第1話
 雪が降っていた。中学一年生、一月。体の芯まで氷のように冷たくて、私は街のどこかで立ちすくみ、空を見上げていた。
 悲しみが降ってくる。淡くて白い綿雪が舞い降りてくる。息を吐いた時に、堪えていたものが、溢れた。

雪季(ゆき)ー、またおんなじクラスだね! やったー!」
 中学からの親友である早苗(さなえ)が私のところまで走ってきて、笑いかける。彼女のキラキラ輝く瞳と、嬉しそうな声。新学期が始まることに対する不安は、氷が溶けるように薄れていく。
「うん」
「もー、新学期だってのにテンションひくいー」
 早苗は唇を尖らせて、眉根を寄せる。彼女のそういう、感情表現に富んでいるところは見習いたいなといつも思っているけど難しい。
「ごめん、嬉しいよ」
「それ、私が無理やり言わせたみたいになってない?」
 言われてから確かに、と気づき私は口をつぐんだ。
「まったく不器用だねえ、雪季ちゃんは」
「ど、努力はしてる……」
「はいはい、雪季がそういう子なの、知ってるし。今さらとやかく言ったりしないよ」
「そう言われると負けた気がして悔しいです……」
 はーい着席ー。すわれすわれー。穏やかだが芯のある男性の声がした。
 担任の先生が教室に入ってきて、早苗は私に慌てて手を振り自分の席に戻って行った。私は教卓の目の前の席なので、先生を見上げていると少し首が痛くなる。
「はい、ということで今日から君たちは二年生です。上級生としての自覚を……っていう話はどうでもいいや。今年は何があるか、分かってるよな?」
 その時、静まり返った教室の空気を切り裂くように後方のドアがガラガラ開く。
「修学旅行です」
 低くて、よく通る男子の声だった。クラスの全員が教室後方のドアの方を振り返る。
「おっと、新学期早々遅刻とはずいぶん度胸があるねぇ。紡木(つむぎ)
「うす」
 目つきが悪くて、背が高くて、怖かった。ん、紡木……つむぎ? 私は自分の後ろの席に視線を移す。誰も座ってない。……。……こいつか!! 私の後ろの席。立川(たちかわ)雪季の、後ろの席が紡木だ。
 最悪、こんな怖い人が後ろの席だなんて。私もついてないな。こっそりため息をついて、もう一度彼の方を見た。
「とりあえず紡木は座れ。そして! まさに彼の言う通り、今年は修学旅行があるっ! みんなで京都行くぞ〜! ……はい、担任の瀬川(せがわ)です。俺からは以上」
 なんか変な先生だな。なんというか、先生らしくない。だけど悪い気はしなかった。生徒と一緒になって楽しんでいる感じがする。
 ということより問題は、今まさに私の後ろに座った紡木だ。なんかもう、醸し出してるオーラが怖い。何これ。背中がピリピリする。
「とりあえず今から休み時間ね〜。次の予定まで三十分近くあるし、適当に周りの席の奴らと仲良くなっとけ〜。はい向かい合って向かい合って〜」
 うわ、苦手なイベントきた。自分から話しかけるなんて無理。早苗、早苗は……。彼女のいる方を見てみると、……そこには隣の席の人と楽しそうに談笑している早苗の姿があった。ってもうあんなに仲良くなってる?! どうしよう、完全に置いて行かれた。
「あ、紡木はちょっとこっち来い」
 瀬川先生が紡木を小声で手招いた。遅刻したからだろうか。
「お前、さっき登場のタイミング完璧だったぞー! 狙ってたんか?」
 違った。やっぱこの先生おかしい。
 ……どうしよう、周りの会話に上手に入れなくて、一人で先生と紡木の会話を盗み聞きしてるみたいになってる。せっかく早苗と同じクラスになれたと思ったのに、新学期早々馴染めずにいるなんて……。
「俺を呼んだのって遅刻した理由聞くためっすよね」
「……まあ、俺はお前の遅刻の理由に興味ないがな。生徒名簿に記入しとかなきゃいけないことだから、教えてくれ」
「…………寝坊です」
「そうか、道でばあちゃん助けてたか。えらいなぁ」
「……え? いや、寝坊……」
「最初の一回くらいそういうことにしといてやるよ、じゃな」
「えっ? ちょっと」
 先生は手元の書類に何かをささっと書き込んで、そそくさと教室を出ていってしまった。不思議な人だ。教室をほったらかして怒られたりはしないんだろうか。
 置いて行かれた紡木は、しばらくそこに立っていたけど結局自分の席に戻ってきた。彼も周りで繰り広げられる会話には一歩遅れてついていけなかったのか、そのまま席でじっとしている。
 この教室で誰とも話してないの、私と紡木だけか。
「あのさ、前の人」
「……えっ」
 私は振り返る。今私を呼んだのか、この人。「前の人」って。
「名前なんていうの」
「あ……えっと、立川雪季」
「へえ、ユキか。どういう漢字書くの」
 いきなり名前呼び捨てかよ、と思ったが私も頭の中で彼のことを呼び捨てで呼んでいたのでおあいこだ。
 私は恐る恐る自分の体を彼の席に向けて、その机に指で文字を書いた。「雪」「季」と。
「『雪』に季節の『季』で、ユキ」
「じゃああだ名はユキキか」
「言いづらいな、なんであだ名が名前より長くなるのよ」
「じょーだんだって」
 彼はへらっと笑った。笑うとあまり、怖くない。目を開けている時はそのツリ目が怖いのに、目を細めている時はむしろかわいらしく思えてくる。……いや、それは言い過ぎかも?
 彼はふわぁ、とあくびをして眠そうだった。そういえば寝坊したんだっけ。
「眠そうだね。昨日、遅寝したの?」
「まあな。漫画描いてた」
「……漫画?」
 紡木はさらりと、なんでもないことのように言った。勉強してた、とか。ゲームしてた、とか。そういう、誰でもしてることみたいに言った。
「キモがられるのは慣れてるし、別に遠慮しなくていいよ」
「いや、そんなことは思わないけど……。ちょっと羨ましい」
「? 別に絵は上手くないよ。羨ましがられるのは初めてだな」
「いや、絵のことじゃなくて。自分がやってること、恥ずかしがったりせずに言えるのすごいなって思っただけ」
「へー。変なの。恥ずかしくないよ、俺はいずれ漫画家になるから」
 彼はそう言うと、カバンの中をがさごそ漁る。そして何やら分厚い紙の束を取り出した。
「俺が描いた漫画。ちょうどいいや、ちょっと読んでくれない?」
「え、いいの?」
「だって、人に見せるために描いてるもんだろ。ユキみたいなつまんなそうなやつがこの漫画をどう思うのか聞いてみたい」
「さらっと失礼なことも言ったね、言い淀みすらしなかったね」
「まあまあ、パラパラ〜ぐらいでいいから」
 彼に言われるがまま、紙の束を受け取る。ずっしりと重かった。紙の重さに限らず、紡木の熱量とかそういうものの重さも感じた。
 紙を何枚かめくって、私は気づいたことを口にする。
「……これって、もしかして少女漫画?」
「そうだけど」
「ほんとに?」
「やっぱりお前も笑うのか? 男が少女漫画描くなんてキモいって」
 紡木の目には諦めの色があった。きっと今まで何人もの人に言われてきたんだろう。慣れているようだ。
 もう一度視線を紙上に落とす。本人の印象とは打って変わって、しなやかで繊細なタッチの絵が描かれている。女の子のときめいた表情なんか、白黒なのに色がついているみたいに鮮やかだ。正直、驚いた。ギャップどころの話ではなかった。
「……ときめいた」
「え?」
「きゅんとした。この少女漫画、紡木が描いたのを疑うくらい少女漫画だよ!」
「どういう意味だよ。やっぱ男が描いてるって知ったら幻滅する?」
「そんなことない。びっくりはするけど、この漫画が面白いことに変わりはないし」
 ふ、ふーん。紡木は分かりやすく目を逸らす。満更でもなさそうだ。
「デビューできるかな、俺」
「できるできる。これでデビューしたら一躍有名人だよ。女子をキュンとさせる少女漫画を描く男性漫画家として」
「あー。俺、自分が男ってことは公表しないつもりなんだよね」
 彼は頭をかいて、目を少し伏せた。
「やっぱり、男が描いたとか女が描いたとかじゃなくて、作品そのものを見て欲しくてさ」
「あー」
 私は理解ったような声を出した。出した後で、少し調子に乗りすぎたかなと手遅れの反省をする。
「とにかく、面白いって言ってくれてありがと。出版社が開催してるコンテストに応募するつもりだったから、自信ついた」
「ただ読んだだけだけど……」
「それでじゅーぶん、ありがとなユキ」
 分厚い紙の束を手渡すと、彼は嬉しそうに笑った。多分この人は、本気で夢を追っているからこんなにも楽しそうなんだろうな。私とは比べ物にならないほど、輝いて見える。
「もし結果が出なかったらって、思ったことない?」
 気づけば私はそんなことを言っていた。何、言ってんだ。目の前にいるのは、なりたいものを目指して頑張っている人なのに。こんな水を差すようなこと言って馬鹿じゃないのか。空気読めないとかのレベルじゃない。
「…………」
 紡木は黙っていた。怒ってるだろうか。怒ってる、か。
「あるよ。何万回も思った。でもそれは、結果が出なかった時に考えればいいだけの話だろ」
「……あぁ、そっか」
 この人は、やっぱり私とは全然違うや。ちょっと似てるかもなんて。そんなの希望的観測だった。
「ユキはなんかないの、なりたいものとか」
「あった。けどもう、忘れた」
「忘れた?」
「そうだよ、目指しても意味なかったから」
 紡木は難しそうな顔をする。まあ、もうこれ以上言う必要はないか。どうせ私は、何者にもならないんだから。紡木が何か言いかけたのか口を開けた時、教室のドアが再びガラガラと開いた。私は呆けた顔の紡木から目を逸らして、体を前に向ける。
「お待たせーこれから始業式な。あと五分したら体育館に集合なんで、席着いとけよ」
 あーい、と気の抜けた返事が教室からちらほら聞こえた。後ろから「……んだよ」と不機嫌そうな声が聞こえた気がした。気のせい……ではないと思う。

「おかえりー。学校どうだった?」
 家に帰ってリビングのドアを開けると、台所にいた母がこちらを振り返って言った。どうだった? と聞かれても、「こうだった」なんて説明できるほど素敵な学校生活を、私は送っていない。
「ただいま、別に普通だったよ」
「普通って何よ。あそうだ、今日オーディションの結果——」
「落ちてた」
 ぽつりと言うと、母は静かな声で「そう」と呟くだけだった。そんな顔するくらいなら、オーディションなんか勧めなきゃよかったのに。
「……着替えてくる」
「ちょ、雪季!」
 私は俯いたまま、リビングを飛び出して自室に逃げ込んだ。スマホのメール画面、一番上に表示された一件のメールを開封する。
「厳正なオーディションの結果、ニュースターシンガーオーディションの一次選考を通過したことを……」
 …………。意味ないのに。オーディション受けたって、私は歌手になれないのに。
 メールの画面を閉じる。二次選考を受けるつもりはない。
 ふと、机の引き出しを開けてその中にあるものたちを引っ張り出した。
 一次選考合格、一次オーディション合格、中間選考通過、……。今まで受けた数々のオーディションの合格通知書を机の上に置く。いつまでこんなこと続けるつもりなんだろう。
 どうせ歌手になれないなら、こんなの全部無意味なのに。通知書全部取っておいて、メールも一通も捨てられなくて、馬鹿みたい。未練があるのは自分が一番分かってるじゃん。……でも。
 歌手にはなれないって、決まってるんだから。
 小さい頃から歌うのが好きで、物心ついた時は自分は歌手になるんだって。たくさんカラオケに行って、時には路上で一人で歌って。中学に入ってからはオーディションも積極的に受けた。
 でもその全部に意味がなかったって分かった時、もう追いかける意味が分からなくなって、私は本気で歌を歌えなくなった。
 ……もう、いいか。ぜんぶやめにして。普通に生きよう。叶わない夢なんてさっさと諦めて、せめて真っ当に生きよう。
 私は机の上に溢れる合格通知書を両手でがさりと持って、そのままゴミ箱に投げた。メール一覧に並ぶ歌手オーディション関係のメールも、片っ端から削除した。
 これでもう終わり。紡木を見て決心がついたんだ。私は夢を追う人間じゃない。もう十分、希望は見させてもらったんだから。

 四月某日。昼休み。ご飯を食べ終えた私はすることがなくて、机に突っ伏してぼーっとしていた。教室には楽しそうなクラスメイトの声が溢れていて、勉強をする気にもなれない。まあ、勉強したところでという感じではある。
 いつまでも騒がしい教室にいても気分が晴れないので、私は屋上に行くことにした。
 屋上は、人の声すら聞こえない南棟三階の最奥からしか行くことができない。だから常時開放されているのに、滅多に人は訪れない。貴重な休み時間に、そこまで移動するくらいなら教室で過ごしたほうがいくらかマシ、ということだと思う。私の場合、時間よりも静寂をとるということだ。
 屋上のドアを開けた瞬間、爽やかな風が吹き込んでくる。少し涼しい、過ごしやすい気温だ。
 一年の時から知ってる穴場だけど、当時はこの開けた場所でよく歌っていた。憂いなんてなんにも知らないで、ただ歌うのが好きだって気持ちだけで。ああ……幸せだったなぁ。
 もう、自分の手で全部捨てちゃったんだなぁ……。私は俯いた。喉がギュッと締まる。嘘だ、嘘だろ私。
 なんで泣いてんの。
「……ラーラーラーラーララーラーラー、ラーララーラーラー、ララーララーラーラー……。ラーラーラーラーララーラーラー、ラーララーラーラーララーララー、ララ……」
「ひどい歌だな、ブレブレじゃん」
「っ……!」
 私ははっと喉を詰まらせて、声のする方を振り返った。
 そこには紡木が立っていた。え、もしかして今の聞いて——。
「な、なんで」
「? 教室うるさいから。ここなら静かに寝れるって思ったのに、来てみたらうるさいからびっくりした」
「びっくりって……びっくりって、それはこっちのセリフ」
「でもユキだけの場所じゃないじゃん? てか、歌とか歌うんだ。意外」
「…………」
 最悪。最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪、もうさいあく、さいあくさいあく。なんで、なんでよりによって。私が夢を諦めた決定打に私の夢を見られるんだよ。
「…………うらやましかったんだ、ほんとに」
「ん?」
「紡木が……っ、あんたが羨ましかったんだ!」
 だって、私が一番欲しいものを持ってる。
「私には、夢を追う資格がそもそもなくて。だからどんなに歌手になりたくても、なれなくて……。スタートラインにすら立てなくて、手を伸ばすことも許されなくて……。今までずっと馬鹿みたいに足掻いてたけど、それももう全部意味ないの分かってたしっ、だから辞めたんだ。もう追いかけるの辞めにしたんだ。……なのに、なのに、ずっとずっと紡木の顔がチラついてた! あの日読んだ漫画がチラついてた! 『いずれ漫画家になる』って言葉がチラついてた! ずっと! 私は……。あんたが羨ましいんだ……」
 涙が止まらなかった。しゃくりあげながら子供みたいに喚く。ああ、自分の感情をこんなふうに誰かにぶつけるの、いつぶりだろう。
 女手一つで私を育ててくれた母には口が裂けても「もうオーディション受けるの辞めたい」なんて言えなかった。早苗にだって、本当のことは話せなかった。
 怖いんだ。話したらどんな顔されるのか怖くてずっと言えなくて。でも、紡木にはめちゃくちゃに言ってしまった。もう頭の中で整理がつかなくて、そして何より本気で夢を追う彼の背中がまぶしくて、とおくて、にくらしくて。
 馬鹿みたいだな。紡木にこんな感情ぶつけたって、何にもならないのに。
「……じゃあ、なんで泣いてんの」
「……は?」
 私は赤くなっているだろう目で紡木を睨みつける。彼は目つきの悪い、だけど複雑そうな表情で私を静かに見下ろしていた。
「なんで今、ユキは泣いてるの」
「うるさいな。そんなの、もうどうにもならないからだよ。諦めてんの。全部諦めてるから、」
「悔しいからだろ」
 心臓の動きが止まった気がした。いやこれ、多分止まってる。だってうまく息ができない。
「悔しいんだろ、お前。だから泣いてる」
「……なに、何分かったようなこと」
「分かるよ」
 悔しい思いは、誰だって分かるよ。紡木はそう付け加える。
「は……」
 何それ、なんだよそれ。馬鹿にしてんの? 見当違いな怒りが込み上げてくる。あんたは全部持ってるくせに。ウザいんだよ。馬鹿じゃないの。ほんと、最悪。
 あんたに気づかされるなんて、そんなの、最悪だよ……。
「……るさい、ぅるさいうるさいうるさい! うるさいぃ……!」
 ほっとけよ、こんな、吹きっ晒しの場所で泣いてる女のことなんか放ってどっかいけよ。もう私を見んなよ。私はどうせ、……。
「んなこと、私が一番よく分かってるよ! 言われなくたって、分かってるよ!」
 悔しい。そんなの当たり前じゃん。
 夢を見ることすら許されないなんてそんなの、悔しいに決まってんじゃん。
 今までずっと見ないふりをしてた。見ないふりをしたまま、ここまで来た。ずっと空っぽで、虚しくて、縋るようにオーディションを受けて、縋るように歌を歌って、でも選考通過の知らせが届くたびに気づくんだ。この夢は、幻。私のこの人生は、泡沫。
 私の歌は誰にも届かない。この声は、誰にも届かない。
 だから踏ん切りつけて捨ててやったのに。捨てたはずなのに、結局捨てきれてないじゃんか。
 あんたのせいだ。紡木。あんたのせいで私、気づきたくないほんとの気持ちに気づいたんだ。
 責任取れよ、クソ紡木。
「……ラーラーラーラーララーラーラー、ラーララーラーラー、ララーララーラーラー……」
 目の前に立っていた紡木が明らかに表情を変えた。どうだ、届いてるか。私の声、ちゃんと。私がいま羽ばたかせたこの心、届いてるか。
「ラーラーラーラーララーラーラー、ラーララーラーラーララーララーララー」
「…………おまえ、ほんとにさっきのユキと一緒?」
「ちがうよ」
 決めた。私は、
「私はこれから歌手になる。なれなくてもなってやる。だから紡木」
 一緒に、なりたいものになろう。
 紡木はしばらくキョトンとしていたけど、すぐにその口角を上げた。いたずらっぽい不敵な笑みだ。やってやろうぜ、とでも言わんばかりだ。
 もう恥ずかしがったりしない。諦めたりもしない。だって私、いずれ歌手になるから。
「俺お前のこと、ふやふやの腑抜けカスだと思ってた」
「は? どこまで行っても失礼ね」
「でも見直した。今のユキは、泣き虫のガーベラだ」
「結局失礼じゃん」
「常に前進、ガーベラの花言葉」
 私は口をつぐんだ。へ、へぇ、紡木のくせに粋なこと知ってるじゃん。と心の中でつぶやく。
「おい今ぜったい紡木のくせにとか思ったろ」
「げ」
「『げ』じゃねえよ、バレバレなんだよ」
 ふふっ、と気づけば私は笑った。ああもう、狂わされるな、ほんと。
「あ、そいや名前言ってなかったわ。俺、紡木(れん)。改めてよろしく、ユキ」
 レン、か。凛と響く、いい名前だ。私は彼が差し出してきた手をぎゅっと握る。
「うん、あと二年だけど、よろしく」
「二年? おい、高校卒業したらそれまでってか?」
「それまでだよ」
 彼の目を見る。その目には戸惑いが揺らいでいた。
 
「私、あと二年で死ぬから」
 だから決めたよ。
 私は死ぬまでに、絶対歌手になってやるって。
「……は?」
 風が吹き荒れて、桜が舞い上がる。見とけよ、私の春は、まだ散らないから。