「あ、おはよう鈴川さん」
「おはよう木下さん」
登校して席に着くと、いつものように木下さんが挨拶をしてくれた。前の席の彼女は、ぽんやりとした丸い雰囲気を持つ可愛い女の子だ。大体席替えをした時は、まず遠巻きに様子を見られるのがいつものお決まりなんだけど、彼女はすぐに振り向いて私に声を掛けてくれたのだ。
『鈴川さんと話してみたかったんだ〜』と、ぽやぽや話してくれたのが嬉しくて、期待に応えなければ!と、キリッと笑顔でお礼を言ったら喜んでくれたのをずっと覚えてる。
それから木下さんは何かと私に声をかけてくれている。
「今日の地図帳使う宿題やった? すごい面倒だったよね〜」
「うん。私もなかなか埋まらなくて大変だったよ」
「鈴川さんも? じゃあ私が終わってなくても仕方ないや。今から続きやるね」
そう言って地図帳とプリントを私の机の上に開いた木下さんは「わかんないとこ教えて〜」と、甘えてくれる。
あぁもう……っ、そういうところが可愛すぎる……!
遠慮なくマイペースに私に接してくれる存在は私にとって珍しくて、いつも見ているだけでハムスターみたいな愛くるしさにとても癒されている。
——が。
「そういうのやめなって! 鈴川さんに失礼だよ!」
「鈴川さん断れないんだよ、木下ちゃんと違って繊細だから!」
そこにクラスメイトからの注意が入り、「誰が図太いって〜?」と、じとりと声の主を見やりながら、木下さんは宿題を手に前へ向き直ってしまった。
あぁ……と残念に思う。なんにも迷惑だなんて思ってないのに。
「もう! ごめんね鈴川さん、困った時はいつでも言ってね」
「私達、鈴川さんを守るので!」
そしてやってきた木下さんに注意した田部さんと中田さんは、どこか誇らし気にそう言うので、
「……うん。ありがとう」
私は彼女らの気持ちを否定するわけにもいかないからと、笑顔でそう答えることしか出来なくて、「わ、ほんと雪の女王……!」と、手を取り合う二人の様子に、喜んでくれてよかったと微笑みながらその言葉を受け取った。
……ん?
「雪の女王?」
聞き覚えのあるその言葉に首を傾げると、二人は嬉しそうに頷く。
「鈴川さんにぴったりだと思う! 美しくて威厳があって!」
「小崎君達が言ってたよ。公認だって言ってたけど……あれ? 違った?」
「……そういうわけでは——、」
ないのだと否定しようとすると、二人がなんだかガッカリしたような、不安気な瞳で私を見つめていることに気がついた。
否定されたくないのか……求められてるなら仕方ない。腹を括ることにする。
「お好きなようにどうぞ……」
「! やった、鈴川さんから了承もらえた!」
「どんどん使ってこ! 推しは推せる時に推せ!」
嬉しそうに盛り上がる二人に、なるほどなと納得した。なんでそんなに怒ったり悲しんだり喜んだりするのかと思ったら、二人は私を推してくれていたみたい。それはとてもありがたいことだ。推しは世界を変える力を持つのだと、オタク気質の私には痛いほどわかる。
だとしたら、期待を裏切らないよう私も努力しないと!
「お? 早速やってんね〜」
すると、そんな声と共に四人の男子が教室に入ってきた。
あ、辻君だ!
いつもの四人だとわかるより先に辻君が目に入ったのは、辻君のオーラが冷たく輝いていたから。クールな横顔が辻君を辻君として表している……素敵。
すると自分たちの方を見ていたことに気づいたのか、四人の中の一人、小崎君がこちらに向かって声を掛ける。
「鈴川さん困らすなよ〜。そのテンションはキツいて」
……どうやら私達のやり取りは彼らの耳に届いていたらしい。
その瞬間、二人はハッとした様子で私の方へ向き直ると、
「ご、ごめんね鈴川さん! ついテンション上がってた……」
「迷惑だったよね、戻ります……」
そうしょぼんとしながら謝ると、そんなことないよと伝える間もなくそそくさと自分たちの席へ戻ってしまった。
もう一度声掛けをした小崎君の方へ目をやると、彼はすでに辻君達と違う話を始めていて、そのうちに担任の先生が教室にやってきたことで朝のホームルームが始まったのだった。
私、困ってるわけではないんだけどな。
みんな私が困ってる、という言い方をする。話してくれて私は嬉しいけど、なかなかそれが伝わらない。私とみんなにはいつも見えない壁と距離があるのだ。それを違う世界とみんなは言うので、私は受け入れている。
仕方ないよね……だってそれがみんなのイメージする私なんだから。
辻君は、そんな私のことをどう思ってるんだろう。
ふと辻君に目をやると、パチリと目が合ったけどすぐに逸らされてしまった。
辻君と話してみたいな……でも、やっぱり良く思われてないのかも……。
ただ偶然目があっただけなのにそれ以上の何かを期待してしまって、元に戻っただけの辻君の視線に対して勝手に逸らされたと寂しく感じる私がここにいる。昨日までの私とは違う私だ。
先輩、これが恋煩いですか……?
恋とは落ちるものだと教えてくれた先輩に心の中で問いかけながら、ぼんやりと窓の外を眺めてみると、晴れ晴れとした良い天気だった。
雪の女王、なんて呼ばれる私にはきっと似合わないけど、私はお日様が大好きだ。日焼けして真っ赤になるくらい外で走り回るのも、転んで傷だらけになるのも厭わずに夢中になって遊ぶのも、私には似合わないからと早くから卒業してしまった。
どうせ子どもだったんだからもっとやっとけばよかったな。
今はもう、人前で思いっきり感情を外に出して表すことも無くなってしまった。それが辛いわけではない。それが私の生き方としてすっかり定着しているし、人にも喜ばれるから。でも、私は人のイメージ通りの範囲内から出る方法が見つからないでいる。そんな私は辻君とどうやってお話ししたらいいのかな。
それは、とても難しい問題だった。なぜなら辻君がイメージする私像が掴めないでいるから。どこまで何をしていいのかわからないし、そもそも私、辻君の中でいつかいなくなる雪女らしいから、その正解がわからない……。
辻君の理想の私が知りたいなぁ。
思わずこぼれた溜め息は、どうやらクラスメイトの目と耳に届いていたらしい。
「物憂げな横顔が素敵……」
「差し込む陽光に靡くカーテンが、あの儚くて切なくて冷たい雰囲気を際立たせるのよね」
「おおっ、やるね。語彙増えたな」
「表すために勝手に湧き出てくるのだから驚いているわ」
「言葉遣いまで……美しさでクラスの教養を高めている。さすが雪の女王」
こそこそと囁きあっている声が耳に入ってくる。とりあえず迷惑は掛けてないみたいだ。昨日の今日なのに思った以上に雪の女王というフレーズがみんなにとってしっくりきている感じ……それが良いのか悪いのかわからないけど。
辻君はどう思う?
心の中で問いかけて、もちろん返って来ない返事の代わりにあるヒーローの言葉が心に浮かんだ。
“どうすれば良いかわからないだと? いいか、目指すものがあるのならそれに向かって進むのみ! つまずき、転ぶ時も前に転べばいいだけだ! 前へ、前へ、そのうちに君は辿り着いているはずだ!”
「なんだかすごく真剣な顔してる……」
「集中した鋭い美しさはまるで雪山の頂上のよう」
「比喩もいけるんかい」
そうだよね。悩んでたって仕方ない。知りたいし話したいと思うなら、話しかけるしかない。そうすれば、必ず答えに辿り着く!
「あぁ、光が差した」
「神々しいね……」
気がついたら手を合わせて拝まれてたのにはびっくりしたけど、とりあえず次の目標は決まった。辻君の行動を観察してみよう。そこで一人になるタイミングをみて話しかけてみよう!
——が、辻君は人気者だった。
全然一人にならない……。
クールな辻君は結構一人で静かにしているイメージが私の中にあって、そこに三人が話し掛けにきて四人組が出来てるんだと思ってたけど、そうじゃなかった。辻君は案外みんなに声をかけられていて、さすが一軍男子……という感じだった。
クールであまり表情が変わらないし、自分から話し掛けてもいないのに、一人になった彼の元には人がやってくるのだ。
……正直、少し外側の自分と似てるなと思っていたんだけど、違うのだと知らしめられた気持ち。
辻君は整った顔立ちだし背も高いから、黙っていると少し威圧感がある。それが私と似ているなと思っていたのに、辻君には人が近寄りたくて寄っていくけど、私は距離を取られるから、そこに辻君の私と違う何かがあるのだと思う。
よく考えたら私も辻君の一言で惹きつけられた人間の一人だしな……。
「鈴川さん、ご飯食べよ〜」
「! うん。ありがとう」
木下さんが誘ってくれてハッとした。気づけばもう昼休みになっていた。



