あこが再び消えて、もうすぐ一週間が経とうとしていた。
 大人になるといろいろな悲しみにも慣れるのか、あるいは感覚が鈍くなるのか、十年前に比べると衝撃は少なかった。もちろんショックがなかったわけではないが、どこかでこうなるような予感を感じていた。
 あこに確かめないといけないことがある。二度目に会ったときに、あこがいくつか嘘をついていることは確信した。考えてみると不思議なことはいくつかあった。そもそも『恋愛ごっこ』の続きを突然、始めたことも、あこの気まぐれだと決めつけていたが、もしかすると何か意味があるのかもしれない。
 もちろん、あこの事だからこっちの深読みで、意味なんて何もないかもしれない。気まぐれで突拍子もないことをするのがあこだ。それでも所々に感じた違和感は、勘違いでないはずだ。
 あこが消えて、どうして前ほどショックを受けなかったのかわかった気がした。ただ受け入れるしかなかった十年前と違い、今度は自分から動こうと決めているからだ。このまま訳も分からず、何も言わないで俺の前から消えさせはしない。もう一度、あこを見つけてみせる。
 何かあこにつながることはないか、この数日ネットやインスタを検索してみたりしたが手がかりはなかった。もしかしてフェイスブックでつながっていた人が他にいないかとも思ったが、すでにアカウントも消えているし、もともと『恋愛ごっこ』用にアカウントをつくったと言っていたので望みは薄いだろう。
 ただ地元から思ったより遠くないところに住んでいたようなので、誰かとばったり出会ったり、つながっている可能性もないとは限らない。そういった意味ではこのタイミングで、中学校の同窓会があるのはありがたいことだった。今だったら担任で学年主任だった湖海先生からどこに引っ越したかを聞いたり、もしかしてテニス部の仲間が連絡を取っていた可能性もないわけではない。とにかくダメもとでも行動してみる強さが自分にも出てきた。
 日曜日の朝は電車も空いている。同窓会当日は一足早く、昼過ぎに地元に帰ってきた。目的は二つ。一つは実家に寄るため、もう一つは菅原神社が残っていることを確認するためだ。
 普段、一人暮らししている街も実家から一時間半の場所だし、半年に一回ぐらいは実家に帰っているのだが、それでも帰るたびに街並みの様子が変わる。昔は駅前にはコンビニと寂れたパチンコ屋が一件あるだけだったのに、いつの間にか駅も改装されて、駅前に立派なロータリーができている。
 駅前のビルにはチェーン店の居酒屋やちょっとおしゃれなケーキ屋さんまでできている。俺も含めてわりと甘党な家族に向けて、ケーキぐらい手土産に持って帰ろうかと思ったが、今月の懐具合と相談してやめておいた。
 駅から大きめの道路を一つ渡って、ずっと一本道を歩く。突き当りを右に曲がると郵便局のある通りに出る。そのあたりからは、駅前のお店が立ち並ぶ風景から少し変わって住宅街が広がる。
 ちらほらと新しい住宅が混じる中に昔ながらの風景が広がる。この通りは塾帰りにあこと通った道だ。このまましばらく歩くと左手に菅原神社が見える。そこをまっすぐ進むと俺の家、左に曲がるとあこの家の方に続く。
 ちょうど休日の部活帰りらしき数人の中学生が通りかかる。自分たちの後輩にあたるはずだが、体操服が俺らの時よりずいぶんと今風なおしゃれなデザインになっている。その後には練習用ユニフォームを着た野球部ともすれ違ってうれしくなる。一時期、顧問の持ち手がいなくて廃部になりかけたと聞いたことがあったが、今は経験者の顧問が赴任してきて、こうして伝統をつないでくれているようだ。声をかけてやりたくなる衝動を抑えて、そのままスルーする。しばらく進むとクヌギ林とくすんだ朱色の鳥居が見えてきた。とりあえず取り壊しなどにはなっていないようでよかった。
 鳥居をくぐって久々に菅原神社の敷地内に足を踏み入れる。十年前の夏休み最後のあの日、自分の気持ちに決着をつけて以降は、菅原神社に寄り付くことはほとんどなかった。もちろん初詣なんかで実家にいるとき、年に一度くらいは行くことはあったが、実家を出てからは初めてきたかもしれない。
 神社の前の通りは少し様相が変わっていたが、神社の中はあの頃のままだ。もともと古びた神社だったので、十年ぐらいで大きな変化はない。せっかくなので、お賽銭を入れてお参りをする。散々、集合場所に使っていたくせに、ちゃんとお参りしたのは初詣の時ぐらいだったので、少し奮発して百円玉を入れておいた。その後、昔のように石段に腰かけてみた。
 少しそこでぼんやりとする。鳥居越しの風景は十年前と変わってしまったが、石段から伝わるひんやりとした感覚は昔と変わらない。菅原神社がちゃんと残っていることはわかった。八月最後の日曜日、本来ならその日にあことここで会うことになっていた。『恋愛ごっこ』の続きをしようと言っていたあこが、最後に決着をつけにやって来る可能性もゼロではない。
 ただ今のところそれ以外、手がかりになりそうなことがないので、汗が引くのを待って菅原神社を後にする。実家に向かう前に思い立って、あこの家のあった場所にも寄ってみることにした。
 十年も経つので手がかりがあるとは思えないが、一度見ておきたかった。何か思い出すこともあるかも知れない。
 神社から出て、少し逆に戻る方向を向いて最初の曲がり角を右に曲がる。しばらく進むと緩やかな坂道になっている。炎天下の中を歩くと、せっかく引いた汗が、またすぐに噴き出してきた。
 地球温暖化のせいだろうか? やっぱり十年前より暑い気がする。緩やかだけどだらだらと続く坂道は、ゆっくりと歩いているだけなのにじわじわと体力を奪う。
 やっとこさ上りきった場所の風景はずいぶんと記憶と変わっていた。昔はもう少し一戸建ての住宅が多かった気がするが、今は新婚さんでも住んでいそうなおしゃれなハイツが立ち並んでいる。ここからは少し記憶をたどりながら、あこの家を目指す。十字路を右に折れて、二つ目の路地を左に曲がる。小さな児童公園を抜けてさらに歩くとあこの家だ。
 目の前にあるレンガ造り風の外構の家は、建て直しをされたのか記憶の中のあこの家とは全く違うが、周りの位置関係を見る限り、元あこの家があった場所なのは間違いない。表札を見ると「松永」と書かれてある。ちょうどその家から小学校の低学年ぐらいの男の子が出てきた。やはりわりと新しく住み始めた若い夫婦なんかが住んでいそうだ。あまりジロジロ見ていて不審に思われてもいけないので、場所だけ確認したらその場から離れる。
 あこの家を確認してからは遠回りにはなるが、来た道とはあえて違う道を選んで実家に戻った。まだ同窓会まで十分に時間はあるので、もう少し街並みを見たかったからだ。
 実家につく頃にはシャツが汗でびしょ濡れになっていた。着替えを持ってきていてよかった。母親が用意しておいてくれた少し遅めの昼食を取る前に、シャワーを借りてさっぱりとした。日曜日なので父親もいて、ひさびさの一家団欒だったが、そうゆっくりともしていられない。父から仕事のことなどを聞かれたがほどほどに返して、昼食の後は自室にこもる。
 一人暮らしで家から出ていってからは、半分物置にされているが、それでも一応俺の部屋はそのままにしてくれている。一人っ子さまさまだ。部屋の隅にある掛け梯子をセットしてロフトに上がる。物置にしているロフトは薄っすらと埃がたまっている。明かり取りのための窓から差し込む光が、舞い散る埃をキラキラと照らす。部屋に入ってすぐにエアコンを入れたが、まだ蒸し暑い。四つん這いになりながら奥まで進み、段ボールの束を一つずつ確認していく。
 卒業アルバムなどは一人暮らしの部屋に持って行ったが、それ以外の写真や学生時代の諸々はこのあたりにしまい込んでいるはずだ。スナップ写真をまとめたアルバムには、野球部のみんなで撮った写真や修学旅行の写真が、綴じられていたがこれは今は関係ない。卒業式で後輩からもらった色紙や、大会のメダルなども見つかり、思わずじっくりと見てしまったがそんなことをしている場合じゃない。どうやらこの手前の二つの箱は、高校と中学校の野球部関連のものを集めているらしい。
 何かあこに関連するものが見つかればと思っているが、なかなか見つからない。中学校は同じクラスになっていないし、小学校も五年生の途中からなので意外と写真なども少ない。小学校の修学旅行の写真が見つかったが、これもあこと行動班が別だったので、一緒に写っているのは平和記念公園で写した全体写真ぐらいだ。
 できれば中学生のころに使っていたスマホが残っていれば一番ありがたかった。あの『恋愛ごっこ』をしていた時のラインのやりとりの跡が残っていたら、何かあこにつながるヒントがあるかもしれないと考えていたが厳しそうだ。
 あれから何度も機種変更したし、落としてしまって液晶が割れて使えなくなったこともあった。さすがに十年前のスマホは片付けの時に捨てたり、下取りに回してしまったかもしれない。
 額にたまった汗をぬぐいながら、大きなため息をつく。埃っぽい匂いには慣れてきたが、あまり成果はなさそうだ。十年前のやり取りも印象深いことは覚えているが、そうでないものは細かい物まで全部覚えている訳ではない。それにいつの間にか思い込みで、誤った内容が記憶に定着している可能性もある。
 うまいこと過去のやり取りが手に入ったたら、少なくとも前から疑問に思っていた違和感は拭い去れるかもしれないと思っていたが甘かったようだ。せめてあこと撮ったプリクラは残ってないかと探してみたが見つからない。絶対に捨てては、いないはずだ。あの時のプリクラは普段持ち歩かないほうの財布に入れてしまったと思う。ただ、その財布が見つからない。中学生セットの段ボールに入っているものとばかり思っていたが見つからない。
 かなりの時間をかけて中学生セットを確かめたが結局見つからず、ついに小学校関係の段ボールにまで手を出す。一番奥底から段ボールを引っ張り出すと、中学生セットに入りきらなかったものを最後に詰め込んだのか、小学校のころのものと中学校のころのものが乱雑に入り混じっている。
 最初はきちんと分けられていたはずなのに、いつかの大掃除の時に無理やり突っ込んでしまったのだろう。あるいは一人暮らしを始めるときに持っていくものを選別した時かもしれない。クラスが同じだった小学校時代のものなら少しぐらい手がかりがあるかと思ったが、この調子だとなかなか難しそうだ。あきらめてそろそろ同窓会の準備をしようかと思った時、段ボールの中にあった一つのぬいぐるみに目が行く。
「もしかして!?」と思って、そのぬいぐるみを引っ張り出す。
 ロフトの段ボールの中でしばらく放置されていたので、少し表面の色合いは古くなっている。前足を合わせたかわいらしい牛のぬいぐるみの首元には、まだ商品名「クリップモーモー」のタグが付いたままになっている。
 中学校の修学旅行で行った牧場で買ったもので、お土産としてあこに買って帰ったのと同じものだ。別にあのときは『恋愛ごっこ』前だったし、おそろいを意識したわけではない。ただ何となく気に入って、自分の分も買って帰り、しばらくは机の上で飾っていた。
 いつの間にかどこにやったのかわからなくなっていたが、こんなところにしまい込んでいたとは……。
前足の付け根あたりを握ると、クリップが開き、力を緩めるとそれが閉じられる。まだ十分クリップとしての役割も果たせそうだ。
 次に背中についてあるファスナーに手をかける。期待は確信に変わっていた。ゆっくりとファスナーを下ろして、中に入ってあったツルツルとした滑らかな紙片を取り出す。
 頬を寄せ合った二人の笑顔の下には「仲良し」と書かれている。胸の奥が熱くなる。そこにはあの日の俺とあこがいた