『明日、楽しみにしてるね! おやすみ~』
 シャワーを浴びている間にあこからのメールが来ていた。文末にはハートマークがついている。相変わらずハートマーク一つに、少しにやけてしまう自分は、十年前と何一つ成長していない気がした。
 正直、この一週間のあことのメールのやりとりは楽しかった。十年前よりは場数を踏んだ分、少しは主導権を握れるかと思っていたが、相変わらずあこに振り回されっぱなしだ。でも、その振り回されていることを、素直に楽しめるようになったことだけが、成長かもしれないと無理やり自分を納得させる。
 あことのやりとりの中で、忘れかけていた十年前の思い出も少しずつ鮮明になってきた。結局、二人の『恋愛ごっこ』は二週間ほどで終わってしまったが、もし続いていたらどうなっていたのだろう? 
 あの時、俺の中では少しずつあこの存在が今までと変わっていった。でも、それは不発弾のように、中途半端に想いをつめて爆発することなく深く埋められてしまった。自分の中で無理やり決着をつけた想いが、少しずつ掘り返されているような気持ちだ。
 あこにとってはどうだったのだろう? 昔の思い出の一つと割り切れているのだろうか? それとも……。
 『恋愛ごっこ』の続きをしたところで、答えは変わらない。違った未来も生まれない。あこはもうすぐ結婚するんだから。
 日曜日がやって来る。週に一回の約束の日だ。
 実際にあこに会う事には、実は若干の抵抗があった。十年の月日が思い出を美化していた可能性もあるし、もしかして自分の知っていたあことまるっきり変わっているかもしれない。昔みたいにうまく話せるだろうかなど、不安もないわけではなかった。
 フェイスブックのプロフィール写真のあこを見る。それでもやっぱり今のあこに会いたい。できればあの時の音信不通の理由や、どう思っていたのかを直接聞きたい。この一週間でやりとりを重ねる中で、その想いが強くなっていった。
 日曜日だからといって、いつも休めるわけではない。朝から終わりきらなかった仕事を片付けて戻ってくると、時刻はもう二時をまわっていた。約束は五時からなので、まだ十分時間はある。
 帰りにコンビニで買ったサンドイッチとカフェラテを食べながらスマホを取り出す。メッセンジャーの通知が一件。あこからのものだろう。今どきフェイスブックのメッセンジャーを使うことはまれだ。他の同僚や友人との連絡や交流はラインやインスタのDMがメインになっている。それだけにメッセンジャーはあこ専用になっていて、かえってわかりやすくて重宝している。
『お仕事お疲れさま! 私は適当にぶらぶらしてるから、遅れそうならまたメールしてね』
 ハムとチーズとレタスの挟んであるサンドイッチを頬ばりながら返事を打ち込む。レタスのシャキッとした歯ごたえの後、みずみずしさが口内に広がった。
『大丈夫。もう戻ってきたから、時間には間に合いそう』
 メールを送ってすぐさま、あこから返事が返ってくる。
『了解! 渉がどれだけ男前になってるか楽しみ~』
『俺はあらゆる不測の事態を想定して、なおかつハードルを思い切り下げとくわ』
 俺の冗談に対して、あこは『怒』の一文字で返してきた。
カフェラテをすすりながら、頬を膨らませるあこを想像してにんまりとする。すぐさま『それじゃあ後でね、着いたらメールして』と来ていたので、本気では怒っていないだろう。
 今日はこのあたりでは一番栄えてる街で会うことになった。とりあえず食事に行くぐらいしか予定は決まっていない。どちらかというと綿密な計画を立てていないと不安になる方だが、久々でもあことなら何とかなるだろうと高を括っている。
 それに思い出も二人の時間を埋めてくれるだろう。初めて二人で出かけたのもこの街だ。中学生にしては少し背伸びしたが、地元で誰かに見られたら大変だということで、わざわざバラバラに電車で出かけて、向こうで待ち合わせをした。
 毎日のように会うあことの待ち合わせなのに、街に出てするとすごく緊張したのを覚えている。
 懐かしいなとあのころを思い出しながら、出かける準備をする。着ていく服はいろいろ迷った結果、ジーンズにカットソーという無難な服装にした。あんまり気合を入れすぎるとあこに馬鹿にされるのが目に見えている。
 あえて何でもないという外面をするが、中身は緊張している。家を出てすぐに財布を忘れたことに気付いて、慌てて取りに帰る失態だ。
 何とか駅まで小走りして、予定していた電車に駆け込む。高校卒業で野球はやめたので、本格的な運動をしなくなって六年ほどになるが、これぐらいのダッシュで息が切れているのは、さすがにやばいと思った。窓に映った息切れしている自分を見て、ジムにでも通おうかと本気で思う。
 滝のように流れる汗も、電車の冷房でだいぶ引いた。乗換えを二回して、目的の駅で降りるときにあこに連絡を入れる。
『そろそろ着くよ。どこにいる?』
 人が多すぎてスマホを開けないので、改札を出て少し奥まったところに立ち止まって返信を確認する。
『いつものところ』
 一応、心の中で「ここで待ち合わせするの二回目!」とツッコんでおいて、乗換駅と百貨店が直結しているアーケードに向かって歩き出す。このあたりで一番大きな本屋に隣接する大型の液晶モニターの下。待ち合わせスポットとして有名なこの場所で、十年前も待ち合わせた。あの時は確か先に俺が着いて、あこを待っていたはずだ。
 十年の月日で街並みは少し変わってしまったけど、相変わらずそこは待ち合わせの人であふれている。たくさんの人影の中でも、すぐに見つけた。あれだ。
「あこ!」
 自分が思っていたより、大きな声が出てびっくりする。
俺の声に反応して、うつむいてスマホを触っていたあこが俺に気づいた。目と目があった瞬間、あこが軽く手を挙げた。俺も同じように手を挙げて応える。
 もうそれで十分だった。白いワンピースに身を包んだあこにかけよる。本当は手を取って再会を喜びたいぐらいだったが、そこは自制して近くでもう一度「あこ」と呼びかける。
「さっすが、渉! ちゃんといつもの場所、覚えててくれたんだね」
「ああ、まあ二回目だけどな」
 今度はちゃんとツッコめた。
「ひさしぶりだな、あこ」
 改めてあこのことを正面からきちんと見る。悔しいけどきれいになった。
あのショートカットの男勝りだったあこが、十年経つとこうも変わるんだと正直驚く。清楚な白のワンピースに、胸は少し控えめだけど、すらっとした立ち姿は、大人びた雰囲気を持っていた。
「うん、ひさしぶり! 背大きくなったね」
 あこが自分の頭に添えた手を、俺の首のあたりに持ってきて、背を比べる。
「昔は私とほとんど変わらなかった!」
「ああ、高校入ってから急激に伸びたんだ。男前になって見違えたか?」
 冗談っぽく言ってみる。
「うん、どっちかっていうとイケメン」
「……なんだよその微妙な表現!」
「どっちかっていうとブサイクって言われるよりいいでしょ?」
「まあ、そりゃそうだけど」
 あこは笑っているが、うまくあしらわれたみたいで、釈然としない。
「ねえ、私は十年ぶりに会ってみてどう? 感想を十文字以内で答えよ」
 あこの質問に少し考えて、素直な気持ちを言葉にする。
「きれいになった」
 俺の反応が意外だったのか、「えっ⁉」と驚いて、とまどいを見せる。しばしの無言の後、顔を真っ赤にしてあこが俺の背中をバシッと叩いた。
「もう! 真顔でその返しはズルい!」
 半分以上、本気だったのに、あこは冗談だと思ったようだ。
「さ、お腹減ったし、ご飯いこ!」
 あこは俺の横に並ぶと、自然に腕を絡めてくる。驚いた俺があこを見ると「はい、『恋愛ごっこ』中です!」と返してきた。
「さあー、今日はひさびさだし、とことんまで飲むぞー!」
 まわりにまで聞こえそうな大きな声であこが叫んだ。
「それ、おっさんの発言だからな!」
 平静を装ってツッコミを入れるが、全神経は左腕に集中している。左腕にあこの体温が伝わる。からめているあこの右腕はすごく柔らかくて、お互いの呼吸が感じられる距離に、速くなっている鼓動がバレるんじゃないかとひやひやする。
 客観的に今の二人を見たら、恋人以外の何者にも見えないだろう。なんとなくその後の話題をうまく出せずに、しばらく無言で、人通りの多いアーケードを進んだ。日曜日だけあってアーケードにはたくさんの人がいる。駅から離れる方向に人の流れに従って歩いていった。人混みの中で、自分たちの日常も隠しこむ。この瞬間だけは、あこがもうすぐ結婚するという事実を忘れようとしていた。
 夕方になってやっと少し涼しくなってきたが、掌はやけに汗をかいていた。喉もからからなので早く潤したい。料理の好き嫌いは特になく、酒も飲めるということなので、アーケード沿いをしばらく歩いたビルの地下一階にあったダイニングバーに入ることになった。
 お互い入ったことのない店だったが、何となく雰囲気がよかったのと、早く落ち着いて話したいということで、駅からそれほど離れていないこの店にした。
 店内は落ち着いた雰囲気で、キャンドルで照らした灯りが、幻想的な雰囲気を醸し出している。予約なしの飛びこみだったが、すぐに個室のソファーシートに案内してもらうことができた。
 対面ではなく、二人が横並びに座るタイプの部屋だ。腰かけた黒い革張りのソファが思っていたよりは硬かった。俺はビール、あこはファジーネーブルで乾杯する。料理はあこが適当に注文してくれた。
「まさかこうして、あこと酒を飲む日が来るとは思わなかったな」
「うん、あのはなたれ小僧だった渉がこんなに成長して……」
 あこはうんうんとうなずきながら、感慨深げにしているが、一応ツッコんでおく。
「いや、垂らしてねーし! あこは相変わらずだな」
「何言ってんの! すごく大人っぽくなったでしょ?」
「あんまり変わんねーよ」
「うそー! さっき『きれいになった』って言ったくせに」
 うっ……痛いところをついてきやがる。さっき思わず出た言葉をとらえて、あこが勝ち誇っている。
「精神年齢はあいかわらずってことだよ」
「あははっ! でも、それは渉もじゃん」
「……違いねぇ」
 そう言って目の前のチーズを一切れ、口に放り込む。あこもグラスを傾け、一口お酒を飲んでから、こちらをじっと見る。
「体は大人、頭脳は子どもの逆コナン。どうしてこうなっちまったかな?」
「私は嫌いじゃないよ、逆コナン。十年ぶりにあった渉が、急に世界情勢とか経済とか語りだしたら、どう接していいかわかんないもん」
「まあな。でも、俺は本当は普段、英字新聞広げて、経済と世界平和とかを熱く語ってるから」
「はいはい」
 全く成長していないと思われてもしゃくなので、盛ってみたが、あこはマドラーでファジーネーブルのグラスを混ぜながら、それを受け流す。
 注文していた料理が届き始め、会話はいったんそこで途切れる。イタリアンがメインの店なので、シーザーサラダにクリーム系のパスタ、マルゲリータのピザなどがテーブルに並ぶ。チーズの焦げた匂いが食欲をそそる。
「おいしそー」
 あこは歓声をあげる。取り皿にサラダとパスタを取り分けてくれているので、その間にピザをカットしておいた。あこが取り分けた大盛りの方の皿を目の前にまわしてくれる。
「サンキュ! あこ昔からイタリアン好きだよな?」
「うん、渉もでしょ?」
「ああ、サイゼリヤからずいぶん進歩したもんだ」
 十年前はサイゼリヤでイタリアンを食べた。たいしてお金を持っていない中学生にとって安くイタリアンを食べられるサイゼリヤは強い味方だった。ドリンクバーで長い間粘っていた昔を思い出しておかしくなる。
 濃厚なクリームソースのパスタに合いそうだったので、二杯目は白ワインにした。俺のおかわりを見て、「あたしも」と乗っかる。俺もそんなに強くはないが、まだ一杯しか飲んでいないのに、あこはすでにほんのり頬が赤くなっている。まあ、変な絡み方をしてこず、ご機嫌にしているので迷惑はかからない飲み方だ。
「あこ、大丈夫か? 調子乗って飲んで飲みつぶれんなよ」
「何言ってんの! 私はザルよ、ザル!」
「おっさん臭えな」
 あこの言動見て、あきれるの半分、かわいらしいと思うの半分だ。「ありの~ままの~」突然、あこが歌い出す。数年前のディズニーアニメのテーマソングだ。
「……でも、こうやって素でいられるのも渉が相手だからよ」
「それ褒められてるのか? 何か単純に男として見られていないだけじゃ……」
「もう! ちゃんと褒めてるのにー。安心できるってことだよ」
「それだったら、旦那もそうだろ?」
 思わず言葉に出した後に「しまった!」と思った。あこの顔が少し曇った。
「……あの人は、そんなんじゃないよ。それに……」
あこが肘で俺のわき腹をつく。
「今は渉と『恋愛ごっこ』中でしょ?」
 うまくはぐらかされてしまった。あこはこの話題になるといつもこうだ。
この一週間、メールのやりとりの中でも、何度か結婚相手について聞いたことがあった。そのたびに話題を変えられたり、はぐらかされたりで、結局、何一つわからない。
 あこにとってはあまり知られたくないことなのだろう。それ以上、無理につっこむことはやめておいた。
「そういや渉は今でも野球やってるの?」
「いや、高校までで、もうやめちゃったよ。十分やりきったしな」
 小学校高学年から始めた野球は、高校で引退するまで八年間続けた。結局、中学、高校では一度もレギュラーになれたことはないが、それでも十分やりきったと言えるぐらい、青春時代の情熱を白球に出し尽くした。
 やめたいと思ったことは何度かあったが、それでも最後まで続けられたことが、自分にとっての誇りだった。あのころの仲間とは今でも年に一度ぐらいは集まる。
「あーあ、もう長尾中学校の秘密にしときたい兵器の活躍も見られないのかー」
 ワイングラスを持ち上げながら、独り言のようにあこがつぶやいた。俺は横でプッと吹き出した。
「何だよ、秘密にしときたい兵器って!」
「だって最後の大会もそうだったでしょ。あんなにチャンスで回ってきそうで、素振りして待っていたのに、前の人がダブルプレーで試合終了だったもんね」
「えっ!?」
 懐かしそうに語るあこの言葉に一瞬戸惑う。
「どうしたの?」
「ううん……何でもない。よくそんな昔のこと覚えているな」
「まあね、渉がちゃんと朝早くから誰よりも練習がんばっていたこともちゃんとわかっているよ」
 あこが俺の肩をポンポンと叩く。変にあこに褒められるので、逆に照れてしまう。自分のことから話題を逸らそうと、あこに水を向ける。
「あここそテニスは続けているの? 鬼の副キャプは健在か?」
「いや、全然、鬼とかじゃなかったし! みんなから慕われる副キャプテンだったよ」
「自分で言うなよ。後輩をしごく姿は十分怖かったけどな」
「あれは愛情!」
 何に対しても本気で取り組むのがあこのいいところだが、後輩から見たら恐怖の対象だったろう。そうでなくとも女子の部活の方が、上下関係にうるさいのはよくあることだ。
「あっちに行ってからはそれどころじゃなかったから、テニスは高校でも続けなかった。高校の体育の選択授業でしたのが最後かな」
 てっきりあこはテニスを続けているものだと思っていたから、その返事は意外だった。ちょうどいいタイミングだと思い、ずっと聞きたかったことを聞いてみる。
「なあ、あこ」
「……何? あらたまっちゃって」
「あのときいったい何があったんだ?」
 あこの表情がわずかに曇る。同時にいつかはその質問が来ると覚悟をしていたようでもあった。
 今でも覚えている。あこと連絡がつかなくなったのはあの夜だ。中学校での野球生活が終了したあの日、ネクストバッターサークルで一発逆転を夢見ていたあの日。
 球場で散々仲間と泣いて、家に帰った後に無性にあこと話がしたくなった。いつもはラインのみだったのに、初めて電話をかけた。
 あこの元につながらなかった電話……あの時、俺は何が言いたかったんだろう?
「何か事情があったんだろ?」
「……うん、まあ……」
 あこは言いにくそうにしていたが、意を決したのかぽつりぽつりと話し出した。
「ほら、私の家……ちょっと複雑だったの覚えてる? あのころ一緒に暮らしていた父親は本当の父親じゃなくて……あの小五で引っ越してきたときは、母が再婚してこっちに来たんだよ」
「ああ、それは何となく覚えてる」
 昔にあこから聞いたことがあったような気がする。確か家関係であこがしばらく休んでいて、塾帰りの菅原神社で相談に乗ったはずだ。あこの方をじっと見て続きを待つ。
「初めのうちはよかったんだけど、段々と折り合いが悪くなって、お母さんや私たちに暴力を振るうようになったの……それが段々エスカレートして、お母さんも別れようとしたけど、その話を切り出そうとすると殴られて」
 あこの顔が引きつる。思い出すのもつらい出来事なのだろう。
「あの日、ついにあいつがいない間に、私と母親、妹で逃げ出したの。行き先がバレないように、携帯なんかも全て解約して、本当にこの街から私たちの痕跡を消すって感じだった。母親はもともと弁護士さんにも相談して、その日に夜逃げをしようと準備を進めていたみたいで、学校にも絶対に誰にも行き先を教えないように口止めした。裁判で離婚が成立するまでは、ずいぶんと時間がかかった……その間にあいつに出くわさないように、この街に寄りつかないことはもちろん、こっちの友達に連絡することさえできなかった」
 夏休みが終わった後、急にいなくなったあこに連絡をとろうとしたのは俺だけではなかった。でも学校から一切連絡先を教えてもらえなかったのは、こういう理由があったのか。
「こっちの友達なんかとも連絡をとってみたかったけど、ずっと怖くてできなかった。でも、一年半くらい前に、弁護士さんを通じて、あの元父親が亡くなったことがわかった。それからかな、この近くに戻ってきたの」
 ずっと手に持ったグラスを見つめながら話していたあこがこちらに向き直す。
「……ずっと気になっていたんだー。もし、あの時、『恋愛ごっこ』続けていたらどうなっていたのかって」
 それは俺も同じことを考えたこともある。もしかすると今と少し違った未来があったのかもしれない。
「なんか湿っぽい空気になっちゃったね。はい、私の話は終わり! 気を取り直して飲み直そ!」
 あこは無理やりグラスをぶつけて、乾杯する。
「……あこ」
「もう! 暗くならないでよ! その分、青春を取り戻すんだから! ほら、せっかくのデートだから楽しい話しよ、ねっ?」
 そこからあこはあまり、昔の話に触れようとしなかった。俺もなるべく話題がそちらに向かわないように心がける。酒量も進んでいき、店を出るころにはお互いにいい感じに酔っぱらっていた。
 まだ八時前なので解散には少し早い。相変わらずアーケードは人であふれている。生ぬるい風の中を二人で並んで歩く。また腕をからめてきたあこをさっきより自然と受け入れることができた。やっぱり酔っているのかもしれない。
 いつもより少しゆっくり歩いて、左隣に歩調を合わせる。酔っぱらっているからか、あこの鼓動も早くなっている気がする。
「あっ!?」
 あこが何かを見つけて指をさす。
「あれ、乗ろ!」
 あこが指さした先に大型のショッピングモールの五階から接続する観覧車があった。
十年前はまだオープンしたばかりで、観覧車にはすごい行列ができていた。「もういいじゃんか」と言う俺に、あこは「二人で観覧車がデートの基本!」と言い張って、四十分ほど並んで二人で乗った。
「そういや、昔も乗ったな」
「うん、せっかくだから行こうよ」
 あこが俺を引っ張るようにして、そちらに向かう。仕方なくあこの希望を聞いて、観覧車につきあった。観覧車から見る夜景はきれいだった。こうやって高いところから夜景を見るなんていつぶりのことだろう? 十年前は昼間に観覧車に乗ったので、こうやって宝石のように輝く街は見られなかった。あことこうやって観覧車に乗るのは二回目のことだが、密室で二人はやっぱり緊張する。一気に酔いもさめたような気がする。
 あこの思い出巡りはとどまることを知らない。
いつの間にかプリクラのおまけつきだ。まだ結婚はしていないが、一瞬、旦那のことがよぎり、プリクラは拒否しようとしたが、あこはどうしても十年前をなぞらえたいみたいで、結局、それに従った。
 観覧車とプリクラですっかりご機嫌になったあこと駅で別れた時には九時をまわっていた。ここからなら一時間もあれば家に帰れるので、しこたま飲んだとはいえ、無事に月曜日の仕事を迎えられるだろう。
 駅についた後も、終電カップルじゃないが、三十分ほど立ち話をしてから別れた。別れてすぐにあこからメールが届く。
『今日は楽しかった! 本当にありがとう。何か青春を取り戻したって感じ!』
 別れてすぐにメールとか、本当につきあいたてのカップルみたいだなとにんまりとする。一方で胸の奥でチクリと小さな痛みも走る。
 確かに今日は楽しかった。青春を取り戻したとあこが言ったが、まさにそんな感じだ。でも、思い出は思い出だから楽しい。新たな始まりを予感するには、少し遅すぎたみたいだ。あこは一体どう思っているのだろう? あこが「遠く」に行ってしまう前に俺にはいったい何ができるだろう? メールはすぐに返信しなかった。財布からさっきあこが切り分けてくれたプリクラを取り出す。そこに写っているついさっきの二人の姿を改めて見た。
 あの日、あこが消えた理由はやっとわかった。ずっとこの十年、胸の奥に引っかかっていた「あこがなぜ消えた?」かは判明した。胸のつっかえは確かに解消されたはずなのに、まだすっきりはしない。十年経ってなぜまた『恋愛ごっこ』を始めたのか……最初に聞いたあこの話は、今思うと納得できるものではない。
 いろんな感情が混ざり合って、整理できていないのだろうか? これから結婚するというあこの現実を受け止められないから、一つ一つに意味づけを無理にしようとしているのか? それでも今日、あこと会ってわかったことが一つだけある。
 あこは嘘をついている。