あれから一週間が経った。栗原とは会っていない。
 連絡が来ることもなければ、姿を見かける事さえないのだ。きっと俺を避けているのだろう。
 俺が原因で距離を置かれているわけだから、こちらから接触することもできない。この時間がもどかしい。

「おーい、北口。最近元気なくね?」

 机の横を見ると、不思議そうな顔をした佐々木が俺の顔をのぞいていた。

「佐々木、余計なお世話だよ」

「あの後輩くんが来ないことが原因だったりする?」

 沈黙は了承と同じとはよく言ったもので、佐々木は事態を察したようだ。普段はおちゃらけているけれど、察しがいいところがたくさんの人を引きつける魅了につながっているのだろう。

「なーにがあったかは知らんけどさ、栗原とは超仲良いだろ。謝ったら許してくれるんじゃねえの」

「そんなことない。実際今は、相手から距離を置かれているんだし」

「えーマジ!? 合コンの時栗原は北口と超仲良い感じ出してたよ」

「え?」

 想像もしていなかった回答だ。栗原はそう言うことを積極的にするタイプではないと思っていたから。
 佐々木は少し難しい顔をして、モノマネを交えながら答えてくれた。

「北口先輩とは、よくカフェに行く仲なんです、俺のこと可愛がってくれてて、とかを笑顔全開で言うんだぜ。栗原ってあんまり笑わないイメージだったんだけど、北口のこととなると違うのな。後帰り際に、俺は先輩にしか興味ない、それに先輩は俺のなんで、て耳打ちされたし」

 あの時の栗原の様子は恐ろしかったと佐々木は肩を震わせた。
 俺はそんなの知らない。対外的に見れば俺と栗原は仲のいい先輩と後輩で、それ以上でもそれ以下でもない。ずっとそう思ってきた。
 ちょっと周りの人と俺に接する態度が違くても、慕われているからの一言で心を落ち着かせた。そうしないと栗原も俺のことが好きなんじゃないかって錯覚しそうになるから。優しい声も表情も、俺のこと気遣ってくれることも、全部全部好きだって言いそうになってしまうから。
 でも栗原がそう思っていなかったとしたら?

「......俺、行かなきゃ」

 行くってどこに!? という佐々木の声を無視して俺は栗原がいる2年生の教室へ向かった。
 逃げてちゃ駄目だ。栗原から来てくれるのを待つんじゃなくて俺から聞かなくちゃ。
 栗原は今何を考えている? 俺のことをどう思っているの。
 栗原の教室へ向かっている途中、空き教室に誰かがいるのが見えた。一瞬見えた背丈格好には見覚えがあった。

「栗原......?」

 間違いない、栗原だ。
 でも、どうしてここにいるんだろう。じっと見つめていると栗原の他に女子生徒が一人いるのが見えた。菊池さんだ。
 二人の間には独特な雰囲気が漂っていて他の人を寄せつけない様子。嫌な予感だ。
 菊池さんが栗原との距離を縮めていく。そうして栗原に抱きついた。
 やめてよ、触らないで。どうしようもない気持ちが溢れてくる。そう思う資格すら、俺は持っていないのに止められない。こんな自分勝手な気持ち、知りたくなかった。
 呆然と見つめていると、栗原と目があった。驚いたように少し眉が上がる。けれどすぐに目が逸らされた。そして栗原は菊池さんの背中に手を回した。
 ......無視された。
 俺はその光景を見ていることができなかった。くるりと後ろを向いて歩いてきた道を戻る。俺はとんだ思い違いをしていたみたいだ。

......

  翌日、俺は学校を休んだ。空き教室での光景が忘れられない。
 栗原と菊池さんはどうやら両思いだったらしい。栗原に呼び出された日の昼休み。きっと栗原から直接菊池さんにアピールしたかったのに俺が横槍を入れたせいで怒っていたのだろう。
 佐々木から聞いた、合コンで栗原が俺の話を楽しそうにしていたと言うのはただ先輩として俺を慕っていたからなんだ。
 もしかしたら栗原も俺のことを好きなのかもしれないと思い上がっていた自分が恥ずかしい。
 スマホの通知が鳴り続けている。今回ばかりは電源を切る気力もなかった。
 もし重要な連絡だったらまずいよな。そう思って画面を開いてみると、栗原からの着信がほとんどだった。

from 栗原

:先輩今日学校休んだんですね

:体調悪いんですか

:少しでも元気があれば、返信してくれたら嬉しいです

:返信ないですけど、本当に大丈夫ですか

 栗原は俺の両親が共働きで夜遅くまで家に帰ってこないことを知っている。
 俺が体調不良で休んでいると思って連絡をしてきているんだろう。
 そんな優しさでさえ、今は苦しい。

from 北口

:大丈夫、心配かけてごめんな

 メッセージを送るとすぐに既読がついた。

from 栗原

:俺、先輩の家に行きます

「え!?」

 大丈夫だと言ったのに俺の家に来るという。
 来なくていいと連絡をしても一向に既読がつく気配がない。
 俺は急いで身支度を整えた。学校に行かないので髪もボサボサで毛玉だらけのスウェットを着ていたから。
 好きな人の前では少しでもいい自分でいたい。失恋したというのに諦めの悪い自分にため息が出た。

......

 しばらくしてから本当に栗原が俺の家にやってきた。玄関で話すのも気が引けるのでリビングに上がってもらっている。
 何とも言えない雰囲気に俺は怖気付いていた。
 何を言われるんだろう。わざわざ来たのはただ俺の体調不良を案じてのことだけではないだろうから。

「先輩、体調大丈夫ですか」

 栗原が先に口を開いた。

「大丈夫、心配すんな」

 そもそも、体調不良で休んだんじゃないし。

「それじゃあ、俺と目を合わせてくれませんか」

 なんとなく目を合わせないようにしていたのがバレていたらしい。昨日の空き教室での様子を見てしまったのと、栗原に失恋したので目が合わせづらくなってしまっていた。
 怖気付いてどうする。緊張で暴れる心臓をできるだけ抑える。

「ほ、ほら、目を合わせたぞ」

「......うん、久しぶりに先輩の顔を見れて嬉しいです」

 いつもの栗原の声だ。一緒にカフェに行って何でもない話をする時と同じ柔らかい声。ほんの少しの期間、聞かなかっただけなのに胸があたたかくなる。
俺の臆病な心をほぐしてくれる。振り返ってみれば栗原はいつも俺に寄り添ってくれた。

「.....この間は勝手にキレて、距離置きたいだなんて言ってすみませんでした」

 栗原は正座をして頭を下げた。まさかそこまでするとは。

「ちょ、そう言うのいいって! 俺も悪かった部分あったと思うし」

「......それも事実かもしれないですけど、俺が悪いのは事実なんで」

 申し訳なさそうに、顔を青くして栗原は言った。太ももの上に置かれた拳はキツく握りしめられ、爪が食い込んでいる。 
 そして何かに怯えるように少し震えていた。

「......うん」

変に誤魔化しちゃ駄目だ。昼休みに栗原に連れ出されて壁に追い詰められた時に怖いと思ったことは本当だから。

「でも、大丈夫だよ」

 俺は膝をついて、正座をしている栗原の前に座った。キツく握りしめられた拳をゆっくりとほぐしていく。
 固く閉じられた心をほぐしていくみたいに。これは栗原が俺にしてくれたことだ。

「先輩......」
「俺も悪かったよ。約束を勝手に破られるなんていい気がするもんじゃないしな」
 
 大丈夫だと示すみたいに口角を上げると、栗原が泣きそうな表情をした。
 けれどグッと我慢をして、ここからが本題というように、栗原が言った。

「先輩はこれから俺がいうことを信じてくれますか」

「信じるも何も、可愛い後輩の話はいつもちゃんと聞いてる」

「そうじゃなくて......先輩と後輩の関係じゃなくて、俺と北口先輩個人として考えて欲しいんです」

 どんな話が栗原の口から出てくるのだろう。栗原は決意が固まったと言うような表情をしている。
 俺は心臓の音を大きくさせながら栗原の言葉を待っている。

「俺、先輩が好きです」

 俺と手を繋いだまま栗原は言った。まるで一世一代の告白をするかのように頬を赤く染めながら。

「へっ!?」

 想定外すぎる言葉にすっとんきょうな声が出た。
 お前が好きなのは菊池さんのはずだろ。空き教室で抱き合っているのも見た。

「栗原は、俺のこと好きじゃないだろ」

「どうしてそんなこと思うんですか」

「だって昨日空き教室で菊池さんと」

 抱き合っていたじゃないか。
 喉の奥からぐっと何かが迫り上がってくる。堪えるようにして拳を握る。
 さっきから頭が混乱している。どうしようもなく胸が痛い。

「やっぱりあれは先輩だったんですね。俺は抱きしめたんじゃなくて、俺の体から離したんですよ」

「......そうなの?」

 気の抜けたような俺の声を聞いて、柔らかく栗原が微笑む。

「そうです。あの後、俺は他に好きな人がいるから付き合えないって言いましたし」

「マジ?」

「マジ、です」

 俺の思い違いだったらしい。恥ずかしくて死にそう。

「さて、誤解は解けましたね」

 ここからが本題というように栗原は真剣な顔つきになる。

「先輩は俺のことをどう思ってますか。俺は先輩のことが恋愛的な意味で好きです」

 真っ直ぐな告白だ。夢みたいな言葉だ。俺はずっと選ばれないと思っていた。
 臆病な俺の心に、すっと入り込んで暖かく包んでくれる。可愛いという言葉でかっこよさにモザイクをかけた。直視していたら、態度でバレてしまうかもしれないから。
 でもこれからは隠す必要はないんだ。
 自然と一粒の涙が(こぼ)れた。

「......俺も、栗原が好き」

「じゃあ俺たち両思いってことでいいですか?」

 そう言う栗原の声は喜びで震えているように思えた。ふんわりとした、俺を甘やかすみたいな笑みを浮かべている。

「うん」

「素直な先輩、可愛い」

 そう言って栗原は俺を抱きしめてくれた。全身で感じる体温は暖かくて、俺を包んでくれる腕は力強い。ああ、大好きだなって心が叫んでいる。

「ねえ、先輩」

「うん?」

「俺、先輩の部屋に行きたいな」

「え、なんで」

「もしかしたら先輩のご両親が帰ってきちゃうかもしれないじゃないですか。それじゃあ、安心していちゃつけないですよ」

「いちゃつくって......!」

「先輩は嫌ですか?」

 子犬のような瞳発動。ずるい、わかってやっているのが余計に。これがあざと可愛いというやつか。

「わかった、いいよ」

「よかった嬉しいです」

 俺の部屋に入って、ベッドの上に座る。すると栗原に抱きしめられた。

「やっとこうして抱きしめられる」

 耳元でささやくように言った。栗原が纏う柑橘系の香りがすぐ近くにある。俺たち以外がいない空間なんだと自覚した。
(これまずくないか)
 好きな人と二人きりな状況にようやく危機感を感じた。
 でも、緊張がバレないようにいつものように話す。

「やっとってなんだよ」

「俺ずっと我慢していたんです。先輩絶対に俺のこと好きなのに全然言ってくれないから」

 顔がカッと熱くなった。隠しきれていると思っていたのにうまく行っていなかったのか。恥ずすぎる。

「言ってくれればよかったのに」

「だって、先輩の方から言って欲しかったんですもん。それに俺あんなにアピールしてたのに」

 気持ちが伝わるように態度で示したり、カフェに行こうと誘ったり、わざと合コンに行ったり、いろんな話が出るわ出るわ。

「先輩は鈍感ですからね、なんとなくわかってましたけど。合コンに誘われた時にはちょっと傷つきました。でもその後の菊池との件で先輩を悲しませてしまったのでお互い様ですね」

 最後の方には拗ねたように口にしていた。

「それはごめん」

「いいんです、こうして先輩と両思いになれたので。......先輩好きですよ」

 甘さを含んだ目が俺を見つめる。距離が近くて栗原の瞳に俺が映り込んでいることがわかった。

「俺も好きだ」

 体が自然と動いて、栗原の頬にキスをする。
 すると栗原は一瞬固まった後じわじわと顔を桃色に染めた。

「不意打ちはずるいです」

「ごめん、自然と動いてた。栗原って結構俺のこと好きだよな」

「そりゃそうですよ! 俺が先輩のこと好きなの自覚してもらわないと」

 そして栗原は俺の頭に手を滑りこませて、甘いキスをした。今度は唇に、そっと。

「お返しです」

 ただ一瞬触れるだけ。
 それなのにむず痒くて、どうしようもない気持ちにさせられる。
 嬉しさが込み上げてくる。

「唇にキス、初めてした」

「え? 初めて?」

「うん」

「うわーマジですか」

 それならもっとロマンチックなところでやりたかった、と栗原が項垂れる。少し不憫だ。
 なんだか恥ずかしくて、こくりと頷く。

「......めっちゃ、大事にします」

「お願いします」

 俺の話を聞いてさらに嬉しそうな様子の栗原にまた抱きしめられる。俺も栗原の背中に手を回して腕にぎゅっと力を込めた。
 この恋はきっと叶わないと思っていた。
 そんな夢みたいな現実が目の前に広がっている。

「ずっと一緒にいましょうね」

 囁かれた言葉を聞いて胸が跳ねる。執着じみたその言葉が、嬉しい。
 俺はこれから栗原の甘さにとけていくみたいだ。


......


side 栗原
 
 俺は一つ年上の北口満(きたぐちみちる)先輩が好きだ。
 先輩は覚えていないかもしれないけれど、俺たちは俺が中三で先輩が高一の時に一度出会っている。当然だ。初めて会った時の俺は受験のストレスで太っていたし、見た目にも気を使っていなかったからわからないのも当然だ。
 受験生だった俺は、毎日寝不足でその日も体調が悪かった。けれど第一志望の高校のオープンスクールにどうしても行きたかったから体調不良に気づかないふりをしてオープンスクールに向かった。
 その道中で案の定具合が悪くなった俺は道端にうずくまってしまった。道を行き交う人たちが俺をジロジロと見てくる。早く立ち上がらないといけないのにその気力が残っていない。

『大丈夫ですか』

 そんな中で話しかけてくれたのが先輩だった。俺の第一志望の制服を身にまとった人はすごく頼もしく思えた。近くの病院まで連れて行ってくれて、診察できるまで大丈夫だと励ましてくれた。
 あの先輩がいる高校に絶対に入学したい。決意がより固まったのがあの時だったと思う。
 受験をして結果は見事合格。入学までの約一ヶ月は運動と自分磨きに勤しんだ。元々の見た目は悪くない方だったから垢抜けは無事成功した。
 入学して先輩と委員会で一緒になって、変な話だけど運命だと思った。
 先輩は甘いものが得意ではないのに俺に付き合ってカフェに一緒に来てくれた。勝手にデートをしているみたいだと思っていた。 
 わかりやすくて、優しくて、鈍感な先輩。そんなところも好きだ。おかげで俺に好意を持ってくれていることにもすぐ気がついた。
 だから先輩を慕う人も多くて、その人たちが先輩に近づかないように動くのが大変だった。
 気持ちが暴走して先輩を傷つけてしまった時、もう終わったと思った。
 全部守るって誓ったのに、きっと嫌われてしまったと。
 そんな時佐々木先輩から連絡が来た。佐々木先輩は特に北口先輩と距離が近くて苦手だった。でも、仲良くしないと北口先輩に態度が悪かったなんて言われてしまっては困るから愛想は良く接した。
 メッセージの内容は、北口先輩が体調不良で休んでいる、俺との関係を気にしていたっぽから連絡してやってほしい、とのことだった。
 そのメッセージを見てまだ諦めなくてもいいと思えた。過去に佐々木先輩と連絡先を交換していた自分に感謝。

 俺は北口先輩に恋をしている。この気持ちをちゃんと伝えに行こう。