「今日はもう一駅向こうにあるゲーセンに行こう」

 七限後のSHRが終わるや、天藤くんは私の席の近くに来てそっと耳打ちしてきた。

「え?」
「生徒玄関前で待ってるから」

 昨日とは違いまだクラスメイトが多くいるからか、天藤くんは端的に言うとそのまま教室から出ていく。前方から「あれ? 慎也は?」という声が聞こえてきたが、大丈夫だろうか。
 いや、というかそれどころじゃない。

「え、どうして?」

 思わず、ぼそりと気持ちが口をついて出た。それほどに、私にとっては意外だった。昨日あれほどに気まずい雰囲気を作っておきながら、どうしてまだ誘ってくるんだろうか。

「どうしたの、詩織」
「あ、や、なんでもないよ」

 近くにいた友達が私の呟きを聞いてか声をかけてくる。けれど天藤くんとのことを言うわけにもいかないので、私は曖昧に笑っておいた。
 とりあえず、天藤くんのところへ行かないといけない。
 私は昨日に引き続き乱雑に教科書やノートを鞄に詰め込むと、不思議そうにしている友達に「じゃあね」と一言だけ言ってから教室を出た。
 天藤くんは本当に生徒玄関前で待っていた。彼のことを知っているらしい女子が手を振っていて、天藤くんは小さく片手を上げて返していた。
 やっぱり私なんかより、ああいう積極的で可愛い子の方がお似合いだよね。
 そんなことをぼんやりと考えつつ、女子が遠くに行ったのを確認してから私は天藤くんに声をかける。

「お、お待たせしました」
「ああ、全然待ってないよ。というか、なんで敬語?」
「え、な、なんとなく……?」

 緊張からか、返事すらもぎこちなくなる。それなのに、天藤くんはまるでイラつく様子も気にした様子もなく、「ふはっ」と短く笑った。

「やっぱ面白いな、棟野は」
「そ、そんなことないと思うけど……」

 意味がわからない。今のやりとりのどこに面白い要素があったのか。天藤くんの笑いのツボは謎だ。
 そして謎といえばもうひとつ。

「ね、ねえ。ほんとに、ゲーセン行くの?」

 もしかしたら、さっきのは聞き間違いかもしれない。そんな確認の意味も込めて訊いたが、やはり天藤くんはゆっくりと首肯した。

「もちろん」
「え、な、なんで?」
「なんでって、棟野とゲーセンに行きたいから」

 そういうことを訊いているんじゃない。それなのに、天藤くんは「それ以外に理由がいるの?」みたいな表情をして首を傾げている。

「わ、私と一緒にゲーセン行っても、楽しくなかったでしょ」
「そんなことない。楽しかったよ」
「それは……私が、はしゃいじゃったからで……もう、はしゃがないから」
「さーてね。それはどうかな」

 なにやら自信ありげに天藤くんは笑う。またなにか面白いゲームでも見つけてきたんだろうか。
 私の中で警戒心が高まる。
 私はもう、嫌いな”シオリ”を出したくないのだ。もしまた昨日みたいなゲームを見つけていてやってみたいと言うのなら、ここで断った方がいいんじゃないだろうか。

「天藤くん、私……」
「あ、ちなみに無理にやってみなよとは言わないから。そこは安心して」
「え……」

 断りを入れようとしたところで、天藤くんが言った。なんだか先手を打たれたような形になって、私は言葉に詰まる。
 つまり私は、ただ見ているだけでいいらしい。
 ほんとにそんなので楽しいんだろうか。
 また私がうじうじと考え込んでいると、天藤くんは私の腕を小突いてきた。

「ほら、行こうぜ」

 爽やかな微笑が視界に映った。
 それは、先ほど天藤くんに手を振っていた女の子には見せていなかった表情だった。
 それが私に向けられていることを自覚して、否が応でも胸は高鳴った。

「は、はい……」

 結局私は断り切れずに、天藤くんとゲームセンターに行くことになった。
 昨日と同じように駅まで歩き、電車に乗る。その道すがらも相変わらず沈黙の方が多かったが、一度体験して慣れたのか、昨日よりも幾分か気まずさはないように思えた。
 そうしてひと駅分多く車窓の景色を眺めてから、私たちは電車を降りてゲームセンターへと向かった。

「ここは……」

 そこは、昨日とは打って変わってこじんまりとしたゲームセンターだった。飲食店や食料品店などが立ち並ぶ一角に、忘れ去られたようにぽつんと建っている。さすがの私も来たことがない。

「知らないだろ? ここは昨日と真逆。昔のゲームが置いてあるゲーセンなんだ」
「そ、そうなんだ」

 確かに、行ったことのあるゲームセンターでは見たことがないタイプの筐体がいくつも置いてある。

「それでさ、俺がクリアしたいのは奥にあるレースゲーム。最高タイムがなんと昭和の時から更新されてないんだ」
「え、昭和から?」
「そう、やばくない?」

 それはちょっと興味がある。いったい何年前のゲームなんだろう。というかそもそも昭和にレースゲームってあったんだ。
 沸々と湧き上がってくる好奇心と高揚感。すごく楽しみだな、なんて考えたところで、私は我に返った。

「あ、あぶな」
「え? なにが?」
「あ、や、なんでもないです……」

 不思議そうにしつつもお店に入っていく天藤くんの後ろ姿を眺めながら、私はホッと息をついた。
 吞まれかけていた。本当にこれだからゲームは油断ならない。いや、油断ならないのはむしろ上手く私の好奇心を刺激してくる天藤くんのほう……?

「棟野?」
「あ、はい、今行きます」
「なんでまた敬語」
「あ、えと、今行くね」
「言い直さなくてもいいけどな」

 微笑ましいものを見るような目で天藤くんは私を見てくる。私は恥ずかしさのあまり視線を逸らすしかなかった。うん、やっぱり油断ならないのは天藤くんだ。
 私は再度気を引き締め直し、天藤くんの後に続いた。
 店内は狭く、スペースの無駄をなくすようにゲームの筐体が置かれている。通路もかなり細く、人一人がやっと通れるかどうかといったところだ。
 目的のレースゲームは、奥の角のところにポツンと置かれていた。グラフィックやリアリティを追求する最近のゲームとは真逆の、ドット絵で描かれた強制横スクロール型のレースゲームらしい。
 そしてなるほど、画面に映し出されているランキングのトップ記録の欄には、「1986.03.26」と表示されている。ちなみにその下の二位のところには直近の年月日が書かれていた。

「今日こそはゼッテー超える」

 天藤くんは腕まくりをすると、百円玉を投入口に入れる。その意気込みを見るからに、これも昨日と同じく練習を重ねてきたんだろう。
 本当に、天藤くんはすごいなあ。
 エンジン音を除けばBGMすら流れないシンプルなレースゲームをプレイする彼を斜め後ろから眺める。その横顔は真剣そのもので、真っ直ぐにゲームと向き合い、楽しんでいるように見えた。
 心がうずうずしていた。
 同時に、チクチクと痛んでもいた。
 私はそれ以上天藤くんを見ていられなくて、ゲームのプレイ画面をひたすらにぼんやりと見続けた。

「あー、ダメだ」

 それが終わったのは、画面の強制スクロールがおよぞ二十回を超えた頃。
 乱雑に頭の後ろを掻きながら、天藤くんは悔しそうに顔をあげた。

「無理そう?」
「すごく悔しいけどな。あと五秒が縮まらない」

 五秒か。五秒なら、途中の坂を跳び越える時のジャンプの高度と、後半の障害物の避け方を工夫すれば超えられそうだ。そして、最後の二手に分かれるところをもう少し攻めたら一気にタイムは伸びると思う。

「それは……悔しいね」

 でも、言わない。
 今日は、言わない。
 言ってしまったら、一度口に出してしまったら、きっと”シオリ”が目を覚ましてしまうから。

「さーて、もうそろそろいい時間だし、帰るか」

 天藤くんは本当に私には勧めることなく、足元の荷物を持ち上げた。本当に、こんなんで楽しいんだろうか。

「ねえ、天藤くん……」

 少し考えた後、やっぱり別れた方がいいと思った私は、ためらいがちに口を開けた。

「……天藤くん?」

 天藤くんの顔を見上げると、彼は驚いたようにして固まっていた。その視線の先は私、ではなくその後ろ。
 振り返ると、デフォルメされた可愛いウサギのキャラクターのぬいぐるみが入ったクレーンゲームがあった。

「えぇ、マジか! 気づかんでんけど。このバージョン、まだ残っとったんか!」

 食い入るように見つめる天藤くんの瞳は、心なしかキラキラとしている。頬も紅潮しているように見えるし、なんだか口調も少し訛り出した。

「て、天藤くん?」
「すまん、棟野。俺これむっちゃ好きで、獲ってから帰りたいげんけど、いいけ?」

 パンッと顔の前で手を合わせ、心の底から申し訳なさそうに天藤くんは言った。その表情には今までに見たどの顔よりも感情が宿っている。そんなにこの可愛いウサギのぬいぐるみが欲しいのかな。
 そしてもちろん、そんな表情で頼まれては断れるはずもなく、私は気圧され気味に頷いた。

「い、いいよ……」
「いいがん? すまん、ありがと!」

 天藤くんの顔が輝く。今度は見間違いでも心なしでもなく、確実に輝いている。
 天藤くんは財布からありったけの百円玉を取り出すと、全て投入口に突っ込んだ。

「ゼッテーとるっ!」

 意気やよしとばかりに両腕の袖をまくり上げると、そわそわとしながらクレーンを操作し始めた。
 天藤くんはクレーンゲームがそこそこ得意なのだろう。ウサギのぬいぐるみの重心や構造を見ながら、慎重に狙いを定めている。

「うわっ、惜しー!」

 天藤くんの最初のチャレンジは、微妙に狙いを外れてぬいぐるみの可愛い顔を少し持ち上げただけだった。アームの設定もかなり緩いようで、これはなかなか苦戦しそうだと思った。
 そんな分析をしつつも、私はクレーンより天藤くんの方ばかりを眺めていた。
 目を凝らし、口元は引き締め、時折り緊張からか細く息を吐いている。
 その手元に視線を落とせば、少し汗がにじんでいて、本気さが伺い知れた。

「くう~、もうちょいなんやけどなあ!」

 あと先ほどから、聞き慣れない方言もたくさん漏れている。きっと、天藤くんの出身はここではない別の地方なんだろう。もしかすると、漫画とかでよくある感情が昂ると方言が出てしまうみたいな、あれなのかな。

「お、おお? これはなかなか!」

 上擦ったその声につられて、また視線を上げる。
 とても、楽しそうだった。
 そこには、いつものクールな天藤くんの姿はなかった。
 そのワクワクとした表情は、キラキラとした眼差しは、昔にゲーム雑誌で見た私の表情に、そっくりだった。

「あ、あーっ!」

 天藤くんの叫び声が店内に響く。クレーンの方へ視線を移せば、持ち上げたぬいぐるみが無情にも元の場所に落下したところだった。

「あー無理やったかあ。手持ちももうないし、悔しいなあ」

 昨日のシューティングゲームや今日のレースゲームの時よりも心底残念そうな顔で天藤くんは項垂れる。まるでこの世の終わりみたいな落ち込み様だ。なんだか気の毒に思えてきた。
 そして……

「わ、私がとろうか?」

 気がつけば、私はそんな言葉を吐いていた。
 自分で発した言葉なのに、自分でも驚いてしまう。

「えっ、いいがん!?」

 直後、ケースにもたれかかるようにして俯いていた天藤くんの顔が、ぐるんとこちらを向いた。それだけじゃなく、勢いそのままに肩まで掴まれる。どうやら、本気の本気でこの可愛いウサギのぬいぐるみが欲しいみたいだ。

「い、いいよ……」
「よぉーしっ!」

 まだとってもいないのに、天藤くんはその場でガッツポーズをする。なんだか急に期待が重くなってきた。
 私は財布の中から五百円玉を一枚取り出すと、投入口にゆっくり入れた。
 小さく息を吐いてから、操作レバーを握る。
 おそらく、このアームの強さはある程度ランダムに設定されている。しかし、一定回数おきにアームの強さが強くなる時があり、そこを逃さずにぬいぐるみを掴むことができればゲットできる。そして、先ほどまでの天藤くんのプレイを見る限り、アームが強くなるのは次の次か、そのさらに次あたりのはずだ。
 五百円でプレイできる回数は三回。一回目はアームの感覚やぬいぐるみの重心をもう一度探る。勝負は二回目と三回目だ。
 私はちろりと下唇をなめてから、クレーンを動かした。
 一回目は想定通り。アームはかなり緩く、ウサギのぬいぐるみの重心あたりで掴んだもののするりと抜け落ちた。

「ああ、惜しい!」
「まだまだ」

 勝負はここから。一回目でクレーンの操作感はつかめた。次で落とす。
 私は元の位置に戻ったクレーンを再度動かし、慎重に場所を見極める。
 ドキドキと心臓が高鳴る。
 長らく感じていなかったプレイヤーとしての緊張感と高揚感が、身体全体に広がっていく。
 なんで私は、ゲームをプレイしているんだろう。
 なんで、本気でゲームを楽しんでしまっているんだろう。
 ふと、そんなことを思ったりする。

「おっ、いい位置!」

 天藤くんの上擦った声が聞こえる。私は気持ちクレーンの位置を微調整してから、降下ボタンを押した。

「よしっ」
「おおおおおおっ!」

 私が操作したクレーンはウサギのぬいぐるみをしっかりと掴み、そのまま受取口へと通じる穴へと落とした。
 良かった、獲れて。
 心地良い安心感を覚えつつ私は屈み、受取口からぬいぐるみを取り出した。
 改めてぬいぐるみに目を向ける。それは、小学校の女の子が好みそうなゆるふわとした可愛らしいキャラクターの、手のひらサイズのウサギのぬいぐるみだ。
 正直、かなり意外だった。クールな天藤くんとは正反対をいくタイプのものだから。
 でも――。

「はい、これ」
「うおーっ! ありがとう! めっちゃありがとう、棟野!」
「えへへ」

 心の底から嬉しそうに笑い、可愛らしいウサギのぬいぐるみを胸に抱いてはしゃぐ天藤くんを見ていると、私まで嬉しくなる。
 それだけじゃなくて、本人には絶対言えないけれど、天藤くんまで可愛いな、なんてことも思ってしまって。

「ほんとにありがとな、棟野!」
「うん……どういたしまして」

 でも私は、努めて平静を装い短く笑った。
 これはあくまでも、今回限りだ。
 今回限り。その、はずなのに。

 クレーンゲームを終えてしばらくしても、私の胸の高鳴りはまだ残っていた。