「平行世界って知ってる?」
かな先輩が両手の人差し指を立てて、僕の目の前に突き出した。
「例えばX時間とY時間があるとして、その交わった軸にこの世界が存在しているとするなら、私はノエルくんの軸から少しだけズレた世界の住人なの。」
「意味が分からないです。」
「うーん、じゃあ言い方を変えるね。
ノエルくんは女の子のフリしてℒになったけど、私はℒそのものなんだ。
だから、君が作った歌を寸分の狂いもなく歌えるの。」
「は?」
「説明ムズいなー。」
「そんなSF設定みたいな冗談はやめてください。
かな先輩の目的は一体何なんですか?」
「だから言ったでしょ。
明日はアタシ。アタシは明日。」
かな先輩は歌うように僕をからかう。
「じゃ、僕からハッキリ言いますね。」
僕は胸に刺していた黒い棘を無理やり引き抜いた。
「母さんの前の旦那さんの子どもって、かな先輩なんですよね?」
「あーあ。」
かな先輩が目を伏せた。
「バレたか。」
「そりゃバレますよ。
まず、うちに来た時の目つきがヤバかったですもん。
それにカラオケのあの声。
あまりにも昔の僕の声…いや、母さんの声に似ていたので。」
母さんが亡くなる前に僕に刺した黒い棘は、離婚歴があるということと僕以外にも子供が居るということ。
形見のギターから出てきた写真は母さんと僕の知らない娘の写真だった。
つまり、僕とかな先輩は異父姉弟なんだ。
かな先輩は観念したように目を閉じた。
「私ね、ノエルの歌が生で聴きたかったの。
明日死ぬかもしれないから。」
「またウソばっかり。」
僕はバスケットボールを後ろに放り投げた。
「コレは本当だよ。
私、先天性の病気があるの。」
♢
「進行性の難病で雪が溶けるころまで持たないの。」
体育館の床にバウンドするボールの反響音が響く中、僕は呆然とかな先輩を見つめた。
「いつだったか、茜と小鳥遊が仲良く喋ってるのを見て悲しそうな顏をしてるってノエルくんに言われたけど、小鳥遊のことが好きだからじゃなくて友だちとお別れする未来が悲しかったからなんだ。」
「ホントに…?」
かな先輩が告げた病名は母親と同じで、疑いようがなかった。
「初めて倒れて入院した時、ちょうどSNSで流れたノエルくんの歌を聴いた時に救われたの。
これは、私の応援歌だって。
まるで神さまみたいに思ったよ。」
かな先輩は顏をクシャクシャにして喋っている。
「でも、病院にお母さんから連絡があったの。
その時にℒがノエルくんと同一人物だと知って、悔しくて嫉妬したんだ。」
「僕に嫉妬?」
「お母さんは私を捨てたのに、その子どもに才能があるなんて許せなかった。
私は難病で苦しんでたのに。
それで、0件だったコメント欄に『下手くそ、やめちまえ!』って書いたんだ。」
「あれ、かな先輩だったの?」
僕の脳裏にアンチコメントがフラッシュバックした。
あの言葉にはかなり凹んだ。
「ひどかったでしょ。」
「こっちが死ぬかもしれなかった。」
「いい気味。」
かな先輩は満足そうに笑った。
今までの穏やかな微笑みではなく、心底悪そうな笑みだ。
「でも、ℒを好きな気持ちは止められなかった。
異父姉弟してじゃなく、異性としてね。」
何て言っていいか分からず、僕は口を閉ざしたままうなずいた。
「それまでは遠くから眺めているだけで良かったのに、話したら欲が出ちゃったみたい。
逆にノエルくんを怒らせちゃったことは、謝るね。
ゴメンなさい。」
かな先輩のつむじが見えた。
「この世から消える前に、もう一度あなたの歌を聴きたいの。」
僕は宙を仰いで自問した。
歌えるのか?
自分。
「ここでですか?」
「ここがいいの。」
僕は頷いた。
大きく息を吸ってアカペラで歌った。
ひどくいがらっぽくて、高音もかすれて聞くに堪えない声が体育館に響く。
雑踏の音にかき消されても、ただ一人のためだけに捧げる歌。
歌詞が感情を揺さぶり、あの頃のℒだった自分を懐かしむ僕が居た。
ぜんぜん上手く歌えない。
でも、心を込めて歌った。
せめてこの時間だけは、かな先輩のために。
♢
気がつくとかな先輩が子どもみたいに泣きじゃくっていた。
「好き。」
かな先輩の鼻は真っ赤で、嗚咽を含んだ言葉を苦しそうに吐き出した。
「ノエルのこと、ずっと好きだったよ。」
僕はガツンと頭を殴られたように思い出した。
いつも誰かのために歌っていたことを。
うまいとか下手とか、技術の問題じゃない。
誰かの心の片隅に残ればそれで良かったんだ。
あの頃に戻れたら、もっとかな先輩に喜んでもらえたのに。
でも、情けなくてもコレが等身大の今の僕なんだ。
僕はかな先輩に背を向けてから、大きな声で叫んだ。
「僕もかな先輩のことが大好きです!」
♢
呟いた言霊は風に乗り、白い雲を抜けて遥か上空へと消えていく。
やがて、まぶしくて目を細める春の青空が見えるだろう。
例え叶わない恋だと知っていても
好きな人に思いを伝えられたら、明日死んでも後悔はしない。
かな先輩が両手の人差し指を立てて、僕の目の前に突き出した。
「例えばX時間とY時間があるとして、その交わった軸にこの世界が存在しているとするなら、私はノエルくんの軸から少しだけズレた世界の住人なの。」
「意味が分からないです。」
「うーん、じゃあ言い方を変えるね。
ノエルくんは女の子のフリしてℒになったけど、私はℒそのものなんだ。
だから、君が作った歌を寸分の狂いもなく歌えるの。」
「は?」
「説明ムズいなー。」
「そんなSF設定みたいな冗談はやめてください。
かな先輩の目的は一体何なんですか?」
「だから言ったでしょ。
明日はアタシ。アタシは明日。」
かな先輩は歌うように僕をからかう。
「じゃ、僕からハッキリ言いますね。」
僕は胸に刺していた黒い棘を無理やり引き抜いた。
「母さんの前の旦那さんの子どもって、かな先輩なんですよね?」
「あーあ。」
かな先輩が目を伏せた。
「バレたか。」
「そりゃバレますよ。
まず、うちに来た時の目つきがヤバかったですもん。
それにカラオケのあの声。
あまりにも昔の僕の声…いや、母さんの声に似ていたので。」
母さんが亡くなる前に僕に刺した黒い棘は、離婚歴があるということと僕以外にも子供が居るということ。
形見のギターから出てきた写真は母さんと僕の知らない娘の写真だった。
つまり、僕とかな先輩は異父姉弟なんだ。
かな先輩は観念したように目を閉じた。
「私ね、ノエルの歌が生で聴きたかったの。
明日死ぬかもしれないから。」
「またウソばっかり。」
僕はバスケットボールを後ろに放り投げた。
「コレは本当だよ。
私、先天性の病気があるの。」
♢
「進行性の難病で雪が溶けるころまで持たないの。」
体育館の床にバウンドするボールの反響音が響く中、僕は呆然とかな先輩を見つめた。
「いつだったか、茜と小鳥遊が仲良く喋ってるのを見て悲しそうな顏をしてるってノエルくんに言われたけど、小鳥遊のことが好きだからじゃなくて友だちとお別れする未来が悲しかったからなんだ。」
「ホントに…?」
かな先輩が告げた病名は母親と同じで、疑いようがなかった。
「初めて倒れて入院した時、ちょうどSNSで流れたノエルくんの歌を聴いた時に救われたの。
これは、私の応援歌だって。
まるで神さまみたいに思ったよ。」
かな先輩は顏をクシャクシャにして喋っている。
「でも、病院にお母さんから連絡があったの。
その時にℒがノエルくんと同一人物だと知って、悔しくて嫉妬したんだ。」
「僕に嫉妬?」
「お母さんは私を捨てたのに、その子どもに才能があるなんて許せなかった。
私は難病で苦しんでたのに。
それで、0件だったコメント欄に『下手くそ、やめちまえ!』って書いたんだ。」
「あれ、かな先輩だったの?」
僕の脳裏にアンチコメントがフラッシュバックした。
あの言葉にはかなり凹んだ。
「ひどかったでしょ。」
「こっちが死ぬかもしれなかった。」
「いい気味。」
かな先輩は満足そうに笑った。
今までの穏やかな微笑みではなく、心底悪そうな笑みだ。
「でも、ℒを好きな気持ちは止められなかった。
異父姉弟してじゃなく、異性としてね。」
何て言っていいか分からず、僕は口を閉ざしたままうなずいた。
「それまでは遠くから眺めているだけで良かったのに、話したら欲が出ちゃったみたい。
逆にノエルくんを怒らせちゃったことは、謝るね。
ゴメンなさい。」
かな先輩のつむじが見えた。
「この世から消える前に、もう一度あなたの歌を聴きたいの。」
僕は宙を仰いで自問した。
歌えるのか?
自分。
「ここでですか?」
「ここがいいの。」
僕は頷いた。
大きく息を吸ってアカペラで歌った。
ひどくいがらっぽくて、高音もかすれて聞くに堪えない声が体育館に響く。
雑踏の音にかき消されても、ただ一人のためだけに捧げる歌。
歌詞が感情を揺さぶり、あの頃のℒだった自分を懐かしむ僕が居た。
ぜんぜん上手く歌えない。
でも、心を込めて歌った。
せめてこの時間だけは、かな先輩のために。
♢
気がつくとかな先輩が子どもみたいに泣きじゃくっていた。
「好き。」
かな先輩の鼻は真っ赤で、嗚咽を含んだ言葉を苦しそうに吐き出した。
「ノエルのこと、ずっと好きだったよ。」
僕はガツンと頭を殴られたように思い出した。
いつも誰かのために歌っていたことを。
うまいとか下手とか、技術の問題じゃない。
誰かの心の片隅に残ればそれで良かったんだ。
あの頃に戻れたら、もっとかな先輩に喜んでもらえたのに。
でも、情けなくてもコレが等身大の今の僕なんだ。
僕はかな先輩に背を向けてから、大きな声で叫んだ。
「僕もかな先輩のことが大好きです!」
♢
呟いた言霊は風に乗り、白い雲を抜けて遥か上空へと消えていく。
やがて、まぶしくて目を細める春の青空が見えるだろう。
例え叶わない恋だと知っていても
好きな人に思いを伝えられたら、明日死んでも後悔はしない。



