久我くんの前では隠せない

︎︎⟡

「…い。おーい。佐倉、聞いてる?」
「っ!悪い…なんも聞いてなかったわ」

よく聞き覚えのある三浦の声が聞こえてきて現実に巻き戻される。

「なにしてんだよ。ぼけーっとして、大丈夫か?」

不審そうな顔でこっちを覗き込む三浦。少女漫画のことを考えていた、なんてことは口が裂けても言えない。

言葉を濁しながら「んー、寝不足なだけ」と肩をすくめて笑ってみせた。

「ふーん。ま、気をつけろよ。じゃ」
三浦は軽く手を振り、他のクラスメイト達と一緒に教室を出ていった。
よかった。何も気付いていない───とりあえずほっと胸を撫で下ろす。

放課後になると、教室に残る人は少なくなり静けさが戻ってくる。
俺は鞄を肩にかけるといつものように足を図書室へと向けた。

歩き慣れた廊下を進み、薄暗い木の扉を押し開ける。

午後の斜陽が窓から差し込み、古びた本棚が温かみのあるオレンジ色に染まっていた。
古いからか、図書室には誰かが立ち寄っている所をほぼ見たことがない。だからこそ良いのだ。

その片隅に、俺だけの秘密の場所がある。

「……よし。」

目当ての棚に手を伸ばし、お気に入りの一冊を引き抜いた。
カバーをかけられたその背表紙には、誰もが知っている名作の名前が刻まれているけど、俺の手の中ではただの隠れ蓑だ。

カバーの下には──少女漫画。

静かに椅子に腰掛け、ページを開く。
さっきまで胸の中で渦巻いていた雑音がすっと消えていく。

文字と絵に心を奪われていく時間は、いつもあっという間だ。

(……っ、キスしちゃうのか?!)

心の中で誰にも聞こえない声で叫びながら、ページをめくる手が止まらない。
息を詰めて見守るヒロインとヒーローの距離がどんどん縮まっていく───その瞬間。

「なに読んでんの?」

背後から響いた声に、全身がビクンと跳ねた。

「!?っ…」

慌てて本を閉じ、振り返ると、そこには見覚えのある顔が。
無造作にくしゃっとした髪、少し眠そうな瞳───クラスメイトの久我だった。

「っな、⋯なんで、ぐがが⋯」
驚きすぎたせいか、思わず変な噛み方をしてしまい一気に自分の体温が上昇したのが分かる。恥ずかしすぎる。

「はは、くが(・・)な。んで、なに?なんか読んでたよな」

乾いた笑いが聞こえてきて、余計に恥ずかしくなる。ぐるぐると頭の中を色んな言葉が飛び交う。なんのこと?としらばっくれるか。
今すぐ目の前の人の記憶を飛ばすか。いやダメだ。

普通の小説、勉強、とか何かしらあったはずなのに。
結局口からでた言葉は意味のわからないものだった。

「⋯いや、なにも...読んでない、です」
「嘘つけ」

久我の声は少し低くて、妙に落ち着いている。その言葉と同時に、眠たげだった目がじりじりと鋭くなるのを感じた。
さっきまでふにゃっとしていたはずの表情が、まるで獲物を狙う猫のように変わっていく。

俺の手元をじっと見つめる目が、徐々にカバー越しの本に降りていく──。

目線の先を追っているのがバレないように、必死で視線をそらす。でも、焦りのせいで反応がぎこちなくなっている自分がわかる。

――見られる!これは絶対にヤバい!

頭の中で警報が鳴り響くが、すでに手遅れだった。
久我の口元がゆっくりと上がり、薄く笑みを浮かべる。

「……」

その沈黙が、言葉以上に重くて逃げ場がなくなる感覚がして冷や汗が背中を伝った。

「……あっ、佐倉の後ろに蜂いる」
「ぅえ、?!!蜂…って、ど、こ」

一瞬の隙を見逃さない。体勢を崩したその瞬間、俺の手元にあった本は呆気なく彼の手によって奪われてしまった。

「ちょっ…返せって!久我、」
手を伸ばすも圧倒的な身長差の違いを見せつけられる。くそ、俺だって173はあるのに…!

ペラペラと目の前の男のページをめくる音は止まらない。さっきの比にならないくらい尋常じゃない冷や汗が吹き出てるのを感じる。

「⋯⋯お前」
「⋯⋯⋯」
「少女漫画、好きなの?」

逃げ場なし───。