「さとちゃんのどこが駄目なの? さとちゃん泣いてたよ」
夜の菅原神社で、俺はあこの尋問を受けていた。途中まで同じ方向に帰る俺とあこは、塾帰りに一緒になることが多い。今日はあこの方から「話がある」と言ってきて、帰りに神社で捕まった。
塾から二人の家への道のちょうど分かれる場所にあったこの小さな神社は、塾帰りにちょっと話をするにはちょうどよかった。入ってすぐのところに自転車を停めて、境内に続く数段の石段のところに並んでちょこんと座る。境内はクヌギ林に囲まれ、周りとは隔離された空間だが、鳥居越しに通りまで見渡すことができ、少し薄暗いが中学生でもそんなに危険を感じるようなことはなかった。あこに呼ばれた時から、心あたりはあった。
たぶんこの前の日曜の山川聡子のことだろう。どうして女子というのは、こうも仲間意識が強いのだろう? そのくせ集団同士ですぐ揉めたり、仲間外れなんかが起こる。まあ、こいつの場合は少し例外で、ただのおせっかいだろな……目の前のあこを見て思った。きれいに切りそろえられたショートカットに、ジーンズ姿。よく言えばボーイッシュという表現ができなくもないが、あこの場合は男勝りという言葉が合っている。
小五の途中で転校してきたあこは、その姉御肌のからっとした性格からか同性の女子からは好かれていたが、男子特有のからかいなどに対しても動じず、むしろやり返すこともあったので、大部分の男子からはうっとおしがられていた。小学校の時に一度、そんなからかいの対象が、あこの二つ下の妹に向くことがあった。それはさすがにやりすぎだろと他の男子を止めに入り、妹をあこの家まで送っていったのがきっかけで、俺はあこと仲良くなっていった。
仲良くなってみると、何でも男子と同じノリで話せるので、俺にとっては、数少ない仲の良い女子になった。中学校になると男子も少しだけ大人になって、明るく活発なあこは、逆に男子からも人気が出てきた。小学校の時を知っている俺からすると、他の男子の掌返しにはあきれたが、あこ自身はそんなこと気にせず、誰とでも仲良くしている。
「別にあこに関係ないだろ?」
俺が全面的に悪いというような、あこの追及に少しふてくされる。いや、悪いのは自分だってことはわかっているんだけど。
「関係ないことはないよ。さとちゃんに相談受けたんだもん」
これだから女子は嫌になる。簡単に友だちに言うなよ……よりによって、あこだし。
「さとちゃんすごくいい子なのに……渉になんてもったいないぐらいだよ」
こっちの都合なんて関係なしで、どんどんとあこは持論を展開し始めた。
「だいたい、振り方が悪い! 大切なことはきちんと会って話さないと」
「……それは俺も悪かったと思ってるよ」
そこに関してはぐうの音もでない。自分でもしまったなと思っているのだから。でも、その時はどうしていいのかわからなかった。何しろ告られるのなんて初めてだったので、すっかり舞い上がってしまった。
中三になっても男子で固まってわいわいしているだけの俺は、ここまで色恋沙汰に縁がなかった。クラスの中にはカップルもいくつかあったり、恋愛こそが青春の中心と言わんばかりの連中もたくさんいた。ただ俺はその横で顧問にバカみたいに走らされる日々を過ごす坊主頭の集団の一人だった。いやそういうと語弊があるかもしれない。
野球部でも女子と仲良くしていたり、彼女がちゃんといるやつもいた。一番仲の良かった氏家にも一つ下の彼女がいたし、武井ちゃんなんかは学年全体でもモテる方だった。そんな中、とにかく俺自身は中三になる今まで、浮いた話の一つもでない男だった。
そんな自分のどこを気に入ったのかわからないが、山川聡子から誕生日に手紙をもらった。
山川とは今は違うクラスだが、小学校で同じクラスだったこともあったので、まったく接点がないわけではない。それでも美術部で、どちらかというとおとなしい性格の山川が自分のことを好きだなんて信じられなかった。手紙には女子特有のかわいらしい文字で、誕生日の祝いの言葉と昔から好きだったということ、もしよかったら自分とつきあってほしいとの旨が書いてあった。
山川の好意は素直にうれしかった。家に帰ってから何度も手紙を読みなおして、一人でニヤニヤしたりもした。最初は山川の申し出を断る理由なんてないと思っていたが、何度も手紙を読み直しているうちに、本当にそれでいいのか? なんてことを考え出した。
山川は本気で自分に好意を向けてくれているのに、自分が軽い気持ちでつきあうのは失礼じゃないか? そもそもつきあうって具体的にどうすることだ?
考えれば考えるほどわからなくなる。こういった時、自分の恋愛経験の少なさが悲しくなる。野球部の仲間に相談することも一瞬考えたが、そんなことをしたら冷やかされて、かえって山川を傷つけることになるのは目に見えている。そうこうしている間に返事をしないまま、二日過ぎ、三日過ぎと時間が経っていった。早く返事を返さなきゃと思いはするけど、山川にうまく伝えるいいタイミングもない。
結局、二日前の日曜日に山川から催促のラインが送られてきて、どう返していいかパニくったまま、断りをラインで済ませてしまった。次の日、珍しく山川が学校を休んだと聞いたので、罪悪感でいっぱいになった。
「なるほどね。渉って思っていたより真面目なんだね」
「……何だよ! 思っていたよりって!」
「だってさとちゃん本当にいい子だよ。私が男子なら、ああいう子を彼女にしたいな」
だいたいの経緯を話すと、あこは少し納得したのか、問い詰めるような口調からいつもの感じに戻った。
「いい子なのはちゃんとわかってるよ。手紙も本当にうれしかった。まさか自分の誕生日を覚えていてもらってるなんて思わなかったし」
「だったらちゃんとそれは自分の口で伝えなよ。いい加減につきあうのも失礼かもしれないけど、気持ちをきちんと伝えないのも失礼だよ」
「それはわかってるよ! 簡単に言うけど、それができりゃこんなに苦労してないって!」
近くにあった小石を軽く蹴った。転がった小石が停めてあった自転車のスタンドにこつんと当たって跳ねる。
あこはそんな俺を見て、あきれたようにため息をつく。
「あーあ、さとちゃん、こんなバカをどうして好きになったんだろ?」
「だからバカは余計だって! これでも真剣に悩んでんだぞ」
「わかってるって! 暑苦しいから大きな声を出さないの」
あこは手で顔のあたりを扇ぐ。夜だというのにかなり蒸し暑くなっている。昼よりはだいぶ静かになったが、まだジリジリと蝉の声が聞こえる。
「結局、渉は練習が足りないのよね。女の子にあんまり免疫がないでしょ。いっつも男子で固まって、あんまり女子と話しているの見たことないもん」
それは図星だ。中学生になってからは、昔以上に女子という存在を意識してしまってうまく話せない。
「男同士でいる方が楽なんだよ。気をつかわなくてもいいし!」
「そんなこと言ってるから、いざというと時にラインで返す子になっちゃうのよ」
「いや……それは……」
あこの言いように、返す言葉がない。
女子と全く話さないわけはないが、休み時間は男子と騒いでいるし、授業中は机にふせてしまっていることも多いので、こうした塾帰りにあこと話す以外は、必要最低限を除いてほとんど女子と話すことがない。
せめてクラスにあこがいてくれれば、そこから他の子とも話す機会が生まれるかもしれないが、残念ながら中学の三年間は一度もあこと同じクラスになっていない。まあ、クラスにいたらいたで、ガミガミとうるさく言われそうなので、その距離がちょうど良いのかもしれないが……。
「だいたい、渉は今、好きな人いるの?」
「は?」
あまりの直球な、あこの質問に戸惑う。
「なんでそれが関係あんだよ」
「だって、まず好きな人つくるのが恋愛の最初じゃん。その反応はさてはいるな?」
「いねーよ!」
「本当に? 本当は好きな人がいるから、さとちゃんのこと断ったんじゃないの?」
そう問われたので、改めて考えてみたが、きっとそうじゃない。
「違うって! 山川とのことはそんなんじゃない」
あこはまだ疑いの目を向けているが、そういうのじゃないんだ。
「つきあうってことのイメージがわかないっていうか、どういう状態がつきあってるってことだろとか、いろいろ考えちゃって……」
「ふーん、難しく考えすぎじゃない? もっと気軽に考えたら? 一回つきあって、だめだったらすぐ別れたらいいのに」
「そんな練習みたいな失礼なことはできないよ」
真面目に答える俺を見て、あこはプッと吹き出し、しまいには大笑いしだす。
「なんだよ! 他人事だと思って!」
「ごめん! ごめん! でも、それが渉のいいところだよね。私は嫌いじゃないよ」
よっぽどおかしかったのか、目に涙までためている。
「よし! それじゃあ、私が力になってあげるよ。さとちゃんにも頼まれてるし」
「えっ!? どういうこと?」
「何をとちくるったかわからないけど、渉はあこのことが好きかもしれないから、渉のことは私に任すっていわれたの」
あまりにぶっ飛んだ会話に思わず、むせかえってしまう。ゴホゴホと咳をする俺の背中をバシバシとあこが叩く。
「ちょっと、大丈夫? もしかして本当に私のこと好きなの?」
「そんなわけあるか!」
全速力でつっこみを入れた。あこがニヤニヤしている。これは完全にからかっている顔だ。
「あまりに斜め上の話が出てきたから、むせただけだよ」
「そうなの? てっきりあのクリップモーモーは愛の贈りものかと……」
「お前、もうあれ返せ!」
あこが「嫌だー」と言いながら、俺のチョップから逃げる。
クリップモーモーと言うのは、修学旅行で俺が買ってきた牛のぬいぐるみで、背中のところを押すと前足の部分がクリップのように挟み込める代物だ。側面にはチャックもついていて、小物を入れることもできる。
修学旅行の前日に自転車でこけて足を折り、修学旅行に参加できなかったあこに、修学旅行先で立ち寄った牧場で、そのクリップモーモーを買って帰った。もちろん俺がそこまで気を回せるわけではなく、出発の朝に「必ずおみやげを買って帰るように!」との指令が来ていた。楽しみにしていた修学旅行の欠席が決まったあこはさすがにかわいそうだったので、その指令に従うことにした。一応、リクエストを聞くと「渉のセンスに任せる」とのことだったが、これが返って俺を困らせた。迷いに迷った挙句に買ったのがクリップモーモーとご当地のせんべいだ。
あこのことだから一緒に渡したせんべいの方が喜ぶかと思ったら、意外にもクリップモーモーの方を喜んでくれた。
しかし、まさかそれをこんなところでいじられるなんて!
「はいはい、とりあえず冗談はこれぐらいにして、ほんとに私が力になってあげるよ。ようは、渉には恋愛とかつきあう練習がいるってことでしょ? あこちゃんに任せて!」
これはよくない傾向だぞ。完全にあこは良からぬことを考えている顔をしている。こういう顔をしているときのあこに関わるとろくなことがない。
俺が「別に間に合ってるからいいよ」と言うより早く、あこが自分の思いつきを嬉しそうに提案した。
「ねえ『恋愛ごっこ』とかどう?」
「は?」
「だから『恋愛ごっこ』よ! つきあうってことのイメージがわかないなら、本当にじゃなくて、ごっこ遊びとしてつきあってる感じをつかんでみたらいいんじゃない?」
「いやいやいや、すごいこと思いついたみたいに言ってるけど、全然すごくないから。だいたい、誰がそんなことに協力して……」
あこがにこにこしながら自分を指さしている。異論を許さないその笑顔は反則だ。
「……あこ!?」
「ちゃんと責任もって協力してあげる!」
「ええっ!? いやいや、あことつきあうとか無理だって!」
「失礼ね! 本当につきあうんじゃないでしょ! あくまで『恋愛ごっこ』なんだから。そんなこと言ってて、そのうち本当に私のこと好きになっても知らないからね」
あこは自信満々にしているけど、それはない。確かにあこは話しやすいし、一緒にいて楽しいけど、それはあくまで友達としてだ。恋愛の対象としてあこを見たことなんて一度もない。
「それは絶対ないから大丈夫!」
言葉に力を込めて言い放つ。
「ちょっと自信満々に言いすぎでしょ。渉はまだ私の魅力に気づいていないだけなんだから」
「たぶん一生気づくことないと思う……」言いきる前にあこがグーで素振りをしているので、やめておいた。
「それじゃあ、『恋愛ごっこ』が終わっていた時に、相手のことを好きになっていた方が、負けね。期間を決めないと……」
「ちょっと待てよ‼ 勝ち負けとかいらねーだろ?」
「渉は私を好きになることないんでしょ? それじゃあ、負けることないじゃん」
「それはそうだけど……」
そもそも、その『恋愛ごっこ』とやらを、まだやるとは言ってないんだけど……。ただ、あこの様子を見るともうやる気まんまんといった様子だ。
「期間は夏休み中がちょうどきりがいいかな? 今週で一学期も終わりだし、そこからスタートで、夏休み最後の日が『恋愛ごっこ』も最後の日。その日に、もう一度ここで集まって、もし好きになっていたら相手に告白する……これでどう?」
「これでどうって……二人とも別に好きになっていなかったどうすんだよ?」
これは想定していなかったらしく、あこは上を向いて「うーん」と考え込んでいる。十分ありえるだろうに、どんなけ穴だらけの計画なんだよ。
しばらく考えていたあこだったが、勝手に一人でうんうん納得した表情をみせる。
「そのときは引き分けでいいんじゃない? でも、たぶんそうならないよ」
「なんで?」
「それは、女の勘!」
あこは意味深な笑顔を見せる。
今まで意識したことはなかったけど、あこのいたずらっぽく笑った表情を初めてかわいいと思った。
「それじゃあ、もう少しきちんとルールを決めて、またメールするね。遅いし、そろそろ帰ろっか」
あこは自分の言いたいことを言いきると、後はあっさりしている。
家に帰った後も、さっきの『恋愛ごっこ』のことが頭から離れない。ついこの間までは山川の返事のことで悩んでいたのに……ごめん、山川。
夏休みに入ったらすぐに部活の最後の大会が始まる。明日も朝練で早いので、帰ってすぐ布団に入ったのに、なかなか寝つけない。無理やり目を閉じて、横になっていてもさっきのことばかり頭に浮かぶ。
枕元に置いてあったスマホが振動した。
ラインの通知が来ていたので、急いで開くと、予想通りあこからだ。
『恋愛ごっこのルール考えたよ~』の一文の後に、ルールの詳細が書いてあった。
・『恋愛ごっこ』の間はお互いを恋人として扱う。ただし、二人っきりの時のみで、まわりに絶対バレないように。
・こまめにメールを送り合う。特に「おはよう」と「おやすみ」は欠かさない。
・週に一回は二人でデートをする。もちろんまわりにバレないように。
・期間は夏休みの間。最終日に菅原神社で集まって、相手に告った方が負け。
『それじゃあ、夏休みからよろしくね~』
よくもまあ、こんなルールを考えたものだとラインを見てあきれ返ったが、普段はスルーする文末のハートマークを妙に意識してしまう自分がいた。
夜の菅原神社で、俺はあこの尋問を受けていた。途中まで同じ方向に帰る俺とあこは、塾帰りに一緒になることが多い。今日はあこの方から「話がある」と言ってきて、帰りに神社で捕まった。
塾から二人の家への道のちょうど分かれる場所にあったこの小さな神社は、塾帰りにちょっと話をするにはちょうどよかった。入ってすぐのところに自転車を停めて、境内に続く数段の石段のところに並んでちょこんと座る。境内はクヌギ林に囲まれ、周りとは隔離された空間だが、鳥居越しに通りまで見渡すことができ、少し薄暗いが中学生でもそんなに危険を感じるようなことはなかった。あこに呼ばれた時から、心あたりはあった。
たぶんこの前の日曜の山川聡子のことだろう。どうして女子というのは、こうも仲間意識が強いのだろう? そのくせ集団同士ですぐ揉めたり、仲間外れなんかが起こる。まあ、こいつの場合は少し例外で、ただのおせっかいだろな……目の前のあこを見て思った。きれいに切りそろえられたショートカットに、ジーンズ姿。よく言えばボーイッシュという表現ができなくもないが、あこの場合は男勝りという言葉が合っている。
小五の途中で転校してきたあこは、その姉御肌のからっとした性格からか同性の女子からは好かれていたが、男子特有のからかいなどに対しても動じず、むしろやり返すこともあったので、大部分の男子からはうっとおしがられていた。小学校の時に一度、そんなからかいの対象が、あこの二つ下の妹に向くことがあった。それはさすがにやりすぎだろと他の男子を止めに入り、妹をあこの家まで送っていったのがきっかけで、俺はあこと仲良くなっていった。
仲良くなってみると、何でも男子と同じノリで話せるので、俺にとっては、数少ない仲の良い女子になった。中学校になると男子も少しだけ大人になって、明るく活発なあこは、逆に男子からも人気が出てきた。小学校の時を知っている俺からすると、他の男子の掌返しにはあきれたが、あこ自身はそんなこと気にせず、誰とでも仲良くしている。
「別にあこに関係ないだろ?」
俺が全面的に悪いというような、あこの追及に少しふてくされる。いや、悪いのは自分だってことはわかっているんだけど。
「関係ないことはないよ。さとちゃんに相談受けたんだもん」
これだから女子は嫌になる。簡単に友だちに言うなよ……よりによって、あこだし。
「さとちゃんすごくいい子なのに……渉になんてもったいないぐらいだよ」
こっちの都合なんて関係なしで、どんどんとあこは持論を展開し始めた。
「だいたい、振り方が悪い! 大切なことはきちんと会って話さないと」
「……それは俺も悪かったと思ってるよ」
そこに関してはぐうの音もでない。自分でもしまったなと思っているのだから。でも、その時はどうしていいのかわからなかった。何しろ告られるのなんて初めてだったので、すっかり舞い上がってしまった。
中三になっても男子で固まってわいわいしているだけの俺は、ここまで色恋沙汰に縁がなかった。クラスの中にはカップルもいくつかあったり、恋愛こそが青春の中心と言わんばかりの連中もたくさんいた。ただ俺はその横で顧問にバカみたいに走らされる日々を過ごす坊主頭の集団の一人だった。いやそういうと語弊があるかもしれない。
野球部でも女子と仲良くしていたり、彼女がちゃんといるやつもいた。一番仲の良かった氏家にも一つ下の彼女がいたし、武井ちゃんなんかは学年全体でもモテる方だった。そんな中、とにかく俺自身は中三になる今まで、浮いた話の一つもでない男だった。
そんな自分のどこを気に入ったのかわからないが、山川聡子から誕生日に手紙をもらった。
山川とは今は違うクラスだが、小学校で同じクラスだったこともあったので、まったく接点がないわけではない。それでも美術部で、どちらかというとおとなしい性格の山川が自分のことを好きだなんて信じられなかった。手紙には女子特有のかわいらしい文字で、誕生日の祝いの言葉と昔から好きだったということ、もしよかったら自分とつきあってほしいとの旨が書いてあった。
山川の好意は素直にうれしかった。家に帰ってから何度も手紙を読みなおして、一人でニヤニヤしたりもした。最初は山川の申し出を断る理由なんてないと思っていたが、何度も手紙を読み直しているうちに、本当にそれでいいのか? なんてことを考え出した。
山川は本気で自分に好意を向けてくれているのに、自分が軽い気持ちでつきあうのは失礼じゃないか? そもそもつきあうって具体的にどうすることだ?
考えれば考えるほどわからなくなる。こういった時、自分の恋愛経験の少なさが悲しくなる。野球部の仲間に相談することも一瞬考えたが、そんなことをしたら冷やかされて、かえって山川を傷つけることになるのは目に見えている。そうこうしている間に返事をしないまま、二日過ぎ、三日過ぎと時間が経っていった。早く返事を返さなきゃと思いはするけど、山川にうまく伝えるいいタイミングもない。
結局、二日前の日曜日に山川から催促のラインが送られてきて、どう返していいかパニくったまま、断りをラインで済ませてしまった。次の日、珍しく山川が学校を休んだと聞いたので、罪悪感でいっぱいになった。
「なるほどね。渉って思っていたより真面目なんだね」
「……何だよ! 思っていたよりって!」
「だってさとちゃん本当にいい子だよ。私が男子なら、ああいう子を彼女にしたいな」
だいたいの経緯を話すと、あこは少し納得したのか、問い詰めるような口調からいつもの感じに戻った。
「いい子なのはちゃんとわかってるよ。手紙も本当にうれしかった。まさか自分の誕生日を覚えていてもらってるなんて思わなかったし」
「だったらちゃんとそれは自分の口で伝えなよ。いい加減につきあうのも失礼かもしれないけど、気持ちをきちんと伝えないのも失礼だよ」
「それはわかってるよ! 簡単に言うけど、それができりゃこんなに苦労してないって!」
近くにあった小石を軽く蹴った。転がった小石が停めてあった自転車のスタンドにこつんと当たって跳ねる。
あこはそんな俺を見て、あきれたようにため息をつく。
「あーあ、さとちゃん、こんなバカをどうして好きになったんだろ?」
「だからバカは余計だって! これでも真剣に悩んでんだぞ」
「わかってるって! 暑苦しいから大きな声を出さないの」
あこは手で顔のあたりを扇ぐ。夜だというのにかなり蒸し暑くなっている。昼よりはだいぶ静かになったが、まだジリジリと蝉の声が聞こえる。
「結局、渉は練習が足りないのよね。女の子にあんまり免疫がないでしょ。いっつも男子で固まって、あんまり女子と話しているの見たことないもん」
それは図星だ。中学生になってからは、昔以上に女子という存在を意識してしまってうまく話せない。
「男同士でいる方が楽なんだよ。気をつかわなくてもいいし!」
「そんなこと言ってるから、いざというと時にラインで返す子になっちゃうのよ」
「いや……それは……」
あこの言いように、返す言葉がない。
女子と全く話さないわけはないが、休み時間は男子と騒いでいるし、授業中は机にふせてしまっていることも多いので、こうした塾帰りにあこと話す以外は、必要最低限を除いてほとんど女子と話すことがない。
せめてクラスにあこがいてくれれば、そこから他の子とも話す機会が生まれるかもしれないが、残念ながら中学の三年間は一度もあこと同じクラスになっていない。まあ、クラスにいたらいたで、ガミガミとうるさく言われそうなので、その距離がちょうど良いのかもしれないが……。
「だいたい、渉は今、好きな人いるの?」
「は?」
あまりの直球な、あこの質問に戸惑う。
「なんでそれが関係あんだよ」
「だって、まず好きな人つくるのが恋愛の最初じゃん。その反応はさてはいるな?」
「いねーよ!」
「本当に? 本当は好きな人がいるから、さとちゃんのこと断ったんじゃないの?」
そう問われたので、改めて考えてみたが、きっとそうじゃない。
「違うって! 山川とのことはそんなんじゃない」
あこはまだ疑いの目を向けているが、そういうのじゃないんだ。
「つきあうってことのイメージがわかないっていうか、どういう状態がつきあってるってことだろとか、いろいろ考えちゃって……」
「ふーん、難しく考えすぎじゃない? もっと気軽に考えたら? 一回つきあって、だめだったらすぐ別れたらいいのに」
「そんな練習みたいな失礼なことはできないよ」
真面目に答える俺を見て、あこはプッと吹き出し、しまいには大笑いしだす。
「なんだよ! 他人事だと思って!」
「ごめん! ごめん! でも、それが渉のいいところだよね。私は嫌いじゃないよ」
よっぽどおかしかったのか、目に涙までためている。
「よし! それじゃあ、私が力になってあげるよ。さとちゃんにも頼まれてるし」
「えっ!? どういうこと?」
「何をとちくるったかわからないけど、渉はあこのことが好きかもしれないから、渉のことは私に任すっていわれたの」
あまりにぶっ飛んだ会話に思わず、むせかえってしまう。ゴホゴホと咳をする俺の背中をバシバシとあこが叩く。
「ちょっと、大丈夫? もしかして本当に私のこと好きなの?」
「そんなわけあるか!」
全速力でつっこみを入れた。あこがニヤニヤしている。これは完全にからかっている顔だ。
「あまりに斜め上の話が出てきたから、むせただけだよ」
「そうなの? てっきりあのクリップモーモーは愛の贈りものかと……」
「お前、もうあれ返せ!」
あこが「嫌だー」と言いながら、俺のチョップから逃げる。
クリップモーモーと言うのは、修学旅行で俺が買ってきた牛のぬいぐるみで、背中のところを押すと前足の部分がクリップのように挟み込める代物だ。側面にはチャックもついていて、小物を入れることもできる。
修学旅行の前日に自転車でこけて足を折り、修学旅行に参加できなかったあこに、修学旅行先で立ち寄った牧場で、そのクリップモーモーを買って帰った。もちろん俺がそこまで気を回せるわけではなく、出発の朝に「必ずおみやげを買って帰るように!」との指令が来ていた。楽しみにしていた修学旅行の欠席が決まったあこはさすがにかわいそうだったので、その指令に従うことにした。一応、リクエストを聞くと「渉のセンスに任せる」とのことだったが、これが返って俺を困らせた。迷いに迷った挙句に買ったのがクリップモーモーとご当地のせんべいだ。
あこのことだから一緒に渡したせんべいの方が喜ぶかと思ったら、意外にもクリップモーモーの方を喜んでくれた。
しかし、まさかそれをこんなところでいじられるなんて!
「はいはい、とりあえず冗談はこれぐらいにして、ほんとに私が力になってあげるよ。ようは、渉には恋愛とかつきあう練習がいるってことでしょ? あこちゃんに任せて!」
これはよくない傾向だぞ。完全にあこは良からぬことを考えている顔をしている。こういう顔をしているときのあこに関わるとろくなことがない。
俺が「別に間に合ってるからいいよ」と言うより早く、あこが自分の思いつきを嬉しそうに提案した。
「ねえ『恋愛ごっこ』とかどう?」
「は?」
「だから『恋愛ごっこ』よ! つきあうってことのイメージがわかないなら、本当にじゃなくて、ごっこ遊びとしてつきあってる感じをつかんでみたらいいんじゃない?」
「いやいやいや、すごいこと思いついたみたいに言ってるけど、全然すごくないから。だいたい、誰がそんなことに協力して……」
あこがにこにこしながら自分を指さしている。異論を許さないその笑顔は反則だ。
「……あこ!?」
「ちゃんと責任もって協力してあげる!」
「ええっ!? いやいや、あことつきあうとか無理だって!」
「失礼ね! 本当につきあうんじゃないでしょ! あくまで『恋愛ごっこ』なんだから。そんなこと言ってて、そのうち本当に私のこと好きになっても知らないからね」
あこは自信満々にしているけど、それはない。確かにあこは話しやすいし、一緒にいて楽しいけど、それはあくまで友達としてだ。恋愛の対象としてあこを見たことなんて一度もない。
「それは絶対ないから大丈夫!」
言葉に力を込めて言い放つ。
「ちょっと自信満々に言いすぎでしょ。渉はまだ私の魅力に気づいていないだけなんだから」
「たぶん一生気づくことないと思う……」言いきる前にあこがグーで素振りをしているので、やめておいた。
「それじゃあ、『恋愛ごっこ』が終わっていた時に、相手のことを好きになっていた方が、負けね。期間を決めないと……」
「ちょっと待てよ‼ 勝ち負けとかいらねーだろ?」
「渉は私を好きになることないんでしょ? それじゃあ、負けることないじゃん」
「それはそうだけど……」
そもそも、その『恋愛ごっこ』とやらを、まだやるとは言ってないんだけど……。ただ、あこの様子を見るともうやる気まんまんといった様子だ。
「期間は夏休み中がちょうどきりがいいかな? 今週で一学期も終わりだし、そこからスタートで、夏休み最後の日が『恋愛ごっこ』も最後の日。その日に、もう一度ここで集まって、もし好きになっていたら相手に告白する……これでどう?」
「これでどうって……二人とも別に好きになっていなかったどうすんだよ?」
これは想定していなかったらしく、あこは上を向いて「うーん」と考え込んでいる。十分ありえるだろうに、どんなけ穴だらけの計画なんだよ。
しばらく考えていたあこだったが、勝手に一人でうんうん納得した表情をみせる。
「そのときは引き分けでいいんじゃない? でも、たぶんそうならないよ」
「なんで?」
「それは、女の勘!」
あこは意味深な笑顔を見せる。
今まで意識したことはなかったけど、あこのいたずらっぽく笑った表情を初めてかわいいと思った。
「それじゃあ、もう少しきちんとルールを決めて、またメールするね。遅いし、そろそろ帰ろっか」
あこは自分の言いたいことを言いきると、後はあっさりしている。
家に帰った後も、さっきの『恋愛ごっこ』のことが頭から離れない。ついこの間までは山川の返事のことで悩んでいたのに……ごめん、山川。
夏休みに入ったらすぐに部活の最後の大会が始まる。明日も朝練で早いので、帰ってすぐ布団に入ったのに、なかなか寝つけない。無理やり目を閉じて、横になっていてもさっきのことばかり頭に浮かぶ。
枕元に置いてあったスマホが振動した。
ラインの通知が来ていたので、急いで開くと、予想通りあこからだ。
『恋愛ごっこのルール考えたよ~』の一文の後に、ルールの詳細が書いてあった。
・『恋愛ごっこ』の間はお互いを恋人として扱う。ただし、二人っきりの時のみで、まわりに絶対バレないように。
・こまめにメールを送り合う。特に「おはよう」と「おやすみ」は欠かさない。
・週に一回は二人でデートをする。もちろんまわりにバレないように。
・期間は夏休みの間。最終日に菅原神社で集まって、相手に告った方が負け。
『それじゃあ、夏休みからよろしくね~』
よくもまあ、こんなルールを考えたものだとラインを見てあきれ返ったが、普段はスルーする文末のハートマークを妙に意識してしまう自分がいた。



