「なあ、観覧車とかマジで恥ずいって! こんなに混んでるしさ」
 目の前の行列を指さしながら、あこに訴える。列のどこをみてもカップル、カップル、カップルだらけだ。少し前にオープンしたこのショッピングモールは、雑誌などでも取り上げられて、新たなデートの定番スポットになっているらしい。
 中高生もいないことはないが、ほとんどはもう少し年上だ。いかにも都会慣れしているオシャレな人がたくさんいる。無理して都会に出てきた中学生には場違いな感じがする。
「何を今さら怖気づいているのよ! デートと言えば観覧車って昔から決まってるんだから」
「……それ、何調べだよ」
 観覧車を前にあこが力説している。今どき少女漫画でもそんな単純なものではないだろう。それでもその気になっているあこに逆らっても無駄なのはわかっているので、渋々並び続ける。
 その場限りの思いつきで、どうせすぐ忘れるだろうと、たかをくくっていたが、明日を終えるといよいよ夏休みだという終業式前日の夜に、あこから例の『恋愛ごっこ』についてのメールが来た。
 メールには『恋愛ごっこ』のさらに細かいルールが書き連ねてあった。
例えば『恋愛ごっこ』の期間。終業式の日の通知表を配ったりする学活が終わった時点を夏休みの開始とみなし、そこから二学期が始まる前日に、菅原神社で集まるところまでが、『恋愛ごっこ』が行われる期間だということが書かれている。
 あこのメールに一応、抵抗してみたがやっぱり無駄だった。一を言うと十返ってくるといった調子だったので、最終的には渋々、提案を受け入れた。
 夏休みと言っても中学生の夏休みは大変だ。特に受験生にあたる中三の夏は、クラブの最後の大会に塾の夏期講習、さらには宿題なんかにも追われる。その合間を縫って『恋愛ごっこ』が行われた。
 約束通りまわりにバレないように、普段は今まで通り接していたが、塾帰りはいつも一緒に帰るようにしたり、毎日ラインしたり、部活がどちらも朝からの練習の時は一緒に行ったりもした。その中でも部活に一緒に登校するのが、一番ハードルが高かった。
一度ぐらいなら、たまたま近くで会ったと言い訳もできるが、何度も続くとまわりの目があるので、朝一の開門と同時の時間帯に着いて誰にも会わないように調整した。
 俺はもともと朝一番に着くように心がけていたので、そこはあこが合わせてくれた。急にあこが早く来るようになったので、後輩からは最後の大会に向けて相当気合が入っているように見られたそうだ。
 男女がつきあうというのを形だけとはいえ初めてやってみて、これは大変だなと思うと同時に、いろんな場面でお互いを共有するのも悪くないとも思った。お互い引退前で部活にかける思いを共有することはプラスになったし、あこがこれだけやっているなら、俺はそれ以上という刺激を受けることもできた。いつも通りあこととりとめもない話をしている間に少しずつ列が消化されていく。観覧車が楽しみなのか、あこはいつもより若干テンションが高い。
 結局、四十分ほど待ってやっと観覧車の順番が回ってきた。ゆっくりと回ってくるゴンドラに、先に俺が入り、続いてあこが乗り込む。対面かと思ったら、あこが俺の隣に座った。従業員のお姉さんの「いってらっしゃい」の言葉と共に、鉄製の扉が閉められる。
「いや、普通そっちじゃないの?」
「ええっ!? カップルって横並びじゃない?」
「バランス悪くね? あこがこっち来たらゴンドラが傾くじゃん」
 軽口を叩いて、自分の緊張を解きほぐす。女子とこの距離感でいることなんて普段はない。
「失礼ね! そんな変わらないし」
 その場で飛び跳ねようとするあこを制止する。冗談だとは思うが、あこなら本当にやりかねないので、肩を抑えてきちんと座らせる。
「こら! 密室をいいことに襲おうとしない!」
 座らそうとして両肩を抑えたのを誤解されたか?
「違うって! 俺はちゃんと座らそうと……」
 焦って弁解する俺を見て、あこが吹きだす。
「冗談だって、何本気で焦ってんの。さては本気で、隙を見て襲おうとしていたな?」
「んなわけあるか!」
 俺はそっぽをを向いて窓の外を見た。四分の一周ぐらいはしたか? もともと五階の高さからスタートしているので、ずいぶんと高くまで上がってきた。下を歩いている人たちが蟻んこみたいに見える。
「もー、渉、拗ねないで」
「拗ねてなんかねーよ」
 あこの方に目をやらず、窓の外を見たまま答える。
「……!?」
 不意に左肩に重みを感じた。シャンプーの香りが目の前に漂う。視線だけ左側に移すと、あこが肩にもたれかかっている。
「……あこ?」
「はい、『恋愛ごっこ』中です」
 あこはそれ以上、何も言わない。どうしていいかわからず、しばらくそのままあこを受け止めていた。あこのぬくもりが直に伝わる。何て言ったらいいんだろう? 死ぬほどドキドキするのに、ずっとこうしていたくなる安心感。
 観覧車に並んで座り、お互いの体温を感じていることが、まるで夢みたいに感じる。
あこは今どう思っているんだろう? 時間にすればほんのわずかだったのかもしれないが、永遠を錯覚するような不思議なやすらぎだった。
「ありがと」
 しばらくして、あこが頭を戻す。
「一回、こうしてみたかったの。ドキドキするけど、でも何か渉って落ち着くわー」
 あこが満面の笑みでこちらを見る。俺の中で何かが弾けた。同じことを考えていたあこのことを思わず抱きしめたいと思った。もちろんしなかったけど。
「見て、渉! すっごいきれいだよ」
 観覧車はすでにてっぺんを少し過ぎたところだ。線路やまわりの車もミニチュアみたいに小さく見える。あこの言葉に同意して、窓の外の風景とあこの横顔とを交代に見る。
 もうこの時にはあこに特別な感情を持ち始めていたのかもしれない。観覧車はゆっくりと回っていたが、もっとゆっくりにならないかと願った。
 観覧車から降りると、あこはしきりにデートにおける観覧車の優位性について語る。高いところでテンションが上がったのか、いつもより少し声が大きい。周りを少し気にしながら、あこの話に適当に相づちを打つ。
「やっぱり観覧車は偉大だわ。あの雰囲気にすっかりやられちゃうもん! デートには是非とも組み込むべきね。渉もちゃんとメモっといた方がいいわよ」
「はいはい、ちゃんと心にメモしときました」
「なんか適当! ……あっ、プリクラがある! これも撮ろうよ」
 観覧車の乗り場と同じフロアにあるゲームセンターにあったプリクラの機械をあこが指さした。
「渉ってプリクラ撮ったことある?」
「ないよ。男だけで、撮ってても嫌だろ」
 あこは笑いながら「確かにね」と相づちを打つ。
「……実は私もないんだ。女の子同士だとそういうの好きな子もいるけど、私はあんまり。だからこれが初プリクラ!」
 大手を振って臨んだものの、二人とも初心者のため、思った以上に撮影に手間取る。そもそも、どこを見ていいかわからず、初めの二枚は全然違う方向を向いている写真になった。うまく二人を収めるためには、かなり接近しなければならないことがわかり、残りの二枚は頬が触れそうな距離で写真を撮った。中学生の男子にこのシャンプーの匂いは反則だ。撮影のあとの落書きも初めの二枚に、時間をかけすぎて、中途半端な書き込みのまま制限時間が来てしまう。
「うまく撮れた方から落書きすればよかったね」
 シール出口から出てきたプリクラを取り出し、はさみで切り分ける。
「まあ、初めてだし、次に生かそう」
「さすが渉、前向き!」
 あこから受け取ったプリクラを眺める。頬を寄せ合った笑顔の二人の写真に、少し丸みを帯びたあこの文字で「仲良し」と書かれている。あこはもう少し何かを書き足そうとしていたが、これはこれで記念になるかもしれないとかばんの中に突っ込む。
「あ、これスマホにデータをダウンロードもできるみたいだよ。帰ったらやってみよ」
「へー、そんなこともできんだな」
「ちゃんと送るから待ち受けにしといてね」
「いや、絶対無理‼」
 この悪そうな微笑みは冗談言うときのあこの顔だ。本当にされたらたまったもんじゃない。にやにやと「別にいいじゃん!」と俺を困らせて喜んでいるあこをおいて、サッサと帰り支度を始めた。
 同じ駅を使うのにバラバラに電車に乗る。地元で誰かに見られたらあっという間に噂が広がるだろう。あこを先に電車に乗せて、俺は二本ほど後の電車に乗った。
『今日はありがとう。やってみるとデートってなかなか楽しかった』
 家に着いてスマホを開けると既にあこからのラインが届いていた。初めてのデートってやつで、どうなることかと思ったが、相手があこだから俺も楽しめた。
 こうやって素直に言葉にできるのは、あこのいいところだと思う。どうしても俺は照れて、その辺をぼやかしてしまうのが悪い癖だ。あこには思っていたより楽しめたという旨だけ伝える。
『それだけー? 好きだよとか、愛してるよとかないの?』
『アイシテルヨ』
『うわー! めっちゃ片言。言わされてる感がひどい!』
『いや、実際言わされてるし』
 これ以上、続けるとまた漫才みたいなやりとりが永遠に続きそうなので、適当なところで切り上げる。
明日も朝から部活だ。今日は夏期講習が休みだったが、朝から部活をした後に、あこと出かけたので、さすがに少し疲れている。夕食を取ったらあっという間に眠気が来た。
 三年間続けてきた部活も引退の日が近づいている。夏休みに入ってから最後の大会が始まった。野球部は三つに分けられた地区の中で、まず地区大会が行われ、そこで三回勝ち上がると県の代表を決める中央大会に進出できる。
負けたら引退のトーナメントを俺たちは順調に勝ち上がってきた。俺の出番は最後の方で代打が中心だったが、それでも一回戦は決勝点となる二塁打を打つことができた。
 いよいよ明後日は中央大会の進出をかけた戦いだ。奇しくもあこの引退試合も同じ日だ。テニスは一日に何試合もするので、その日で引退が濃厚らしい。
 わりと野球部とテニス部は仲が良く、今までもお互いの大会の時に応援に行くことがあった。あこの引退試合なので、今回も応援に行ければよかったが、それは難しそうだ。
 中央大会に出たら応援に来てもらえるようあこを誘おう。そのためにはまず明後日の試合を頑張らなければと気合を入れて、早めに休む準備を進めた。
『おやすみ! また明日な』
 おやすみメールはあこに催促される前に送ることができた。その後、あこから送られてきたプリクラの写真に気づいたの次の朝になってからだった。
 蝉の声がいつまでの鳴り響き、焼けつくような暑さで、グラウンドにまかれた水もすぐに蒸発してしまう。ベンチで応援をしているだけでも、流れる汗が止まらない。
 ゲームはすでに七回の裏を迎えている。中学校は七回までのゲームで、このまま同点だとタイブレーク、それでも決まらなければ抽選だ。今日はまだ出番はない。
 この回は一番からの好打順。先頭バッターが右中間を破る二塁打で出塁すると、二番バッタがきっちりとバントでランナーを三塁に送る。
 サヨナラのチャンスにスタンドの応援も熱が入る。応援と言っても、中学生の大会なので、来ているのは保護者やすでに引退した部活の友だちなんかだ。それでもやっぱり普段以上の声援は力になる。 フルカウントに追い込まれてからの意表をついたスクイズで、三塁ランナーがホームに滑り込んだ。サヨナラだ。喜びを押し殺して、整列、最後の礼まできちんと行う。ベンチに戻ってきて喜びを爆発させた。これで中央大会進出だ。
 結局、今日は最後まで出番はなかった。それでも仲間と抱き合って涙を流す。チームとして戦ってきたんだ。だから喜びも分かち合える。勝って兜の緒を締めよと言う言葉もある。ひとしきり喜んだあとのミーティングで顧問からは改めて中央大会に向けての心構えの話があった。
 チームで学校まで帰ってきて、解散した後になって初めて「あこの方はどうなったんだろ?」と考える余裕が出てきた。何だか無性にあこに会いたい。急いで家に帰って、シャワーも浴びずに机の中のスマホを取り出す。ラインの通知が来ている。あこからだろうと思って開ける。
『中央大会進出おめでとう! 見に行ってた友達から聞いちゃった。野球部ほんとすごいね。渉も三年間、がんばってたもんね』
『ありがとう。次もがんばるわ! あこはどうだった?』
 一時間ほど前に来ていたラインだったが、返信するとすぐに既読がついた。でも、そこから返事がなかった。あこもどう返事するか迷っていたのかもしれない。しばらくして返ってきた返事は一言こう書いてあった。
『私は二回戦で負けちゃった』