「あこ、体調は大丈夫なのかよ? 二日も夏期講習休んでただろ?」
 菅原神社で待っていてくれたあこに聞いた。体調不良で二日塾を休んでいたあこだが、今日から復活している。
まだ部活が残っている俺は、夏期講習に遅れて参加する分、終わってから抜けているところのプリントやノートのコピーをもらうために、いつも十五分ほど残らなければならない。塾で待っているのは周りの目があるので、あこは菅原神社で待っていてくれた。
別に待っていなくてもいいと言ってはいるが、そこは例によって『恋愛ごっこ』中だからとあこは譲らない。
「大丈夫! あれ仮病だから」
「そうか、仮病か……って、仮病?」
 さらっとあこが言うのでそのまま流しかけた。あこは何でもないというような顔でケロッとしている。
「うん、仮病。もしかして、心配してくれた?」
「……まあ、一応」
 この二日はラインもほとんど来なかったので、心配していた。俺の様子を見て、あこが笑顔を見せて嬉しそうにする。
「そっかー、心配してくれたんだ。心配かけたね、よしよし」
 あこがふざけて俺の頭をよしよししてくる。その手を払って、あこのおでこに軽く手刀をお見舞いした。あこが「痛っ!」と言っておでこをさする。
「もう素直じゃないなー。たった二日で心配になるとか、夏休みの終わりを待たずして、もう私に惚れちゃったんじゃないの?」
「そんなわけあるか! いつもバカ元気なあこだからちょっと心配しただけだよ」
「ふーん……まあ、いいけど」
 意味深な笑顔を浮かべてあこがこっちを見る。くっそー、なんか押されているのが悔しい。そうだよ、たった二日で心配したんだ、悪いかよと心の中でつぶやく。とりあえず話が違う方向にズレかけたので、軌道修正する。今はあこの仮病の話だ。曲がったことが嫌いで、そういう部分では馬鹿正直なあこが仮病を使うなんて、普通じゃ考えられない。
「で、何で仮病使ってんだよ?」
「……いろいろあってさ」
 あこは話すべきかどうか少し迷った後、ぽつりぽつりと話し出す。
「私の家、少しややこしいって話、前にしたでしょ? 今もちょっと家庭内で揉めてて……できるだけ、お母さんの側にいてあげたかったんだ」
 あこの家の話は前に少しだけ聞いたことがある。
「家事手伝ったりとかもあったし、妹にはあんまり心配かけたくないから、私にできる限りのことは、私でやってたんだ」
 確か今の父親は母の再婚相手で本当の父親でなかったはずだ。再婚のときにすでに小五で思春期に入りかけていたあこはずっとその義父と折り合いが悪かったらしい。
 あこと同じテニス部に入った中一の妹は、部活に来ている姿を見かけたから、あこが全部独りで抱え込んでいたのかもしれない。
「……そうなんだ。もう大丈夫なのか?」
 単純に風邪で寝込んでいたとかより、ややこしい理由だったので心配する。家庭内の揉め事ほど、思春期の中学生にとって嫌なことはないだろう。それはローブローのようにじわじわと日常生活の大部分に効いてくる。
 うちの家族はわりと仲が良い方だが、それでも夫婦喧嘩などをされた日には、部屋に閉じこもりたくなる。ましてや折り合いの悪い、血のつながりのない家族と一つ屋根の下で暮らすのは相当なストレスだろう。
「うん、大丈夫。ありがと、心配してくれて」
「ほんとに大丈夫か? なんか無理してる顔だぞ」
 薄暗い神社を淡く染める電灯の光に照らされた、あこの笑顔はさっきまでの表情と違っていた。それはできるだけ、自分の現状を隠そうとしているようにも見えた。
「うん、本当に大丈夫。お母さんもいろいろ決心したみたいだし。ありがとう。渉に聞いてもらって、なんか安心した」
「……それならいいけど」
 そうは言いながらもやっぱり心配だ。普段は弱音を吐かない性格だけに、相当弱っているんだろう。
「俺にできることあったら言えよな」
 あこがこくんとうなずく。いつもと違って今日は妙にしおらしい。
 俺はもう一度、あこのおでこに手刀をお見舞いする。今度は「痛っ!」とも言わずにびっくりしている。
「……無理してるのが見え見えだっつーの! もうちょっと人に頼れよ。仮にも『恋愛ごっこ』中だろ?」
 俺の言葉にあこは目を丸くしている。
 俺はニッと笑ってあこの言葉を待つ。しばらく言葉にするのを迷ったように間があった後に、ぽつりとあこがこぼした。
「ねえ、一つお願い聞いてもらっていい?」
「ん?」
 聞き返すより早く、あこが俺に抱きついてきた。一瞬、何があったのかわからなかったが、気が付けば俺の顔のすぐ横にあこの顔があった。
「一回だけギュってして」
 一瞬、とまどいながらも、横目であこの横顔を見た。目をつぶって必死で涙をこらえているのがわかる。
せめてそのあこの重みを少しでも受け止めようと、あこの背中に腕を回し、力強く抱きしめる。あこの体温や息づかいが伝わる。しばらくギュッと頬と頬が触れるぐらい抱きしめた後、少し顔を離して、あこの顔をみた。そっと瞳を開いたあこの髪に触れてみた。絹糸のようにすごく柔らかい。ポンポンと優しく頭を叩く。時間にすればほんの数秒の間だったかもしれない。それでも世界が一つになったような気がした。
 あこが俺から離れて少しはにかんだ笑顔を見せる。
「ありがとう。元気もらった」
 それだけ伝えると、急に恥ずかしくなったのか顔を逸らす。
「……何か急にごめんね。渉、明日も部活だよね? 遅くなってごめん」
 こちらの言葉を待たずして、あこは「それじゃあね」とその場から立ち去ろうとした。
「あこ!」
 勇気を振り絞って、動きかけたあこを呼び止める。あこに直接伝えたいと思った。
 振り返ったあこは「どうしたの?」という風に首をかしげた。
「中央大会の一回戦が明後日なんだ」
 あこに向かって叫ぶ。あこは俺の意図がうまく伝わっていないようで、首をかしげたまま次の言葉を待っている。
「俺出れるかはわからないけど……見に来いよ! 応援に来てくれたら嬉しい」
 試合の応援に呼ぶなんて別に普通のことかもしれないが、直接あこに言ったのは初めてのことだった。野球部として女子テニス部のメンバーに声をかけることや実際に応援に来てもらうことは今までもあった。でも、今回は違う。あこに俺を応援してほしいと言った。野球部をではない。やっと意味をのみ込んだあこが、首を縦に振る。
「……仕方がないなー。あこちゃんが応援してやるか」
 偉そうに放ったその言葉も照れ隠しだということはわかってる。
『今日はありがとう。元気をもらえました! 明後日、応援に行くから明日の練習もがんばってね』
 家に帰ってすぐにあこからのラインが届いていた。いつもより口調が丁寧だ。今日のできごとを思い出しながら、あこのラインを何度も読み返す。まだ腕にあこのぬくもりが残っているような気がする。明日の練習に向けて早く休まないといけないのに、ついついあこのことを考えてしまう。今はその前に野球のことだ!
 中央大会は抽選の結果、一回戦から春の優勝校と当たることになった。もしかすると明後日が中学校での野球生活の最後になるかもしれない。
 中学校生活の大部分を部活にかけてきた。才能はなかったが人一倍の努力はしてきたつもりだ。そんな三年間の集大成をあこに見てもらいたい。
 そして、あこに……。
 最後の言葉は頭の中からかき消した。まずは明後日の試合、そのために試合に出れるよう明日の練習を頑張るだけだ。寝る直前ながら改めて気合を入れ直した。
 最後の練習を終え、いよいよ中央大会当日の朝は意外とすっきりと起きることができた。緊張でもう少し眠れないかと思っていたら、思っていたより熟睡できた。あこも気を使ってか昨日は早めにメールを切り上げてくれたみたいだ。朝一番、出かける前に『がんばって』のラインが来ていた。
 試合は第三試合で集合までにはかなり時間があるが、朝食をしっかりと取ってから、入念にストレッチを行う。腕を胸の前で交差させて引っ張る。心地よい筋肉の伸びで、全身に血液が回るのを感じた。
 起床後と風呂上がりのストレッチを習慣として続けてきたおかげか、この三年間、大きなけがもなく野球を続けてこられた。いつもより長めのストレッチを終えた後は、外で素振りだ。三年間、愛用してきた銀色のバットを持ち、玄関を出る。
 外の熱気を含んだ空気を思いきり吸い込む。空は雲一つない快晴、今日も暑い日になりそうだ。
 両手を肩より少し高い位置に構え、トップをつくる。そこから内から外へと意識をしながら、バットを振り下ろす。ビュンと空気を切り裂く音が響く。フォロースルーの終わりまで、顔は投手の方に残しておく。
 今日もスタメンの出場はかなわないだろう。ただ、いつ出番が来てもいいように、最高の準備をして待つ。春の大会で見た相手の投手をイメージする。右投げオーバーハンドの長身の投手だ。
 鋭く投げおろされた外角に低めの直球を、センターやや右寄りに弾き返すイメージで、何度も素振りを繰り返す。途中、手を叩いて喜ぶあこのイメージも湧いてきたが、とりあえずそれはかき消しておく。
 家で素振りをしている時は、あまり緊張しなかったが、会場入りするとやはり違った。急に口数が多くなる者、少なくなる者、何度もトイレに行く者などそれぞれだが、チームメイトも一様に緊張が見られた。
 予選の市民球場と違い、中央大会はプロの二軍なども使うきれいな球場だ。最低でも試合の一時間前に球場入りしなければいけない規則なので、まだ一つ前の第二試合が始まったばかりだ。
 スコアボードの電光掲示板にきちんと名前が載っていることに感動する。そこに自分の名前が映し出されるイメージをして見た。どのチームのスタンドの応援も地区予選の時よりも熱が入っている。
 アップに入るまでまだ時間があるので、軽食を取りながらあたりを見渡す。さすがにまだあこは来ていない。保護者はちらほらと来ているみたいだが、応援の生徒が来るのはもう少し先のことだろう。
 球場の外でアップのランニングやダッシュを終えて再び戻ってきたころには、前の試合は最終回になっていった。試合に必要な荷物を整理して、いつでもベンチに入れるよう準備する。
 このころになると大部分の保護者や教師、生徒の応援も球場に集まっていた。同じクラスの何人かが声をかけてくれた。それに軽く手を挙げて答える。隣の氏家はテニス部の彼女に手を振っている。確か二年の子とつきあっていたはずだ。
 野球部は氏家以外にも、レフトでレギュラーの武井ちゃんもテニス部とつきあっていた。同じグラウンドクラブだけあってクラブ同士の仲もよい。
「今日、テニス部オフなんだってさ。ほら、見てみろよ、渉! 一年の子まで応援に来てくれてる」
 氏家が指さした方を見ると、テニス部のメンバーが固まっていた。確かに三年以外の子の姿も見えた。ただ、そこにあこはまだいない。運動部の中では中央大会に進んだ野球部が一番遅く引退することになったので、他の部の三年生もたくさん見に来てくれていて、今までで一番の大人数だ。
 隣の氏家は「ああ、緊張する」などと言っているので、「いいとこ見せようとしてとちるなよ」と肩をバシッと叩いておいた。
 野球部は同学年が十五名、三学年を合わせると四十名の大所帯。そのうちベンチにはいれるのは二十人。同学年の中にもベンチメンバーから外れた者もいる。それでもこの学年はとても仲が良かった。
 今までの代は途中でやめるものもたくさんいたが、三年間の誰一人かけることなく続けてこられたのが、俺たちの誇りだ。その中でも氏家は三年間キャッチボールのパートナーを務めた一番仲のよいメンバーだ。
 いよいよ前の試合がゲームセットになり、ベンチ入りとなる。手早くベンチに荷物を入れる。途中、前の試合で負けた選手が号泣しながら引き上げてくるのとすれ違う。
 負ければ終わり……これがトーナメントだ。
 外野の芝生にダッシュで移動して、キャッチボールを始める。氏家が手前側、俺がセンター方向の奥へ下がる。よく手入れされた芝の感触が気持ちいい。氏家が投げてきた球をしっかりとグローブの芯で取り、いい音を鳴らす。
 試合前のアップが終わるとベンチ前に整列して観客に対して礼を行う。キャプテンの南森の号令の後、全員で帽子を取って頭を下げる。観客から大きな拍手と声援が湧き上がる。
 いよいよ始まる。雷鳴のように轟いた拍手の後、頭を上げながら俺はあこを探していた。しかし、あこを見つけることはできない。
 球審の号令で一斉にベンチから飛び出す。ホームベースの付近で両チームが整列し、対峙した。体格は相手の方が上だ。駄目だ、呑まれるな! 相手より大きな声を出して礼をする。
 先攻はうちのチームだ。投球練習も終わり、球審のプレーボールの合図と共に、サイレンが鳴り響く。時計は午後一時半を過ぎたぐらいの、一日の中で一番暑い時間帯だ。周囲の熱気でグラウンドが陽炎のように揺れる。
 三塁ベースコーチの位置からあらん限りの声をふり絞る。チーム全体で戦っているんだ。今の自分にできる精一杯を、自分の三年間を声援に変えてぶつける。
 試合は春の優勝校相手に周囲の想像以上の善戦をしていて、一進一退の攻防が続いている。先取点は相手チームだ。三回にファーボールで出たランナーを手堅く送ってからの、三番の長打で先制をした。それでもエースの小崎が後続を粘り強く打ち取り、最少失点で切り抜けると、五回の表にスクイズで追いつく。しかし、その裏にまた三連打を浴び、二点を勝ち越されてしまった。この暑さの中だ、誰もエースを責められない。六回の攻撃は無得点に終わり、三対一の二点差でうちの攻撃は残すところ一回だ。
 六回裏の相手の攻撃中に監督から声がかかった。監督の「チャンスで代打いくぞ!」の言葉に、気合を入れてベンチの前でバットを振る。暑さのせいだけでなく、手に汗をかいている。いつも以上にバットのグリップにロジンをつけた。その回の相手の攻撃は三人で終わった。
 ……大丈夫。流れはこっちにきている。
 最後の攻撃の前の円陣で、自分たちに言い聞かせた。先頭バッターに対してベンチから声を張り上げる。先頭バッターの打球はレフト方向に大きな弧を描いて飛んでいく。スタンドからも悲鳴にも、祈りにも似た声が湧き上がった。寸でのところでレフトが追いついてがっちりとキャッチ。観客の声援がため息に変わる。
 次打者はカウントツースリーから三球粘って、しぶとくファーボールを選んだ。ワンアウト一塁。本来ならばバントで二塁に送りたいところだが、二点差を追いつくためにはもう一人ランナーをためる必要がある。
「渉、次代打で行くぞ」
 監督から声がかかり、ネクストバッターズサークルでバットを杖のようにしてしゃがみこむ。俺が代打の準備をして出てきたことにスタンドからも歓声が上がる。
 あこは来ているだろうか? 見ているだろうか?
 前のバッターの加納がうまくヒットやファーボールでつないでくれれば、ワンアウト一塁、二塁。一打同点のチャンスだ。
打てる。きっと打ってる! このために三年間やってきた。
 カウントはワンスライクワンボール。何とかいい形でつないでくれ! 今は念じることしかできない。
長身の右腕から投げ下ろされるストライクからボールへと切れていくスライダーに、バットが空を切る。キャッチャーミットに収まったボールが乾いた音を響かせると同時に、スタンドも歓声とため息で揺れたような気がした。
 これで追い込まれた。ネクストバッターズサークルの俺は気が気じゃない。スタンドの方をちらりと見た。みんな汗だくになりながら応援してくれている。バッターの加納は一度、バッターボックスを外し、素振りをした後、ピッチャーに向かって吠え、気合を入れた。ピッチャーがセットポジションから繰り出した四球目の真ん中、少し内よりのストレートを腕をたたんで強振する。
 灼熱のグラウンドに金属音が響く、鋭い打球がワンバウンド、ツーバウンドして三遊間のややショート寄りに飛んでいく。
 抜けろ!! 心の中で叫んでいた。
 その一瞬、球場のすべての熱気が凝縮していくようだった。反応よく一歩目のスタートを切ったショートが逆シングルで難しい打球を捌く。グローブから素早くボールを握り変え、セカンドベースに送球する。アウト。さらにセカンドがランナーのスライディングを避けながら、一塁に送球する。そこからは世界がスローモーションになった。全力疾走をしていた打者の加納が一塁にヘッドスライディングをして、砂埃を巻き上げる。蒸れた土のにおいがした。
 完全捕球を確認する審判の一瞬の間。球場の皆の動きが止まる。ほんのわずかの時間が永遠に思える。一塁審が大きく右手を振ってアウトのコールをする。六・四・三のダブルプレー。球審の「集合」の声がかかる。俺は一度空を見上げた。
 俺たちの夏が終わった。
 その後のことはあまり覚えていない。学校に戻って最後のミーティングがあり、三年生は一人ずつ後輩にあいさつをした、俺は何と言ったかも全く覚えていない。ただ後輩たちもずっと泣いてくれていて、みんなで戦っていたんだなと思ったことは覚えている。
 ずっと引退の実感もないままだったが、学校からの帰り道、みんなと別れて一人になった時、急に実感がわいてきた。明日からはもう早起きして練習にいくこともない。
 三年間必死に頑張った。それでも完全燃焼はできなかった。ずっとレギュラーにもなれなかったし、野球はもうやめようかと思っていた。
 あと三年間だけ……。あのとき、ネクストバッターズサークルの俺にどれだけの人が一発逆転を期待しただろう? それでも自分はそのイメージを持っていた。意外と答えはすぐに出た。高校でも野球を続けたい。それを誰かに聞いて欲しかった。
 夕焼けが影を長く伸ばす。あんなに暑かった一日もまた終わる。途切れた影に顏をあげると、いつもの菅原神社だ。
 ……あこは結局来なかったなと思い出す。
 帰ったら一番にあこに連絡しよう。高校でも野球がんばるからとあこに聞いてもらおう。たった一言でもいい。背中を押してくれたら、それできっとやっていける。
 家に帰ると応援に来ていた両親が、「三年間、よく頑張ったな」と迎えてくれた。野球を続けられたのも両親の支えがあってこそだ。監督からも今日は必ず親に感謝を伝えるように言われていた。だから一番に感謝の気持ちを両親に伝えた。そこはちゃんと順番を間違えない。次はあこだ。部屋に戻るとすぐにスマホを開けた。てっきりあこからラインが来ていると思っていたら、別の通知やメールばかりだ。それらへの返信より先にあこにラインを送る。
『試合、負けちゃった。でも、野球はやめない。高校でも続けるよ』
 送信してしばらく返信を待つ。すぐには既読がつかない。待っている間に他の友だちからのラインやツイッターの返信を行う。ちょこちょこと間にラインのトークを開けてみるが、既読はついていない。
 あこはいつもわりと早く既読がつくし、一日連絡がないことも珍しい。何となく嫌な予感がして、不安が広がる。
 風呂に入って、食事をしている間もあこからの返事がなかったことが気がかりだった。食事中はスマホを触らないルールだったので、急いで夕飯をすますと自室に戻って、もう一度確認する。
 やっぱり既読はついていな……えっ⁉
 トーク画面の異変に気づき、戸惑う。あこのアイコンの写真がなくなっており、「芦田明子」と書かれていた表示には「メンバーがいません」と出ている。こちらから送ったトークの履歴は残っているが、未読のままだ。
 ラインのアカウント自体が消えているということに気づくのにしばらく時間がかかった。もしかするとアカウントの乗っ取りなんかに会って、一旦消去することになったのでは?
 いろいろな可能性を頭に浮かべるが埒があかない。あこが目の前から消えてしまうような不安の方が勝ってしまう。この時間だと迷惑になるかもと躊躇しながらも、スマホの電話帳のあこの番号をタップする。
 本当は電話をかけることは『恋愛ごっこ』中は二人の中で御法度になっていたが、今はそれどころじゃない。あこの番号が画面に灯り、急いで耳にあてる。そこから聞こえてきた言葉に、頭の中が真っ白になる。心臓の音が大きくなるのがわかった。
「お客様のおかけになった番号は、現在使われておりません」