衝撃の土曜日を終えて、日曜日の朝の僕は一日中モンモンとしていた。

「僕がかな先輩と付き合う?
 ウソだろ。」

 なんの取り柄もない、万年ベンチのバスケ部員が?
 でも、三か月の期限付き。

 あと、あの言葉の意味は何なんだ?
 『明日死ぬかもしれないから』だなんて、まるで僕の曲のタイトルじゃないか。

 あれ以来追及はしてこないけど、やっぱりかな先輩は僕がℒだと疑っているのか?

 僕は、ガンガンにノリの良いヒップホップを大音響でスピーカーから流して気分を変えようとしているけど、まったく効果はないようだ。

 僕はあの時、かな先輩にこう言った。

「いったん、家に持ち帰らせてください!」

 ネット記事で、クレーマーへの対処方は時間を置いたほうがいいと書いてあったのを思い出したからだ。
 かな先輩はクレーマーじゃないけどね。

 というわけで、今はまさに考えている最中。
 だってさ、マンガとか小説だったら好きな人同士がつき合うよね。

「どう見てもかな先輩が好きなのは小鳥遊先輩なのに、僕とつき合う理由はなんなんだ⁉」

 絶対に裏がある気がしてならない。

 誰も居ない部屋で自問自答していると、気がつけば部屋が薄暗くなっていた。

 もう夕方か。

 まだ親父は帰ってこないから、もう少しだけウダウダしていられる。

 そう思った時、アプリの着信音が流れた。
 何気なく画面を見て僕は凍りついた。

「かな先輩!」

 僕はスマホ画面のロックを外した。

 スマホ画面に吹き出しがポップアップされる。
 
『今、なにしてんの?』

『なにもしていないです。』

『どこに居るの?』

『家です。』

『会える?』

 僕は思考回路が停止した。
 何言ってんだ、この人。

『いつですか?』

 その時、玄関のチャイムが鳴り響いた。
 僕は高速でメッセージを打ち込む。

『スミマセン。
 今、来客なんであとでメールします。』

 インターホンのカメラを見る手間を省くために、僕は玄関に向かいながら叫んだ。

「今行きまーす!」

「郵便局です。お届け物です。」

 ドアの向こうから甲高い配達員の声。
 若い女の人っぽい。

「今開けます。」

 そう言いながら僕は玄関の三和土を裸足で駆け下り、ドアの鍵を縦にする。
 勢いよく玄関のドアを開けた僕は、その場に凍り付いた。

「へ?」

「弥生かなたのお届けモノでーす。」

 ピンク色の舌をチラリと見せた、実物のかな先輩がそこに居た。

 ♢

「いきなり来たのに家に入れるなんて、ノエルくんは優しいね。」

 いや、アンタが勝手に入ってきたんでしょーが!

 かな先輩は自由に居間を眺めて歩いたり、勝手に本棚のマンガ本の背表紙に指を這わせる。
 私服姿は思ったよりもガーリーで、白いブラウスにチェックのサロペットパンツ、長い髪をゆるく巻いた雰囲気がどこぞのお嬢さまみたいだ。

「どうしたんですか、急に。」

「塾がこの近くだから、気になって寄ってみただけ。」

 かな先輩は当たり前のように僕の家の居間のソファに腰かけて、僕を上目遣いに見上げた。

「家庭訪問みたいな?」

「家庭訪問って・・・先生じゃないんだから。」

 僕は冷えた麦茶をクッキーと一緒にかな先輩の前に差しだした。

「気が利くね。」

 かな先輩は一気に麦茶を飲み干し、クッキーもあっという間にペロリと食べた。
 相変わらず食欲は旺盛のようだ。

 それから先が困った。

 会話のネタが無くなったのだ。
 元から点いていたテレビのバラエティ番組を観て、たまに感想を言うくらい。

(この人、何しにうちに来たんだろう。)

 僕は焦点をずらしてぼやけたかな先輩を見つめた。

(そもそも、どうやってうちの住所を知ったんだよ。
 あ、小鳥遊先輩経由か?
 うーむ。
 謎すぎる。)

 ぼやけたままのかな先輩を観察して一時間が経過した頃、この変な空気に耐えられなくなった僕は自分から話題を切り出した。

「あの、いろいろ考えたんですけど・・・。」

「何を?」

「かな先輩が、底辺の僕なんかとつき合おうと思う理由です。」

「へぇ。それで?」

「や、わかんないです。」

「なんそれ。じゃあ、私にもわかんない。」

「だって、つき合うのって好きなもの同士で決めることじゃないですか。なのに、かな先輩は一方的すぎません?」

「ノエルくんは私のこと、好きじゃないの?」

「好きじゃないのかって? 」

 当たり前のようにおかしなことを言われると、返答に困る。

「知り会ったばかりなのに、好きとか決められないです。」

「なら簡単じゃん。これから好きになればいいよ。」

(このひと、まともに会話できねーのな。)

 僕は腹を決めた。
 僕がかな先輩に一番言いたかったこと、それは。

「かな先輩は、小鳥遊先輩が好きなんですよね?」

「どうしてそう思うの?」

「だって、かな先輩が茜先輩と小鳥遊先輩が仲良く喋ってるのを見て、悲しそうな顏をするから。」 

「それは…。」

「もしかしたら、僕とつき合うのって小鳥遊先輩へのあてつけなんじゃないですか?」

 かな先輩は顏をこわばらせた。
 それからゆっくり氷が溶けるように硬い表情が崩れた。

「そう。よく分かったね。」

 僕が思っていたことを言ったら、かな先輩が悲劇のヒロインよろしく泣き崩れてしまうかなと想像したけど、現実はドライだった。
 
 あてつけ、当て馬・・・?
 まあ、僕の役柄はそんなモンか。

「それで、返事は? 恋人ごっこにつき合ってくれる?」

 【恋人ごっこ】ね。

 僕はかな先輩の眼中にはないってことか。
 そう思うと、急に肝が据わった。

 正直、今までの人生で女の子に頼りにされることが皆無だった僕。
 当て馬といえどニセ彼氏に抜擢されたことは、実は光栄なことなのではないだろうか? 

「そこまで言うなら、分かりました。」

「ホント?」

 かな先輩は前のめりで目を輝かせた。

「そのかわり、本当に三か月だけですよ。」

「うん、絶対に約束!」

 そう言うと、かな先輩は小指を出してきた。
 細くて白いその指に、僕は自分の指を絡めた。

「ゆびきりげんまん・ウソついたらハリセンボン・のーます!」

 二人で叫んで指を振り下ろそうとしたけど、かな先輩は指を離さずに小首を傾げた。

「ねぇ、いつも思うんだけど、ハリセンボンってお笑い芸人のこと?」
 
「違います。」

「じゃあ針を千本?」

「どっちにしてもホラーじゃないですか。」

「ま、いいか。」

 かな先輩はようやく僕から指を離した。
 僕の小指は温かかった。

 それからかな先輩はソファにもたれかかり、再びテレビを観て声を出して笑った。

(ん? なんで帰らないんですか?)