「オオー、ガンバーィ! 流れ、流れ、流れもってこーい‼」

 残り五分で目まぐるしく点差が移動するバスケの試合。
 トーナメントの三試合の間中、高二になった僕はベンチでひたすら声を張りあげている。

 暖房が入っていても、外気温が低すぎてなかなか暖まらない体育館。
 床を走るバスケシューズが、立ち止まる度にキュッキュッと甲高い音を立てる。

 ダン・ダダン!

 音が体育館に反響しボールを追う怒涛の流れが自軍に傾くたびに、僕はガラガラの声をこれでもかと張りあげる。

「ディフェーン‼」

 電光掲示板に浮かび上がる時間は、どんどん減っていく。

 僕はチラリと目の前に立つ監督の横顔を盗み見る。

(今日は出陣アリ?)
 
 こめかみに青筋を浮かべて腕を組むバスケ部顧問の梅田。
 38歳独身・趣味はアイ活。

 入部してから今日までの間に目が合ったことがないから、今後も合う気はサラサラしない。

(ナシよりのナシか。)

 このままでは僕は今日も、一度もボールに触れないまま試合終了のブザーを聴くことになるだろう。

 ブー

 やれやれだぜ。

 終了のブザーを聴いた僕は自軍にシュートされた最後のボールの軌跡を眺めながら、ようやく重い腰を上げた。

 ♢

 体育館清掃を終え、いち早く帰り支度を終えて生徒玄関から外に出ると、辺りには目が醒めるような白い雪がこんもりと積もっていた。
 鼻先に触る冷たい雪の感触と肌を刺す外気に、温まらなかった体が自然と震える。

 そういえば、今季一番の大雪の恐れって朝のニュースで言ってたかも。
 
(こんな日でも部活が休みにならないなんて、大人は頭がワイてるぜ!)

 学校の駐車場に迎えに来た親の車に乗る同級生たちを羨ましく見つつ、僕は駅に向かって歩き出した。

「おつかれちゃん!」

 背後からぶっ飛んだ調子のいい声が追いかけてきたけど、僕は歩みを止めなかった。

「無視しないでよノエル先輩。 
 それにしても今日の声援も響いていましたね!」

 声の正体は一年生の仁平。
 僕より背も高く体格がいいから、一瞬で追いつかれた。

(クソ、面倒なのに捕まっちまった。)

 仁平はヘラヘラと笑いながら、僕の横に並んで勝手に喋り出した。

「何が?」

「声だけは、北西高でいちばんですよ!」

「『だけは』は、余計じゃ!」

 並んで歩くと仁平を見上げて話すのが億劫なので、あえて目線は合わせない。

 というのは建前で、完全に嫉妬であり逆恨み。
 弱小バスケチームといえど、一年の仁平がレギュラーで7番でエースなのは事実だから。

 そして仁平は、なぜか万年ベンチの僕にマウントを取るのが日課だった。

「バスケ部じゃなくて応援団に入った方が良かったんじゃないですか?」

「ウチのガッコに、そんな部はねーよ。」

「ノエさんが作ったらいいじゃないですか。ひとり応援団。
 ヒヒッ、見てみたいな~俺。」
 
 仁平は幼児並みのカマってちゃんだ。
 僕のリアクションが仁平のウザ絡みにもっと火を点けるのは目に見えている。

(お前ら一年が声を出さないから、僕が声出してるだけだっての!)

 怒鳴りつけたいのをグッと我慢して、僕は競歩の選手のように足を速めて仁平から距離を取った。

 ♢

 歩くたびにしんしんとした雪が降り積もっていき、靴がどんどん重くなった。

 雨よりは雪の方が好きだけど、気温がプラスのせいか今日の雪は重たい。
 風がないのが救いだが、あっという間に体に雪が張り付くのが煩わしい。

 僕はジャケットのフードを目深に下げて、下を向いて歩いた。

 ふくらはぎくらいに積もった雪をサクサクと漕ぎながらようやくバス停に通りかかると、チームジャージに冬用のベンチコートを羽織った三人の男女が、寒さに肩をすくめて足踏みをしながら立っていた。

(見たことがあると思ったら、うちの部の三年か。)

 フードをかぶっているのをいいことに素通りしようとしたけど、三人の中のひとりが男バスの先輩だと気づいてしまった。
 しかも、なにかとお世話になってる小鳥遊キャプテンだ。

(仁平みたいに無視するわけにはいかないな。)

 軽く頭を下げて通りすぎることにした。

「ちーっす。」

「あ、男バスのコだー! 名前、なにクンだっけー?」

 ポニーテールの可愛いらしい女の先輩が、満面の笑顔で僕を振り返った。

 見たことある顏。
 確か、女バスの三年生だ。

 僕はいちおう三人の前で足を止めた。

「ノエル。」

 小鳥遊先輩がやんわりと答えを言ったのに、可愛い先輩は小首を傾げる。

「のえる?」

「如月ノエルくんって名前なんだよ。」

 眼鏡の地味な女の先輩がフォローしてくれる。

 ん?
 僕の名前をよく知ってたな。

「ハーフなの?」

「じゃないです。全然。」

 僕は仕方なく口を開いた。
 正確にはクォーターなんだけど、いちいち説明するのが面倒だ。

「だよね~。純日本人ってかんじ。」

 あ、この先輩とは仲良くなれない気がする。

「失礼だよ、茜。」

 地味な眼鏡の女の先輩が、申し訳なさそうに僕を見た。
 吐息で曇った眼鏡越しに微笑みを浮かべる。

「試合のとき、いつもいい声で応援しているよね。」

 いい声…?
 うるさいとかデカイとかは言われるけど、その表現は初めてだ。

 この先輩は、良い人に認定。

「あー、そうそう。試合中にオフェンスでもディフェンスでも声出してるコだよね!」

 僕は黙ってうつむいた。
 小鳥遊先輩も腕を組んでうなずく。

「ノエルは偉いよ。
 それに引きかえ今年の一年、ベンチで声出さねーんだよ。
 っとに生意気なんだよな!」

「それは三年の責任じゃない?
 小鳥遊キャプテン、明日ガツンとゆってやんなよ。」

 ジトッとした視線を送る茜先輩を、小鳥遊先輩がサラリと受け流す。

「ソレダメなのよ。
 イジメとかパワハラって言われて大会に出られないくらいなら、放置に限る。」

「信じらんない!
 それ、モンスター育成じゃんッ。」

「今はレベルMAXまで育ったから、あとは野となれ花となれだな。」

「あの先輩がた、ちょっといいスか?」

 急に三人の会話に組み込まれた俺は、慌てて会話を中断させる隙を狙った。
 この悪天候の下で長居はしたくない。

 大げさじゃなく、しもやけになる。

「中央バスは午後から運休予定なんで、ここで待っていても来ないと思いますけど。」

 一瞬の間があったのち、小鳥遊先輩がポカンと口を開いた。

「え、そうなの?」

「やだ恥ずい!」

 かなと呼ばれた眼鏡の先輩が眉をハの字にしてうつむいた。

「だから言ったのに。」

「ゴメンね、かな。」

 小鳥遊先輩がスポーツタイプの腕時計をチラ見してから腹をボリボリ掻いた。

「なんだよダリーな。駅まで歩くのか。」

「二十分くらいあるよ。タクシー乗ってワリカンする?」

「こんなん筋トレだろ。なぁ、どうせなら誰が駅まで早く着くか勝負しようぜ。」

「げー。ゼッタイに男子のが有利じゃんッ。」

「いくぞー。
 位置について、よーい、ドン!」

「え、あ、早ッ! ズルいって‼」

 小鳥遊先輩の号令で雪を蹴とばしてダッシュしたのは、小鳥遊先輩と茜先輩だけだった。
 残された僕はかな先輩と目を合わせた。

「一緒に行かないんスか?」

「うん、いいの。私、ドンくさいから。
 雪道で転ぶのやだし。」

 そういって背を向けて歩き出した先輩の後を追うように、僕も雪で覆われた道を歩き出した。

(この人も方向一緒か。)

 二人の白い息が暮れ始めたグレーの空に立ち昇っていく。
 しばらく無言で歩いていると、急にかな先輩が振り返って僕に笑いかけた。

「如月クンてさ…音楽好き?」

「あ、自分ですか? まあ、普通に。」

「私も。」

 バスケの話を振られなくて良かった。

 音楽の話題なら、バスケ以上に話せるかも。
 僕はもう少しだけ会話を続けようと、気まぐれに思った。

「好きなジャンルとかあるんですか?」

「特に決めてないけど、流行りものはひと通り聞いてるかな。
 最近ハマってるのが、ℒってアーティストの曲。」

「ああ。」

 まさかの選曲に心が浮ついて、つい口が滑った。

「『明日死ぬかもしれないから』ですね。」

 かな先輩が、意外な顏をした。

「よく知ってるね。
 マイナーなのはセカンドシングルからで、デビュー曲は有名じゃないのに。」

 言うんじゃなかった。

「えと…たまたまです。」

「あとは? ℒの曲の何が好き?」

(やべぇ。思ったよりグイグイ来るな。)

 僕はいつもの作り笑いで誤魔化した。

「すいません。それくらいしか知らなくて。」

「そっか…。逆にゴメンね。」

 かな先輩は困ったような顔をすると、また背中を向けて歩き出した。
 僕と先輩の間の距離は、いつの間にか一メートルほどに縮まっていた。

 僕はかな先輩の雪についた小さな足跡を見つめながら、鼓動が早くなるのを感じた。
 このままの速度で歩いていたら、並んで歩くことになる。

 かといって追い越すのも気まずいし、この駅までの道をどうしたもんか。
 そう思っていると、右側にコンビニの看板が見えてきて、僕は正直ホッとした。

(逃げよう!)

 僕はすぐにかな先輩の後ろから離れて、除雪されていないコンビニへの道に進路を取った。

 正直、女子と喋るのは苦手だ。
 会話が続かないし、気を使うのが面倒だから。

 店内照明が明るい入り口の扉にホッとして手をかけた瞬間、背後に人影を感じた僕は驚いて振り返った。

「待って。」

 頬を林檎のように赤くして、眼鏡を白く曇らせたかな先輩がそこに居た。

 僕を追いかけてきたのか?
 な、なんで?

「ゴメン。ひとつだけ、聞いてもいい?
 如月くんてさ。」

 僕は生つばを飲み込んだ。

「ℒだよね?」

 僕は反射的に踵を返すと、シャトルランばりのダッシュで駅への道を駆け抜けた。