(かなで)さん、これを職員室まで運ぶの手伝ってもらってもいいかな」  
「はい、わかりました」
 私は流れるようにしてすぐに返事をした。自分自身で駄目だと思う癖。
 直したいと思ってもなかなか直せずにいること。
 帰りのホームルームが終わって開放感に満たされていると同時に担任の先生からすぐにお願いされてしまった。
 私は友達と呼べる人がいなくて、ほとんどひとりでいることが多い。本当は周りの子たちと話してみたいけど人見知りでどう話したりしていいのか分からないまま日々が過ぎてしまった。
 私は先生からクラスの皆に信用されていると言われたことがあったけど、実際はそんなことはないって思っている。
 授業にしっかり出席して欠席で休むことなく提出物もしっかり出して、指名されたりお願いされれば引き受けて部活に入らず、学校が終わればすぐに帰るだけの毎日だったから。
 つまらない毎日、いるようでいないような不思議な感覚。青春を謳歌するなんていう言葉はこんな私には似合わなかった。
 持ち帰るものをしっかりと入れた鞄を一旦このまま教室においていって、先生から託された荷物を持って一緒に向かう。
 持たされたクラスの人数分のノートが重くずっしりとしていた。
 廊下は冷房の効いていたのとは違って生ぬるい。
 私に頼むんじゃなくて、男子とかに持たせればいいのに。
 そう思っても決して口に出して言わないようにして心の中で思うだけ。
 普段も話したりしない子から急に頼まれたりすると私は頼られているのか、丁度いいからと利用されているのか分からなくなる。
 職員室に着くと先生に言われた机の上へ置くと「ありがとね」と言われてすぐに職員室を立ち去った。
 教室に戻っても、まだクラスメイトが数人残ってなにかを話していた。
 気づかれて急になにか話しかけられたりすることが嫌で急いで教室から校舎から外へ出る。

 すると、一気に暑さが増した。
 外へ出るとやっと開放されたような不思議な感覚をして、息がしやすくなる。
 毎日が辛い。学校で言葉に出して言わないだけで飲み込んでものが多く沢山溜まっていっているような気がした。
 このままじゃ保たないような予感がしてこういうときだけ立ち寄っているいつもの通り道の途中にある場所へ向かうことにする。
 6月の上旬の今日は曇り空が広がっていた。曇りだから気温も丁度いいなんてことはなく蒸し暑かった。夏へと進んでいるけど天気がまだ少し安定していなかった。
 道端に植えられていた紫陽花は水色、桃色、紫と淡い色で彩られて咲き誇っている。
 黙々と歩いていると次第に川の流れている音が聞こえてきた。
 私はいつも通っている通学路からこの川の音が聞こえる方向へと歩く道を変えて向かっていくとだんだん流れていく音も大きくなってくる。
 そして、たどり着いたのは河川敷の道路橋の下。
 人があまり来ることない場所で、この川の音を聴いていると辛い気持ちを洗い流してくれているような気がして私にとっての秘密の場所だった。
 軽く息を吸って深呼吸をする。
 私の上を道路を車が多く通っている音を軽く耳をすませて確認したあと、お腹に思いっきり力を入れた。
――よし
 心の中でそう呟くと口を大きく開けて全力で叫ぶ。

「私はその場しのぎの良い人間じゃない! 良いように利用ばかりするな!! 頼ってくれて嬉しいときはあるけど、なんでもできる人間じゃないって思ってほしい。授業の指名もなにもかも期待に応えられ続けられない。理想なんて勝手にぶつけるなバカ!」

 どうしても消えてくれない。わかってもらえないことを吐き出すようにして声を上げた。
 川と車が多く通る音が大きいのを良いことに遠慮なんてなにもせずに。

「なんの努力も知らないで! 私はただなにごとも不安を抱えて、それでもなんとやってこれているだけなんだよ」

 思いっきり言葉にして出すとスッキリする。
 そう、私は学校では優等生を演じていた。
 でも本当は――

「あの、さっきからうるさいんだけど」
「ひゃっっっい」
 他に溜め込んでいたことがないかと頭を巡らせていると突然斜め後ろ辺りから男性の声がした。
 その声に動揺しすぎて、無意識に肩を震わせて声を上げて素が出てしまう。
 えっ、待ってさっきの全部聞かれてた......?
 恥ずかしさよりも先に自分自身の大きな声を近くで聞かせてしまったことが申し訳なくて焦る。
 この状況どうしたら......もう、考えるのもいいや。こういうときは勢いで!
「大変申し訳ありませんでした」
 勢いに任せて誰が聴いたのか分からないけど振り返ってちゃんと頭を九十度下げた。
 すると、私の行動が想像の遥か上にいってしまったのか、隠したりせずにお腹を抱えて吹き出したようにして笑う声が聞こえてくる。
「ちょっ、まっ、そうくるっ。頭なんて下げたままにしないで上げなよ。制服が同じ高校のだしってあれ? 同じクラスのえっと誰だっけ?」
 えっ、同じクラス......
 同じクラスの人に聞かれてしまったの私は⁈
『最悪だぁ!』口に出さないように気をつけて、心の中で思いっきり叫んだ。
 ずっと頭を下げたままだけど、顔を上がるくらいならこのままでいたい。
 でも、そんなことは現実では不可能で。
 私のことなんか何もなかったようにしてそっとこの場から立ち去ってくれればいいのにと思いながら、しぶしぶ頭を上げると彼が言ったように本当に同じクラスメイトだった。
 二重まぶたの大きい瞳、ふわふわと風で揺れる柔らかな髪。地面に座り込んで私の方をじっと見つめてきた。
 まっすぐ視線を向けられるのが苦手で少し視線を逸らす。
 名前はえっと確か......名字は三石(みついし)で、下の名前は何だっけ?
 同じクラスメイトでも、ほとんど関わったことがなかったから、名前をしっかり覚えられないままだったのだ。
 彼の方は完全に覚えてなさそうだから、私の方が多少マシだろうとポジティブに考えるようにする。
 「三石くん、えっとその本当にさっきはごめんなさい。私の名前はその......中野(なかの)奏です」
 今更ながら、さっきの行動を思い返すと黒歴史すぎる。
 時間差で動揺するあまり、頬に熱が集まるのを感じる。なんだかとてもいたたまれなくて焦り、ますます顔が赤くなってしまう。
「あははっ、顔が真っ赤! そうだ、奏だ。それにしても学校にいるときと全く違いすぎて、ごめんまた思い出しちゃ、あはっ」
 本当におかしそうに笑った。
 『なんで、顔が赤くなってしまったのも見逃さないの』と心の中でツッコミを入れる。
 もう......穴があったら入りたい。
 急に、名前も呼び捨てで呼ばれて、今までそんなことがなくてドキッとしてしまう。
 彼は学校では、いつも人の和にいて人気者でよく騒いでいて私とは無縁の人たちの中の一人だった。
 どちらかというと苦手な部類の人たちで、極力関わったりしないようにしてきた。
 だから、こんなふうに接しられることに慣れていなくてどんな反応をしたらいいのか分からない。
 それにしても、笑い過ぎではないだろうか。いくら学校にいるときとは全く違いすぎていたとしてもこれは......
「三石くん、そろそろ笑いのやめてくだしゃいっ!」
 なんかもう駄目だ。滑舌崩壊してる。
「わっ、分かったよ。あー面白すぎた。こんなに笑ったのいつぶりなんだろう久しぶりな気がする。同級生なんだし、敬語はやめよう。あと、名前も陽炉(ひろ)って呼んで」
「えっと、分かったよ。陽炉」
 名前、そういう感じだったんだ。いつも明るい彼にピッタリな素敵な名前だと思った。
 遠慮なく気軽に話せるなんて結構久しぶりな気がした。肩に力を入れたりとかせずに自然体のまま居られるのってなんて楽なのだろう。
 このまま立ったままでいるのもおかしいような気がして私もその場に座り込む。
「学校では、大人しくて静かだったのに、本当は天真爛漫だったなんて。今のこの状態の方が断然いい、奏面白いし」
 私が面白い? そう言われたのは始めてだった。無意識に目を大きく開けて、びっくりする。
 そう私は、本当は天真爛漫だった。子供っぽいかもれしないからと隠していたのだ。
 彼の言う通り学校では、極力誰とも関わらずにいるから周りの子たちにとっては居ても居なくても同じだったかもしれない。
 少しくらい周りの人たちの和の中に入ってみたいと思っても、周りと関わるのがなかなか上手くできなくてそんな気持ちに蓋をして諦めていたから。
「奏は、学校でも今みたいに素直に......いや偽ったりしないで居てみたりしないの?」
 からかったりせずに真面目に真剣な顔をして言う。
「うんん......突然そうしても変な人だと思われるかもしれないし、話しかけられたりしてもどう関わって接して行けばいいのか分からないし戸惑っちゃうからできない......かな」
 なぜなのか分からないけど、陽炉になら言ってもいいような気がして普段誰にも言えないようなことを告げた。
 穏やかな風が私たちの間を通り抜けてふたりだけの今をなんだか居心地良く感じて、調子が狂う。たぶん、私は浮かれてしまっているのだろうそうに違いない。
「そっか、じゃあ奏の学校生活を俺が変えてやるよ。奏が今みたいな状態に上手くなれないのなら俺がなにか話しかけたりして、なにかきっかけを作る。偽ったり、我慢しなくたっていい。そんなことなんかしないでありのままで俺の話に乗っかれば自然と今みたいになれるだろ」
「そんなに上手くいく? 私結構こう見えて多分コミュ障だよ。確かにどうなるのか分からないけどさ」
「じゃあ、一回試してみよっか。何事も挑戦、挑戦。どうなるのか分からないだろう。周りなんか気にしなくたって実際はそんなに気にしてないことの方が多いし」
 なんで、今までまともに関わったことがなかった私なんかにそこまでしてくれるのだろう。ただの気まぐれなのだろうか。私は分からない。
「わかったよ、もう」
 深く考えても意味が無いような気がしてここはポジティブに、考えたりすることを放棄した。
「やった! 少し時間を置いて来週のどっかで話しかけるね。奏が自然のままに居られるようになると、もっと楽しくなるような気がするんだ」
 確信があるように言って、心から嬉しそうに笑った。
「あっ、空が晴れてきた。よしっ」
 曇り空から日の光が射し込むのをずっと待っていたようにそう言って、目を輝かせて隣に置かれていた鞄の中からなにかを取り出していく。スケッチブックに、絵の具やパレットなど。
 学校の授業以外では使ったことがない物たちが今目の前にあるのが新鮮に感じる。
 陽炉は絵を描くのが好きなのだろうか。それがなんだか以外だった。学校では、毎日賑やかで面白楽しくしているのが眩しくて、仲の良い人たちで話したりするのが好きだと思っていたから。でも、こんなのはただの勝手な偏見でしかない。実際にその人と接してみないと分からないことが、誰にも見せないようにしている一面だってあるかもしれないから。学校という狭い空間の中で見えてくるものが全てではないような気がする。
 陽炉は一人の世界に入ったように集中し始めて、慣れた手付きで真っ白な真新しいスケッチブックを色とりどりの絵の具で色付けていく。
 真剣な顔で空を見上げては、どんどん色付けて。そんな姿を見て、どんな絵が完成するのか楽しみになった。
 晴れていく空が綺麗でこんなに空って綺麗だったのかとバカみたいなことを思い始めて、そう言えば最近あまり見上げたりしようとしていなかったと気がつけた。
 あれはなに色なのだろうか。雲の中から太陽が顔を出し、次第に太陽を中心に雲が薄い膜を覆っているかのように広がって。言葉に表しづらい。でも、幻想的な光景が広がっていたのは確かだった。
 暑さがより増していく。河川敷の道路橋の下にいたおかげで、日陰があって過ごしやすい。
「ふっ、できた。あっ急に没頭しすぎていたよね。ごめん」
「うんん、大丈夫だよ。すっごく上手い。私は絵を書くことが絶望的にできないから、本当に凄いなって」
 真っ白だったスケッチブックには綺麗な空が広がっていた。
 色を重ね合わせていたり、濃い色から薄い色へとグラデーションとなっていて淡く優しさを帯びているような、でも儚くて。
 「実は、絵を描くことが好きだってこと誰にも話したりとかしたことがなくてさ。もう言ってくれて嬉しいよ」
 本当に嬉しそうででも、少し不安が残っているような顔をする。
「そうだったんだ。今までで見てきた中で一番すごい絵だと私は思ったよ。陽炉はどうして、絵を書いていること秘密にしているの?」
 これだと、互いに似たようなことを聞きあいっこしているみたいになるけど、そんな顔されて見過ごすことなんて私にはできなかった。
「絵には上手い下手なんて存在しないのに、人によっては下手だと決めつけたりするからそれで傷つくのが怖くて秘密にしていたんだ」
 私には分からないけど彼の過去にはそういうことが実際にあったのかもしれない。不安を抱えることなんて当たり前だ。
 それでも、ひとつだけ確かめてみたいと思うことが浮かんできた。
「陽炉はさ、誰かに自分で書いたものを見せたいって思ったことないの?」
「うんん......あるにはあるけど、自信が持てなくて」
 もしかしたら、私と君は似ているところがあるのかもしれない。
 変わろうとしたいけど、でもできなくて。
 どうしたらいいのかと少しの間考えているうちに良いことを思いついた。彼も自分自身も巻き込んだことになちゃうけどそれでもいい。
「陽炉、今年の文化祭のテーマは確か『青春革命』サブタイトルは忘れちゃったけど人数制限なしの完全に一般公開できるように自分らしく楽しめられるようにみたいな感じだったでしょ。縛りを解いて、思いっきり楽しむなんてまさに革命じゃん。だからさ、ふたりで別の意味の”青春革命”をしよう」
「へっ? 青春革命?」
 陽炉は目を大きく開けて驚いた顔をしていた。
 結構ぶっ飛んでいることを突然言っちゃたからそういう反応になって当然かと思いながら、なにかを企んでいるような顔をして言葉を続ける。
「陽炉、文化祭のポスターを描こう。アイディアとか一緒に考えるからさ。陽炉は学校で自分で描いた絵を公開するのを目標に、私は学校で自分を隠したりしないでそのままであるのが目標にして、互いに変わろうとすることをそれを革命って言うのかなって。一人じゃなければ怖くないっていう言葉もあるし、たぶん......きっと大丈夫だよ」
「お前バカだろ。自分自身も巻き込んでそこまでするなんてお節介すぎる。でも、まあ......悪くはないんじゃないか」
「お節介なんて陽炉こそ! じゃあこれでやるって決まりだね」
「おう」
 ほとんど勢いに任せて言ってしまったけど、はたしてこれで私は変わることが本当にできるのだろうか。
 これをきっかけに私はどうなっていくなんて分からないけど、学校を卒業してしまったあとに少しでも後悔を残さずに済むようにしたいとそう思った。