青春という名の学校生活は一日一日を時に長く感じることもあった。
 でも、視界から映すこの現実はダイジェストムービーが流れているかのようにあっという間に過ぎていく。
 そして、私にとっての青春は今年で最後。
 
 偽って、隠して、溜め込んで。
 全部我慢したまま生きてる馬鹿な私。

 学校という場所が、狭い空間に敷き詰めるように十人十色の生徒のひとりとして過ごす教室が嫌いだった。

 毎日が憂鬱で、なにも変われない日々を送る。

 このまま終わっていいの?
 駄目でしょ。
 
 行動に移せぬまま。

 そうやっていつも、心の中では思っていた。




(かなで)さん、これを職員室まで運ぶの手伝ってもらってもいいかな」  
「はい、わかりました」
 私は流れるようにしてすぐに返事をした。自分自身で駄目だと思う癖。
 直したいと思ってもなかなか直せずにいること。
 帰りのホームルームが終わって開放感に満たされていると同時に担任の先生からすぐにお願いされてしまった。
 私は友達と呼べる人がいなくて、ほとんどひとりでいることが多い。本当は周りの子たちと話してみたいけど人見知りでどう話したりしていいのか分からないまま日々が過ぎてしまった。
 私は先生からクラスの皆に信用されていると言われたことがあったけど、実際はそんなことはないって思っている。
 授業にしっかり出席して欠席で休むことなく提出物もしっかり出して、指名されたりお願いされれば引き受けて部活に入らず、学校が終わればすぐに帰るだけの毎日だったから。
 つまらない毎日、いるようでいないような不思議な感覚。青春を謳歌するなんていう言葉はこんな私には似合わなかった。
 持ち帰るものをしっかりと入れた鞄を一旦このまま教室においていって、先生から託された荷物を持って一緒に向かう。
 持たされたクラスの人数分のノートが重くずっしりとしていた。
 廊下は冷房の効いていたのとは違って生ぬるい。
 私に頼むんじゃなくて、男子とかに持たせればいいのに。
 そう思っても決して口に出して言わないようにして心の中で思うだけ。
 普段も話したりしない子から急に頼まれたりすると私は頼られているのか、丁度いいからと利用されているのか分からなくなる。
 職員室に着くと先生に言われた机の上へ置くと「ありがとね」と言われてすぐに職員室を立ち去った。
 教室に戻っても、まだクラスメイトが数人残ってなにかを話していた。
 気づかれて急になにか話しかけられたりすることが嫌で急いで教室から校舎から外へ出る。

 すると、一気に暑さが増した。
 外へ出るとやっと開放されたような不思議な感覚をして、息がしやすくなる。
 毎日が辛い。学校で言葉に出して言わないだけで飲み込んでものが多く沢山溜まっていっているような気がした。
 このままじゃ保たないような予感がしてこういうときだけ立ち寄っているいつもの通り道の途中にある場所へ向かうことにする。
 6月の上旬の今日は曇り空が広がっていた。曇りだから気温も丁度いいなんてことはなく蒸し暑かった。夏へと進んでいるけど天気がまだ少し安定していなかった。
 道端に植えられていた紫陽花は水色、桃色、紫と淡い色で彩られて咲き誇っている。
 黙々と歩いていると次第に川の流れている音が聞こえてきた。
 私はいつも通っている通学路からこの川の音が聞こえる方向へと歩く道を変えて向かっていくとだんだん流れていく音も大きくなってくる。
 そして、たどり着いたのは河川敷の道路橋の下。
 人があまり来ることない場所で、この川の音を聴いていると辛い気持ちを洗い流してくれているような気がして私にとっての秘密の場所だった。
 軽く息を吸って深呼吸をする。
 私の上を道路を車が多く通っている音を軽く耳をすませて確認したあと、お腹に思いっきり力を入れた。
――よし
 心の中でそう呟くと口を大きく開けて全力で叫ぶ。

「私はその場しのぎの良い人間じゃない! 良いように利用ばかりするな!! 頼ってくれて嬉しいときはあるけど、なんでもできる人間じゃないって思ってほしい。授業の指名もなにもかも期待に応えられ続けられない。理想なんて勝手にぶつけるなバカ!」

 どうしても消えてくれない。わかってもらえないことを吐き出すようにして声を上げた。
 川と車が多く通る音が大きいのを良いことに遠慮なんてなにもせずに。

「なんの努力も知らないで! 私はただなにごとも不安を抱えて、それでもなんとやってこれているだけなんだよ」

 思いっきり言葉にして出すとスッキリする。
 そう、私は学校では優等生を演じていた。
 でも本当は――

「あの、さっきからうるさいんだけど」
「ひゃっっっい」
 他に溜め込んでいたことがないかと頭を巡らせていると突然斜め後ろ辺りから男性の声がした。
 その声に動揺しすぎて、無意識に肩を震わせて声を上げて素が出てしまう。
 えっ、待ってさっきの全部聞かれてた......?
 恥ずかしさよりも先に自分自身の大きな声を近くで聞かせてしまったことが申し訳なくて焦る。
 この状況どうしたら......もう、考えるのもいいや。こういうときは勢いで!
「大変申し訳ありませんでした」
 勢いに任せて誰が聴いたのか分からないけど振り返ってちゃんと頭を九十度下げた。
 すると、私の行動が想像の遥か上にいってしまったのか、隠したりせずにお腹を抱えて吹き出したようにして笑う声が聞こえてくる。
「ちょっ、まっ、そうくるっ。頭なんて下げたままにしないで上げなよ。制服が同じ高校のだしってあれ? 同じクラスのえっと誰だっけ?」
 えっ、同じクラス......
 同じクラスの人に聞かれてしまったの私は⁈
『最悪だぁ!』口に出さないように気をつけて、心の中で思いっきり叫んだ。
 ずっと頭を下げたままだけど、顔を上がるくらいならこのままでいたい。
 でも、そんなことは現実では不可能で。
 私のことなんか何もなかったようにしてそっとこの場から立ち去ってくれればいいのにと思いながら、しぶしぶ頭を上げると彼が言ったように本当に同じクラスメイトだった。
 二重まぶたの大きい瞳、ふわふわと風で揺れる柔らかな髪。地面に座り込んで私の方をじっと見つめてきた。
 まっすぐ視線を向けられるのが苦手で少し視線を逸らす。
 名前はえっと確か......名字は三石(みついし)で、下の名前は何だっけ?
 同じクラスメイトでも、ほとんど関わったことがなかったから、名前をしっかり覚えられないままだったのだ。
 彼の方は完全に覚えてなさそうだから、私の方が多少マシだろうとポジティブに考えるようにする。
 「三石くん、えっとその本当にさっきはごめんなさい。私の名前はその......中野(なかの)奏です」
 今更ながら、さっきの行動を思い返すと黒歴史すぎる。
 時間差で動揺するあまり、頬に熱が集まるのを感じる。なんだかとてもいたたまれなくて焦り、ますます顔が赤くなってしまう。
「あははっ、顔が真っ赤! そうだ、奏だ。それにしても学校にいるときと全く違いすぎて、ごめんまた思い出しちゃ、あはっ」
 本当におかしそうに笑った。
 『なんで、顔が赤くなってしまったのも見逃さないの』と心の中でツッコミを入れる。
 もう......穴があったら入りたい。
 急に、名前も呼び捨てで呼ばれて、今までそんなことがなくてドキッとしてしまう。
 彼は学校では、いつも人の和にいて人気者でよく騒いでいて私とは無縁の人たちの中の一人だった。
 どちらかというと苦手な部類の人たちで、極力関わったりしないようにしてきた。
 だから、こんなふうに接しられることに慣れていなくてどんな反応をしたらいいのか分からない。
 それにしても、笑い過ぎではないだろうか。いくら学校にいるときとは全く違いすぎていたとしてもこれは......
「三石くん、そろそろ笑いのやめてくだしゃいっ!」
 なんかもう駄目だ。滑舌崩壊してる。
「わっ、分かったよ。あー面白すぎた。こんなに笑ったのいつぶりなんだろう久しぶりな気がする。同級生なんだし、敬語はやめよう。あと、名前も陽炉(ひろ)って呼んで」
「えっと、分かったよ。陽炉」
 名前、そういう感じだったんだ。いつも明るい彼にピッタリな素敵な名前だと思った。
 遠慮なく気軽に話せるなんて結構久しぶりな気がした。肩に力を入れたりとかせずに自然体のまま居られるのってなんて楽なのだろう。
 このまま立ったままでいるのもおかしいような気がして私もその場に座り込む。
「学校では、大人しくて静かだったのに、本当は天真爛漫だったなんて。今のこの状態の方が断然いい、奏面白いし」
 私が面白い? そう言われたのは始めてだった。無意識に目を大きく開けて、びっくりする。
 そう私は、本当は天真爛漫だった。子供っぽいかもれしないからと隠していたのだ。
 彼の言う通り学校では、極力誰とも関わらずにいるから周りの子たちにとっては居ても居なくても同じだったかもしれない。
 少しくらい周りの人たちの和の中に入ってみたいと思っても、周りと関わるのがなかなか上手くできなくてそんな気持ちに蓋をして諦めていたから。
「奏は、学校でも今みたいに素直に......いや偽ったりしないで居てみたりしないの?」
 からかったりせずに真面目に真剣な顔をして言う。
「うんん......突然そうしても変な人だと思われるかもしれないし、話しかけられたりしてもどう関わって接して行けばいいのか分からないし戸惑っちゃうからできない......かな」
 なぜなのか分からないけど、陽炉になら言ってもいいような気がして普段誰にも言えないようなことを告げた。
 穏やかな風が私たちの間を通り抜けてふたりだけの今をなんだか居心地良く感じて、調子が狂う。たぶん、私は浮かれてしまっているのだろうそうに違いない。
「そっか、じゃあ奏の学校生活を俺が変えてやるよ。奏が今みたいな状態に上手くなれないのなら俺がなにか話しかけたりして、なにかきっかけを作る。偽ったり、我慢しなくたっていい。そんなことなんかしないでありのままで俺の話に乗っかれば自然と今みたいになれるだろ」
「そんなに上手くいく? 私結構こう見えて多分コミュ障だよ。確かにどうなるのか分からないけどさ」
「じゃあ、一回試してみよっか。何事も挑戦、挑戦。どうなるのか分からないだろう。周りなんか気にしなくたって実際はそんなに気にしてないことの方が多いし」
 なんで、今までまともに関わったことがなかった私なんかにそこまでしてくれるのだろう。ただの気まぐれなのだろうか。私は分からない。
「わかったよ、もう」
 深く考えても意味が無いような気がしてここはポジティブに、考えたりすることを放棄した。
「やった! 少し時間を置いて来週のどっかで話しかけるね。奏が自然のままに居られるようになると、もっと楽しくなるような気がするんだ」
 確信があるように言って、心から嬉しそうに笑った。
「あっ、空が晴れてきた。よしっ」
 曇り空から日の光が射し込むのをずっと待っていたようにそう言って、目を輝かせて隣に置かれていた鞄の中からなにかを取り出していく。スケッチブックに、絵の具やパレットなど。
 学校の授業以外では使ったことがない物たちが今目の前にあるのが新鮮に感じる。
 陽炉は絵を描くのが好きなのだろうか。それがなんだか以外だった。学校では、毎日賑やかで面白楽しくしているのが眩しくて、仲の良い人たちで話したりするのが好きだと思っていたから。でも、こんなのはただの勝手な偏見でしかない。実際にその人と接してみないと分からないことが、誰にも見せないようにしている一面だってあるかもしれないから。学校という狭い空間の中で見えてくるものが全てではないような気がする。
 陽炉は一人の世界に入ったように集中し始めて、慣れた手付きで真っ白な真新しいスケッチブックを色とりどりの絵の具で色付けていく。
 真剣な顔で空を見上げては、どんどん色付けて。そんな姿を見て、どんな絵が完成するのか楽しみになった。
 晴れていく空が綺麗でこんなに空って綺麗だったのかとバカみたいなことを思い始めて、そう言えば最近あまり見上げたりしようとしていなかったと気がつけた。
 あれはなに色なのだろうか。雲の中から太陽が顔を出し、次第に太陽を中心に雲が薄い膜を覆っているかのように広がって。言葉に表しづらい。でも、幻想的な光景が広がっていたのは確かだった。
 暑さがより増していく。河川敷の道路橋の下にいたおかげで、日陰があって過ごしやすい。
「ふっ、できた。あっ急に没頭しすぎていたよね。ごめん」
「うんん、大丈夫だよ。すっごく上手い。私は絵を書くことが絶望的にできないから、本当に凄いなって」
 真っ白だったスケッチブックには綺麗な空が広がっていた。
 色を重ね合わせていたり、濃い色から薄い色へとグラデーションとなっていて淡く優しさを帯びているような、でも儚くて。
 「実は、絵を描くことが好きだってこと誰にも話したりとかしたことがなくてさ。もう言ってくれて嬉しいよ」
 本当に嬉しそうででも、少し不安が残っているような顔をする。
「そうだったんだ。今までで見てきた中で一番すごい絵だと私は思ったよ。陽炉はどうして、絵を書いていること秘密にしているの?」
 これだと、互いに似たようなことを聞きあいっこしているみたいになるけど、そんな顔されて見過ごすことなんて私にはできなかった。
「絵には上手い下手なんて存在しないのに、人によっては下手だと決めつけたりするからそれで傷つくのが怖くて秘密にしていたんだ」
 私には分からないけど彼の過去にはそういうことが実際にあったのかもしれない。不安を抱えることなんて当たり前だ。
 それでも、ひとつだけ確かめてみたいと思うことが浮かんできた。
「陽炉はさ、誰かに自分で書いたものを見せたいって思ったことないの?」
「うんん......あるにはあるけど、自信が持てなくて」
 もしかしたら、私と君は似ているところがあるのかもしれない。
 変わろうとしたいけど、でもできなくて。
 どうしたらいいのかと少しの間考えているうちに良いことを思いついた。彼も自分自身も巻き込んだことになちゃうけどそれでもいい。
「陽炉、今年の文化祭のテーマは確か『青春革命』サブタイトルは忘れちゃったけど人数制限なしの完全に一般公開できるように自分らしく楽しめられるようにみたいな感じだったでしょ。縛りを解いて、思いっきり楽しむなんてまさに革命じゃん。だからさ、ふたりで別の意味の”青春革命”をしよう」
「へっ? 青春革命?」
 陽炉は目を大きく開けて驚いた顔をしていた。
 結構ぶっ飛んでいることを突然言っちゃたからそういう反応になって当然かと思いながら、なにかを企んでいるような顔をして言葉を続ける。
「陽炉、文化祭のポスターを描こう。アイディアとか一緒に考えるからさ。陽炉は学校で自分で描いた絵を公開するのを目標に、私は学校で自分を隠したりしないでそのままであるのが目標にして、互いに変わろうとすることをそれを革命って言うのかなって。一人じゃなければ怖くないっていう言葉もあるし、たぶん......きっと大丈夫だよ」
「お前バカだろ。自分自身も巻き込んでそこまでするなんてお節介すぎる。でも、まあ......悪くはないんじゃないか」
「お節介なんて陽炉こそ! じゃあこれでやるって決まりだね」
「おう」
 ほとんど勢いに任せて言ってしまったけど、はたしてこれで私は変わることが本当にできるのだろうか。
 これをきっかけに私はどうなっていくなんて分からないけど、学校を卒業してしまったあとに少しでも後悔を残さずに済むようにしたいとそう思った。
 



 あれから一週間が経ち、私の変わることのなかった日常に変化があった。
 学校が終わって放課後になった後のこと。
 あの河川敷の道路の下で、どうしても外せない用があるとき以外陽炉と毎日会うようになった。
 たわいもない話をしていることが多いけど、その時間が特別に思えることが多かった。
 なにより楽しいと感じる。
 ストレスを溜め込みすぎるのは良くないと、あの場所へ着くと最初に今まで通り叫ばせてくれている。
 陽炉が側にいる状態で全力で叫ぶことは恥ずかしいけど、陽炉は「我慢して溜め込んでいること、もっと言っちゃえ!」と満足そうな顔をしてよく笑ってくれていた。
 あの日、私が周りのことなんか深く考えず黒歴史になることをしなければ、『変わろう』と思い切って言ったりすることなんてなかっただろう。
 そう考えると、不思議に思う。
 
 あれは、偶然だったのかと。

 こんなこと深く考えても仕方がないことなのにふと考えてしまうのだ。
 今を良かったと思う自分がいる。けど、あの黒歴史はどうしても消えなくて。

 これから、どうなるのかな......?
 小さな希望を抱いて、でも不安の方が大きくて未来に怯える。
 
 そう考えを巡らせている今日この頃。
 前に陽炉が学校で話しかけるねと言われたけど、まだそうすることはなくて何も変わらない日々を過ごしていた。
 本当に話し掛けてくるのだろうか。
 学校ではなにも接点がないのに急に私に声を掛けてしまうとクラスメイトに驚かれて視線が一気にこっちへ向けてしまう気がする。
 あぁ......なんであんなこと言ってしまったのだろう。少しだけ後悔している。
 でも、言ってしまったことは消えないから。
『もう、どうとでもなれー! せめて嫌な方向にはいきませんように』と心の中で思った。
 
 今はお昼休みで、昼食を食べ終わり本に挟んでいた栞の場所を開き読み始めようとした丁度そのとき――

「奏!」
 と陽炉が急に私のいる席に向かって来て声を掛けられる。まるでタイミングを見計らっていたように。
 それと同時にクラスメイトが一気に急になにかあったのかと、もの珍しげに私の方へと視線を向けているのが周りを確認しなくてもなんとなくだけど感じた。嫌な視線......こういうのは苦手だから。
 一気に視線を感じることをいい意味で感じることなんてできない。
 予想が的急してしまった。そうだよね、こうなるよね。
 分かっていたけど、でもこんな状態で私はどう反応したらいいのだろう。戸惑を隠せずにいた。
 そんな私のことを分かっているというようにもう一度名前を呼んで、そして――

「奏、マジカルバナナしよう」

 へっ? マジカルなバナナ......?
 急に言われた言葉に首をかしげた。
 えっと、なんか聞いたことがあるような言葉のような気がするけどなんだっけ?
 マジカルだから魔法、つまり魔法のバナナ。
 なんか関係ないような気がするけどバナナって言っているし、きっと食べ物のことなんだよね。
 私が知らないだけで、そういう名前のバナナがあるかもしれない。
 このまま深く考えては行けないような気がして、考えることを放棄した。もう、思ったままに言うしかない。
「なにそれ、おいしいの?」
「ぷっ」
 陽炉は思いっきり笑い出した。
 私と陽炉の会話に聞く耳を立てていたであろう人たちも笑いをこらえているようなかすかな声がする。

 この場が一気に和むように空気が穏やかになっていった。
 私が言ったことは、やはり間違いだったらしい。でも、これしか言う言葉が思いつかなったから仕方がない。
 頬が熱くなるような感覚がする。
『食べ物じゃなかったら、一体なんなんだ!』急に叫びたくなったけどこらえて代わりに心の中で遠慮なく言う。
「奏、食べ物の方じゃなくて『マジカルバナナ』っていう連想ゲームの方だよ。四拍子でリズムをとって思い浮かんだワードで言葉を繋げていくやつ」
 連想ゲームで四拍子でリズムをとる......マジ、カル、バナ、ナ?
 これはやったことあるぞ。確か修学旅行とかでやったことがあるような無いような。
「マジカルバナナ、バナナと言ったら滑る。滑ると言ったらスキーみたいに繋げていくの。思い出した?」
「あっ、思い出した」
 陽炉の丁寧な説明でやっと思い出すことができた。そう言えばそういう連想ゲームをやっていたことがあったと。
 クラスメイトと関わることが少なかったから、忘却の彼方へと追いやっていたのだ。
「『なにそれ、おいしいの?』って言われたの始めてだったよ。奏はやっぱり面白い」
「えっと、ありがとう?」
「なんで、疑問系?」
「いや、その......だってまだ言われ慣れてないんだもん」
 私のことを面白いと言われ始めてやっと一週間なのに、すぐに慣れるわけがない。
『なにそれ、おいしいの?』今更ながら恥ずかしすぎる。
 相当おかしなことを言ってしまった。言わなかった前に後戻りなんてできない。
 あぁ......ほっぺたがいつもより熱い。 

「奏がちゃんと思い出せたようだし、やろうかマジカルバナナ」
「うん」
 笑うのが落ち着いて来た頃、切り取り直してやり始める。マジカルバナナをするのなんていつぶりなんだろう。
「「マジカルバナナ」」
「バナナと言ったら黄色」
 最初に言うのは陽炉からだった。リズムよく四拍子を取りながら始まる。
「黄色と言ったら光」
「ひかり!?」
 陽炉はびっくりしたような顔をした。
 まさかそんな言葉が出てくるのかと想像できていなかったみたいだ。
「えっ、なんで黄色から光だと思ったの?」
 言っていいのかな。想像もできなかった言葉だったぽいし、おかしいと思われないだろうか。
 少しだけ不安を抱いて、言ってみようと口を開く。
「夜の空に浮かぶ月ってほのかに光を帯びて照らしてくれるでしょう。絵本とか月と言えば黄色で彩られていたりするし、太陽とか電気の光が薄っすらと黄色にみえるから」
「確かに、言われてみればそうだな。奏はそういうことに気づけられて凄い」
 陽炉は納得したように何度も頷いて、柔らかい微笑みを浮かべる。
 凄いことなのかな?
 自分ではよくわからないけど、陽炉がそう言ってくれたことが素直に嬉しかった。
「そうかな、ありがとう」と笑顔で返す。
「えっと、途中で途切れちゃったけどどうする? 続きからやるか、それともまた最初からか」
 どっちがいいんだろう。最初からだとまた序盤で止まってしまうかもしれないし、続きからの方がいいかもしれない。
「うんん......じゃあ、続きからで」
「わかった、さっきの続きだと俺からだな。光と言ったら眩しい」
「眩しいと言ったら空」
「空と言ったら青い」
 マジカルバナナっって楽しいゲームだったのだと感じる。誰かとする遊びってこんなに、うきうきするものだったんだ。
 ひとりだけだと感じられないものだったからとても新鮮だった。
 次はどんな言葉に繋げよう。
 空は水色に見えるけど青い空というなら、それ関係でもいいよね。
「青いと言ったら水」
「水と言ったら海」
 海と言ったらなんだろう。
 実は私は海に実際に行ったことがなかった。正確にいえば行く機会がなかったのだ。
 数時間かけて行けば海へ行けるけど、結局ずっと行かぬまま。写真とかでは見たことはあっても行ったことがないから。
 うまく思いつかない。大体の人は夏休みに行ったことがあるはずだから、珍しいかもしれない。
――分からないから、そのまま言うしかない。
「海と言ったら、海だー!」
 思っていたより少し大きく言ってしまって、周りからの視線を一気に感じた。
「すみましぇんでした」
 なんだかとても気まずくて謝ったのにこういうときに限って噛んでしまった。
 穴があったら入りたい。これじゃあ、ひとりでコントしているみたいじゃん。
 私のいるこの教室は笑いに包まれていた。
 絶対に今、変な人だと思われてる。
 さらば、平穏。
 今までの大人しいただの優等生ではいられなくなってしまった。
 これから私はどうすればいいのだろう。

「奏、なんで海を海だって言ったの?」
 陽炉は驚いただけで笑いことはなかったけど、不思議そうにして言う。
「実は、その海に実際に行ったりしたことがなくてすぐには思いつかなかったから。そのまま言うしかないのかなって思って」
「そうだったんだ。次のときは、しょっぱいって言えば大丈夫だよ」
「あっ、確かに」
 どうしてすぐに思いつかなかったのだろう。
 実際に海水を舐めたことはないけど、しょっぱいらしいのに。
 次からは、ちゃんと言えるようにしようと思い始めていたとき、周りの子たちが私の方へと向かってきた。
 えっ、なにか言われる?
 どうしよう、どうしよう。不安がたくさん溢れる。
「奏さんってこんなに面白い人だと思わなかった。私もこのマジカルバナナに混ぜて!」
「僕も」
「私も」
 私が思っていたこととは違ったことが起きていた。今、想像もつかなかった光景が広がっている。
 クラスメイトの人たちが声を上げて、一緒にやりたいと言ってくれている。こんなこと始めてだ。
 どうしたらいいのかな。慣れないことすぎてどうすればいいのか分からなくて、戸惑う。
「奏はどうしたい?」
 陽炉は困っている私のことを見かねて聞いてきた。
 私はどうしたいか。
 そう言われても困るだけだけど、でも今ならあまり関わることがなかったクラスメイトとちゃんと和の中に入ることができて一緒にこのゲームを楽しむことができる。
 諦めていたものを今、実際にできるのなら。私が言うべき言葉はただひとつ――
「みんなでやろう!」
 と私は声に出して伝えた。
 すると、私の近くに集まった人たちは嬉しそうな顔をした。
「やった」
「マジカルバナナなんていつぶりだろう。やろう、やろう」

「「「「「「マジカルバナナ」」」」」」
 声を重ねてこのゲームが始まる。
 マジカルバナナという遊びは、お昼休みの終わりのチャイムが鳴り終わるまで続いていた。
 気づけば私は、偽ったりすることなく素のままで思いっきり楽しんでいた。
 今まで自分が馬鹿みたいだと思ってしまうほど、抱き続けた不安は消え去って関わることができた子たちと笑い合ったりするのが楽しくて、嬉しかった。
 人はなにをきっかけに変わるのは分からないものだとそう思った。





 それから時間はあっという間に過ぎて気が付けば放課後の時間になっていた。
 あのあと、実際に話してみて気が合う子がいて、今はまだ少しだけだけど話してみたりすることができた。
 これを機に小さなことを少しずつ話してみたりできたらと思う。
 今日は晴れた空が広がっていてとても暑かった。
 私が河川敷に向かうといつも通りすでに陽炉がいた。
「よう」
「やっほ」
 会ったときの挨拶代わりに軽く言葉を交わす。
 陽炉はいつもはなにか絵を描いていたりするのに今は珍しくノートを広げて何かを考え込んでいた。
 鞄を近くの地面にそっと置くと一体なにをしているの覗こうとしたけどそういうのは良くないかもしれないとやめて軽く深呼吸をした。川の流れる音が心地いい。
 陽炉は私の深呼吸をする姿を見るとノートと向き合うの一旦やめたようで、これから私がなにかを叫び終わるのを待つようにシーンと静かになった。
 そろそろ言い始めようかな。
――よし
 心の中でそう呟くと口を大きく開けて全力で叫ぶ。
「マジカルバナナになにそれおいしいの?って言っちゃって黒歴史になって最悪だった。でも、まともに話したことがなかった人たちと関わる事ができて良かったよー!」
 良いことを叫ぶのは初めてかもしれない。今まで嫌なことばっかり言っていたから。
「マジカルバナナは私にとって本当にマジカルだったー!」
 今の私はこの言葉しか思い浮かばなかった。
 今日起きた光景が全部偽物だったとしたらと錯覚してしまうほどの、今までの過去の私が”今”の私を見るとありえないと思うであろう出来事だったから。
「どこがマジカルだと思ったんだ?」
 私が今回叫んだ内容を聴いて、嬉しそうな顔をして微笑みながら問う。
「マジカルバナナをしたおかげで、今回その......あまり話したりすることがなかった人たちと一緒の和に入ることができて、楽しむことができて少しだけど色々話すように慣れたから。マジカルって、つまり魔法でしょう。私にとってそういうきっかけをくれた魔法のバナナだったなって」
 こういう考え方はおかしいだろうか。変に思われないだろうか。不安があって、少し恥ずかしい。
「なるほどな。魔法のバナナ良いきっかけだっただろう」
「なんで、そこで偉そうなの?」
「青春革命をするって決めたあの日に、俺がきっかけを作るって言っただろ。それが無事に成功できて嬉しいんだ」
 心から嬉しそうな顔を私の方へ向かって笑う。
 その表情を見ていると、ドキリと胸が高まった。この気持ちは一体なんなのだろう。私はまだ知らない。
 こんな経験を今までにしたことがなくて今のままでいても良いのか分からない。だからこの気持ちを知らないフリをして別の話題を考えた。
「そう言えばなんでマジカルバナナをしようって思ったの? あのまま流れに乗ってやったけどちょっと不思議に思って」
「それは......その文化祭のポスター描くにあたっての予行練習に丁度良いかもしれないと思ってさ。絵を描いてると色々連想させて出たアイディアを元に描くことが多いから、案だしに良いかなって」
 ちゃんと考えていたなんてびっくりした。突拍子もないことだったから。あのあとの自分の行動が私にとっての黒歴史がまた増えてしまったけど、でも結果的にはとっても良かったから。
 陽炉はすごいと思う。クラスの方で元から遠慮なく騒いだりそういう考え方ができて、絵も描けるんなんて。文化祭ポスター案をしっかり出したいと思った。
「あの時、突然過ぎてびっくりいたけど、でもそうだったんだね。よし、ポスターのアイディア出し頑張る!」
 私が変われるようなきっかけをくれた陽炉の背中を押したい。
 まだ、これからの部分もあるけど、あの日交わした約束を早くも守って果たしてくれたから。
「ふっ、奏は真面目だな。今日は文化祭のポスター案出ししようか。締め切りとか考えるとそろそろやらなちゃ」
「うん」
 陽炉の方へ近づいてその場に座った。
 すると、陽炉がさっきまで開いていたノートを私の方へ近づけてた。どうやら、見ても問題ないようだ。
 開かれているページを除いてみると、一番上にタイトルのような大きな見出しを書く欄に”文化祭テーマ:青春革命、ポスターアイディア”と書かれてた。
 少し癖のある綺麗な字で、真っ白なページに自由に使って色々なことが書いてある。空、虹、シャボン玉など、簡単描かれた絵も添えて。独り言のようなメモのようなものも書かれていた。
「晴れた空とかをバックになにか描けたりしたらと思っているけど、なんか良いのが思いつかなくてさ。なにか思い浮かぶのある?」
 空をバックにと聞いてすぐに勝手にどんな感じになるのかと想像してしまった。
 陽炉が描いた空を何回か見たことがあったから。
「うんん......青春革命だから、自由にはしゃいでいる生徒とか?」
 思い浮かぶものと問われてもすぐには思い浮かばなくて、なんとなくで言ってみても違うような気がしてしまう。
 こんなので大丈夫なのだろうか。しっかり考えないと。
「はしゃいでいる......なら笑っている感じの人とかか」
 そう言って口に出したことを陽炉はノートの方へ書き出していく。
「思いっきり楽しんでいる感じで笑顔している人の方がいいんじゃない?」
「確かに。あっ、じゃあ満面の笑顔浮かべながらジャンプしている感じで男女四人くらいとかにしてみよう」
「いいと思う。服の部分は制服で、ブレザーなしでワイシャツとかにした方が自由感がありそう」
 最初に言ってみたものから次々と連想されて、少しずつ形になっていく。
 話し始めたらあっという間で不思議だ。不安定でおぼろげなものから明確にどんどん形にしていって。
「今、出ている案だけでとりあえず大雑把に描いてみようか」
 箇条書きに描いた案の隣に慣れた手付きで四角形を書くと、その中に人らしき形をしたものを横に並べるように描いていった。
「スラスラと描けるのすごい」
 心の中でそっと呟いたつもりが口に出ていた。
「そうかな、ありがと。よくこうやってどんな感じ絵にしようかと構図を考えたりしているんだ」
「こういうの本当に私じゃ描けないから、すごい」
 手を上げてジャンプしている四人組のができていった。
「こんな感じかな? 並びの位置とか変えると良いかもだけど」
 顔の表情まで細かくはまだ描かれていないけど、どんな表情をしているのかなんとなく想像できた。
 ここから、もっとよくなるにはどうしたらいいのだろう。
 考えてながら、陽炉が沢山考えて書いたであろう案と見比べてみる。
「この四人組の並びを横にするんじゃなくて、上下にしてみたりとかも良いかも」
「なるほどね」
「あと、周りに陽炉が事前に考えてくれていたシャボン玉とか虹入れたりとかもいいかもしれない」
 思い浮かぶものを進んで言ってみる。こんなに言っていいのか分からなくなるけど。
 陽炉は嬉しそうに提案を受け入れては、書いていってくれた。
 この後も提案してみては、試しに大雑把に書いてみてをひたすら繰り返す。
 こんな時間が長く続けばいいのに。
 穏やかでなにより楽しい。

――でも、終わりの時間はやってきた。
「よし、大体どんな感じにするのか決まった!」
「あっという間だったね」
 と二人で笑い合う。
 ノートのページを沢山使って案を出してようやく形になった。
 ここへ来た時間は四時二十分くらいだったのに、気づくと六時を回っている。
「奏、ありがとう。誰かとどんな絵にするのか考えたりすることなかったから、楽しかった。今までで一番良い出来の絵にするから楽しみに待ってて」
 本当に嬉しそうに、目を輝かせて笑顔で笑う。
「うん、楽しみにしてる!」
 ふたりで考えてできたものをどんなふうに彩ったりするのか楽しみで仕方がない。
 とっても素敵で凄いものになるような気がして。

 なんだか待ち切れないような気持ちで溢れた。




 どんな絵にするのか話し合った後、あれから陽炉は文化祭のポスターを完成されるまで放課後にあの河川敷の下であったりしなくなった。
 気づけばあれから一週間と少し。
 毎日が当たり前だったものが突然消えてぽっかりと心のなかに穴が空いてしまったような喪失感を感じる。
 少なからず、正直に言ってしまえば寂しい。
 放課後はただ家に帰るだけのつまらないものになったから。これだけが理由という訳ではないような気がするけど自分の気持ちがよくわからない。
 文化祭のポスターができるまでのことだけど、前まではひとりが当たり前だったのにもう前の私じゃないような気がした。
 一度楽しさとかを知ってしまうと抜け出せなくなってしまうから。
 私は確かに変わりつつあるかもしれないけど、まだ途中経過に過ぎないから。関係はいつ簡単に崩れてしまうのか分からないものだから、戻ろうと思えば戻れるけどそうはしたくないと思う。そんなことをするなら大切にしたい。
 学校では一緒に行動をしたりする子ができた。マジカルバナナをした後に話すことができた子と無事に。
 友達というのかな。
 私的には友達かそれに似た近しい関係にはなっていると思っているけど、相手がどう思っているのか分からない。
 それが少し不安だった。
 本を読むのが好きで、好きな作家様が偶然一緒で意気投合したのだ。
 このまま互いに友達に慣れたらと思う。
 こんなのだったらもっと早く話してみたりすればよかったと遅すぎではないかとたまに思ってしまうけど、それでもまだ全部が過ぎ去って何を言ったって遅かったという訳ではないからとマシだと思うようにしていた。

 私が通っている高校では七月に文化祭を毎年やっていて自分のクラスでもどんなことをするのか話が出始めている。
 三年生は模擬店をやることになっていて詳しくは近々決めいるらしい。たぶん、どこの高校でも売っているような定番のものの可能性が高かった。
 六月ももう下旬へと進んでいて、文化祭のポスター締め切りも確か今週中までだった。
 無事にイラストは締め切りに間に合うのだろうか。
 私自身が書いているわけでもないし、どんな状態の進み具合なのか詳しくは分からなかった。
 そう思っていた丁度そのとき――
「奏、今日のお昼休み弁当食べ終わってからでもいいからちょっと話がある」
 と午前の授業移動の途中で陽炉にこっそり言われた。今日は丁度、一緒に行動を共にする子が休みで一人だったのだ。
 突然、声を掛けられてビクッと肩が大きく震えてしまった。
 話とは一体何なんだろうう。
「へっ? あっ、うん。分かった」
 声が大きくならないようになんとか抑えてそっと返事を返す。
「うん、じゃあまた」
 とそのままあっさり行ってしまった。
 陽炉とはクラス内でもたまに話すようになったけど、誰にも聞かれたくないということは文化祭のポスターがついに完成したのだろうか。それかそれ以外のなにか?
 よくわからないけど、早くお昼休みになればいいのにと思いながら、次の授業をする場所へと急いで向かった。





「陽炉、話ってなに?」
 お昼になって早く昼食を取ると、陽炉の後を追って空き教室に来たのだ。
 陽炉の手には、柄がついて中身が透けて見えないクリアファイルを持っていた。
 その中にはひょっとして――
「文化祭のポスター出来たんだ。見てほしい」
 少し不安があるような表情をしてクリアファイルのまま私の方へ手渡す。
 受け取るとすぐにそっとクリアファイルから画用紙を取り出した。
 すると視界には高校生活を楽しく謳歌しているような、まさに青春革命という文化祭のテーマにピッタリな絵が広がる。
 晴れた空の中を思いっきりジャンプして、手を上げて笑顔を咲かせてる四人組。その周りに飛び交う虹色がかったシャボン玉。
 絵の全体に星のように無数に飛び散らせたような金色と薄い桃色。
 ずっと見ていたいと思ってしまうほどこの絵に目を奪われてしまう。
「えっ......すごい、青春革命にピッタリすぎる絵だ」
「そうかな?」
 私がこの絵を見ている間も不安そうな顔をして、問う。
 こんな陽炉は初めてだった。いつも自信たっぷりに笑ったりクラスでは騒いだりしているような彼がこんなにも大丈夫なのかと心配して。きっと、彼が絵を描けることを誰ひとり知らない中これから見せるようになるから不安でたまらないかもしれない。
「うん、絶対にそう!」
 だから私は大丈夫だと確信を持ったような声を上げてすぐに言った。
「私にできたのは、どんな絵にするのかアイディアを考えたりすることだけだったけど、あのときふたりで考えて形したものが彩られてたらどうなるのかってずっと想像ばかりしていたけど、想像以上にとってもすごいよ」
 うまく言葉にして伝えられないけど、できるかぎり精一杯伝える。
 もっと語彙力があったらと思ってしまうけど仕方がない。自分が出せる限りのことを伝えていく。
「ずっとこの絵を見てみたいと思っちゃう。光があたって明るいところ、暗くて影になっているのとかちゃんと丁寧に表現をえっと、確か明暗っていうんだっけ。それがね細かく濃い色から薄い色で表していてすごい!」
 私の想いが伝わったのか、ようやく陽炉の表情がいつもの自信に満ちたように不安そうな表情は消える。
「奏がそう言うなら、本当にそうなんだよな。時間をかけて描いた甲斐があったよ」
 嬉しそうな顔をしてようやく笑ってくれるようになった。
「この絵は誰が見ても絶対すごいって思うよ」
「そこまで言うほどか」
「陽炉は本当にすごいもん」
 それは本当に思っていることだった。嘘偽りなんてない。
 不安なんて抱くよりも自信を持ってほしい。
「奏がそんなに言ってくれるなんて思わなかった。ありがと」
 私の顔をしっかり見て、真剣な顔を急にして言葉を続ける。
「奏、お願いというか頼みというか......断ってくれてもいいけど、このポスターの絵ふたりで作成したことにしてもいいか?」
 その言葉にびっくりしてしまう。
 この絵はほとんど陽炉ひとりで描き上げたものだったから。ふたりで制作したのは間違っていないけど、こんな私でいいのだろうか。
「奏が描こうって言ったりしなかったらそもそもこの絵を書くことがなかったものだと思うから。正直まだ不安で、描けたのはよかったけど出せる勇気が持てなくて」
 また不安そうにして、でも必死に言葉を紡いでいるような気がして最後まで言うのをしっかり待つ。
「この後、やらなちゃよかったて思うことになってしまうのか分からないから。あのとき『ふたりで、一人じゃなければ怖くないから』って言ってくれただろ。勇気をくれ」
 ふたりだけのこの場所が静かに沈黙が流れる。
 陽炉ずるい。そんな言い方をしたら断るなんて言えないじゃん。先に私の背中を押してくれたし、あのときほとんど私が勢いに任せて言ったことをしっかり果たさなくちゃ。
「わかった、ふたりで制作したことにしよう!」
 そう告げると今まで見たことがなかった。雪解けのようにじんわりとそして無邪気な笑顔を浮かべる。
「本当にありがとう」
 とそのまま言葉をこぼした。
 私も笑って頷き返す。
 この陽炉の笑った顔を見ていたい。
 今、陽炉がすごい絵を描けるのを知っているのは私だけ。
 これから、沢山の人が陽炉の絵を実際に見ることになる。
 けどこのまま、あの絵を誰にも見せないで自分のものにしたい。
 心臓が早い動きをしている。

 私は陽炉のことが――
 いや、まだ決まったわけではないけど、そういう気持ちを抱いているのかもしれないと心の中で思った。





 文化祭当日。
 学校の校舎内では、老若男女問わずたくさんの人が訪れていた。
「あの絵すごいー!」
「本当に誰が描いたのかしら。凄いわ」
 校舎の中にあちこちに貼られているポスターの方を小さな子どもが指を指して親子で笑い合っていた。
「陽炉、あそこ見てよ。陽炉の絵の話してるよ」
「あっ、本当だ」
 学校指定の制服の上にクラスTシャツを来て、自分たちが何をやっているのかクラスの宣伝をやりに校舎を回ってみると偶然その姿を見かけたのだ。
 陽炉は嬉しそうに微笑む。
 私もつられて微笑んだ。
 誰かが見て喜んでいる姿をみると嬉しくなる。
 こんな気持ちを体験する日が来るなんて思わなかった。
「奏、そろそろ確かシフトの時間じゃない?」
「あっ、やば」
 こんなに呑気にしていられない。
 慌てて急いで戻ることにする。
「奏さんきた! じゃあ受付お願いね」
「わかった、了解。文化祭楽しんで」
 急いで向かうとクラスメイトの一人が私の姿をすぐに見つけて場所を変わった。
 クラスメイトと話すようになると、こういうときの連携を取りやすくなってなにより楽しく思える。
 私のクラスは中庭で焼きそばを作って売っていた。
 7月上旬の空は晴れていてすごく熱い。
「えっと、紅生姜抜きでふたつください」
「わかりました。紅生姜抜きでふたつですね。ご会計は千円です」
 暑さに負けないように、任された仕事に集中することにする。


 
 文化祭という行事があっという間に過ぎて閉会式になった。
 文化祭のポスターが正式に陽炉と私で制作したものになったとき、クラスメイトはびっくりしていた。
 でも、すぐに凄いと言ってくれてそのときは、どうやってこの絵ができたかの話で持ちきりになった。
 私たちは”青春革命”を無事に達成できたのかもしれない。
「ポスター制作。三石陽炉、中野奏はステージにご登壇してください」
 私たちはそっと、立ち上がってステージの方へと向かった。
「奏、この後伝えたいことがある」
「分かった」
 ふたりでそっと会話を交わした。
 ステージに立つと全校の顔が遠くまでしっかりみえる。
 この光景を目にしっかり焼き付けたい。
 
 きっかけ一つで人生がどう変わってしまうのか分からない。でも、一歩を踏み出せて本当によかった。
 あとは私はいい加減に自分の気持ちをしっかり自覚してこの後絶対に伝えたいとそう思った。

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