「多数派が正義っていうのは、一種の人殺しだと思うんだよね」
「人殺しって……大袈裟だな」
「いや? だってそうじゃん。数が多いってだけで、少数派には優しくないのに、それが当たり前みたいに世界に広まるんだ。意見が反映されなかった少数派にとっては、そこはただの地獄だよ」

 今の僕らみたいにね。そう付け足され、俺は何も言えなかった。多数決の結果が当たり前に広がる世界を生きている。そういう自覚が、確かにあったからなのだと思う。

「ねえ(あい)?」
「うん」
「男と男って、そんなにダメなことなのかなぁ」

 窓の隙間から吹き込む夕暮れ時の風は冷たくて、少しだけ儚さを含んでいた。朱色の影が射し込む部屋の一室。ふたり分の呼吸が、規則正しくとけていく。
「まあ、ダメだからこんな気持ちになるんだろうけどさ」
 部屋の真ん中に置かれたローテーブルに、表面に頬をつけるようにして上半身を倒す耀(よう)と、ベッドの上でうつ伏せになって漫画を読んでいる俺。そういやこれ新刊いつだっけ、と頭の片隅でそんなことを思いながらページを開いた時、声をかけられた。耀は、俺を呼ぶ時、いつも少しだけ語尾をあげる癖がある。

「ごめんね」
「はあ? なに……、急に怖いって」
「ごめん、しか言えないから」
「何に対して謝ってんのかわかんねーよ」
「……うん、ごめん」

 台詞を追うのを止めた。チッと舌打ちをして漫画を閉じる。身体を起こしてベッドの上で胡座を掻くと、そいつの視線がゆっくりと俺に向けられた。
 同じように身体を起こした燿の顔。夕焼けに照らされて影になっているけれど、分かる。
「気持ち悪いんだね、僕たち。普通じゃないんだね」
 わかっていることを言葉に起こされるのは、いつだって苦しくて壊れそうになる。

 一般的に恋とは男女がするもので、恋人同士になるのは男と女で、キスもハグもセックスも、全部男と女で成り立つものだとされている。
 それが普通で、過半数で、正しい生き方なのだ。

 俺と耀は幼馴染で、昔から、お互いのことが何よりも大切で、いちばんだった。好きだと言ったわけでも言われたわけでもなかったが、俺たちが好き同士であるということはなんとなく察していた。
いつから自覚した気持ちなのかはわからない。恋愛対象が男だから好きになってしまったのか、耀だったから好きになってしまったのか、今となっては曖昧で、考えることもやめてしまった。

 初めて触れ合ったのは中学二年生のときだ。
「ねえ藍?」
「なにー」
「僕とはしたくない?」
いつものように俺の部屋で受験勉強をしていたとき、燿が不意に爆弾を落とした。
 その日は同級生の間でセンシティブな話題があがっていて、好きなAV女優の話とか、クラスの女子で誰が一番抜けるかとか、どのシチュエーションがロマンかとか、誰がすでに童貞を卒業しているか、とか。普通に生きる同級生たちが異性の話で盛り上がるなか、俺と耀は、普通に上手く溶け込んでへらへら笑っていた。
 だから、だったのだろうか。

「は……はあ? なんだよ急に」
「急じゃないよ。ずっと思ってたことだから」
「思ってたって、なに」
「僕、藍とだったらなんでもいい。なんでもいいよ、藍がしたいようにしていい。どっちでも、いい」
「耀お前、ちょっと待てって」
「……僕はしたい。藍と、一緒になりたい」

 恥ずかしがるわけでも、ふざけているわけでもない。それは心からの願望であるかのように、真剣な眼差しで燿は俺にそう言ったのだった。
 燿の言葉に俺がなんて返事をしたのか。「俺もだよ」と短く言ったような気もすれば、異性で成り立つバカげた恋愛映画みたいに「責任とれよ」って恥ずかしい返事をしたような気もするし、何も言わずその唇に噛みついた可能性だって大いにある。
 真相は燿が覚えているようだけど、なんだか照れくさいのでこの先も聞くことはないだろう。俺たちの始まりは、俺の記憶の中でだけ美化されて、いずれ溶けてしまうのだろう。

「どうせ僕ら、普通になれないんだ。僕は藍のことを好きなままきっと一生生きてくよ」

 けれどもあの日、流れるままにふたりでベッドに沈んだことだけは、今でも鮮明に覚えている。


 それから五年が経った。「一生」なんて言葉を軽々しく使えていたのは中学生だったからだと思っていたのに、大学生になっても、俺たちは変わらなかった。
 俺たちのような人間が多数派に殺されることがわかっていたから、ただ仲の良い幼馴染として見えるように努力はしてきた。上手くやってきたつもりだった。俺と燿の間に、友情以上の感情があることは、俺たち以外のだれも、知らないはずだった。

「なあー、耀と藍って本当は付き合ってたりすんの?」

 今日のこと。大学に入って知り合った佐藤が、唐突にそんな質問を投げかけた。一緒にいた星川も「それちょっと思ってた」と笑いながら言う。

「いや……」
「や、でも流石にねえか。耀ならたしかにいけなくないかもってちょっと思ったけど、まあでも男だもんなぁ」

 何故、同性同士というだけでこの関係性を隠さなければいけないのだろう。考えれば考えるほど疑問と焦燥に駆られ、俺は言葉を詰まらせる。視界の端に映った耀が、傷ついたような、悲しそうな顔をしていて苦しくなる。
 けれど、そんな俺たちに気づかないまま佐藤と星川は会話を続ける。

「え、てかさぁお前知ってた? 男と男ってセックスするとき後ろ使うの」
「らしいね。めっちゃ気持ちいいって言うじゃん」
「俺そーゆープレイちょっと興味ある」
「勝手にやってろ俺に言うな!」

 笑われるようなことじゃない。ネタにされるようなことでもない。本気で恋をしているだけだ。ひとりの人を好きになっただけ。それをどうして、なんで、こんなふうに否定されなければいけないのか。

 俺は俺で、耀は耀だ。俺と耀のどちらかが男じゃなかったら、なんて、何回思ったか分からない。

 思っても、願っても、今更どうにも出来ない。
 変えられない。

 俺たちは、一生〝普通〟にはなれない。






「……僕が藍を好きだから」
「そんなの、お前……俺だって」
「うん。だから、ごめんね」

 違う、そうじゃない。俺は耀に謝ってほしいなんて一度も思ったことがない。
 俺たちの価値は、恋は。
 誰かが決めた〝普通〟には則っていないだけだ。


「藍は、もしかしたら女の子を好きになれてたかもしれないし。僕と出会わなきゃ──……っ」
「言うなよ、そんなこと。冗談でも言うな」


 多数派の意見に、俺とお前のこれまでとこれからを殺されててたまるか。ベッドから降り、耀の胸ぐらを掴んだ。Tシャツが乱れる。耀は瞬きを繰り返し、それから涙を溢した。

「っ、だって……」
「自分だけが好きになったみたいに言ってんじゃねーよ。俺は、……俺は、耀だから一緒にいる。俺の気持ちまで勝手に可哀想にすんな!」

 泣くなよ、泣くな。お前が泣くと苦しくなる。
 どちらかが女だったら。どちらかが多数派の人間だったら、こんな気持ちにはならなかった。
 
けれど、耀だったから、俺はお前を好きになったんだ。


「耀じゃないと意味ねーんだよ。わかれ、バカ」

 好きになったことが不正解だったなんて、死んでも絶対思いたくない。可哀想なのはむしろ、少数派の人間を受け入れきれない多数派のほうだ。そう思うしか、今は救われる術がない。

 項垂れるように耀の肩に額を乗せた。胸ぐらを掴んでいた手から力が抜ける。耀の柔軟剤の匂いはこんな時でも優しくて、泣きそうになった。


「耀がいてくれるだけでいいんだよ、俺は。お前が好きなんだから」
「うー…」
「……むしろ俺のほうが、こんなに好きでごめんだわ」


 背中に手が回る。力なく添えられたそれが、弱々しく俺の身体を包み込んだ。

 好きであること、恋をしたこと。
 果たしてその気持ちは謝るべきことなのか。謝ることだとして、誰に向ける謝罪なのか。

 正解なんてわかりたくもないけれど、俺と耀の物語に軽々しく名前が付いても癪だから、答えを探すのはやめにする。






「一生普通になれなくたって、耀がいてくれるならなんでもいいよ」