『あの夏の「恋愛ごっこ」の続きをしよ!』
あこから十年ぶりに届いた連絡で完全に目が覚めた。驚きでひどく喉が渇いたので枕元に置いてあった水を一杯のんでから、もう一度スマホの画面に目をやる。
フェイスブックのメッセンジャー機能で届いたメールには間違いなく「芦田明子」の名前が記されている。
アイコンの写真を拡大してみる。かなり遠めから撮られた写真だ。化粧も覚える女子の顔は、成人式で会った時もほとんどわからなかった。何より最後に会ったのは中三の夏だ。
それでも「芦田明子」と名前の入っている写真は、あの「あこ」が大人になったらこんなふうになるかもしれないと思わせるものだった。
このメッセージを送った「明子」は本当にあの「あこ」なのだろうか? あいつには聞きたいことが山ほどある。
あの夏を境に俺の目の前から消えたあこ。何も言わないまま遠くに行ってしまったあこ。あの時、俺は……。
大昔に蓋をしていた感情がいくつも甦る。
一気にいろんな感情が浮かんで、頭から離れない。駄目だ! 頭を整理しよう。
ベッドから完全に起き上がって、食器棚からマグカップを取り出し、コーヒーメーカーにセットする。コポコポとお湯を沸かす音が響く。その間に洗面所で歯磨きと洗顔を済ませ、少しすっきりした。
昨日は珍しく同僚と、日付が変わるまで呑んでいたので頭が重い。もう一度スマホを開くと、時刻は十時半を指している。本当なら久々の休みの今日は、昼過ぎまでは寝て、一日ごろごろとしている予定だった。
俺の優雅な休日を邪魔しやがって……などとつぶやいてみるが、それが本心でないことは自分でわかっている。
トーストを頬ばりながら、もう一度メッセージを眺める。
『あの夏の「恋愛ごっこ」の続きをしよ!』の文面と「芦田明子」の名前、そして、写真。ふいによみがえるあの夏の記憶。あこを待ち続けた神社。
コーヒーを一口含み、下の上に転がす鼻先にふわっとした香りが広がる。あの夏に戻りかけた気持ちを引き戻し、一度冷静に考える。もしかして詐欺と言うことはないだろうか? あるいは流行りの乗っ取りとかいうやつでは? そう言えば会社の同僚もツイッターでアカウントを乗っ取られて、不特定多数にウイルスの入ったメッセージを送られたことがあるとか言っていた。
……いや、違うな。
自分自身の考えを否定する。『恋愛ごっこ』のことを知っているのは、俺とあこだけのはずだ。あの夏、二人の『恋愛ごっこ』は完結しなかった。
『恋愛ごっこ』をしようではなくて、『恋愛ごっこ』の続きをしようと言えるのは、それがあこ本人だからに違いない。スマホを前にいつまでも考えていても仕方がない。これがあこなら文句の一つでも言ってやる……そう決心して、スマホに打ち込む文を考え始めた。少し文字を打っては、それを書き直しながら、できた文章を眺める。
『あこか? 久しぶり! 恋愛ごっことか懐かしいけど、いきなりどうしたんだ?』
初めはもっと長文を打っていたが、いきなり長いのも何だし、万が一、これがあこじゃなくて、いたずらなんかなら恥ずかしいので、まずはジャブのつもりでこの程度にしておいた。
送信をタップして、返事を待つ。すぐには既読がつかないので、食事を済ませて、スマホでニュースなどに目を通すが、どこか落ち着かない。
最初のあこからのメッセージが十時二十二分だから、まだ三十分ほどしか経っていない。なんだよ……早く見ろよ。悪態をついてみてもスマホは机の上で静かなままだ。
時々、スマホを気にしながら、しかたなく滅多にしない部屋の掃除を始めた。
いつまでも鳴らないスマホを待っている間、年末の大掃除を超える勢いで、隅々まで掃除を始めた。途中でクローゼットに実家から持ってきていた中学校の卒業アルバムがあることを思い出し、それを引っ張り出す。
あこは夏休み中に転校してしまったので、個人写真は載っていないが、一学期の終わりに撮ったクラブ写真には載っていたはずだ。
パラパラとページをめくり、クラブ写真のページを開ける。女子テニス部の写真の真ん中あたりに、テニスウェアのあこが写っている。確かあこは副キャプテンだったはずだ。
テニス部の隣に野球部の写真も載っていて、丸坊主姿の自分も写っている。懐かしさより恥ずかしさが勝っていて、できる限りそれを見ないよう、中学時代とフェイスブックのあこの写真を見比べる。
こうやって見るとずいぶんと違う気もするが、自分も卒業アルバムとずいぶんと違うので、人のことは言えないだろう。あこにはショートカット似合っていると思っていたが、今の肩口までのボブも悪くはない。
他にも写真が残っていないか、隅々までアルバムをめくるが、転校した生徒はできる限り載せないように配慮しているのか、他の写真は四月の初めに撮ったクラス写真の一枚以外は載っていなかった。
そう言えば、中学校の最後の体育祭にも文化祭にもあこはいなかったんだなと改めて思う。クラスも小五の途中に、あこが転入してきてから小学校の間の一年半ほど以外はクラスも一緒になっていない。
あえて言うなら同じ塾に通っていて塾からの帰り道が同じ方向なので、よく一緒に帰ったぐらいだ。
なんであんなことになったんだっけ? あの夏のことを思い出そうとしているところで、スマホの着信音が鳴った。結局、時間はもう三時をまわっている。
『久しぶり! 「あこ」って久々に呼ばれた! 懐かしいでしょ? 何か急に思い出しちゃって、またやりたくなった。あの時、最後までできなかったし』
何だよこれ……あの夏のことを思い出しかけただけに、ちょっと腹が立ってきた。ずいぶん待たせておいて、こんな内容かよ。
だいたいあの時は、あいつが何の連絡もないまま……素早くフリクションして、返事を打ち込む。
『あの時、「恋愛ごっこ」を急に止めたのは、あこの方だろ? 転校は仕方ないにしろ、連絡ぐらいくれてもよかったんじゃないか? だいたい、十年ぶりに連絡したんだから、今どうしてるかぐらい先に教えろよ』
少しきつかったかな? なんて、送った後に少し後悔したが、すぐにいやいやと思い直す。あこは少しずれているところもあるから、これぐらいびしっと言ってやらないと伝わらない。そんなことを思っている間に、今度はすぐに返事が返ってきた。
『あの時はごめん! でも、渉には言えない複雑な家庭の事情があったんだ。それだけはわかってね』
あこが急にしおらしくするもんだから、こちらも気勢をそがれる。あっという間にあこを責める気持ちはしぼみ、フォローのメールを送る。
『うん。ちょっとこっちも言い過ぎた。ごめん! それで今はどうしてるの?』
確かにあこの家は家庭が複雑だとかいうのは聞いた覚えがある。小五の時にこっちに引っ越してきたのも、母親の再婚が理由だったはずだ。言われてみれば、何らかの事情で急に引っ越しが決まったということもありえる。
『もともと普通に就職して、建設会社の事務をしていたんだけど、一年半ぐらい前に退職した。もうすぐ外国に行くことになっていて、こっちで済ましておくことをいろいろしているんだけど、そういえばあの時の「恋愛ごっこ」はきちんと終わらせていないなって思い出して……』
『外国ってどこに? 何で?』
トントンとメールのラリーが続くが、ここで少し間が開いて返事が返ってきた。メールの文字を見て、「えっ!?」っと固まってしまう。
『私、結婚するんだ。彼の外国での勤務が決まっていて、ついて行くことになっているの。それより渉は今、何しているの?』
返事を打ち込む指が止まる。別にここから何かに発展することを期待していたわけではない。あの夏の「恋愛ごっこ」も、今では思い出の一つとして胸の奥にしまっている。それでも、その思い出さえもどこかへ消えてしまう気がした。
『そうなんだ。おめでとう!』
『結婚するのに「恋愛ごっこ」なんてしている場合じゃないだろ』
できる限り感情が平坦になるように心がけて、短文で連投する。
『なんで? 別に本当に恋愛するわけじゃないでしょ? あくまで「ごっこ」だよ。こっちで最後の思い出』
勝手に思い出作りに利用されるのはたまったもんじゃない。
『で、渉は何してるの? 結婚した?』
『システムエンジニア。結婚はしてない』
『うわー! 似合わない! パソコンとかいじってるんでしょ? あと、早くいい人見つけなよ』
『余計なお世話だっつーの』
まだ状況を呑み込めていない俺をおいて、あこはどんどんと話を進める。どちらかと言うと、あこの結婚の話を聞きたかったのにタイミングを逃してしまった。
『はいはい、怒らない、怒らない! それよりどうするの?』
『恋愛ごっこ』
テンポよく続いていたラリーが止まる。
少し思い出してきた。あれは塾帰りの近くの菅原神社でだった。
あの時もこうやって詰められて、流されるまま始めたんだった……いつの間にか、あこのペースに巻き込まれて。もう二度とそんなことは、起こらないとおもっていたが。
改めてさっきあこから出てきた「結婚」の二文字を意識した。自分のまわりも早いやつは結婚しているのもいるけど、自分自身はまだ考えたこともなかった。
今まで人並みに恋愛もして、付き合ったことももちろんあったが、その先まで考えたことはなかった。就職して三年目、まだ自分のことで精一杯なのに誰かと共に生きるところまでイメージがわかない。
大学の四回生からつきあった彼女と就職してすぐに別れて以降は、もう二年以上彼女もいない。
そこまで思考が巡ると、決心してスマホに文字を打ち込む。
『やらない!』
感嘆符こみで、たった五文字の返信を送った。間髪入れず『えっ!?』とあこから返ってくる。
何でも自分の思い通りになると思うなよ! ささやかな抵抗だった。すぐに次のメールを返す。
『……嘘だよ。やるよ。どうせやらないと、延々といたずらメールされそうだし!』
『さっすが、渉! もう呪いの言葉、打ちかけていたとこ』
『まじか!?』
無機質な文字からも、うれしそうなあこの表情が読み取れるようだった。だんだんと感覚が中三のころに戻ってくる。
『それよりメッセンジャーじゃなくてラインとかの方が、やりとり楽じゃね? ID送ろうか?』
『フェイスブックはこれように登録しただけだから、こっちの方がいい。ラインは他のが入り込むからめんどくさいでしょ』
何か完全にアリバイ対策って感じで少し嫌な感じだ。でも、後からややこしいことになるのもごめんなので、渋々それを受け入れる。
『わかったよ。あとで旦那にしばかれるのも嫌だしな!』
少しの皮肉も込めて打ち返す。あこはそのへんの機微はきちんと読める方だ。慌ててフォローのようなメッセージが送られてきた。
『別にそんなんじゃないよ。渉専用にしたいだけ』
『はいはい、何もでませんよー』
『本当なのに……半分くらい!』
『いやいや、半分かよ』
やばいな。十年ぶりだって言うのに、そんなブランクを感じさせないぐらいスムーズにやり取りが続く。夏場で日が長いので意識していなかったが、気づけばもう夕方だ。
結局、俺の優雅な休日が、部屋の片づけと、あことのメールで終わってしまう。休みに見ようとため込んでいたドラマの録画も見られなかった。
それでもこのやりとりを面倒だとは思っていなかった。
『それじゃあ、「恋愛ごっこ」開始だね。ルールは覚えてる?』
『ああ、覚えてる』
あの時決めた約束を思い出しながら、確認するようにスマホに打ち込んでいく。
『・二人っきりのときはお互いを恋人として扱う。
・メールはこまめに! おはよう、おやすみメールは欠かさない。
・週に一回、まわりにバレないようにデート。
・期間は夏休みの間。最終日に菅原神社で集合。好きになって相手に告った方が負け』
よくよく考えると、とんでもない遊びだな。結局、途中であこが引っ越して、音信不通になってしまったので、最後の項目は達成されなかったが、あのまま続けていたらどうなっていたのだろう?
そういや、菅原神社ってまだ残っているのかな? 方向が同じなので、塾帰りにあこと二人で帰るとき、ちょうど分かれ道となる場所にあった小さな神社が菅原神社だった。
鳥居と小さな境内があるだけの菅原神社で、少ししゃべってから帰るのが、塾帰りのお決まりのパターンだ。『恋愛ごっこ』が始まったのも、もともとは塾帰りの菅原神社でのおしゃべりの中からだった。
『すっごい! よく全部覚えているね!』
『俺の記憶力をなめんじゃねーぞ! それより菅原神社ってまだあるのかな?』
『えっ!? もうないの? 渉って地元じゃないの?』
そうか、あこはまだ俺が実家暮らしだと思っていたのか。
『大学から実家出て一人暮らししてるからな……たまに実家に帰っても、そこまで見てないぞ』
『渉って今どこに住んでるの? そもそも遠かったら週一回のデートできないじゃん』
こいつデートまで本当にするつもりだったのか。それこそ目撃されて面倒なことに巻き込まれないといいけど。まあ、飯行くぐらいなら大丈夫か。
今、住んでいるだいたいの場所を伝える。大学の時に通学に時間がかかりすぎるので、一人暮らしを始めたが、一時間半もあれば実家に帰れる距離だ。
『よかった! それなら十分会える距離だ。』
『あこはどこに住んでるんだよ?』
『秘密! 「恋愛ごっこ」終わった後にストーカーになられたら困るし! 笑』
『なるわけないだろ! そっちこそ終わってから婚約解消だとか言うんじゃねーぞ』
売り言葉に買い言葉の応酬も懐かしい。中三の時も好きになるとか、ならないとかから、この奇妙なゲームが始まった。
『楽しみにしてる! 期間も前と一緒でいい?』
『夏休みっていつまでだよ?』
昔は夏休みは八月末まであったらしいが、自分たちのころには授業数の関係だとかで、二学期が一週早く始まるようになっていた。午前中の授業だけではあったが、二十六日ぐらいには始業式があった気がする。
あれだけまとまった休みが取れていたあの頃が懐かしい。今考えるとずいぶん時間を無駄にしたものだ。就職してからのこの二年ちょいは、盆に数日休めれば御の字だというのに。
少し考えていたのか、今までよりやや間があってメールが返ってきた。
『八月最後の日曜日まではどう? わかりやすいし、ちょうど一カ月ぐらいでしょ? 日曜日なら結果発表もできるし』
『結果発表って!? 笑。まあ、それでいいよ』
『よし! それじゃあ決まり! じゃあ、ここから「恋愛ごっこ」始まりね』
こうして、俺とあこの二度目の、いや『恋愛ごっこ』の続きが始まった。
あこから十年ぶりに届いた連絡で完全に目が覚めた。驚きでひどく喉が渇いたので枕元に置いてあった水を一杯のんでから、もう一度スマホの画面に目をやる。
フェイスブックのメッセンジャー機能で届いたメールには間違いなく「芦田明子」の名前が記されている。
アイコンの写真を拡大してみる。かなり遠めから撮られた写真だ。化粧も覚える女子の顔は、成人式で会った時もほとんどわからなかった。何より最後に会ったのは中三の夏だ。
それでも「芦田明子」と名前の入っている写真は、あの「あこ」が大人になったらこんなふうになるかもしれないと思わせるものだった。
このメッセージを送った「明子」は本当にあの「あこ」なのだろうか? あいつには聞きたいことが山ほどある。
あの夏を境に俺の目の前から消えたあこ。何も言わないまま遠くに行ってしまったあこ。あの時、俺は……。
大昔に蓋をしていた感情がいくつも甦る。
一気にいろんな感情が浮かんで、頭から離れない。駄目だ! 頭を整理しよう。
ベッドから完全に起き上がって、食器棚からマグカップを取り出し、コーヒーメーカーにセットする。コポコポとお湯を沸かす音が響く。その間に洗面所で歯磨きと洗顔を済ませ、少しすっきりした。
昨日は珍しく同僚と、日付が変わるまで呑んでいたので頭が重い。もう一度スマホを開くと、時刻は十時半を指している。本当なら久々の休みの今日は、昼過ぎまでは寝て、一日ごろごろとしている予定だった。
俺の優雅な休日を邪魔しやがって……などとつぶやいてみるが、それが本心でないことは自分でわかっている。
トーストを頬ばりながら、もう一度メッセージを眺める。
『あの夏の「恋愛ごっこ」の続きをしよ!』の文面と「芦田明子」の名前、そして、写真。ふいによみがえるあの夏の記憶。あこを待ち続けた神社。
コーヒーを一口含み、下の上に転がす鼻先にふわっとした香りが広がる。あの夏に戻りかけた気持ちを引き戻し、一度冷静に考える。もしかして詐欺と言うことはないだろうか? あるいは流行りの乗っ取りとかいうやつでは? そう言えば会社の同僚もツイッターでアカウントを乗っ取られて、不特定多数にウイルスの入ったメッセージを送られたことがあるとか言っていた。
……いや、違うな。
自分自身の考えを否定する。『恋愛ごっこ』のことを知っているのは、俺とあこだけのはずだ。あの夏、二人の『恋愛ごっこ』は完結しなかった。
『恋愛ごっこ』をしようではなくて、『恋愛ごっこ』の続きをしようと言えるのは、それがあこ本人だからに違いない。スマホを前にいつまでも考えていても仕方がない。これがあこなら文句の一つでも言ってやる……そう決心して、スマホに打ち込む文を考え始めた。少し文字を打っては、それを書き直しながら、できた文章を眺める。
『あこか? 久しぶり! 恋愛ごっことか懐かしいけど、いきなりどうしたんだ?』
初めはもっと長文を打っていたが、いきなり長いのも何だし、万が一、これがあこじゃなくて、いたずらなんかなら恥ずかしいので、まずはジャブのつもりでこの程度にしておいた。
送信をタップして、返事を待つ。すぐには既読がつかないので、食事を済ませて、スマホでニュースなどに目を通すが、どこか落ち着かない。
最初のあこからのメッセージが十時二十二分だから、まだ三十分ほどしか経っていない。なんだよ……早く見ろよ。悪態をついてみてもスマホは机の上で静かなままだ。
時々、スマホを気にしながら、しかたなく滅多にしない部屋の掃除を始めた。
いつまでも鳴らないスマホを待っている間、年末の大掃除を超える勢いで、隅々まで掃除を始めた。途中でクローゼットに実家から持ってきていた中学校の卒業アルバムがあることを思い出し、それを引っ張り出す。
あこは夏休み中に転校してしまったので、個人写真は載っていないが、一学期の終わりに撮ったクラブ写真には載っていたはずだ。
パラパラとページをめくり、クラブ写真のページを開ける。女子テニス部の写真の真ん中あたりに、テニスウェアのあこが写っている。確かあこは副キャプテンだったはずだ。
テニス部の隣に野球部の写真も載っていて、丸坊主姿の自分も写っている。懐かしさより恥ずかしさが勝っていて、できる限りそれを見ないよう、中学時代とフェイスブックのあこの写真を見比べる。
こうやって見るとずいぶんと違う気もするが、自分も卒業アルバムとずいぶんと違うので、人のことは言えないだろう。あこにはショートカット似合っていると思っていたが、今の肩口までのボブも悪くはない。
他にも写真が残っていないか、隅々までアルバムをめくるが、転校した生徒はできる限り載せないように配慮しているのか、他の写真は四月の初めに撮ったクラス写真の一枚以外は載っていなかった。
そう言えば、中学校の最後の体育祭にも文化祭にもあこはいなかったんだなと改めて思う。クラスも小五の途中に、あこが転入してきてから小学校の間の一年半ほど以外はクラスも一緒になっていない。
あえて言うなら同じ塾に通っていて塾からの帰り道が同じ方向なので、よく一緒に帰ったぐらいだ。
なんであんなことになったんだっけ? あの夏のことを思い出そうとしているところで、スマホの着信音が鳴った。結局、時間はもう三時をまわっている。
『久しぶり! 「あこ」って久々に呼ばれた! 懐かしいでしょ? 何か急に思い出しちゃって、またやりたくなった。あの時、最後までできなかったし』
何だよこれ……あの夏のことを思い出しかけただけに、ちょっと腹が立ってきた。ずいぶん待たせておいて、こんな内容かよ。
だいたいあの時は、あいつが何の連絡もないまま……素早くフリクションして、返事を打ち込む。
『あの時、「恋愛ごっこ」を急に止めたのは、あこの方だろ? 転校は仕方ないにしろ、連絡ぐらいくれてもよかったんじゃないか? だいたい、十年ぶりに連絡したんだから、今どうしてるかぐらい先に教えろよ』
少しきつかったかな? なんて、送った後に少し後悔したが、すぐにいやいやと思い直す。あこは少しずれているところもあるから、これぐらいびしっと言ってやらないと伝わらない。そんなことを思っている間に、今度はすぐに返事が返ってきた。
『あの時はごめん! でも、渉には言えない複雑な家庭の事情があったんだ。それだけはわかってね』
あこが急にしおらしくするもんだから、こちらも気勢をそがれる。あっという間にあこを責める気持ちはしぼみ、フォローのメールを送る。
『うん。ちょっとこっちも言い過ぎた。ごめん! それで今はどうしてるの?』
確かにあこの家は家庭が複雑だとかいうのは聞いた覚えがある。小五の時にこっちに引っ越してきたのも、母親の再婚が理由だったはずだ。言われてみれば、何らかの事情で急に引っ越しが決まったということもありえる。
『もともと普通に就職して、建設会社の事務をしていたんだけど、一年半ぐらい前に退職した。もうすぐ外国に行くことになっていて、こっちで済ましておくことをいろいろしているんだけど、そういえばあの時の「恋愛ごっこ」はきちんと終わらせていないなって思い出して……』
『外国ってどこに? 何で?』
トントンとメールのラリーが続くが、ここで少し間が開いて返事が返ってきた。メールの文字を見て、「えっ!?」っと固まってしまう。
『私、結婚するんだ。彼の外国での勤務が決まっていて、ついて行くことになっているの。それより渉は今、何しているの?』
返事を打ち込む指が止まる。別にここから何かに発展することを期待していたわけではない。あの夏の「恋愛ごっこ」も、今では思い出の一つとして胸の奥にしまっている。それでも、その思い出さえもどこかへ消えてしまう気がした。
『そうなんだ。おめでとう!』
『結婚するのに「恋愛ごっこ」なんてしている場合じゃないだろ』
できる限り感情が平坦になるように心がけて、短文で連投する。
『なんで? 別に本当に恋愛するわけじゃないでしょ? あくまで「ごっこ」だよ。こっちで最後の思い出』
勝手に思い出作りに利用されるのはたまったもんじゃない。
『で、渉は何してるの? 結婚した?』
『システムエンジニア。結婚はしてない』
『うわー! 似合わない! パソコンとかいじってるんでしょ? あと、早くいい人見つけなよ』
『余計なお世話だっつーの』
まだ状況を呑み込めていない俺をおいて、あこはどんどんと話を進める。どちらかと言うと、あこの結婚の話を聞きたかったのにタイミングを逃してしまった。
『はいはい、怒らない、怒らない! それよりどうするの?』
『恋愛ごっこ』
テンポよく続いていたラリーが止まる。
少し思い出してきた。あれは塾帰りの近くの菅原神社でだった。
あの時もこうやって詰められて、流されるまま始めたんだった……いつの間にか、あこのペースに巻き込まれて。もう二度とそんなことは、起こらないとおもっていたが。
改めてさっきあこから出てきた「結婚」の二文字を意識した。自分のまわりも早いやつは結婚しているのもいるけど、自分自身はまだ考えたこともなかった。
今まで人並みに恋愛もして、付き合ったことももちろんあったが、その先まで考えたことはなかった。就職して三年目、まだ自分のことで精一杯なのに誰かと共に生きるところまでイメージがわかない。
大学の四回生からつきあった彼女と就職してすぐに別れて以降は、もう二年以上彼女もいない。
そこまで思考が巡ると、決心してスマホに文字を打ち込む。
『やらない!』
感嘆符こみで、たった五文字の返信を送った。間髪入れず『えっ!?』とあこから返ってくる。
何でも自分の思い通りになると思うなよ! ささやかな抵抗だった。すぐに次のメールを返す。
『……嘘だよ。やるよ。どうせやらないと、延々といたずらメールされそうだし!』
『さっすが、渉! もう呪いの言葉、打ちかけていたとこ』
『まじか!?』
無機質な文字からも、うれしそうなあこの表情が読み取れるようだった。だんだんと感覚が中三のころに戻ってくる。
『それよりメッセンジャーじゃなくてラインとかの方が、やりとり楽じゃね? ID送ろうか?』
『フェイスブックはこれように登録しただけだから、こっちの方がいい。ラインは他のが入り込むからめんどくさいでしょ』
何か完全にアリバイ対策って感じで少し嫌な感じだ。でも、後からややこしいことになるのもごめんなので、渋々それを受け入れる。
『わかったよ。あとで旦那にしばかれるのも嫌だしな!』
少しの皮肉も込めて打ち返す。あこはそのへんの機微はきちんと読める方だ。慌ててフォローのようなメッセージが送られてきた。
『別にそんなんじゃないよ。渉専用にしたいだけ』
『はいはい、何もでませんよー』
『本当なのに……半分くらい!』
『いやいや、半分かよ』
やばいな。十年ぶりだって言うのに、そんなブランクを感じさせないぐらいスムーズにやり取りが続く。夏場で日が長いので意識していなかったが、気づけばもう夕方だ。
結局、俺の優雅な休日が、部屋の片づけと、あことのメールで終わってしまう。休みに見ようとため込んでいたドラマの録画も見られなかった。
それでもこのやりとりを面倒だとは思っていなかった。
『それじゃあ、「恋愛ごっこ」開始だね。ルールは覚えてる?』
『ああ、覚えてる』
あの時決めた約束を思い出しながら、確認するようにスマホに打ち込んでいく。
『・二人っきりのときはお互いを恋人として扱う。
・メールはこまめに! おはよう、おやすみメールは欠かさない。
・週に一回、まわりにバレないようにデート。
・期間は夏休みの間。最終日に菅原神社で集合。好きになって相手に告った方が負け』
よくよく考えると、とんでもない遊びだな。結局、途中であこが引っ越して、音信不通になってしまったので、最後の項目は達成されなかったが、あのまま続けていたらどうなっていたのだろう?
そういや、菅原神社ってまだ残っているのかな? 方向が同じなので、塾帰りにあこと二人で帰るとき、ちょうど分かれ道となる場所にあった小さな神社が菅原神社だった。
鳥居と小さな境内があるだけの菅原神社で、少ししゃべってから帰るのが、塾帰りのお決まりのパターンだ。『恋愛ごっこ』が始まったのも、もともとは塾帰りの菅原神社でのおしゃべりの中からだった。
『すっごい! よく全部覚えているね!』
『俺の記憶力をなめんじゃねーぞ! それより菅原神社ってまだあるのかな?』
『えっ!? もうないの? 渉って地元じゃないの?』
そうか、あこはまだ俺が実家暮らしだと思っていたのか。
『大学から実家出て一人暮らししてるからな……たまに実家に帰っても、そこまで見てないぞ』
『渉って今どこに住んでるの? そもそも遠かったら週一回のデートできないじゃん』
こいつデートまで本当にするつもりだったのか。それこそ目撃されて面倒なことに巻き込まれないといいけど。まあ、飯行くぐらいなら大丈夫か。
今、住んでいるだいたいの場所を伝える。大学の時に通学に時間がかかりすぎるので、一人暮らしを始めたが、一時間半もあれば実家に帰れる距離だ。
『よかった! それなら十分会える距離だ。』
『あこはどこに住んでるんだよ?』
『秘密! 「恋愛ごっこ」終わった後にストーカーになられたら困るし! 笑』
『なるわけないだろ! そっちこそ終わってから婚約解消だとか言うんじゃねーぞ』
売り言葉に買い言葉の応酬も懐かしい。中三の時も好きになるとか、ならないとかから、この奇妙なゲームが始まった。
『楽しみにしてる! 期間も前と一緒でいい?』
『夏休みっていつまでだよ?』
昔は夏休みは八月末まであったらしいが、自分たちのころには授業数の関係だとかで、二学期が一週早く始まるようになっていた。午前中の授業だけではあったが、二十六日ぐらいには始業式があった気がする。
あれだけまとまった休みが取れていたあの頃が懐かしい。今考えるとずいぶん時間を無駄にしたものだ。就職してからのこの二年ちょいは、盆に数日休めれば御の字だというのに。
少し考えていたのか、今までよりやや間があってメールが返ってきた。
『八月最後の日曜日まではどう? わかりやすいし、ちょうど一カ月ぐらいでしょ? 日曜日なら結果発表もできるし』
『結果発表って!? 笑。まあ、それでいいよ』
『よし! それじゃあ決まり! じゃあ、ここから「恋愛ごっこ」始まりね』
こうして、俺とあこの二度目の、いや『恋愛ごっこ』の続きが始まった。



