「それじゃあ、また学校で会いましょうね」

「おう、またな」

 俺たちは、駅前で解散をした。俺はそのまま徒歩で家に帰る。
 二人きりでのカフェ楽しかったな。思い出すだけで表情が崩れてしまいそう。

「ふふ」

「ずいぶんとご機嫌だな。(みちる)

 この声には聞き覚えがあった。栗原よりも声が低くて、少し乱暴な口調の持ち主。
 そして俺のトラウマを作った人。

古川(ふるかわ)......」

「何怯えた顔してんだよ。それに古川じゃなくて那津(なつ)、だろ?」

 そして古川は俺に近づき、肩を組んで引き寄せた。

「久しぶりじゃん、元気にしてた?」

「......まあまあだよ」

 声が震えないように、平然を装う。

「ふーん。俺さっき見ちゃったんだよねイケメンくんと楽しそうに歩いているところ。あれ、今の彼氏?」

 そう、俺の耳元でささやいた。

「ち、違う!」

 俺は古川の胸を押して離れた。古川は一瞬驚いた顔をして、ニヤリと笑った。

「じゃあ、片思いってわけね」

 この顔はいけない。子どもが珍しいおもちゃを見つけたような好奇心が抑えられないというような顔。
 俺はかつてこの表情が彼らしくて好きだった。でも、それは間違いだったんだ。

「俺がバラしてあげようか? 満はお前のことが好きらしいよって」

「やめて......」

 中学生の頃のトラウマが蘇ってくる。
 かつて俺は好奇心旺盛で素直な古川に恋していた。中学2年生の時、古川から告白された時は夢のように嬉しかった。
 同じ気持ちでいてくれたんだって、舞い上がっていた。その告白が、単なる好奇心によるものだったなんて気づきもしなかった。
 それがわかったのは中学3年生の春、

『なあ、古川って北口と付き合ってるって本当?』
『あー、マジマジ。俺から告った』
『マジで? でも、北口って男じゃん? それでも本気なんだ』
『いや、本気なわけないじゃん。告ったのは単なる好奇心。あっちだって本気じゃないって』

 放課後、一緒に帰ろうと古川の教室に行った時に偶然聞いてしまった。肩にかけていたスクールバッグが床に落ちる。その音に気がついた古川たちが、教室から廊下に出てきた。
 震える声で俺は尋ねた。

『那津、今のって......』
『あー聞いてたのか』

 古川は面倒くさそうに頭をかいた。

『あれは本心。でも満もだろ? 男相手に本気になるわけないじゃん』

 心無い言葉に、胸が傷みつけられる。
 当時俺は本気で古川が好きだった。でも、遊びだったんだ。

『うわ、泣いてる。俺が悪いみたいじゃん』

 それが決定的な一言だった。床に落ちたスクールバッグを拾ってその場から走って逃げ出した。
 痛い、痛い、痛い。涙が溢れて止まらなかった。
 俺は本気で好きだった。でも古川は違ったんだ。......遊びだったんだ。男相手に本気になるわけないんだって。
 それから俺は誰かに恋することを諦めた。あんなに傷ついて苦しい思いをするくらいなら、もう恋はしないって。

「なんか返事しろよ」

「お願いやめて」

 それしか言えなかった。
 怖いよ、助けて。......栗原。

「あなた、先輩に何してるんですか」

 幻聴が聞こえたかと思った。だって栗原はもう電車に乗っているはず。

「お、さっき満と一緒にいたイケメンくん」

「あなた、いったい先輩に何をしたんですか」

 古川と会話をしながら俺の手を引いて、背中に隠してくれる。

「普通に世間話?」

「普通に話していて人はこんなに怯えませんよ」

「へー、いいセコムじゃん。じゃあもう遊べないかー。俺もういくわ、またな満」

 興味がなくなったように、そのまま古川は去っていった。全身に入っていた力が抜けていく。

「先輩、危ない!」

 倒れそうになった俺を栗原が抱き止めてくれる。
 こんな状況で触れられて嬉しいなんて、きっとどうかしている。

「ごめん、ごめん大丈夫」

 安心させるためにはにかんで見せる。すると俺の表情を見た栗原は悲しそうに眉を下げた。

「大丈夫じゃないですよ、俺の前では無理しないで」

 その言葉を聞いてせきを切ったかのように涙が止まらなくなる。俺の様子を見て栗原は人気のない場所に移動し、俺のことを休ませてくれた。
 落ち着いた後、俺は全てを打ち明けた。こんな状況を見られて隠しておく方がおかしい。
 幻滅されてしまっただろうか。慕っている先輩が男を好きになるなんて、やっぱりおかしいと思うかな。
 栗原の方を見れない。

「そんなの、先輩は悪くないですよ」
「え......」
「相手の気持ちをもてあそぶ人が悪いんです」

 そう言って栗原は俺を抱きしめた。柑橘系の香りが鼻腔をくすぐる。制服越しに伝わる体温が俺を安心させてくれた。
 幸せで、ずっと続いてほしいと願ってしまう。

「俺が、先輩を守ります。全部、全部」

 力強い言葉が心を励ましてくれる。
 その言葉は先輩への情が作り出しているものだろうと思うけれど。
 将来栗原と結ばれる人は幸せだろうな。


......

 それから数日、栗原との関係は特に変化していない。
 あんな失態を晒してしまって恥ずかしいと思ったが、北口はさほど気にしていない様子だった。

「すみません、北口先輩ですか?」

 昼休み、廊下を歩いていると一人の女子生徒に呼び止められた。うちの学年では見慣れない顔だ。

「そうですけど......」

「ああよかった! あの、栗原くんのことなんですけど」

 女子生徒は先日あった合コンに参加していて、栗原のことを好きになったらしい。仲をつめていきたいけれど話しかける勇気がないそうだ。そこで栗原と仲がいいと言われている俺に声をかけたと言うわけ。
 佐々木といい、この女子生徒といい俺は栗原の窓口かよ。
 そんなこと口に出せるわけもなくそのまま了承してしまった。周りの目を気にして安請け負してしまう。
 俺の役目は栗原と女子生徒が一緒に遊びに行けるように手配することだ。

「気が重いなあ」

 放課後一人で廊下を歩きながらつぶやく。
 俺と栗原は仲はいい方だとは思うけれど、そこまで踏み込んだような関係ではない。仲のいい先輩と後輩で、その域を出ていないのだ。
 ここまで後輩にお願いばかりしている先輩はどうなのだろう。良心が訴えかけてくる。
 おまけに俺は栗原のことが好きなのだ。誰かとの橋渡しをするたびに胸が締め付けられる。

「あれ、せんぱーい」

 正面から栗原が歩いてきた。普段の固い表情をふんわりと柔らかくさせて、こちらに近寄ってきた。知る限りこの表情は俺にしか見せない。好きな人からの特別(・・)を感じて優越感に浸る。

「先輩も今帰りですか?」

「そう、今から帰るところ」

「じゃあさ、今日もカフェに行きませんか。いいお店見つけたんですよ」

「あーいいな」

 行こうと返事をしようとした時、さっきの女子生徒との会話を思い出した。
 そうだ俺には栗原と女子生徒が遊びに行けるように手をうつ役目があるんだった。

「それ今度の週末に行くのでもいいか?」

「? 大丈夫ですけど、何かあるんですか」

「うん。ちょっとな」

 栗原は不思議そうに首を傾げていた。そうだそれでいい。もしも二人が付き合ってくれたら俺も嬉しい。好きな人の幸せが俺の幸せなんだから。俺の恋は叶わないだろうけど、でも栗原が笑っていてくれるならそれでいい。
 この前、カフェで言っていたじゃないか。栗原は頼れて甘えられる人が好きだって。そんな人にいつか巡り会えたらいいよな。
 そして結婚して俺はそこに友人代表として参列する。友達として栗原の人生の中に存在できたら、いいな。

「どーしたんですか。悲しそうな顔してる」

「......なんでもねえよ」

「なんでもなくないですよ」

「気にすんな」

「えーでも、気になるしー」

 そう言って栗原は俺の頬を両手で挟んだ。手から栗原の熱が伝わってくる。頬が紅潮して熱を持ち出す。落ち込んでいた気持ちが嘘みたいだ。

「あはは、先輩顔真っ赤ですよ」

「うるさい、恥ずかしいんだからしょうがないだろ」

「可愛いですね、先輩」

「からかうな」

「いつも俺がやられているので仕返しです」

「ごめんごめん、悪かったよ」

「別に、俺は嫌じゃないからいいです」

「変な奴だな、栗原は」

 カフェではあんなにすねていたのに、本当は満更でもないとか可愛いかよ。

 そう思ったら、ふっと吹き出してしまった。

「......先輩、やっと笑った」

 嬉しいような、ほっとしたような声で栗原は言った。大切なものを扱うみたいに俺の頬を撫でる。
 こんなことされたら勘違いしそうになる。栗原にも俺を好きになって欲しいと言いたくなってしまう。

「じゃ、週末楽しみにしてますね」

 嬉しそうにしながら、栗原は帰っていった。

......


 週末、俺は自分の部屋でベッドに寝転がっていた。カフェには行っていない。あの後、女子生徒と連絡をとって栗原が言っていたカフェに行くように伝えた。
 ベッドの上に寝転がって天井を眺める。カフェに行くことは栗原から提案してくれた。けれど俺はその気持ちを踏みにじった。
 今頃、栗原は怒っているだろうか。いや、どうしようもない先輩だと呆れて、女子生徒とカフェでの時間を楽しんでいるのかもしれない。
 スマホの電源は切ってある。万が一栗原から連絡が来た時に無視する勇気が俺にはなかった。
 両手で顔を覆う。どうしよう。俺は今後どんな顔して栗原に会えばいいんだ。自分勝手な思いに心底呆れる。

......

 週明け、俺は身を小さくしながら学校へ向かった。校舎に入ったらダッシュをして教室の中に滑り込む。教室にさえ入れば栗原がきたとしても大丈夫。他クラスの生徒は入ってこれない仕組みだから。
 なるべくクラスからは出ないようにしよう。そうは言っても、栗原自身が教室にやってきてしまえばもうどうしようもないわけで、

「北口先輩、栗原です」

 栗原が昼休みに三年生の俺のクラスまでやってきた。顔を合わせたくなくて、とっさに隠れる。まだ栗原には教室の中に俺がいることはバレていない。

「おーい北口、二年の栗原が呼んでる」

 佐々木黙って! そう思っても時すでに遅し。俺が教室にいることが栗原にバレてしまった。

「北口先輩、今お時間よろしいですね?」

 心なしか目が全く笑っていない。

「......はい」

 それ以外に俺に与えられた答えはなかった。

......


「週末のあれはなんだったんですか?」

 壁に追い詰められながら問いかけられる。尋問に等しいと思った。こんなに怖い雰囲気を纏った栗原を俺は見たことがない。
 
「ごめん、なさい」

「誤って欲しいわけじゃないんです。どうしてカフェに来たのが先輩じゃなくて菊池だったのかって聞いてるんですよ」

 菊池とはあの女子生徒の名前だ。
 栗原から本当の話以外はいらないという圧を感じる。

「栗原との仲を取り持ってほしいと言われて、その手助けをした」

 息を呑む音が頭上から聞こえた。

「......そうだったんですね」

 感情を失ったような声に俺は思わず顔を上げた。
 歪んだ悲しげな表情を栗原はしていた。俺が驚くと、栗原は慌てて顔を隠した。

「すみません」

「俺こそごめん。これからはしないから」

「......」

 栗原は黙ったままだ。

「.....ねえ先輩ってかっこよくて、笑顔が素敵な人がタイプなんですよね。......佐々木先輩も笑顔が素敵ですよね。それにこの前、駅前であった人も、人懐っこそうでしたし」

「佐々木? 確かにそう思うけど」

 陽キャだし、教室でもよく笑っているような気がする。古川はさておき。

「もしかして俺が邪魔になったから、菊池とくっつけようとしたんですか」

「は? 何言って」

「俺が嫌になったならちゃんと言ってください」

 俺の肩に添えられた手に力が込められる。一体なんの話だ。この話に佐々木は関係ないはず。
 俺を見つめる表情にいつものような笑顔はない。強張っていて、瞳が冷めている。初めて栗原のことを怖いと思ってしまった。

「痛い」

 その言葉に反応した栗原はパッと肩から手を離した。

「先輩、ごめんなさい。......俺、当分二人で会うのはきついです」

「え......」

 栗原は、悲しげな表情をしていた。俺はそのまま言葉を紡ぐことができなかった。
 栗原は俺に背を向けて歩いていく。
 なんてことをしてしまったんだろう。呆れられてしまうかもしれない。けれど、悲しませてしまうことまで想像できていなかった。栗原がすねて、俺が謝って、はい仲直り。そうなるだろうと慢心していた。
 取り返しのつかないことをした。好きな人を傷つけてしまった。
 へなへなとその場に座り込む。予鈴が鳴るまで俺はその場から動けなかった。