雪女なんて言われたの、生まれて初めて。
帰宅後。机の上に宿題を広げてはみたものの、下校事のやり取りが心の中に残っていてなかなか集中出来ずにいる。
辻君……辻良介君。
口数が少なく、基本的に無表情のクール系男子である彼は、時折仲間内の会話の中でだけ楽しそうな笑顔をみせることがある。彼が普段何を思い、何を語っているのか知ることが出来るのはあの一軍男子達だけだった。
そんな辻君が私を“雪女みたい”と表した。私は彼が自分の周り以外には無関心だと決めつけていたから、認知されていたのだと思うとなんだか胸がドキドキした。
悪口だったのかな……でもなんか、そんな感じじゃなかったんだよな……。
——雪女と言われたあの時。
次はどんな言葉が飛び出すだろう……!と、教室の外で堂々と立ち聞きしていると、後ろを通った先生に「何してんだ? 早く帰れよー」と声を掛けられ、ハッと忘れ物の存在を思い出した。それと同時に先生の声が届いたのか、教室内の彼らが一斉に私の方へ振り返り、ギョッとした様子で息を呑む。それはやってしまった……!という表情だった。
そうか、聞かれたら困ることだよね……お邪魔してしまったなと、申し訳なく思いながら、普段の私に切り替えて何ごともなかったかのように教室に入る。机の中に入っている目当ての地図帳を取り出すと、そのまま教室を出ようとした、その時だ。
「あー、鈴川さん」
彼らの中の一人が気まずそうに声を掛けるので、私は足を止めて振り返った。
「えっと、なんかごめんね? 俺ら鈴川さんのこと褒めてたんだけど、こいつが変なこと言いだして」
こいつ、と辻君のことを指さすと、他の一人が「おい、謝れよ」と辻君を急かした。が、辻君は怪訝そうな顔で謝れと言った男子へ目を向けている。
「ほら、鈴川さん色白いし美しいから。だから雪女、なんて言ったのかなって思うんだけど」
「そうそう! 鈴川さんの儚げな感じとか!」
「雪女っていうかもっと高貴なものだよね。雪の姫?」
雪の、姫……?
「あの、お姫様はちょっと……」
恥ずかしすぎる。私はついにお姫様になってしまうの? 年々表面の私と内面の私のイメージがかけ離れていく……!
「え、嫌? じゃあ雪の女王は?」
「女王! それっぽい! 違う世界っぽい感じでてる!」
「そうそう。美しさと品性が庶民には近寄り難いのよな……罰を受けそう」
「罰受けてみてぇー! 冷たい目で怒られてぇー!」
「そして最後に優しく慰められる」
「そんなんもう落ちたじゃん! 下僕じゃん!」
げ、下僕……!
目を丸くする私に気づきもせず、「なっ! 辻もそう思うよな!」と一人が辻君に同意を求めると、辻君は表情が抜け落ちた顔で一言、
「そういう意味じゃない」
そうきっぱりと告げて、私の方へ目をやった。
「いつかいなくなりそうって思っただけ」
“いつかいなくなりそう”
その、辻君が表した私という人間に対する言葉は、私の心の奥に突き刺さった。
どうしてそう思ったの?そう訊きたかったのに、「おまえって奴は!」と、彼らが怒り出してしまったので、慌てて「大丈夫。もう帰るので」と、その場を離れることしか出来なかった。これ以上いても辻君が怒られてしまうし、みんなのイメージとはかけ離れた俗にまみれた私が出てきてしまいそうだったから。
雪の女王か……。
私のお母さんは昔モデルをしていたこともあるそうで、今も昔も変わらず近所でも有名な美人さんである。そんなお母さんにそっくりな私は幼い頃から容姿を褒められてきたけど、それと同じくらいによく言われてきたのは、“口を開くと残念”というフレーズ。
言葉遣いが悪いとか、そういうことじゃないらしいんだけど、私が好きなものについて語り出すと大体はそんな感じのことを言われてきた。夢中になって話す姿が気持ち悪いんだと思う。
別に変なものが好きなわけじゃない。私の好きなものは漫画、アニメ、小説、そして人間観察。
だけどそれらの趣味はどうやら私の外見と釣り合っていないらしかった。
落ち込む私に、お母さんは秘密を打ち明けるように教えてくれた。
『美玲は何も間違ってない。でも美玲に理想を重ねる人も、嫉妬して妬む人もきっとこれからたくさん現れるから、その度傷ついてたら疲れるでしょう? だったら、その人達にとっての美玲とは別に、大事な美玲は信じた人にだけ見せるように隠しておいてもいいと思うの』
なるほどと思った。例えば芸能人のように、人が持つ自分に対するイメージを崩さずに好感度が高い状態を維持できれば、人から否定されることが少なくなるということだ。
人は美しいものに完璧を求めてしまうらしい。それはお母さんの実体験だと言われれば納得した。そして今、お母さんは確かに家の外と中で完全に別人格である。(ママ友などの世間体があるらしい)
私もそうなればいいのか!
と、すっぱり切り替えて小学校の高学年の頃には出来上がっていた“品があって賢くて美しい鈴川さん”は、高校生になった今もなお継続中である。
多くを語らず、優しく微笑み、何事にも丁寧。それが表面の私。内面の私は、
「はぁ……一軍男子の空気感ヤバ……」
漫画の中の一ページを味わえた感動から感嘆の溜め息をこぼし、
「雪女なんて言われたの初めて……いなくなりそうって何……?」
辻君の残した謎に心奪われ、宿題が一向に手につかないまま机にうつ伏せた。
だってあの辻君が。クールで何を考えてるか読ませない辻君が。他の誰にも言われたことのない、新しい私を見つけて、日常の中で考えてくれていたなんて。
「は、始まってしまう……」
何がって? もちろん恋に決まってる。私は惚れっぽいし、格好良い男子とか可愛い女子とか大好きだし、漫画に出てくるベタベタなやり取りも大好物。頭の中でずっと妄想に浸っているし、人の噂話とか人間関係にも興味津々な、浮世離れしてると思われる外見と違って内側は完全に俗物の塊なのだ。
“恋という単語が頭を過った時、すでにあなたの恋は始まっているのよ”
いつか読んだ漫画の中の、主人公に優しく先輩が教えてくれるシーンが頭の中に思い浮かんで頷いた。
“そう。だって恋はするものじゃなくて、落ちるものなのだから”
結局答えはそういうこと——全ては素晴らしいお話の中にある。
ですよね、先輩。
私にもついにその瞬間がやってきたのかもしれないと、新しく始まる何かに胸が高鳴り、宿題を終えるにはまだまだ時間がかかりそうだった。
帰宅後。机の上に宿題を広げてはみたものの、下校事のやり取りが心の中に残っていてなかなか集中出来ずにいる。
辻君……辻良介君。
口数が少なく、基本的に無表情のクール系男子である彼は、時折仲間内の会話の中でだけ楽しそうな笑顔をみせることがある。彼が普段何を思い、何を語っているのか知ることが出来るのはあの一軍男子達だけだった。
そんな辻君が私を“雪女みたい”と表した。私は彼が自分の周り以外には無関心だと決めつけていたから、認知されていたのだと思うとなんだか胸がドキドキした。
悪口だったのかな……でもなんか、そんな感じじゃなかったんだよな……。
——雪女と言われたあの時。
次はどんな言葉が飛び出すだろう……!と、教室の外で堂々と立ち聞きしていると、後ろを通った先生に「何してんだ? 早く帰れよー」と声を掛けられ、ハッと忘れ物の存在を思い出した。それと同時に先生の声が届いたのか、教室内の彼らが一斉に私の方へ振り返り、ギョッとした様子で息を呑む。それはやってしまった……!という表情だった。
そうか、聞かれたら困ることだよね……お邪魔してしまったなと、申し訳なく思いながら、普段の私に切り替えて何ごともなかったかのように教室に入る。机の中に入っている目当ての地図帳を取り出すと、そのまま教室を出ようとした、その時だ。
「あー、鈴川さん」
彼らの中の一人が気まずそうに声を掛けるので、私は足を止めて振り返った。
「えっと、なんかごめんね? 俺ら鈴川さんのこと褒めてたんだけど、こいつが変なこと言いだして」
こいつ、と辻君のことを指さすと、他の一人が「おい、謝れよ」と辻君を急かした。が、辻君は怪訝そうな顔で謝れと言った男子へ目を向けている。
「ほら、鈴川さん色白いし美しいから。だから雪女、なんて言ったのかなって思うんだけど」
「そうそう! 鈴川さんの儚げな感じとか!」
「雪女っていうかもっと高貴なものだよね。雪の姫?」
雪の、姫……?
「あの、お姫様はちょっと……」
恥ずかしすぎる。私はついにお姫様になってしまうの? 年々表面の私と内面の私のイメージがかけ離れていく……!
「え、嫌? じゃあ雪の女王は?」
「女王! それっぽい! 違う世界っぽい感じでてる!」
「そうそう。美しさと品性が庶民には近寄り難いのよな……罰を受けそう」
「罰受けてみてぇー! 冷たい目で怒られてぇー!」
「そして最後に優しく慰められる」
「そんなんもう落ちたじゃん! 下僕じゃん!」
げ、下僕……!
目を丸くする私に気づきもせず、「なっ! 辻もそう思うよな!」と一人が辻君に同意を求めると、辻君は表情が抜け落ちた顔で一言、
「そういう意味じゃない」
そうきっぱりと告げて、私の方へ目をやった。
「いつかいなくなりそうって思っただけ」
“いつかいなくなりそう”
その、辻君が表した私という人間に対する言葉は、私の心の奥に突き刺さった。
どうしてそう思ったの?そう訊きたかったのに、「おまえって奴は!」と、彼らが怒り出してしまったので、慌てて「大丈夫。もう帰るので」と、その場を離れることしか出来なかった。これ以上いても辻君が怒られてしまうし、みんなのイメージとはかけ離れた俗にまみれた私が出てきてしまいそうだったから。
雪の女王か……。
私のお母さんは昔モデルをしていたこともあるそうで、今も昔も変わらず近所でも有名な美人さんである。そんなお母さんにそっくりな私は幼い頃から容姿を褒められてきたけど、それと同じくらいによく言われてきたのは、“口を開くと残念”というフレーズ。
言葉遣いが悪いとか、そういうことじゃないらしいんだけど、私が好きなものについて語り出すと大体はそんな感じのことを言われてきた。夢中になって話す姿が気持ち悪いんだと思う。
別に変なものが好きなわけじゃない。私の好きなものは漫画、アニメ、小説、そして人間観察。
だけどそれらの趣味はどうやら私の外見と釣り合っていないらしかった。
落ち込む私に、お母さんは秘密を打ち明けるように教えてくれた。
『美玲は何も間違ってない。でも美玲に理想を重ねる人も、嫉妬して妬む人もきっとこれからたくさん現れるから、その度傷ついてたら疲れるでしょう? だったら、その人達にとっての美玲とは別に、大事な美玲は信じた人にだけ見せるように隠しておいてもいいと思うの』
なるほどと思った。例えば芸能人のように、人が持つ自分に対するイメージを崩さずに好感度が高い状態を維持できれば、人から否定されることが少なくなるということだ。
人は美しいものに完璧を求めてしまうらしい。それはお母さんの実体験だと言われれば納得した。そして今、お母さんは確かに家の外と中で完全に別人格である。(ママ友などの世間体があるらしい)
私もそうなればいいのか!
と、すっぱり切り替えて小学校の高学年の頃には出来上がっていた“品があって賢くて美しい鈴川さん”は、高校生になった今もなお継続中である。
多くを語らず、優しく微笑み、何事にも丁寧。それが表面の私。内面の私は、
「はぁ……一軍男子の空気感ヤバ……」
漫画の中の一ページを味わえた感動から感嘆の溜め息をこぼし、
「雪女なんて言われたの初めて……いなくなりそうって何……?」
辻君の残した謎に心奪われ、宿題が一向に手につかないまま机にうつ伏せた。
だってあの辻君が。クールで何を考えてるか読ませない辻君が。他の誰にも言われたことのない、新しい私を見つけて、日常の中で考えてくれていたなんて。
「は、始まってしまう……」
何がって? もちろん恋に決まってる。私は惚れっぽいし、格好良い男子とか可愛い女子とか大好きだし、漫画に出てくるベタベタなやり取りも大好物。頭の中でずっと妄想に浸っているし、人の噂話とか人間関係にも興味津々な、浮世離れしてると思われる外見と違って内側は完全に俗物の塊なのだ。
“恋という単語が頭を過った時、すでにあなたの恋は始まっているのよ”
いつか読んだ漫画の中の、主人公に優しく先輩が教えてくれるシーンが頭の中に思い浮かんで頷いた。
“そう。だって恋はするものじゃなくて、落ちるものなのだから”
結局答えはそういうこと——全ては素晴らしいお話の中にある。
ですよね、先輩。
私にもついにその瞬間がやってきたのかもしれないと、新しく始まる何かに胸が高鳴り、宿題を終えるにはまだまだ時間がかかりそうだった。



