のようにゲームセンターに足を運んだ。
 天藤くんはいろいろなゲームセンターを知っていた。初日の時のように最新機種が置いてあるものはもちろんのこと、少し変わったタイプのリズムゲームがあるところや、景品が珍しいクレーンゲームがあるところなど、実に様々だった。
 その度に、私は自分の心をどうにかこうにか自制していた。おかげで、天藤くんが欲しがっていたウサギのぬいぐるみを獲った日以降、私は天藤くんの前で本気のゲームプレイはしていない。天藤くんがゲームをしているのを横から見ているか、ふと目についたゲームを適当にプレイしてみるかの二択だった。それでも天藤くんは、なぜかとても楽しそうにしていた。そんな天藤くんの様子に私は心が温かくなることもあれど、やっぱりどうしても苦しく思うことの方が多かった。
 ただ天藤くんは、放課後以外、学校では絶対に話しかけてこなかった。朝も休み時間も授業中も、近くをすれ違うことがあっても挨拶を交わす程度で、特に何か話をしてくるということはなかった。そのため、学校での私の生活は至ってこれまで通り、無味乾燥とした退屈で平穏な毎日が続いていた。
 そうした日々を送っているうちに、天藤くんと付き合い始めてから一週間が過ぎようとしていた。

「はぁ……」

 土曜日のお昼過ぎ。私は待ち合わせ場所になっているショッピングモールの中庭にある時計台の下で、独りため息をついた。

「ほんと私、何やってるんだろう……」

 昨日の夜、天藤くんからメッセージが送られてきた。
 最初の内容はただ一言。

『棟野。明日デートに行こう』

 これだけ。
 当然、私は椅子から転げ落ちた。物音を心配してお母さんが部屋に様子を見にくるくらい、私は動揺した。
 でも続けて、『モールの二階にあるゲーセン、まだ行ったことなくて』とメッセージが来た時は、盛大なため息が出た。それは、デートじゃなくていつものお出かけだとわかって気が抜けたからか、あるいはまたはしゃがないように自制しないといけないと煩慮したからかはわからない。落胆、ではないと思う。
 私はメッセージ欄に『明日は予定があって』と断り文句を打ってみるも、嘘をつくのはなんとなくためらわれて小一時間近く悩んだ。するとあろうことかその後に電話がかかってきて、慌てた私は流されるようにしてそのまま承諾してしまった。
 また成り行きで決まったお出かけ。これが終わったら、本当に今度こそ天藤くんに別れを切り出そう。ついでに、条件の意図とかも聞ければ聞き出してみよう。
 たらればと我ながら頼りない決意を固めたその時、遠目に見知った顔が見えた。

「あ……」

 天藤くんだ。
 相変わらずジャケットを上手に着こなしたキレイめのコーディネートに身を包んでおり、ここからでもカッコいいのがわかる。対して、私はこの前と変わらないオーバーサイズのパーカーと動きやすいショートパンツ。なんとも地味だと思うけれど、これでいい。これは私の気持ちを自制するために必要だから。
 天藤くんはまだ私に気づいていないらしく、周囲を見回しながら歩いていた。
 やっぱり、クールだなと思った。可愛いウサギのぬいぐるみを獲った時のような天藤くんはあの日のあの時だけで、次の日からはまたいつも通りクールな天藤くんに戻っていた。昔のキャラクターなのか他のゲームセンターでは見かけることがなく、「可愛い天藤くん」はもはや夢か幻ではなかったかと疑い始めている。
 まあもっとも。時折り、見え隠れもしているのだけど。

「あっ」

 なんてことを考えているうちに天藤くんは私に気づいたらしく、大きく手を振っていた。その顔は爽やかながらも、どこかあどけない雰囲気も同居している。なぜだろうと思って見ていれば、ああ目元が垂れているからか、とひとり納得した。

「待った……って、なにニヤニヤしてんの?」
「し、してないよ」

 あらぬ指摘をされて、私は咄嗟に反論した。けれど、遊びだけでなくイジリの経験値もある天藤くんにはまるで効かないようで、逆に彼の方こそニヤニヤしている。なんか理不尽だ。
 そんな歩く理不尽である天藤くんは、なにやら迷った様子で吹き抜けになっている二階を指差した。

「今日の目的地はあそこなんだけど……どうする? 少し、他の店とかも見てみるか?」
「え?」

 突然の提案に、私の胸は大きく跳ねた。今日もこのままゲームセンターに直行するものだと思っていたから。
 ど、どうしよう……。
 私は内心慌てに慌てた。まさかそんな、また昨日みたくデートっぽいことを言うなんて。
 冗談だよ、と言ってくれるのを待ってみるも、天藤くんは表情ひとつ変えずに私の返事を待っている。これはもう、答えるしかない。

「い、いいや……行かなくて」

 ゆっくりと首を横に振った。
 私は今日、このお出かけが終わったら別れを提案してみるつもりだ。それなのに、デートっぽいことをしてあたかも気があるように振る舞うのは憚られた。
 そんな思いからつい拒否の言葉が漏れてしまったが、当の天藤くんは落ち込んだふうもなく、ただ「そっか」と短く言った。

「じゃあ、ゲーセン行こうか」
「う、うん……」

 その程度、なんだ……。
 どこまでもクールに淡々と、天藤くんは歩き出す。その後ろ姿を見ていると、今度はなぜかモヤモヤとしてきた。少しだけ腹も立った。
 そして、自分から断っておきながらなんて面倒くさい女だろうと、私は自分を戒めた。
 天藤くんの後について二階に上がると、いつも以上にそこは混んでいた。前にお母さんと土曜日の午後に来たことはあったが、ここまでではなかった気がする。

「す、すごい人だね」
「ああ、そうだな。やっぱり試遊台目当てか」
「試遊台?」

 私が首を傾げると、天藤くんは大きく頷く。

「そうだ。ほら、ゲームショウとかであるだろ? 発売間近の最新作のゲームを一足先に遊べるってやつ。あれがさ、昨日からここに置かれてるんだ。あわよくばを狙ったんだが、さすがに無理そうかな」
「あー、それは確かに、混みそうだね」

 そして予想はズバリ的中。
 ゲームセンターの前まで来ると、大学生と思しきグループや家族連れ、カップルなど実にたくさんの人でひしめいていた。壁際には長蛇の列もできており、その向かう先は確認するまでもなく試遊台だ。

「これは今日は無理だな。もう少し早く来ないとだったかー」
「みたい、だね。ど、どうしようか?」

 目的のゲームが遊べないのであれば、ここにいても仕方ないだろう。私はさっき他のお店を見て回るのを断っちゃったし、まさか今日はこれで終わり?

「まあでも、逆に言えば他のゲームはそれなりに空いてるみたいだし、最新の見たことないやつもあるっぽいから少し遊んでいこうぜ」

 頭の中に「解散」の二文字が浮かんだが、天藤くんは転んでもただでは起きんとばかりにゲームを見繕い始めた。なんとも逞しい。
 けれど私は、そんな彼の逞しさよりもホッとしている自分に驚いていた。
 どうして私は、安心しているの? 今日の終わりには、別れを切り出すつもりなのに。
 少し離れたところを歩く天藤くんの背中を見つめる。雑踏の中でも彼の姿ははっきりとわかる。あ、顔が綻んだ。その視線の先にあるのは、ふわふわとした雲をデフォルメした名前の知らない可愛いキャラクターがプリントされたフェイスタオル。なるほど、いかにも天藤くんの好きそうなキャラだ。
 そしてまた、どうして私はそう思うのだろうと驚いて、人混みに紛れそうになる彼の姿を慌てて追いかけた。
 なんだか、最近の私は変だ。いや元から多少変だという自覚はあるけれど、それを差し引いてもおかしい。
 天藤くんと一緒にいるとゲームではしゃいでしまいそうになって、そんな昔の私が顔を出すのが嫌で苦しくて、早く別れたいと思っている。それなのに、天藤くんとの時間が終わろうとすると寂しくなって、もう少し一緒にいられるのだとわかるとホッとする。
 意味不明だ。矛盾が過ぎる。いったい私は、どうしてしまったんだろう。
 もう、勢いで別れてしまった方がいいのかな。
 可愛らしいフェイスタオルの入ったクレーンゲームの前で天藤くんは何やら悩み始めている。タイミングとしては変だけれど、また楽しそうにゲームをする天藤くんを見て、はしゃぎそうになる自分を抑えて、あれこれと考えて苦しくなるのも嫌だ。
 でも……。
 私は俯く。いつの間にか、手に汗をかいていた。心が締め付けられるように痛んだ。
 ……ううん。言わ、ないと。
 やっぱり、今のままじゃいけない。天藤くんにも失礼だ。付き合ってみて、無理だと思ったのなら、ちゃんと、言わないと……。

「天藤、くん」

 意を決して、私は彼の名前を呼ぶ。

「ちょっと、言いたいことがあって……」

 キュッと痛む胸を押さえて、俯いたままではあるけれど、しっかり言葉を吐いていく。天藤くんは答えない。

「私ね、やっぱり…………って、あれ?」

 一番大事なことを口にしようとしたところで、はたと気づいて顔を上げた。天藤くんがいつの間にか、いなくなっている。
 慌てて周囲を見回せば、やや離れた隅のところでしゃがみ、誰かと向き合っている後ろ姿があった。そっと近づいてみると、天藤くんの前にいたのは小学校低学年くらいの男の子だった。

「どうした? はぐれたのか?」
「……」

 男の子は答えず、目を潤ませて心細そうに手をもじもじさせている。どうやら、迷子らしい。
 さらに近づくと天藤くんも私に気づいて、困ったように笑う。

「たぶん迷子。俺が怖いのか、なかなか話してくれなくて。代わりに訊いてくれないか?」
「え、う、うん……」

 いきなり頼まれ、私は硬直した。
 でも、迷子なら早くお母さんかお父さんを見つけてあげないといけない。私はひとまず自分の悩みを仕舞い込み、膝を折って男の子と目線を合わせる。

「ね、ねぇ。君、どうしたの? 大丈夫?」
「……」
「お母さんやお父さんとはぐれちゃったの?」

 男の子はふるふると首を横に振った。どうやら違うらしい。

「あ、じゃ、じゃあ、お兄ちゃんとか?」

 また男の子は横に首を振る。

「お姉ちゃん?」
「……うん」

 お姉ちゃんらしい。最後の最後にしてようやく当たった。

「そっか、お姉ちゃんか。はぐれると心細いよね」
「……」

 男の子は何も言わず、黙ったまま俯いている。これじゃ名前も聞き出しにくい。何か手掛かりがないかと男の子の格好に目を向けるも普通の私服で、荷物は小さなナップサックを担いでいるのみだ。
 こういう時はやはり、迷子センターに連れて行くのがいいんだろうけど、硬く手を握りしめて立ち尽くしているのを見ると、素直についてきてくれるかどうか……。

「なぁ棟野」
「え、なに?」
「ちょっと俺に考えがあるから、その子見ててくれるか?」
「え? う、うん……」

 私の心にも不安が広がって覆い尽くそうとしていたその時、天藤くんが思いついたように言った。いったい、何をしようというんだろう。
 天藤くんは肩にかけていたショルダーバッグから小銭を取り出すと、バッグも私に預けて近くにあったゲーム機にお金を入れた。すると、近くのスピーカーから店内BGMとは異なるリズミカルな音楽が流れ始め、壁に設置されたスクリーンには選択画面のようなものが表示された。

「これって、ダンスゲーム?」
 
 よくよく見れば、スクリーン手前の床にはセンサーパネルが置かれており、スピーカーから流れる音楽に合わせてカラフルなLEDライトが明滅を繰り返している。

「さーて。かなり久しぶりだけどできるかな、っと」

 天藤くんはセンサーパネルの上に乗るとステップを刻み、ダンスを踊る曲を選んでいく。
 そうか、なるほど。これで男の子が好きそうな音楽でダンスを踊って不安をなくす作戦か。
 さすがは天藤くんだと思った。こんな方法、とても私には思いつかない。男の子の方に目を向けると、さっきまで俯いていたのが一転、食い入るように天藤くんを見ていた。
 タンッと一際大きい音が鳴る。どうやら曲が決まったらしい。果たしてどんな曲を……

「え」

 直後、スピーカーから流れてきた音楽を聴いて、私は思わず呆けてしまった。それは、日曜日の朝にやっているとある魔法少女アニメの有名な主題歌だった。
 なんでこの選曲!? これって、天藤くんの趣味じゃ……
 私は軽く頭を抱える。可愛いもの好きな天藤くんなら納得だが、普通この年頃の男の子ならもっと別のバトル系アニメの主題歌とかの方が良かったんじゃないだろうか。そしてなんだか、周囲の視線も少し痛い。
 そんなことを思いながら、私は隣にいる男の子に恐る恐る視線を移すと、案の定男の子もポカンと口を開けて呆けていた。握り締めていた手は小刻みに震えているし、足もなんだか忙しなくて……

「あ……」

 そこで、気づく。
 男の子のナップサックには、その魔法少女のアニメに登場する精霊のキャラクターが小さく描かれていることに。
 まさか、天藤くんはこれを見て……?
 男の子の顔に視線を戻す。
 男の子の目は、落胆には染まっていなかった。少し前に見た天藤くんの眼差しと同じく、キラキラと輝いていた。
 音楽が中盤へと差し掛かる。
 改めて、天藤くんの方へ目をやった。
 鳴り響く音楽も、スクリーンの背景に映っているキャラクターも可愛いのに、身体全体をダイナミックに使って踊っている天藤くんは、とてもカッコよく見えた。
 ほんとに、楽しそう。
 教室では決して見せない柔らかな表情に、私の頬も思わず緩む。そして、私は静かにうずうずしている男の子に言う。

「ねっ、ほら。私たちも!」

 私は音楽に合わせて手拍子を打ち、身体でリズムをとって、歌う。
 曲やダンスを楽しむように、頭を左右に揺らして、男の子に笑いかける。
 男の子は最初こそ恥ずかしそうにしていたけれど、やがて少しずつ一緒に手拍子を打ち、囃し立ててくれるようになっていった。

「すごいっ! 兄ちゃんカッケー!」

 そうして、音楽が終わる頃には男の子の顔には笑顔が咲いていた。小さな掌からは盛大な拍手が鳴っており、私もほとんど無意識に手を叩いていた。

「ふう~。やーやーどうも。久しぶりに踊ったけど、やっぱりアガるなーこれ」

 踊り終えた天藤くんは達成感に満ちた顔でセンサーパネルから降りてくる。額にはじんわりと汗が浮かんでおり、ゲームセンターのライトに当てられ輝いて見えた。

「ふふっ、ほんとに良かったよ。ダンスゲームが一番得意だったんだ」
「さーてね、どうでしょうか」
「もう、何言ってるの。ほぼパーフェクトじゃん」

 壁のスクリーンにはリズムゲームのスコアが表示されている。同曲での全国スコアランキングではかなりの上位で、リズムの正確率に至っては95%超えだ。

「まあ、好きで何回も聴いてるからってのもあるけど、やっぱり一番は、一緒に合いの手を入れてくれた君のおかげかな?」

 天藤くんは快活な笑みを浮かべると、男の子の頭をくしゃっと撫でた。男の子の顔がパアッと明るくなる。

「え、ほんと!」
「ああ、ほんとだ。サイコーだったよ。このアニメ好きなのか?」
「うんっ、大好き!」
「おおっ、俺も大好きなんだよ! 気が合うな!」

 パシッと二人はハイタッチを交わし、今度はどのキャラが好きかで盛り上がり始めた。内容は魔法少女アニメでも、この独特のノリはやっぱり男の子だ。なんだか、微笑ましい気持ちになってくる。
 ほんとに、天藤くんはさすがだ。
 きっと私じゃこうはできなかった。
 ゲームを素直に楽しむことができない今の私じゃ、こうは……。

「ユウッ! ここにいたの!」

 その時、私の後方から甲高い声が聞こえた。つられて、私たちはそれぞれに声の方へ目を向ける。

「あ、ねえーちゃんだ!」
「おっ、見つかったか」

 男の子は喜び、天藤くんは安心したように息を吐く。
 私も駆けてきた男の子のお姉ちゃんを見て……驚愕した。

「え、風花?」
「し、詩織……なんで、ここに」
 
 そこにいたのは、かつての私の友達だった。