地元の高校に進学した僕が、やったこともないバスケ部に入った理由。

 ひとつはバスケ経験のある父親から、強く勧められたこと。
 もうひとつは、入学してすぐの部活動体験のときに小鳥遊先輩が優しく指導してくれて楽しかったこと。

 そしてこの高校の男子バスケ部が表彰台に縁がない、いわゆる弱小チームだったことだ。

 要は父親の要望を満たしながら、ゆるく高校生活を送りたかったことに尽きる。

 シングルファザーだからというわけじゃないが、だいたい父親に対しては僕は従順に過ごしている。

 母さんが死んだあとに再婚の子持ちだったことを葬儀の席で知らされたり、思春期の僕との生活を構築しながら頑張って生きていた父親には、リスペクトしつつも申し訳なさしかなかった。

 最近の僕といえば、ゆるい高校生活にゆるい部活動をこなすゆるゆるな日々。
 家に帰ったら課題をやって、オンラインゲームと無料動画鑑賞を夜中まで。

 短期間でジェットコースター並みに激しく浮き沈みする人生を味わった僕には、この心地良くまとわりつく毛布みたいな生活が何よりも愛おしかった。

 それなのに、どうしてかな先輩は僕のことをℒだと疑ったんだろう。

 低くていがらっぽい声しか出せない今の僕には、どう転んでもℒの高くて澄んだキーは出せない。
 動画配信サービスには静止画の女子のイラストだけで、僕という男子を形成する要素なんかは微塵もなかったのに。
 
 僕はかな先輩のことを不気味に思っていた。
 しかし、接触を避けようとしても同じ学校や部活に居る限り、会う可能性はいくらでもある。

(転校しかないか。)

 最悪のシナリオが頭をかすめる。

(いや、あと一年でかな先輩は卒業だぞ。)

 一年間我慢すれば、彼女は先に高校を卒業する。
 バス停から駅まで後ろをついて歩いた時みたいに、気まずいままで押し黙っていればいいんだ。

 ♢

 覚悟して登校した月曜日、早速、玄関でかな先輩とスライドした。
 身構えた僕に、かな先輩は何も言わずに軽く会釈をした。

(あれッ?)

 思ってもいなかった未来に、僕は拍子抜けした。
 
 ♢

 火曜日も何も起こらなかった。
 水曜日は部活がなくて、木曜日、金曜日の放課後まで何もないままの学校生活。

 土曜日の午前の部活中に体育館の半面でひとり壁打ちをしているかな先輩を、僕はネット越しに遠くから見ていた。

(おかしいな。なんで何も言ってこないんだ?)

 次の瞬間、僕の背中に突然鈍痛が走った。

「いってぇ…!」

「なにボーッとしてんスか。」

 仁平がニヤニヤしながら足もとに転がったボールを拾う。

「プレッシャー与えてくんないと、シュート練習にならないんですけど。」

「だからって、わざと先輩の背中にボール当てて良い理由にはならんから!」

 イラッとした僕は珍しく大きな声を上げた。
 仁平は全く響いていない顔でボールを人差し指に乗せ、器用に回転させた。

「ノエさん、鼻の下伸ばして女バス見てましたよね? 好きなコでも居るんスかぁ?」

「ち、ちげーよ!」

 仁平は女子バスケの活動を見ながら、うっとりと目を細めた。
 視線の先にはシャトルランをして汗を流している茜先輩がいる。

「茜先輩とかレベチっスよ。でも、いっつもナッシー先輩とつるんでるんスよね・・・つき合ってんのかなぁ。」

「知らね。」

「ズルい。ノエさんはナッシー先輩に可愛がられてるじゃないですか。ねぇ、今度聞いてみてくださいよ。」

「やだよ。自分で聞けば?」

「いやいや、ナッシー先輩って、なぜか俺にだけ冷たいんスよね~。」

 僕にはその気持ちが分かる気がするけど、あえて本人には言わないでおこう。

「やっぱ僻まれてんのかな?
 ほら、天才って孤独じゃないっスか。」

「そーゆーとこな!」

 僕は思わず声をあげた。
 仁平はキョトンとした顏をする。

「え、何がですか?」

 仁平と会話していると、不快指数が溜まる気がする。

(なんでこんなヤツのために、僕が小鳥遊先輩に個人情報を聞き出さなきゃならんのだ!)

 ってはじめは思ったけど、確かに小鳥遊先輩と茜先輩はよく一緒に居る姿を見かける。

 そして、その横には必ずかな先輩が金魚のフンみたいにくっついてる。

 男一人に女二人。
 少年誌ならハーレム展開だけど、この三人は多分違う。

 野次馬根性?
 ちょっとだけ興味が出てきた。

「ま、僕からゴール決められたら聞いてやってもいいけど。」

「ホントですか? ヤッター‼ ノエ先輩、神!」 

 オフェンスは苦手だけど、僕はディフェンスには自信があった。

(僕のウザディフェンスを崩せるかな?)

 仁平は舌なめずりすると軽やかな風のように僕の脇をすり抜け、華麗なるレイアップシュートを決めた。

「約束ですよ、ノエ先輩!」

 期待のルーキーは格が違う。

(クッソ!)

 僕は悔しまぎれに落ちて跳ねているリバウンドボールを拾った。
 僕がやけくそで放ったスリーポイントシュートは、ゴールの枠に弾かれた。

 ♢

「小鳥遊先輩って、茜先輩が彼女なんですか?」

 部活終わりの男子更衣室。

 僕はわざと小鳥遊先輩に合わせて帰り支度をしている。
 それはもちろん仁平との約束を守るため。

 更衣室が2人きりになったのを見計らって、僕は思い切って茜先輩のことを聞いてみた。

「俺と茜は幼なじみなの。別につき合ってないよ。」

 柔らかそうな茶髪をかきあげて、バッシュを脱いだ小鳥遊先輩が可笑しそうに笑った。
 部活後の僕の靴は刺激臭がハンパないのに、小鳥遊先輩からは良い匂いが漂ってくる。

 なんでだろう?

「茜とかなたは同じ幼稚園からの腐れ縁。
 親同士も仲が良くて兄妹みたいに育ってきたんだ。
 今さら恋愛の対象にはなんないよ。」

「そうなんスか。」

 僕は爽やかな小鳥遊先輩に下世話な話題を振ったことを後悔した。

 僕が女子だったら、月に一回くらいは先輩を夢に見そうだと思った。
 おそらくかな先輩もそうなんだろうな。

 三人の関係性を理解した僕は難しい方程式を解いたように胸がスッとした。
 男女の友情なんて無いだなんて、誰が言ったんだ。

「それにしても。」

 制服に着替えた小鳥遊先輩がロッカーにもたれかかり、ニヤニヤしながら僕の着替えを眺めている。

「オマエから恋愛系の話題振られるとか、意外だわ。」

「そうスか?」

「茜のこと好きなら応援するよ?」

 小鳥遊先輩の意外な反応に僕は焦って否定した。

「いやいやいや、違いますっ! 」

 僕は顏の火照りを鎮めようと必死だった。
 仁平のせいで、誤解だけはされたくない。

「僕はただ、仁平から相談されただけで…‼」

「仁平ァ? 」

 急に小鳥遊先輩の柔和な笑顔が凍りついた。

「ノエルならいいけど、アイツの色恋にだけは協力したくないなー。」

 誤解が急速に解けたのを感じて、僕はホッとした。

「あ、生意気だから?」

「それな。
 技術的にはスゲーけど、人間としてはちょっとな。」

「僕もベンチから見てて思いました。
 試合でも個人プレーが多くて、チームとして戦ってる意識あるのかなって。」

「おまけに先輩を敬わないのがサイアク。」

「確かに。」

 僕は小鳥遊先輩と目で合図して「ウェイ!」とハイタッチした。
 仁平の件に関しては、意気投合、共感しかない。

 他人の悪口は蜜の味なのだ。