朝、目が醒めた時に、僕が白い天井を見ながら必ずやること。
あくびの口の形を作って、喉を開く発声練習。
「アー。」
そのままロングトーンをすると、だんだん喉がいがらっぽく、かすれたような声になる。
咳込むたびに、死にたくなる。
(どうして僕だけこんな辛い目に遭わなきゃならないんだ。)
とか、
(もう一生、歌なんて歌えないんじゃないか。)
とかをグルグル考えているうちに、スマホのアラームが鳴る。
どんなに落ち込んでいても日常は容赦なくやってくる。
今日も僕は起きて学校に行く支度をする。
悔しさと未練を胸に抱きながら。
♢
家の門を出た途端、僕は驚いて飛びあがった。
「おはよ。」
白のダッフルコートのかな先輩が、眼鏡を曇らせて立っていた。
「おはよーございます・・・って、エッ、今日? 約束してましたっけ?
てゆうか、いつからココに居たんですか⁉」
驚いた僕は、鼻を紅くしているかな先輩に、矢継ぎ早に質問してしまった。
「気にしなくていいよ。勝手に待っていただけだから。」
「気にしますよ。だって、冬に外で待ってたら寒いじゃないですか。」
「じゃあ、ノエルくんがあっためてよ。」
かな先輩は僕の上着のポケットに赤くかじかんだ手を突っこんできた。
脇の近くでモゾモゾする感覚がくすぐったくて、僕は少し腰を反らした。
「早くないですか?」
「だって、今日からカレカノでしょ?」
マジか。
かな先輩の横顔を見ながら歩き出すと、周りの人たちの目が気になった。
特に同じ年ごろの高校生の視線が痛い。
朝からウザイバカップルだと思われてるだろうな。
僕はかな先輩の耳に声をひそめて囁いた。
「恋人ごっこは、小鳥遊先輩の前だけでいいんじゃないですか?」
「却下します。」
「な、何でですか?」
「約束の期間は三か月だけど、会えない日もあるだろうし。
時間がもったいないよ。」
かな先輩は意外に頑固者だ。
僕はなるべくかな先輩の体に触れないように気遣って歩いたので、学校に着くころには肩が凝ってしまった。
これがカレカノ?
嘘だろ。
♢
僕がかな先輩と登校したということは、瞬く間に学校中の噂になった。
授業中も男女問わずにヒソヒソ話が聞こえてきて、僕はたまらず保健室に逃げ込んだ。
「お腹が痛い? 熱はないけど・・・。」
「でも、すごく痛くて。」
「整腸剤でも飲む? とりあえず昼まではベットで寝てなさい。」
養護教諭の中西先生が思った以上に僕を気遣ってくれたので、仮病をついた僕は良心が痛んだ。
だけど、一時的とはいえ針のむしろのような状態から脱せたことに僕は爽快感を覚えた。
ベットのカーテンが引かれると、僕は仰向けになり目を閉じた。
雪の反射で日差しが眩しい。
かな先輩の企みは成功だ。
このままいけば、すぐに同学年の男バスの生徒たちにもこのことが噂になり、小鳥遊先輩の耳に入るのも時間の問題だろう。
でも、小鳥遊先輩はどういうリアクションをするんだろう。
ビックリするのは間違いない。
けど、嫉妬したりするだろうか。
だって、相手がこの僕だぜ?
意外には思うかもしれないけど、万が一小鳥遊先輩が本気でかな先輩を口説こうとするなら、僕なんか及びじゃない。
(でもかな先輩と小鳥遊先輩は…あまり似合わないんだよな。)
二人が並んだところを想像したけど、あまりしっくりこない。
じゃあ、僕とかな先輩なら?
朝、かな先輩と寄り添って登校した光景を思い出した僕は、いつまでもかな先輩のことを思っている自分に驚いた。
♢
「ノエ先輩、あの噂ってホントですか!?」
体育館に一礼して足を踏みいれた途端、食い気味に半袖の練習着から出てる僕の腕をつかんだのは、意外にも仁平だった。
「噂って?」
「かなた先輩と付き合ってるんですか?」
「えーっと、まあなりゆきで。」
「くぅー、マジかーッ!」
仁平はオーバーリアクションで天を仰いで頭を抱えたと思ったら、急にキョロキョロと周りを見渡した。
「なんなんだよ。」
仁平はその場に土下座した。
「ノエ先輩。いや、ノエ師匠。
俺に、恋愛の必勝法を伝授してください‼」
「ハァー⁉」
「あんま大きい声じゃ言えませんが、俺がこの高校のバスケ部に入ったのは、ミニバス時代から茜先輩を追っかけてたからなんです!」
「マ、マジか。」
いきなりの仁平のカミングアウトに、僕も周りを見回してから声をひそめた。
「でも土下座だけはやめてくれ!」
顏をあげた仁平は僕の足にコアラみたいにすがりついてきた。
「師匠、俺にチャンスを下さい!」
「そ、そんなこと言われても、僕にそんな必勝法はないよ。」
「またまたー。師匠の彼女さんは茜先輩の親友じゃないですかッ。」
「うん・・・まぁそうだけど。」
「だから、うまいこと四人で遊ぶ機会をいただければ幸いです!」
「いいよ。」
ん?
今、答えたのは僕じゃないぞ。
僕と仁平の間を爽やかな声がスッと割り込んできた。
「ぜんぜんだいじょぶ。」
いつの間にか僕たちの後ろにかな先輩が立っていたんだ。
「女神降臨!」
「やっ、でも迷惑じゃないですか?」
僕の意思とは無関係に話が進みそうになる。
僕は引きつりながらかなた先輩の様子をうかがった。
「だって私、ノエルくんの彼女さんだから。」
(何でだよ。)
僕はかな先輩の物言いに少し腹が立った。
かな先輩の目的は小鳥遊先輩に向けてのアピールであって、仁平と茜先輩とのWデートは時間のムダじゃないのか?
ふと感じた疑問を確かめるようにかな先輩の延長線上をなぞる。
その先に、小鳥遊先輩の視線を確かに感じた。
なるほど、そういうことね。
これもプレゼンのひとつなのかと僕は妙に納得した。
女って怖いな。
♢
「茜とかなとノエ君と仁平君と遊ぶ?
いいよーん。」
部活終わりにかな先輩が茜先輩に声をかけると、茜先輩が即答した。
陽キャの頭ん中は花畑なのかよ。
「でも、ナッシーも誘おうよ。
ねぇナッシー、今週末はどうせヒマでしょ?」
茜先輩は床にモップをかけている小鳥遊先輩を呼んだ。
ああ、それじゃ僕と仁平の計画が…。
小鳥遊先輩は爽やかに汗を拭った。
「なんのこと?」
「かなが週末デートに誘ってくれたんだ。
ナッシーは強制参加じゃ。」
「エエッ、俺も? どこ行くの⁉」
「遊園地か室内アミューズメントパークかな。」
「おま、俺が絶叫系苦手なの知ってるじゃん。」
「いいじゃん。じゃあナッシーはカメラ係ね。
頼むね、おとーさん♪」
「俺を保護者扱いすんな!」
相変わらずケンカ腰で仲良くコミュニケーションを取る茜先輩と小鳥遊先輩を、かな先輩が眩しそうに見つめている。
当て馬作戦は失敗か?
その横顔に僕は胸が切なくなった。
あくびの口の形を作って、喉を開く発声練習。
「アー。」
そのままロングトーンをすると、だんだん喉がいがらっぽく、かすれたような声になる。
咳込むたびに、死にたくなる。
(どうして僕だけこんな辛い目に遭わなきゃならないんだ。)
とか、
(もう一生、歌なんて歌えないんじゃないか。)
とかをグルグル考えているうちに、スマホのアラームが鳴る。
どんなに落ち込んでいても日常は容赦なくやってくる。
今日も僕は起きて学校に行く支度をする。
悔しさと未練を胸に抱きながら。
♢
家の門を出た途端、僕は驚いて飛びあがった。
「おはよ。」
白のダッフルコートのかな先輩が、眼鏡を曇らせて立っていた。
「おはよーございます・・・って、エッ、今日? 約束してましたっけ?
てゆうか、いつからココに居たんですか⁉」
驚いた僕は、鼻を紅くしているかな先輩に、矢継ぎ早に質問してしまった。
「気にしなくていいよ。勝手に待っていただけだから。」
「気にしますよ。だって、冬に外で待ってたら寒いじゃないですか。」
「じゃあ、ノエルくんがあっためてよ。」
かな先輩は僕の上着のポケットに赤くかじかんだ手を突っこんできた。
脇の近くでモゾモゾする感覚がくすぐったくて、僕は少し腰を反らした。
「早くないですか?」
「だって、今日からカレカノでしょ?」
マジか。
かな先輩の横顔を見ながら歩き出すと、周りの人たちの目が気になった。
特に同じ年ごろの高校生の視線が痛い。
朝からウザイバカップルだと思われてるだろうな。
僕はかな先輩の耳に声をひそめて囁いた。
「恋人ごっこは、小鳥遊先輩の前だけでいいんじゃないですか?」
「却下します。」
「な、何でですか?」
「約束の期間は三か月だけど、会えない日もあるだろうし。
時間がもったいないよ。」
かな先輩は意外に頑固者だ。
僕はなるべくかな先輩の体に触れないように気遣って歩いたので、学校に着くころには肩が凝ってしまった。
これがカレカノ?
嘘だろ。
♢
僕がかな先輩と登校したということは、瞬く間に学校中の噂になった。
授業中も男女問わずにヒソヒソ話が聞こえてきて、僕はたまらず保健室に逃げ込んだ。
「お腹が痛い? 熱はないけど・・・。」
「でも、すごく痛くて。」
「整腸剤でも飲む? とりあえず昼まではベットで寝てなさい。」
養護教諭の中西先生が思った以上に僕を気遣ってくれたので、仮病をついた僕は良心が痛んだ。
だけど、一時的とはいえ針のむしろのような状態から脱せたことに僕は爽快感を覚えた。
ベットのカーテンが引かれると、僕は仰向けになり目を閉じた。
雪の反射で日差しが眩しい。
かな先輩の企みは成功だ。
このままいけば、すぐに同学年の男バスの生徒たちにもこのことが噂になり、小鳥遊先輩の耳に入るのも時間の問題だろう。
でも、小鳥遊先輩はどういうリアクションをするんだろう。
ビックリするのは間違いない。
けど、嫉妬したりするだろうか。
だって、相手がこの僕だぜ?
意外には思うかもしれないけど、万が一小鳥遊先輩が本気でかな先輩を口説こうとするなら、僕なんか及びじゃない。
(でもかな先輩と小鳥遊先輩は…あまり似合わないんだよな。)
二人が並んだところを想像したけど、あまりしっくりこない。
じゃあ、僕とかな先輩なら?
朝、かな先輩と寄り添って登校した光景を思い出した僕は、いつまでもかな先輩のことを思っている自分に驚いた。
♢
「ノエ先輩、あの噂ってホントですか!?」
体育館に一礼して足を踏みいれた途端、食い気味に半袖の練習着から出てる僕の腕をつかんだのは、意外にも仁平だった。
「噂って?」
「かなた先輩と付き合ってるんですか?」
「えーっと、まあなりゆきで。」
「くぅー、マジかーッ!」
仁平はオーバーリアクションで天を仰いで頭を抱えたと思ったら、急にキョロキョロと周りを見渡した。
「なんなんだよ。」
仁平はその場に土下座した。
「ノエ先輩。いや、ノエ師匠。
俺に、恋愛の必勝法を伝授してください‼」
「ハァー⁉」
「あんま大きい声じゃ言えませんが、俺がこの高校のバスケ部に入ったのは、ミニバス時代から茜先輩を追っかけてたからなんです!」
「マ、マジか。」
いきなりの仁平のカミングアウトに、僕も周りを見回してから声をひそめた。
「でも土下座だけはやめてくれ!」
顏をあげた仁平は僕の足にコアラみたいにすがりついてきた。
「師匠、俺にチャンスを下さい!」
「そ、そんなこと言われても、僕にそんな必勝法はないよ。」
「またまたー。師匠の彼女さんは茜先輩の親友じゃないですかッ。」
「うん・・・まぁそうだけど。」
「だから、うまいこと四人で遊ぶ機会をいただければ幸いです!」
「いいよ。」
ん?
今、答えたのは僕じゃないぞ。
僕と仁平の間を爽やかな声がスッと割り込んできた。
「ぜんぜんだいじょぶ。」
いつの間にか僕たちの後ろにかな先輩が立っていたんだ。
「女神降臨!」
「やっ、でも迷惑じゃないですか?」
僕の意思とは無関係に話が進みそうになる。
僕は引きつりながらかなた先輩の様子をうかがった。
「だって私、ノエルくんの彼女さんだから。」
(何でだよ。)
僕はかな先輩の物言いに少し腹が立った。
かな先輩の目的は小鳥遊先輩に向けてのアピールであって、仁平と茜先輩とのWデートは時間のムダじゃないのか?
ふと感じた疑問を確かめるようにかな先輩の延長線上をなぞる。
その先に、小鳥遊先輩の視線を確かに感じた。
なるほど、そういうことね。
これもプレゼンのひとつなのかと僕は妙に納得した。
女って怖いな。
♢
「茜とかなとノエ君と仁平君と遊ぶ?
いいよーん。」
部活終わりにかな先輩が茜先輩に声をかけると、茜先輩が即答した。
陽キャの頭ん中は花畑なのかよ。
「でも、ナッシーも誘おうよ。
ねぇナッシー、今週末はどうせヒマでしょ?」
茜先輩は床にモップをかけている小鳥遊先輩を呼んだ。
ああ、それじゃ僕と仁平の計画が…。
小鳥遊先輩は爽やかに汗を拭った。
「なんのこと?」
「かなが週末デートに誘ってくれたんだ。
ナッシーは強制参加じゃ。」
「エエッ、俺も? どこ行くの⁉」
「遊園地か室内アミューズメントパークかな。」
「おま、俺が絶叫系苦手なの知ってるじゃん。」
「いいじゃん。じゃあナッシーはカメラ係ね。
頼むね、おとーさん♪」
「俺を保護者扱いすんな!」
相変わらずケンカ腰で仲良くコミュニケーションを取る茜先輩と小鳥遊先輩を、かな先輩が眩しそうに見つめている。
当て馬作戦は失敗か?
その横顔に僕は胸が切なくなった。



