翌日。私はまんじりともせずに朝を迎え、寝不足のまま学校に行くこととなった。
もちろん、授業に集中できるはずもなかった。なんとか放課後までやり切ったけれど、どうしても昨日の天藤くんとのやりとりが頭から離れてくれなかった。
本当に、昨日のあれは夢か何かだったんじゃないかと今でも思う。そう考えないと、どうにも納得がいかなかった。
どうして天藤くんは、あんな方法で告白してきたんだろう。
どうして天藤くんは、私なんかのことを好きなんだろう。
どうして天藤くんは、私の過去を知っているんだろう……。
放課後独特の解放感をはらんだ喧騒の傍ら、私はひとり教科書やノートを鞄に突っ込んでいく。
僅かなその間にも、夜中に何度も思い起こした過去をまた、どうしても思い返してしまう。
私はかつて、生粋のゲーマーだった。
ゲーム好きな兄の影響で、幼い頃からいろいろなテレビゲームを触り、あちこちのゲームセンターで遊んでいた。シューティングゲームやレーシングゲーム、パズルゲームと実に様々なジャンルのゲームにのめり込んだ。
中でも私が得意としたのは格闘ゲームだった。ことゲームに関しては負けず嫌いだった私は、自由にできる時間のほとんどを分析や練習に費やしていた。その甲斐あってか、私は小学生の時にとある有名格闘ゲームのオフライン地方大会で優勝。そのまま全国大会の決勝トーナメント進出まで果たした。それを機に、安直に登録名に書いていた「シオリ」の名前は、その界隈では知る人ぞ知るゲーマー少女を指すものとなった。
その後も私は数々の県内大会や地方大会で優勝し、8ブロック区分における地方大会ではもはや敵なしという地位まで昇りつめた。
――勝利のV! シオリのブーイッ!
取材のリポーターから「なにか決め台詞をください」と無茶ぶりされて生まれた言葉も、最初は恥ずかしかったけれどいつの間にか馴染んでいった。
あの頃の私は、心の底からゲームを楽しんでいた。
難しいステージや敵にやられても、何度も試行錯誤を繰り返しては挑戦し、努力の末に勝利を掴み取る。
対戦相手がいれば全力で勝負し、勝っても負けても「楽しいゲームだったね!」と笑顔で健闘を称え合う。
食い入るように画面を見つめ、指や時には身体全体を動かし、臨場感溢れる音や気配を感じ、心を躍らせる。
普段はあまり自分の気持ちを伝えるのが得意ではない内気な私にとって、ゲームは唯一感情を大にして放てるものだった。
そんなゲームが、私は大好きだった。
けれど。
「詩織、いったいどういうつもりなの?」
中学二年生の時だった。
地元で開催された格闘ゲームのオフライン大会で優勝してしばらくした頃に、中一から同じクラスで当時一番仲良くしていた友達の有澤風花に突然詰め寄られた。
「ど、どういうつもりって、何が?」
「しらばっくれないでよ。隼人のことよ!」
「お、大野くん?」
大野隼人くんは風花の幼馴染で、彼女が小学生の時から想いを寄せているとずっと言っていた男の子だった。
「詩織、隼人のこと好きなんでしょ? 普段は大人しいのに、隼人といる時はすっごく楽しそうに話してるもんね」
「ち、違うよ。大野くんとはただ、ゲームの話を……」
「それが楽しそうで、好きなんでしょって言ってるの!」
その時の風花は、物凄い剣幕だった。元から勝気で言いたいことをズバッという性格で、私もそんな風花の性格に憧れていたが、この時ばかりはどうしようもなく怖かった。
「詩織! 好きなら好きって、ちゃんと言ってよ! もしそうなら、あたしは……――」
だから、私は耐え切れなくなってその場から逃げ出した。まだ何か必死に言おうとしている風花の言葉を最後まで聞くことなく、逃げ出したのだ。
この日以降、私と風花の仲は決定的にこじれてしまった。
目が合ってもお互いに避け、休み時間に話すこともなくなり、毎日楽しみにしていた昼休みの時間も呆気なく消え失せた。
当初は、どうしてこんなことになってしまったのか、皆目見当もつかなかった。ゲームの話を大野くんとしていたのは以前もあったし、その時は風花も特に気にした様子はなかった。
それがわかったのは、風花と口を利かなくなって一週間ほど経った放課後のことだった。
「棟野ってさ、小動物みたいな見た目してるけどゲームでめっちゃ優勝してて、ほんとカッコいいよな」
「わかる。この前の大会とかもな。あと勝った後の決め台詞の時はむしろ可愛いし」
「それな。あー、付き合ったら楽しそうだなあ~」
「隼人も狙ってんのかよ。可愛い幼馴染がいるくせに」
「んー……なんかやっぱり、風花は男勝りすぎるんだよな」
大野くんが、教室で友達とそんな話をしているのを偶然聞いてしまったのだ。
このままじゃいけない。風花にしっかり、自分の気持ちを伝えないと。
そう思った私は鞄も何もかもを置いたまま学校を飛び出し、先に帰った風花の家を訪ねた。最初は「会いたくない」と言われ、なかなか出てきてくれなかったけれど、それでも私が粘っていると風花はようやく顔を見せてくれた。
「詩織、何しに来たの?」
「え、えっとね、その……」
けれど、いざ風花を前にすると緊張してしまって、なかなか言葉が出てこなかった。私はべつに大野くんのことを好きじゃない、とか、これからも風花と友達でいたいとか、いろいろな言葉がぐるぐると頭の中を渦巻いているばかりだった。
そして。
なかなか言葉を発しない私に呆れ果てたように、風花の方から口を開いた。
「詩織。あたしね、今日、隼人にフラれたんだ」
彼女の口から出てきたのは、また想像すらしていない文言だった。
「他に好きな人がいるんだって」
風花は視線を逸らすことなく、真っ直ぐに私を見ていた。
「その子はカッコいいのに可愛くて、話してる時も楽しいんだって」
そんな風花の瞳からは、ぽろぽろと涙が溢れていた。
「詩織。ちゃんと、言ってよ」
けれど、私は何も言えなかった。何を言ったらいいのかわからなかった。口からは、音にならない息が漏れるばかりだった。
やがて、夕陽を反射させながら頬を伝い落ちる涙を拭うこともせずに、風花は言った。
「詩織、ひどいよ……」
鉛のように重く、氷のように冷たい言葉を最後に、風花は家の中に戻っていった。
私はショックのあまり、その場にへたり込んでしまった。
ゲームが好きで心の底から楽しんでいた私が、風花の恋を妨げてしまった。大会で何度も優勝して、大野くんとあれこれゲームの話で盛り上がっていた私がいなければ、風花の恋は実っていたかもしれないのに。
そればかりか、内気で臆病な私が風花と向き合うのを逃げ続けていたせいで、風花を傷つけてしまった。ちゃんと話して向き合っていれば、誤解も解けて、もっと何か、風花の恋を応援することができたかもしれないのに。
私が……――風花の恋を邪魔して、風花を傷つけた。
それ以降、私は格闘ゲームの大会に出なくなった。
交流していたゲーム仲間とは連絡を絶ち、ゲームの話をよくしていたクラスメイトのことも避けるようになった。今まで以上に控えめに大人しく過ごした。ゲームに関する話題が聞こえるとその場を離れ、話を振られてしまった時はもう興味がなくなったフリをした。そうしたら、大野くんたちも次第に話かけてこなくなった。
ゲームそのものもかなぐり捨てて、完全に辞めようと思ったこともあった。
けれど、どうしてもゲームは嫌いになれなかった。
皮肉にも、ゲームがきっかけで傷ついた心を誤魔化すのも、またゲームだった。
独りでゲームをしている時間だけは、辛い記憶や気持ちを曖昧にできた。気の向いた日には独りでこそこそと隣町のゲームセンターに行き、格闘ゲーム以外のゲームをする日々が続いた。
結局、中学を卒業するまで風花とは一度も口を利かなかった。
高校も、なるべく小中学校の私を知っている人が少ない遠くの学校を選んだ。親には進学校で勉強したいからと嘘をついた。親はゲームばかりしていた私をあまりよく思っていなかったみたいで、泣いて喜んでくれた。
こうして、ゲームが大好きだった”シオリ”はいなくなった。後に残ったのは、現実逃避の手段として独りこっそりゲームで遊ぶ”詩織”がいるだけだった。
あんなに楽しかったゲームが、私の一部分になっていたゲームが、今ではすっかり色褪せてしまっていた。ハイスコアを出しても喜べなくなったし、強敵を試行錯誤して倒すのもなんだか作業のように思えてきて途中で投げ出すこともざらになった。
嫌いだ。
ただ無邪気にゲームを楽しんで、風花の気持ちを考えずに大野くんたちと盛り上がって、そして知らないうちに風花を傷つけ、日常を壊してしまった昔の私が。
真剣に向き合っていたゲームを惰性で未練がましく杜撰に扱い、挙句あの頃と何も変わらず過去からも現在からも逃げ続けている今の私が。
本当に、大嫌いだ。
それでも私はモヤモヤするたびに、適当にほっぽり出しているゲーム機を起動してコントローラーを握るか、あるいはオーバーサイズパーカーのフードを目深に被って、家から離れた所にあるゲームセンターに足を運んだ。
昨日、天藤くんと出くわした日もそうだった。なんとなく勉強が嫌になって、気分転換に外に出ただけだった。リズムゲームを虚無の気持ちでプレイし、クレーンゲームでタスクのように定めたおもちゃやぬいぐるみを落としていく。
本当にそれだけのつもりだったのに。
まさかクレーンゲームの前で天藤くんに会って、あろうことか勝負をけしかけられて負けて付き合うことになるなんて思ってもいなかった。
――別れたいなら、”シオリのV”を飾ることだな
しかも去り際に天藤くんが放った言葉。
天藤くんは、過去の私、ゲーマーの”シオリ”のことを知っているのだ。
教科書を鞄に入れていた手が止まる。ため息が漏れる。
本当にどうしてまた、今になって……
「なあ」
「ひゃ!」
その時、後ろからいきなり声をかけられ、肩が跳ね上がった。その拍子にバランスを崩し、椅子から転げ落ちそうになるもすんでで受け止められる。石鹸みたいな匂いが、ふわりと鼻先をくすぐった。
「大丈夫か?」
「て、天藤くん……」
ドキドキしつつ見上げると、昨日ぶりのクールな顔があった。ただ予想以上に近くにあったせいで、私は反射的に押しのけてしまう。
「な、何か用?」
「ああ。用ってほどじゃないけど、一緒に帰ろうかなって」
対して天藤くんは、全く照れた様子も見せずに淡々と答えてきた。さすがの余裕。モテるクールな男子は違う。
「って、え? 一緒に? 帰る?」
そこでようやく理解が追い付いてきた。一緒に帰るなんて、天藤くんはいったい何を言っているんだろうか。
困惑を顕わにする私に対し、やはり天藤くんは顔色ひとつ変えることなく口を開いた。
「そりゃ、付き合ってたらそれくらいするだろ」
「は、えっ……!」
突然の爆弾発言に、私は大慌てで周囲に視線を走らせた。こんな会話、誰かに聞かれていたら……!
「大丈夫。誰も聞いちゃいないって。それよりほら、行こう」
天藤くんは私だけに聞こえるほどの声量でそう言うと、さっさと教室の出入り口まで歩いていく。私はもう一度周囲を見渡すも、確かに教室にはあまり人が残っておらず、私たちのやりとりを気にしている人もいなさそうだった。
出入り口にまた目を向ければ、天藤くんがこちらを見ていた。待っているのだろう。少なくとも今日のところは、観念するしかなさそうだった。
私はすぐに残りの教材を鞄に入れると、そそくさと天藤くんの元に向かった。
それから私たちは無言のまま並んで廊下を歩き、階段を下り、生徒玄関を抜けて校門をくぐった。天藤くんは私が電車通学なのを知っているのか、足先は駅の方へと向かっている。
その道すがらも、私たちの間に会話は一言もなかった。ゲームの話題を除き、基本私はお喋り自体が苦手だし、天藤くんもあまり口数が多いタイプではない。そんな私たちが二人きりになれば、沈黙が多くなるのは必然だった。
気まずい。天藤くんは本当に、どうして私みたいなのに告白なんてしたんだろうか。
「なあ」
「は、はい!」
そんなことをぐるぐる考えていると、天藤くんは唐突に声をかけてきた。私は驚いて返事をする。本当に、こんなところまでタイミングが合わない。
「ちょっと、寄り道していかない?」
「へ?」
続けて発せられた予想外の提案に、私は首を傾げる。寄り道って、どこに?
「ゲーセン、行きたくて。ほら、二駅隣にある大きめの」
「あ、ああ。あそこね」
言われてすぐに、要塞みたいな意匠の建物が頭に浮かぶ。この辺りでゲームセンターといえばここ、というような、誰もが知っている場所だ。
けれど、私はなるべく知った人にゲームをしているところを見られたくないので、最近はすっかりご無沙汰だった。
「少し前に、新しいシューティングゲームが入ったらしくてさ、やってみたいんだ」
「で、でも……私なんかより、友達と行った方が楽しいんじゃないの?」
「俺は棟野と行きたいんだよ」
正面を切ってそんな言葉を吐かれた私は、当然のごとく赤面する。それなのに口にした本人である天藤くんは涼しげな顔つきのままだ。
「……わ、わかった」
経験値の差というやつにずるいと思いつつも、「新しいシューティングゲーム」という言葉には僅かばかり心が躍った。なんだか口車に乗せられているような気もするが、気になるものは仕方ない。
私は小鴨のように天藤くんの後ろについて歩き、駅に着くといつもとは反対方向の電車に乗る。天藤くんが時折り振ってくる何気ない話題に「うん」とか「そうだね」とか気のない相槌を返しているうちに、電車は目的地に到着した。
「わ、ぁ……」
駅構内から出ると、ゲームセンターは目と鼻の先にあった。黒と白のボーダーの外壁に七色のライトが当たって煌びやかに彩られている外観や、中から漏れ聞こえてくる騒々しいBGMも相変わらずだ。
懐かしさを感じつつ無意識に手を首の後ろにやるも、そういえば今日はいつものフード付きパーカーじゃなく制服だったのだと思い出す。
「大丈夫。バレないって」
私の気持ちを察したらしい天藤くんはそれだけ言うと、不意に私の手を握ってきた。
「えっ!?」
「ほら、行こう」
引かれるがまま店内に足を踏み入れると、外まで聞こえていたBGMの存在感が一段と増した。薄暗いながら、普段の生活ではなかなか目にすることのない色鮮やかな光がチカチカとあちらこちらで眩しく明滅している。これだけで私の中に眠らせていたテンションが自然と高まってくるのがわかる。
「お、あれだあれだ」
それは天藤くんも同じなのか、やや浮ついた声を発して足早に奥の方へ歩いていく。私は慌てて後を追った。
店奥の中央には、大きめのプリクラ機のような、黒い幕で覆われた箱状の小スペースがあった。外側にはシューティングゲームの説明が書かれており、どうやらこの中に入ってプレイするらしい。スパイとして敵のアジトに潜入し、バレたら敵を狙撃して倒し、目的のデータがある部屋まで辿り着くのがミッションのようだ。
「一人から二人用って書いてあるな。一緒にやる?」
「え、いや、私はべつに」
「そう? じゃあ隣で見ててよ。これ最新のAR技術を使ったゲームでさ、臨場感最高だから是非とも一回は見てほしい」
「う、うん」
本当は外で適当なゲームでもプレイして待っていようかと思っていたが、あまりにも天藤くんが推してくるので私は仕方なく頷いた。
中に入ると、そこは思った以上に広く感じた。手前にはゲームをプレイするための柵で囲われたスペースがある。前方には奥行きのあるところに小さなスクリーンが配置されており、そこにはデモ映像が流れていた。幸いにもプレイしている人はおらず、すぐに遊べるようだった。
「まあ、見ててよ」
天藤くんはなぜか得意げにそう言うと、プレイスペースの手元にある画面下の投入口に百円玉を三枚入れた。すると、デモ画面が終わって室内が一気に闇に包まれる。
直後、前方奥にある画面からこちらに向かってくるようにして、数色の光が周囲を駆け抜けた。
「う、わぁ……!」
一瞬で、ゲームの世界に入ったような錯覚に陥った。奥の画面だけでなく、周囲の幕や天井も含めて全てがひとつながりとなった映像が映っている。まるで、プラネタリウムにゲーム画面を投影したみたいだ。
「驚くのは早いよ。ほら、これつけてみて」
差し出されたのは、少し分厚いレンズが入った眼鏡とイヤホンだ。高鳴っていく鼓動を感じながら、私は言われるがままにそれをかける。
「わっ、すごい、すごい……!」
「最新のスマートグラス。マジですげえよな」
かけた瞬間に、立体感のある音響とともに周囲に飛び交っていた光が触れるような存在感を持って迫ってくる。左上には現在いるステージやユーザーのヒットポイントなど、シューティングゲームに必要な情報が並んでおり、それだけでカッコよさは倍増、ううん120%増しだ!
「なんか、本当に諜報員になったみたいだね!」
「だろ? 家じゃ絶対味わえないこの没入感が売りなんだ。そしてもちろん、ステージもやりごたえ満載」
天藤くんは慣れたようにスマートグラスを操作し、ステージ選択や難易度設定を終える。いつの間にかプレイ用の小銃も手に持っており、やる気は充分だった。ちなみに私のグラスには「護衛対象」という文字が映っている。これが観戦者用のステータスだろうか。
「見ててくれよ。ゼッテークリアしてみせるから」
ステージ3、地下室。難易度、高。
「え、初めてやるんだよね? 大丈夫なの?」
「シッ、静かに」
すっかり入り込んでいる。これはしばらく黙っていた方が良さそうだ。
右横に立つ天藤くんは真剣な眼差しでスクリーンを見つめ、地下室のステージを進んでいく。スパイなだけあって、シューティングゲームといいつつも基本的には極力敵に見つからないようにしていくらしい。進行に応じて周囲に映し出された景色も後ろに流れ、イヤホンからは立体音響での足音や物音が響いているので、本当に没入感が凄い。
ドキドキと心臓の鼓動が聞こえる。シューティングゲーム自体は今でもたまにやっているが、ここまで本格的というか最新のものは久しくやっていない。せいぜいが小さなゲームセンターにある昔ながらの筐体タイプのシューティングゲームだ。その方が、あまり心を高ぶらせず無心でプレイできるから。
『誰だ! てめえは!』
突然、左横から野太い怒声が聞こえた。私は反射的に「きゃ!」と声をあげる。
「来たね。下がって」
天藤くんは冷静に言うと、私を背後に隠してコントローラーになっている小銃の先を敵キャラに向ける。ARで映し出された敵キャラはまるですぐそこにいるかのようで迫力満点だ。
すごい、すごいすごい……!
天藤くんが引き金を引くたびに銃声が轟き、敵キャラが倒れていく。
否応なしに心拍数は上がっていく。
「あっ! 天藤くん! 敵、右にも!」
「よっ、と。まだまだ」
「天藤くん、上上上!」
「うおっ、三体も。あぶねー、助かっ」
「天藤くんまた来る! 左に敵影ふたつ! 前方の柱の陰にひとつ!」
「お、おお?」
「わーっ! なにあれ! あの敵の動きすごい速い! しかも小さいし、これは充分に引きつけてから仕留めないとだね!」
「お、おう……!」
天藤くんの制服の袖を引きつつ、私は次々に敵の居場所を指差す。銃声に引かれたのか、敵キャラは次々と湧いて出てきた。前からも、横からも、次々と姿を現し、銃口をこちらに向けてくる。
「すごい敵の数だね。これはなかなかにしんどいね」
「マジそれな。さっすが高難易度」
天藤くんは着実に、確実に敵キャラを減らしていく。けれどさすがにノーダメージというわけにはいかず、与えられたヒットポイントはどんどんと減っていく。
そうしてヒットポイントのゲージが危険を示す赤ラインに差し掛かったところで、最後の敵キャラが倒れた。
「ひえーあぶねー」
「おぉ、ギリギリセーフ、だね」
「マジで棟野がいなかったらクリアできなかったわ」
「えーそんなことないと思うけど〜。でも、ふふっ。そうだったら嬉しい!」
正直、動きの無駄は少し多いなと感じたが、狙いはかなり正確だった。無駄撃ちも少なかったし、とても初めてとは思えないほどに上手い。
「まああとは少し練習した成果だな」
「あ、やっぱり練習してたんだ」
「おっと、つい口が。まあなんだ、好きな人にいいところ見せたかったからな」
視線を逸らしてそんなことを言う天藤くんの顔は、薄暗い室内でもわかるほどに赤い。教室ではいつも表情をほとんど崩さないクールな彼にも、こんな一面があるのか。というか、言われた私も恥ずかしいんだけど。
「よしっ、じゃあ先に進むとするか――」
その時だった。
上方向から、微かに音が聞こえた。
敵キャラが全て倒れ、静寂に包まれている地下広間で。
なにか、小さな、リロード音のような……
「……っ! 天藤くん! 上! 二時の方向!」
「え?」
叫ぶが先か、銃声が鳴り響いた。
刹那、周囲のスクリーンが一気に赤い血の色に染まり、スマートグラスに表示されていたヒットポイントを示すゲージが尽きる。
「あ」
GAMEOVER。無慈悲な英字が、目の前に流れた。
「え、え? なにが、起こって?」
「スナイパーだよ、天藤くん」
ゲームが終わって静止したスクリーンのうち、天井にあたる部分を私は指差す。そこには地下広間の二階通路が映っているのだが、その柱の影にジッとこちらに向けられている銃口が遠目に見えた。
「小さなリロード音が聞こえてた。敵の戦闘員をオールクリアした後にすぐ隠れないといけなかったっぽいね」
「う、マジかよ。初見殺しすぎるだろ」
天藤くんは悔しそうに天を仰ぐ。確かに、初心者や中級者ではまず知っていないと避けられないだろう。でも、丁寧にリロード音が鳴ってくれる辺り、警戒を怠っていなければすぐに対応できたような気もする。
「てか、やっぱ棟野はすげえな。リロード音からスナイパーの位置割り出して、しかも位置伝えるのクロックポジションとかカッコ良過ぎ」
「え、そうかな?」
「そうだよ。少なくとも今の俺にはできないし、というかこれからの俺にもできる気がしない」
珍しく天藤くんが褒めてくる。昨日といい教室から今までといい、やや強引な天藤くんに振り回されていただけに、まさか褒められるとは思っていなかった。
「そ、そうかなあ……! んふふふっ、ありがと!」
やばい。顔がニヨニヨする。
音からの位置察知もクロックポジションでの位置把握も、小学生の時にかなり練習してできるようになったのだ。これについては直接褒められたことがなかっただけに、素直に嬉しい。
そんな話をしているうちに、リザルト画面からコンティニュー画面へと自動的に切り替わった。
「あ、これ高難度でもコンティニューできるんだ。天藤くんどうする? リベンジし」
「やっぱり、棟野はその顔してた方がいいよ」
リベンジしてみる?
そう訊こうとしていた私の声と、天藤くんの声が重なった。しかも言われたのは、全く想定していない言葉。
「……え?」
「そうやって、笑ってゲームを楽しんでる棟野の方がいいよってこと。どうする? 棟野、このゲームやってみる?」
ハッとした。
笑って、ゲームを楽しんでいる私。
もしかして今、ううんさっきの私は、そんな顔をしていた……?
「い、や……私、は……」
暗がりでわかりにくいけど、天藤くんの顔が優しげに微笑んでいるように見える。きっと、そうなんだ……
「は、はは……私は、いいや。さっきのも……たまたまだし」
しまった。興奮して、つい喋り過ぎてしまった。
私は曖昧に笑って誤魔化すと、スマートグラスを徐に外した。見た目に反して、意外と軽い。でもこれは、このゲームは、今の私には似合わない。荷が重すぎる。
「やらないの?」
それなのに。
落ち着いた声とともに、何かが目の前に差し出された。
咄嗟に目をやれば、それはさっきまで天藤くんが握っていたプレイ用の小銃だった。天藤くんが笑う。
「棟野なら、もっと先に進めると思う。それに俺、楽しそうにゲームをプレイしてる棟野も見たいんだ」
また、ずるい言葉が飛んでくる。
そんな面と向かって、しかもこんな小部屋の至近距離で言ってくるなんて。
私は耐えきれなくなって視線を逸らした。コンティニューの制限時間を告げる画面が視界に入る。あと10秒らしい。
「どうかな、棟野。やってみない?」
耳につけたままのイヤホンから、微かに銃声が響く。カウントも進む。9、8、7。
「この続きでも、もちろん最初からでもいいからさ」
強引な天藤くんにしてはまたも珍しい穏やかな声が聞こえる。6、5、4。
「棟野」
3、2、1……。
「私、は……」
周囲を飛んでいた光が、フッと消えた。
それと同時に、正面奥にあるスクリーンには最初に見たデモ画面が流れ始める。
「私は、やらない」
私は自重気味に小さく笑って、イヤホンをとった。ゲームの音は遠ざかり、外にあるダンスゲームか何かのミュージックの音が近くなる。
「ごめんね」
私が謝ると、天藤くんは無言で小銃を下ろした。するとちょうどそのタイミングで、見慣れない制服の男子が三人ほど中に入ってきた。
私たちは、どちらからともなく外に出た。
もちろん、授業に集中できるはずもなかった。なんとか放課後までやり切ったけれど、どうしても昨日の天藤くんとのやりとりが頭から離れてくれなかった。
本当に、昨日のあれは夢か何かだったんじゃないかと今でも思う。そう考えないと、どうにも納得がいかなかった。
どうして天藤くんは、あんな方法で告白してきたんだろう。
どうして天藤くんは、私なんかのことを好きなんだろう。
どうして天藤くんは、私の過去を知っているんだろう……。
放課後独特の解放感をはらんだ喧騒の傍ら、私はひとり教科書やノートを鞄に突っ込んでいく。
僅かなその間にも、夜中に何度も思い起こした過去をまた、どうしても思い返してしまう。
私はかつて、生粋のゲーマーだった。
ゲーム好きな兄の影響で、幼い頃からいろいろなテレビゲームを触り、あちこちのゲームセンターで遊んでいた。シューティングゲームやレーシングゲーム、パズルゲームと実に様々なジャンルのゲームにのめり込んだ。
中でも私が得意としたのは格闘ゲームだった。ことゲームに関しては負けず嫌いだった私は、自由にできる時間のほとんどを分析や練習に費やしていた。その甲斐あってか、私は小学生の時にとある有名格闘ゲームのオフライン地方大会で優勝。そのまま全国大会の決勝トーナメント進出まで果たした。それを機に、安直に登録名に書いていた「シオリ」の名前は、その界隈では知る人ぞ知るゲーマー少女を指すものとなった。
その後も私は数々の県内大会や地方大会で優勝し、8ブロック区分における地方大会ではもはや敵なしという地位まで昇りつめた。
――勝利のV! シオリのブーイッ!
取材のリポーターから「なにか決め台詞をください」と無茶ぶりされて生まれた言葉も、最初は恥ずかしかったけれどいつの間にか馴染んでいった。
あの頃の私は、心の底からゲームを楽しんでいた。
難しいステージや敵にやられても、何度も試行錯誤を繰り返しては挑戦し、努力の末に勝利を掴み取る。
対戦相手がいれば全力で勝負し、勝っても負けても「楽しいゲームだったね!」と笑顔で健闘を称え合う。
食い入るように画面を見つめ、指や時には身体全体を動かし、臨場感溢れる音や気配を感じ、心を躍らせる。
普段はあまり自分の気持ちを伝えるのが得意ではない内気な私にとって、ゲームは唯一感情を大にして放てるものだった。
そんなゲームが、私は大好きだった。
けれど。
「詩織、いったいどういうつもりなの?」
中学二年生の時だった。
地元で開催された格闘ゲームのオフライン大会で優勝してしばらくした頃に、中一から同じクラスで当時一番仲良くしていた友達の有澤風花に突然詰め寄られた。
「ど、どういうつもりって、何が?」
「しらばっくれないでよ。隼人のことよ!」
「お、大野くん?」
大野隼人くんは風花の幼馴染で、彼女が小学生の時から想いを寄せているとずっと言っていた男の子だった。
「詩織、隼人のこと好きなんでしょ? 普段は大人しいのに、隼人といる時はすっごく楽しそうに話してるもんね」
「ち、違うよ。大野くんとはただ、ゲームの話を……」
「それが楽しそうで、好きなんでしょって言ってるの!」
その時の風花は、物凄い剣幕だった。元から勝気で言いたいことをズバッという性格で、私もそんな風花の性格に憧れていたが、この時ばかりはどうしようもなく怖かった。
「詩織! 好きなら好きって、ちゃんと言ってよ! もしそうなら、あたしは……――」
だから、私は耐え切れなくなってその場から逃げ出した。まだ何か必死に言おうとしている風花の言葉を最後まで聞くことなく、逃げ出したのだ。
この日以降、私と風花の仲は決定的にこじれてしまった。
目が合ってもお互いに避け、休み時間に話すこともなくなり、毎日楽しみにしていた昼休みの時間も呆気なく消え失せた。
当初は、どうしてこんなことになってしまったのか、皆目見当もつかなかった。ゲームの話を大野くんとしていたのは以前もあったし、その時は風花も特に気にした様子はなかった。
それがわかったのは、風花と口を利かなくなって一週間ほど経った放課後のことだった。
「棟野ってさ、小動物みたいな見た目してるけどゲームでめっちゃ優勝してて、ほんとカッコいいよな」
「わかる。この前の大会とかもな。あと勝った後の決め台詞の時はむしろ可愛いし」
「それな。あー、付き合ったら楽しそうだなあ~」
「隼人も狙ってんのかよ。可愛い幼馴染がいるくせに」
「んー……なんかやっぱり、風花は男勝りすぎるんだよな」
大野くんが、教室で友達とそんな話をしているのを偶然聞いてしまったのだ。
このままじゃいけない。風花にしっかり、自分の気持ちを伝えないと。
そう思った私は鞄も何もかもを置いたまま学校を飛び出し、先に帰った風花の家を訪ねた。最初は「会いたくない」と言われ、なかなか出てきてくれなかったけれど、それでも私が粘っていると風花はようやく顔を見せてくれた。
「詩織、何しに来たの?」
「え、えっとね、その……」
けれど、いざ風花を前にすると緊張してしまって、なかなか言葉が出てこなかった。私はべつに大野くんのことを好きじゃない、とか、これからも風花と友達でいたいとか、いろいろな言葉がぐるぐると頭の中を渦巻いているばかりだった。
そして。
なかなか言葉を発しない私に呆れ果てたように、風花の方から口を開いた。
「詩織。あたしね、今日、隼人にフラれたんだ」
彼女の口から出てきたのは、また想像すらしていない文言だった。
「他に好きな人がいるんだって」
風花は視線を逸らすことなく、真っ直ぐに私を見ていた。
「その子はカッコいいのに可愛くて、話してる時も楽しいんだって」
そんな風花の瞳からは、ぽろぽろと涙が溢れていた。
「詩織。ちゃんと、言ってよ」
けれど、私は何も言えなかった。何を言ったらいいのかわからなかった。口からは、音にならない息が漏れるばかりだった。
やがて、夕陽を反射させながら頬を伝い落ちる涙を拭うこともせずに、風花は言った。
「詩織、ひどいよ……」
鉛のように重く、氷のように冷たい言葉を最後に、風花は家の中に戻っていった。
私はショックのあまり、その場にへたり込んでしまった。
ゲームが好きで心の底から楽しんでいた私が、風花の恋を妨げてしまった。大会で何度も優勝して、大野くんとあれこれゲームの話で盛り上がっていた私がいなければ、風花の恋は実っていたかもしれないのに。
そればかりか、内気で臆病な私が風花と向き合うのを逃げ続けていたせいで、風花を傷つけてしまった。ちゃんと話して向き合っていれば、誤解も解けて、もっと何か、風花の恋を応援することができたかもしれないのに。
私が……――風花の恋を邪魔して、風花を傷つけた。
それ以降、私は格闘ゲームの大会に出なくなった。
交流していたゲーム仲間とは連絡を絶ち、ゲームの話をよくしていたクラスメイトのことも避けるようになった。今まで以上に控えめに大人しく過ごした。ゲームに関する話題が聞こえるとその場を離れ、話を振られてしまった時はもう興味がなくなったフリをした。そうしたら、大野くんたちも次第に話かけてこなくなった。
ゲームそのものもかなぐり捨てて、完全に辞めようと思ったこともあった。
けれど、どうしてもゲームは嫌いになれなかった。
皮肉にも、ゲームがきっかけで傷ついた心を誤魔化すのも、またゲームだった。
独りでゲームをしている時間だけは、辛い記憶や気持ちを曖昧にできた。気の向いた日には独りでこそこそと隣町のゲームセンターに行き、格闘ゲーム以外のゲームをする日々が続いた。
結局、中学を卒業するまで風花とは一度も口を利かなかった。
高校も、なるべく小中学校の私を知っている人が少ない遠くの学校を選んだ。親には進学校で勉強したいからと嘘をついた。親はゲームばかりしていた私をあまりよく思っていなかったみたいで、泣いて喜んでくれた。
こうして、ゲームが大好きだった”シオリ”はいなくなった。後に残ったのは、現実逃避の手段として独りこっそりゲームで遊ぶ”詩織”がいるだけだった。
あんなに楽しかったゲームが、私の一部分になっていたゲームが、今ではすっかり色褪せてしまっていた。ハイスコアを出しても喜べなくなったし、強敵を試行錯誤して倒すのもなんだか作業のように思えてきて途中で投げ出すこともざらになった。
嫌いだ。
ただ無邪気にゲームを楽しんで、風花の気持ちを考えずに大野くんたちと盛り上がって、そして知らないうちに風花を傷つけ、日常を壊してしまった昔の私が。
真剣に向き合っていたゲームを惰性で未練がましく杜撰に扱い、挙句あの頃と何も変わらず過去からも現在からも逃げ続けている今の私が。
本当に、大嫌いだ。
それでも私はモヤモヤするたびに、適当にほっぽり出しているゲーム機を起動してコントローラーを握るか、あるいはオーバーサイズパーカーのフードを目深に被って、家から離れた所にあるゲームセンターに足を運んだ。
昨日、天藤くんと出くわした日もそうだった。なんとなく勉強が嫌になって、気分転換に外に出ただけだった。リズムゲームを虚無の気持ちでプレイし、クレーンゲームでタスクのように定めたおもちゃやぬいぐるみを落としていく。
本当にそれだけのつもりだったのに。
まさかクレーンゲームの前で天藤くんに会って、あろうことか勝負をけしかけられて負けて付き合うことになるなんて思ってもいなかった。
――別れたいなら、”シオリのV”を飾ることだな
しかも去り際に天藤くんが放った言葉。
天藤くんは、過去の私、ゲーマーの”シオリ”のことを知っているのだ。
教科書を鞄に入れていた手が止まる。ため息が漏れる。
本当にどうしてまた、今になって……
「なあ」
「ひゃ!」
その時、後ろからいきなり声をかけられ、肩が跳ね上がった。その拍子にバランスを崩し、椅子から転げ落ちそうになるもすんでで受け止められる。石鹸みたいな匂いが、ふわりと鼻先をくすぐった。
「大丈夫か?」
「て、天藤くん……」
ドキドキしつつ見上げると、昨日ぶりのクールな顔があった。ただ予想以上に近くにあったせいで、私は反射的に押しのけてしまう。
「な、何か用?」
「ああ。用ってほどじゃないけど、一緒に帰ろうかなって」
対して天藤くんは、全く照れた様子も見せずに淡々と答えてきた。さすがの余裕。モテるクールな男子は違う。
「って、え? 一緒に? 帰る?」
そこでようやく理解が追い付いてきた。一緒に帰るなんて、天藤くんはいったい何を言っているんだろうか。
困惑を顕わにする私に対し、やはり天藤くんは顔色ひとつ変えることなく口を開いた。
「そりゃ、付き合ってたらそれくらいするだろ」
「は、えっ……!」
突然の爆弾発言に、私は大慌てで周囲に視線を走らせた。こんな会話、誰かに聞かれていたら……!
「大丈夫。誰も聞いちゃいないって。それよりほら、行こう」
天藤くんは私だけに聞こえるほどの声量でそう言うと、さっさと教室の出入り口まで歩いていく。私はもう一度周囲を見渡すも、確かに教室にはあまり人が残っておらず、私たちのやりとりを気にしている人もいなさそうだった。
出入り口にまた目を向ければ、天藤くんがこちらを見ていた。待っているのだろう。少なくとも今日のところは、観念するしかなさそうだった。
私はすぐに残りの教材を鞄に入れると、そそくさと天藤くんの元に向かった。
それから私たちは無言のまま並んで廊下を歩き、階段を下り、生徒玄関を抜けて校門をくぐった。天藤くんは私が電車通学なのを知っているのか、足先は駅の方へと向かっている。
その道すがらも、私たちの間に会話は一言もなかった。ゲームの話題を除き、基本私はお喋り自体が苦手だし、天藤くんもあまり口数が多いタイプではない。そんな私たちが二人きりになれば、沈黙が多くなるのは必然だった。
気まずい。天藤くんは本当に、どうして私みたいなのに告白なんてしたんだろうか。
「なあ」
「は、はい!」
そんなことをぐるぐる考えていると、天藤くんは唐突に声をかけてきた。私は驚いて返事をする。本当に、こんなところまでタイミングが合わない。
「ちょっと、寄り道していかない?」
「へ?」
続けて発せられた予想外の提案に、私は首を傾げる。寄り道って、どこに?
「ゲーセン、行きたくて。ほら、二駅隣にある大きめの」
「あ、ああ。あそこね」
言われてすぐに、要塞みたいな意匠の建物が頭に浮かぶ。この辺りでゲームセンターといえばここ、というような、誰もが知っている場所だ。
けれど、私はなるべく知った人にゲームをしているところを見られたくないので、最近はすっかりご無沙汰だった。
「少し前に、新しいシューティングゲームが入ったらしくてさ、やってみたいんだ」
「で、でも……私なんかより、友達と行った方が楽しいんじゃないの?」
「俺は棟野と行きたいんだよ」
正面を切ってそんな言葉を吐かれた私は、当然のごとく赤面する。それなのに口にした本人である天藤くんは涼しげな顔つきのままだ。
「……わ、わかった」
経験値の差というやつにずるいと思いつつも、「新しいシューティングゲーム」という言葉には僅かばかり心が躍った。なんだか口車に乗せられているような気もするが、気になるものは仕方ない。
私は小鴨のように天藤くんの後ろについて歩き、駅に着くといつもとは反対方向の電車に乗る。天藤くんが時折り振ってくる何気ない話題に「うん」とか「そうだね」とか気のない相槌を返しているうちに、電車は目的地に到着した。
「わ、ぁ……」
駅構内から出ると、ゲームセンターは目と鼻の先にあった。黒と白のボーダーの外壁に七色のライトが当たって煌びやかに彩られている外観や、中から漏れ聞こえてくる騒々しいBGMも相変わらずだ。
懐かしさを感じつつ無意識に手を首の後ろにやるも、そういえば今日はいつものフード付きパーカーじゃなく制服だったのだと思い出す。
「大丈夫。バレないって」
私の気持ちを察したらしい天藤くんはそれだけ言うと、不意に私の手を握ってきた。
「えっ!?」
「ほら、行こう」
引かれるがまま店内に足を踏み入れると、外まで聞こえていたBGMの存在感が一段と増した。薄暗いながら、普段の生活ではなかなか目にすることのない色鮮やかな光がチカチカとあちらこちらで眩しく明滅している。これだけで私の中に眠らせていたテンションが自然と高まってくるのがわかる。
「お、あれだあれだ」
それは天藤くんも同じなのか、やや浮ついた声を発して足早に奥の方へ歩いていく。私は慌てて後を追った。
店奥の中央には、大きめのプリクラ機のような、黒い幕で覆われた箱状の小スペースがあった。外側にはシューティングゲームの説明が書かれており、どうやらこの中に入ってプレイするらしい。スパイとして敵のアジトに潜入し、バレたら敵を狙撃して倒し、目的のデータがある部屋まで辿り着くのがミッションのようだ。
「一人から二人用って書いてあるな。一緒にやる?」
「え、いや、私はべつに」
「そう? じゃあ隣で見ててよ。これ最新のAR技術を使ったゲームでさ、臨場感最高だから是非とも一回は見てほしい」
「う、うん」
本当は外で適当なゲームでもプレイして待っていようかと思っていたが、あまりにも天藤くんが推してくるので私は仕方なく頷いた。
中に入ると、そこは思った以上に広く感じた。手前にはゲームをプレイするための柵で囲われたスペースがある。前方には奥行きのあるところに小さなスクリーンが配置されており、そこにはデモ映像が流れていた。幸いにもプレイしている人はおらず、すぐに遊べるようだった。
「まあ、見ててよ」
天藤くんはなぜか得意げにそう言うと、プレイスペースの手元にある画面下の投入口に百円玉を三枚入れた。すると、デモ画面が終わって室内が一気に闇に包まれる。
直後、前方奥にある画面からこちらに向かってくるようにして、数色の光が周囲を駆け抜けた。
「う、わぁ……!」
一瞬で、ゲームの世界に入ったような錯覚に陥った。奥の画面だけでなく、周囲の幕や天井も含めて全てがひとつながりとなった映像が映っている。まるで、プラネタリウムにゲーム画面を投影したみたいだ。
「驚くのは早いよ。ほら、これつけてみて」
差し出されたのは、少し分厚いレンズが入った眼鏡とイヤホンだ。高鳴っていく鼓動を感じながら、私は言われるがままにそれをかける。
「わっ、すごい、すごい……!」
「最新のスマートグラス。マジですげえよな」
かけた瞬間に、立体感のある音響とともに周囲に飛び交っていた光が触れるような存在感を持って迫ってくる。左上には現在いるステージやユーザーのヒットポイントなど、シューティングゲームに必要な情報が並んでおり、それだけでカッコよさは倍増、ううん120%増しだ!
「なんか、本当に諜報員になったみたいだね!」
「だろ? 家じゃ絶対味わえないこの没入感が売りなんだ。そしてもちろん、ステージもやりごたえ満載」
天藤くんは慣れたようにスマートグラスを操作し、ステージ選択や難易度設定を終える。いつの間にかプレイ用の小銃も手に持っており、やる気は充分だった。ちなみに私のグラスには「護衛対象」という文字が映っている。これが観戦者用のステータスだろうか。
「見ててくれよ。ゼッテークリアしてみせるから」
ステージ3、地下室。難易度、高。
「え、初めてやるんだよね? 大丈夫なの?」
「シッ、静かに」
すっかり入り込んでいる。これはしばらく黙っていた方が良さそうだ。
右横に立つ天藤くんは真剣な眼差しでスクリーンを見つめ、地下室のステージを進んでいく。スパイなだけあって、シューティングゲームといいつつも基本的には極力敵に見つからないようにしていくらしい。進行に応じて周囲に映し出された景色も後ろに流れ、イヤホンからは立体音響での足音や物音が響いているので、本当に没入感が凄い。
ドキドキと心臓の鼓動が聞こえる。シューティングゲーム自体は今でもたまにやっているが、ここまで本格的というか最新のものは久しくやっていない。せいぜいが小さなゲームセンターにある昔ながらの筐体タイプのシューティングゲームだ。その方が、あまり心を高ぶらせず無心でプレイできるから。
『誰だ! てめえは!』
突然、左横から野太い怒声が聞こえた。私は反射的に「きゃ!」と声をあげる。
「来たね。下がって」
天藤くんは冷静に言うと、私を背後に隠してコントローラーになっている小銃の先を敵キャラに向ける。ARで映し出された敵キャラはまるですぐそこにいるかのようで迫力満点だ。
すごい、すごいすごい……!
天藤くんが引き金を引くたびに銃声が轟き、敵キャラが倒れていく。
否応なしに心拍数は上がっていく。
「あっ! 天藤くん! 敵、右にも!」
「よっ、と。まだまだ」
「天藤くん、上上上!」
「うおっ、三体も。あぶねー、助かっ」
「天藤くんまた来る! 左に敵影ふたつ! 前方の柱の陰にひとつ!」
「お、おお?」
「わーっ! なにあれ! あの敵の動きすごい速い! しかも小さいし、これは充分に引きつけてから仕留めないとだね!」
「お、おう……!」
天藤くんの制服の袖を引きつつ、私は次々に敵の居場所を指差す。銃声に引かれたのか、敵キャラは次々と湧いて出てきた。前からも、横からも、次々と姿を現し、銃口をこちらに向けてくる。
「すごい敵の数だね。これはなかなかにしんどいね」
「マジそれな。さっすが高難易度」
天藤くんは着実に、確実に敵キャラを減らしていく。けれどさすがにノーダメージというわけにはいかず、与えられたヒットポイントはどんどんと減っていく。
そうしてヒットポイントのゲージが危険を示す赤ラインに差し掛かったところで、最後の敵キャラが倒れた。
「ひえーあぶねー」
「おぉ、ギリギリセーフ、だね」
「マジで棟野がいなかったらクリアできなかったわ」
「えーそんなことないと思うけど〜。でも、ふふっ。そうだったら嬉しい!」
正直、動きの無駄は少し多いなと感じたが、狙いはかなり正確だった。無駄撃ちも少なかったし、とても初めてとは思えないほどに上手い。
「まああとは少し練習した成果だな」
「あ、やっぱり練習してたんだ」
「おっと、つい口が。まあなんだ、好きな人にいいところ見せたかったからな」
視線を逸らしてそんなことを言う天藤くんの顔は、薄暗い室内でもわかるほどに赤い。教室ではいつも表情をほとんど崩さないクールな彼にも、こんな一面があるのか。というか、言われた私も恥ずかしいんだけど。
「よしっ、じゃあ先に進むとするか――」
その時だった。
上方向から、微かに音が聞こえた。
敵キャラが全て倒れ、静寂に包まれている地下広間で。
なにか、小さな、リロード音のような……
「……っ! 天藤くん! 上! 二時の方向!」
「え?」
叫ぶが先か、銃声が鳴り響いた。
刹那、周囲のスクリーンが一気に赤い血の色に染まり、スマートグラスに表示されていたヒットポイントを示すゲージが尽きる。
「あ」
GAMEOVER。無慈悲な英字が、目の前に流れた。
「え、え? なにが、起こって?」
「スナイパーだよ、天藤くん」
ゲームが終わって静止したスクリーンのうち、天井にあたる部分を私は指差す。そこには地下広間の二階通路が映っているのだが、その柱の影にジッとこちらに向けられている銃口が遠目に見えた。
「小さなリロード音が聞こえてた。敵の戦闘員をオールクリアした後にすぐ隠れないといけなかったっぽいね」
「う、マジかよ。初見殺しすぎるだろ」
天藤くんは悔しそうに天を仰ぐ。確かに、初心者や中級者ではまず知っていないと避けられないだろう。でも、丁寧にリロード音が鳴ってくれる辺り、警戒を怠っていなければすぐに対応できたような気もする。
「てか、やっぱ棟野はすげえな。リロード音からスナイパーの位置割り出して、しかも位置伝えるのクロックポジションとかカッコ良過ぎ」
「え、そうかな?」
「そうだよ。少なくとも今の俺にはできないし、というかこれからの俺にもできる気がしない」
珍しく天藤くんが褒めてくる。昨日といい教室から今までといい、やや強引な天藤くんに振り回されていただけに、まさか褒められるとは思っていなかった。
「そ、そうかなあ……! んふふふっ、ありがと!」
やばい。顔がニヨニヨする。
音からの位置察知もクロックポジションでの位置把握も、小学生の時にかなり練習してできるようになったのだ。これについては直接褒められたことがなかっただけに、素直に嬉しい。
そんな話をしているうちに、リザルト画面からコンティニュー画面へと自動的に切り替わった。
「あ、これ高難度でもコンティニューできるんだ。天藤くんどうする? リベンジし」
「やっぱり、棟野はその顔してた方がいいよ」
リベンジしてみる?
そう訊こうとしていた私の声と、天藤くんの声が重なった。しかも言われたのは、全く想定していない言葉。
「……え?」
「そうやって、笑ってゲームを楽しんでる棟野の方がいいよってこと。どうする? 棟野、このゲームやってみる?」
ハッとした。
笑って、ゲームを楽しんでいる私。
もしかして今、ううんさっきの私は、そんな顔をしていた……?
「い、や……私、は……」
暗がりでわかりにくいけど、天藤くんの顔が優しげに微笑んでいるように見える。きっと、そうなんだ……
「は、はは……私は、いいや。さっきのも……たまたまだし」
しまった。興奮して、つい喋り過ぎてしまった。
私は曖昧に笑って誤魔化すと、スマートグラスを徐に外した。見た目に反して、意外と軽い。でもこれは、このゲームは、今の私には似合わない。荷が重すぎる。
「やらないの?」
それなのに。
落ち着いた声とともに、何かが目の前に差し出された。
咄嗟に目をやれば、それはさっきまで天藤くんが握っていたプレイ用の小銃だった。天藤くんが笑う。
「棟野なら、もっと先に進めると思う。それに俺、楽しそうにゲームをプレイしてる棟野も見たいんだ」
また、ずるい言葉が飛んでくる。
そんな面と向かって、しかもこんな小部屋の至近距離で言ってくるなんて。
私は耐えきれなくなって視線を逸らした。コンティニューの制限時間を告げる画面が視界に入る。あと10秒らしい。
「どうかな、棟野。やってみない?」
耳につけたままのイヤホンから、微かに銃声が響く。カウントも進む。9、8、7。
「この続きでも、もちろん最初からでもいいからさ」
強引な天藤くんにしてはまたも珍しい穏やかな声が聞こえる。6、5、4。
「棟野」
3、2、1……。
「私、は……」
周囲を飛んでいた光が、フッと消えた。
それと同時に、正面奥にあるスクリーンには最初に見たデモ画面が流れ始める。
「私は、やらない」
私は自重気味に小さく笑って、イヤホンをとった。ゲームの音は遠ざかり、外にあるダンスゲームか何かのミュージックの音が近くなる。
「ごめんね」
私が謝ると、天藤くんは無言で小銃を下ろした。するとちょうどそのタイミングで、見慣れない制服の男子が三人ほど中に入ってきた。
私たちは、どちらからともなく外に出た。



