「あ、やっぱり公園あった」
「あのー、拒否権は?」
「ないよ」

 あれよあれよという間に、駅近くの公園へと連れてこられてしまった。中に入ってもぐいぐいと引っ張られ、促されるままにベンチに腰を下ろす。

 もしかして、カツアゲでもされるのだろうか。こんなことになるのなら、泣き顔を見られているのが耐えられないからって、知らない駅で降りるんじゃなかった。後悔にうなだれ、頭を両手で抱えると。隣に座った男が、腰をかがめて覗きこんできた。思わず肩が跳ねる。

「なあ、なんで泣いてたの?」

 失礼なヤツだなあと思う。たしかに、悪目立ちしていた自覚はあるけれど。泣いている=よくないことがあったってことくらい、想定できるだろうに。よく面と向かって聞けるものだ。

「それは……付き合ってた人にフラれたから、です」

 腹が立つやら、悲しいやら。それでもチャラい男がちょっと怖くて、オレは正直に答えた。

「……え?」

 口にすることで、改めて現実が襲いかかってくる。もう我慢するのも面倒になってきて、鼻を啜る。男は、どこか呆然とした様子で地面へと視線を移した。

「付き合ってた人、いたんだ」
「…………? はい」
「いつから?」
「昨年の冬から、っす」
「あー……マジか」
「…………?」

 それは一体、どういう反応なのだろう。不思議に思っていると、深呼吸を数回くり返してから男は体ごとこちらを向いた。

「それがショックで泣いてたんだ?」
「……はい」
「あんな駅前で、ひとりで?」
「……っ」

 なにもそこまでして傷をえぐることないのに。涙がまたこみ上げてきて、いよいよ胸が浮き沈みを始める。

「あ、ごめん! 俺今ひどいこと言った」
「いえ、本当の、ことなんで」
「…………」

 誰もいない公園に沈黙がおとずれる。もう帰ってもいいだろうか。立ち上がろうとしたけれど、また手首を握られてしまった。

「なあ、俺にできることってないかな」
「……え?」
「例えばー……話聞く、とか。俺じゃ役に立たない?」

 自ら提案しているのに、なぜか男は苦々しげな顔をする。なんだかこっちまで、胸が切なくなってくる。だからなのかな、

「そんなことはないと思います」

 と咄嗟に否定してしまった。

 きっと、聞きたくなかったんだ。誰かが自分自身のことを、役立たずだと卑下するのを。それはそっくりそのまま、フラレたばかりのオレの心みたいだからだ。あの人に、自分という存在は要らなかったから。

 こんな悲しい想い、出逢ったばかりの人だとしてもさせたくない。

「マジ? じゃあ、俺に慰めさせてよ」

 眉間を寄せていた男の顔が和らいだ。

 あーあ、傷心の真っ最中なのにな。その表情にこっちまでホッとして、ちょっとだけだけど久しぶりにオレは笑った。

「高校に入ってすぐ、好きになった人で」
「……うん」
「先輩から告ってくれたんです」
「あ……先輩。歳上が好きなの?」
「歳上がっていうか、先輩の人柄が好き、でした」
「う……そっか」

 言葉のひとつひとつを心の中から探して、口にして。その度に鼻をすすったり涙を拭ってしまっても、男は辛抱強く聞いてくれた。時折うめいたり、苦しそうにしているのは不思議だけれど。

「付き合ってみない? って言ってくれたの、今でもよく覚えてます。放課後の空の色とか、寒くて先輩の口から白い息が出てたなあとか。先輩がコーラ味の飴くれて、それ食べてた時だったから、思い返す度に味もするんです」
「……うん」
「それなのに……っ。今日、放課後、いつも待ち合わせてる場所に行ったら。やっぱりなんか違ったかも、って。ただの先輩と後輩に戻ろう、って、言われたっ! 先輩の向こうで、女の先輩が待ってるのも、見えてっ! 大好きだから別れたくなかったけど、大好きだから、はいって言うしかできなかった」

 いよいよしゃくりあげ、「うわーん」だなんて本当にガキみたいな泣き方だ。でもやっぱり、涙を止めることはできない。

「俺たち、って、もしかして先輩って男?」
「……そうです」

 気が動転しているのか、つい本当のことを口走ってしまったみたいだ。男同士だなんて、ひかれちゃうかな。でも今日限りの関係だと思えば、別にいい気もする。

「えっと、はは、ひきました?」
「ううん、ひいてない。だから、悲しいのに笑ったりしないでいいよ。そんな風にフラれて、しんどかったよな」
「……っ、うん、ありがとう」

 けれど男は、あたたかく受け入れてくれた。それがますます涙を誘ってしまう。

 それからは、学校から走り電車に飛び乗って、見知らぬこの駅で降りてしまったことを伝えた。ひとりで大泣きしていたのを男は見ている。あとは知っての通り、ということだ。

 こちらの心が伝染したかのように、男は眉間をぎゅっと寄せた。それを見たらちょっとだけ、救われたような心地がした。


「話聞いてもらって、ちょっと楽になれた気がします」

 肩から力が抜けて、ほうっと息を吐く。そうなってやっと、体が強張っていたことに気がつく。

「マジ? それならよかった。でもそっか、いつもはこの駅は使わないんだな」
「はい、初めて降りました」
「そっかあ。じゃあ、運命だ」
「へ? なにがですか?」
「それは……なあ、俺のこと、分かんない?」

 神妙な顔をして、男がそう尋ねてくる。でも、全く見覚えがない。

「え? えっと……分からない、です。初対面ですよね?」
「あー……」

 もしかして、有名人だったりするのかな。高校生インフルエンサーの線も有り得るかもしれない。

「あ、有名な人ですか? ごめんなさい、オレそういうの疎くて」
「ううん、違うよ。んー……まあいいや」
「でも……」
「気にすんなって」

 なにかしら意図があっただろうに、分からないままなことが申し訳なく思えてくる。でも男はニコッと笑い、話題を変えた。

「あのさ、提案があるんだけど」
「はい、なんですか?」
「その失恋、俺に預けてみる、ってのはどうかな」
「え?」
「失恋の傷ってさ、そんな簡単に癒えるもんじゃないじゃん。だから、これからも俺が慰める。頼ってほしい」

 突然の提案に、オレはぎょっとしてしまった。ベンチの上を後ずさって、両手をブンブンと振ってみせる。

「そんな! これ以上迷惑をかけるわけにはいきません」
「迷惑だなんて思ってないし」
「いやいや!」
「ほんとだって」
「でも……あの、せっかくなんですけど、申し訳ないのでそれは……」
「フラれたこと、もう全然平気になった?」

 オレが空けた距離の分、男はじりじりと詰めてくる。強い眼差しに、逃げられない、と思わせられる。

「それは……全然です。多分、すごく引きずる」
「じゃあ、俺のこと利用してよ」
「利用だなんてそんな! できません!」
「うーん、結構頑固なところあるよね」
「そんなことない、と思いますけど」
「でも絶対に、俺が慰めたい」
「…………」

 こうして話を聞いてくれただけでもありがたいのに。偶然出逢っただけの自分に、どうしてそこまでしてくれるのだろう。不思議に思うけれど、その提案は正直なところ魅力的だ。揺れてしまう。

 先輩と付き合っていたことは、仲のいい友だちにも話せてはいなかった。男同士だということを、受け入れてもらえるか自信がなかったからだ。でも目の前の男はそうだと知っても、否定しないでいてくれた。大丈夫になれるまで――そもそもそうなれるのかは分からないけれど――この失恋をひとりで抱え続けるつもりだったけれど。

「あの……」
「ん?」
「ほんとに、いいんですか? その、また話聞いてもらっても」
「うん、もちろん」
「じゃあ、お願いしたいです」
「マジ? やった」
「で、でも! ひとつ、条件があります」
「条件?」
「慰めてもらう代わりに、オレにもなにかさせてほしいです」

 甘えっぱなしでいるわけにはいかないと思った。自分だけ恩恵を受けるのではなくて、この人にもいいことがあってほしい。

「なにかって?」
「それは……なんでもです。あなたがオレに、してほしいこと」
「なんでも?」

 丸く目を見開いて、マジマジと見つめられてしまう。その様子に、オレは慌てて言葉をつけ加える。

「あっ、オレあんまりお金は持ってなくて。高いもの買ってってのは難しいんですけど。あの、ジュースとかくらいなら……」

 言いながら情けなくなってくる。傷だらけの心へ寄り添ってくれる人に、オレはジュース程度しか差し出せないのか。やっぱり、提案に乗るのは辞退したほうがいいのかもしれない。でも男は、

「分かった。なにか俺がお願いすれば、慰めていいってことだよな」

 と言って頷いた。

「は、はい……」

 さっきから度々、不思議な話し方をする人だ。オレの失恋話を自分のことのように辛そうにしたり、自分を知っているかと尋ねてきたり、絶対に俺が慰めたいと言ったり。いや、本当に根っから優しい人なのだろう。慰めていい、だなんて言い方がそれをよく表している。

「じゃあ契約成立な。これからよろしく」

 にこりと笑いながら、握手を求められた。その手にオレもそろそろと手を重ねる。

「こちらこそ、よろしくお願いします! えっと、オレは時枝(ときえだ)風太(ふうた)っていいます。高2です」

 この場限りだと思っていた数分前とは違う。これからも会うのなら、しっかりと自己紹介をしておきたい。

「うん。俺はねー……“みーくん”」
「みーくん?」
「うん、そう呼んでほしい」
「みーくん……」

 そのニックネームに、オレは思い出す相手がいた。小さい頃よく一緒に遊んだ、ひとつ年下の男の子だ。

 オレのことを“ふーちゃん”と呼んで慕ってくれていた。オレが小学校に上がる時、ここ神奈川へと越してきて、それ以来会うことも連絡を取ることもなかったけれど。久しぶりに胸に浮かんだ、ふわふわとした愛らしい顔。元気にしてるかななんて考えながら、目の前の彼を改めて眺める。

 チャラい、と感じた第一印象は今も変わらない。けれど見るからに整った顔、スタイルのいい高身長。周りの女の子たちは放っておかないだろう。

「えっと、みーくんさん」
「だーめ、みーくんって呼んで。ちなみに俺は高1ね」
「え……え!? 歳下!?」
「絶対勘違いしてたでしょ。ずっと敬語だったもんな」
「めっちゃ大人っぽいから、絶対歳上だって思ってた」
「ぶー、下でしたー」

 ピースした指を何度か曲げ伸ばしして、“みーくん”は笑った。そう言えば幼なじみのみーくんも、こんな風に人懐っこい笑顔だったっけ。

 思い出をこっそり懐かしみながら、目の前にいる初めましてのみーくんに呼びかける。

「じゃあ、みーくん」
「はーい。なんすか、時枝センパイ?」

 心底嬉しいといったように、みーくんは滲み出るような笑顔を見せる。

「おお、時枝センパイかあ。なんか新鮮」
「そうなの?」
「部活入ってないし、高2になったばっかだし。高校生としては初めて言われた」
「そっか。俺、ハジメテの男か」
「……なんか、“ハジメテ”の言い方やらしくなかった?」
「あは、バレた?」
「うん。そうだ、みーくんの本名は?」
「んー、それは内緒〜」
「ええ、なんで?」
「いいじゃん、みーくんて呼んでもらうんだから本名なんてどうでも」
「そういう問題じゃなくない?」
「いいからいいから」

 明るくて優しいみーくんに作られる内緒は、なんだかちょっとショックだ。本名を教えられるほどの信頼はない、ということなのかな。でも今は新しい傷を抱えたくない。この話題を終わらせたくなって、オレのほうから話を変える。

「ねえみーくん、今日は本当にありがとう。それで、今日の分はどうする?」
「今日の分?」
「なんでもするって言ったじゃん。今日も慰めてもらったから、なんかしたい」
「あー、そういうことか。律儀だね」
「優しくしてもらったし、誠実でいたいですから」
「はは、センパイかっこいい〜。うーん、じゃあ立ってもらっていい?」
「…………? うん」

 みーくんに手を取られ、促されるままに立ち上がる。向かい合うと、耳たぶに触れられた。くすぐったくて、思わず肩を竦める。

「ピアス、開けてんだね」
「あー、うん。その、開けてもらった」
「へえ。もしかして、付き合ってた先輩に?」
「うん」
「ふうん……」

 苦しそうな顔をして、みーくんは下唇をきゅっと噛んだ。先輩との思い出を、一緒に悲しんでくれているのだろうか。

「みーくん?」
「じゃあお礼、もらうね」
「へっ……」

 首を傾げていたら、ふわりと空気が動いた。なにが起きたか気づいた時にはもう、みーくんに抱きしめられていた。

「え? え、みーくん?」

 と戸惑っていると、

「時枝センパイもぎゅってして?」

 なんて言われてしまう。

「えっと……」
「イヤ?」
「イヤ、ってわけじゃないけど……あの、これなに?」
「んー? お礼もらってる」
「いや、これお礼にならなくない?」
「ううん、なるよ。なるから、お願い」
「そこまで言うなら……分かった」

 そろそろとみーくんの背中に腕を回す。すると、みーくんの腕に力がこもった。肩に顔を埋められる。みーくんの髪が首に当たってくすぐったいのに。縋るような抱きしめ方がなんだか切なくて、そちらで頭がいっぱいになる。

「みーくん? どうかした?」
「んー? ううん、なんでも」
「でも……」

 気になったけど、次の瞬間にはもう腕をほどかれてしまった。一瞬だけ額と額を触れさせて、髪をくしゃりと撫でられる。

「ちょっと待ってて」
「…………? うん」

 公園の出入り口に走っていったみーくんは、そこに設置してある自動販売機でなにかを買ってすぐに戻ってきた。

「はい、あげる」
「っ、りんごジュースだ」
「好き?」
「大好き……」
「うん、俺も好き」

 ふと見ると、みーくんの手にも同じりんごジュースがある。

 オレは小さい頃からりんごが好きだ。お菓子もジュースも、選ぶなら断然りんご味。偶然でもそれを買ってくれたことが、無性に胸に響く。

「ジュース飲みたいなら、オレが買ったのに」

 また涙がすぐそこまでやってきてしまった。ツンと痛む鼻をどうにかごまかしたくて、オレは強がってみせる。

「お礼ならもらったから」
「さっきの、ほんとにお礼だったかなあ」
「だったよ。それに、俺が買ってあげたかったからいいの」
「みーくんは優しすぎだよ。でも、ありがとう」
「どういたしまして。じゃあ乾杯」
「はは、乾杯」

 ペットボトルをコツンとぶつけあって、ひとくち飲む。冷たいりんごジュースが、喉から体内へと流れていくのが分かる。顔を上げたら、みーくんが笑ってこちらを見ている。後ろには、沈み始めた太陽の色。

 ああ、この景色をきっとずっと忘れない。そんな気がしてまた視界が滲むから。オレはもう一度、こっそり鼻をすすった。