日が暮れ始め、窓に打ち付けられた木の板の隙間から淡い光が差し込んでいた。
私はぎしぎしと音を立てる、立て付けの悪いドアを押し開ける。錆びた蝶番が悲鳴を上げる中、教室内の視線が一斉に私へ集まった。
「凛華が最後か」
晃が呟く。私は教室を見渡した。初めは楽しい遠足だと思って参加した40人全員の2年4組は、今や18人しか残っていない。
「ちょうど締め切るうとしてたところだ。凛華で最後にしよう」
神谷先生がドアから顔を覗かせ、廊下を確認しながら言った。
「このボタンを押して」
先生は無造作に、手に持った黒いボタンを朱里に差し出す。
「え.....な、なんで私が?」
朱里はおびえた声を漏らし、顔をこわばらせる。
「いいから押しなさい」
神谷先生の低く冷たい声に、朱里は震えながらも手を伸ばした。そして、意を決して、力強くボタンを押し込む。
「シューツ」という音が遠くから聞こえた。まるでどこかの管から何かが放出されたかのような音。
「画面を見てごらん」
神谷先生が壁際のパソコンを指さした。私は恐る恐る画面を覗き込む。他の生徒たちが映し出されている。別の部屋にいるはずのクラスメイトたちだった。
「う......っ!」
画面の中、彼らは苦しそうにもがき、やがて次々と倒れていく。
「な......なにこれ......?」
朱里の声は震えている。
「このボタンね、毒ガスを放出するためのスイッチなんだ。この階以外の空間に蔓延するように設定してある」
神谷先生は狂気じみた笑みを浮かべたまま、何でもないことのように言った。
教室内が静まり返る中、遠くからサイレンの音が徐々に近づいてきた。その音はまるで、どこか遠い世界からの救いの声のように聞こえた。しかし、私の心の中には不安しかなかった。
「驚察だ.....助かる.......?」
誰かがぼそりと呟いた。
「本当に助かるのかな......」
別の声が震えながら漏れる。神谷先生は冷笑を浮かべ、まるでこの状況を楽しむかのように口元を緩めた。「良かったね。もうすぐ『救い』が来るみたいだ。でも、みんなの顔を見てごらんよ。誰一人、希望を持った顔には見えないけどね」
私は周りを見渡した。誰も喜んでいなかった。教室中に漂うのは、ただ重苦しい沈黙と、瞳に宿る絶望だけだった。
ーーそうだ、誰も「助かる」という言葉に救いを感じていない。
理由は明白だった。この空間にいる誰もが、手を汚してしまったからだ。自分の手で、人を傷つけ、命を奪った。助かるということは、その事実に向き合わなければならないということだった。
私も同じだ。春日を殺した自分の手が、まだうっすらと震えている。彼女の顔が頭に焼き付いて離れない。思い出すたびに、吐き気を感じる。
「警察が来たところで、私たちは元には戻れない......」
私の口から漏れたその言葉が、教室の空気に溶け込むように響いた。
すると、朱里が膝を抱えて小さく震えながら言った「そうだよ.....捕まるだけだよ......私たち、もう終わりなんだ.......」
遠くからは、複数の車のドアが開閉する音、警察官たちの慌ただしさが伝わってくる。
ーーその時だった。
「ッ......!?」
私は息を詰まらせた。
神谷先生が、私を人質に取ったのだ。
ガタンツ!
神谷先生の腕が、私の首を掴み、強く締め上げる。
窓が勢いよく開かれる。
「こっちには生徒がいる。これ以上、近づくな」
先生の冷たい声が響く。
「近づいたら、生徒を皆殺しにする」
ゴリッ
拳銃が私のこめかみに強く押し付けられた。
「....何が目的だ!」
警察の声が鋭く響く。
先生は一瞬沈黙し、そして淡々とした口調で答えた。
「僕がやるしかないんだ」
その言葉に、警察は状況が理解出来ていないようだった。
「僕は”実験”をやめるつもりはない」
警察の怒声が飛び交う中、先生は気にしず窓を閉めた。
「では、最後の授業だ。いわゆる”デスゲーム”ってやつだね。ルールは簡単。“自分が死ぬか、相手が死ぬが”ーーそれだけだ」
頭が真っ白になる。
「ペアは僕が決める」
先生は無造作に指を動かし、次の瞬間、私の名前を呼んだ。
「最初は.....真穂と凛華」
息が詰まる。
「さあ、君たちが”最初からどう変わったが”見せてくれ」
そう言って先生は、机の上に2つの拳銃を無造作に置いた。
「さあ、始めようか」
ーーこれは、先生が用意した”最後の授業”なのかもしれない。
私は拳銃を握りしめる。同様に真穂も私と向き合った。
ゲームの最初が私でよかったと思った。他のクラスメイトは隣の部屋で待機させられていた。今、この教室には私と真穂、神谷先生の3人だけだった。
私たちは最初のように混乱に陥ってはいなかった。この状況でも私は驚くほど冷静だ。
「.....私たち、昔は喧嘩ばっかしてたのにね」
真穂がわずかに眉をひそめる。
「この状況で思い出話?凛華、頭おかしくなったんじゃないの?」
「思い出話じゃない。ずっと言えなかったこと、今なら言えると思っただけ」
「は?」
「.....私は真穂が嫌い」
真穂の表情が一瞬強張った。
「......なんなの急に」
「大っ嫌い」
彼女の目がかすかに揺れる。
「真穂はさ、いつも自分勝手で......」
「は?何それ」
「何も努力しないくせに、全部うまくいくじゃん。クラスにすぐ馴染んで、部活でも期待されて......」
「努力してない?ふざけないで。何も知らないくせに」
真穂の目に怒りが浮かぶ。
「試合に出るためにどれだけ練習したか、わかんないでしょ?クラスに馴染めたって、最初からそうだったわけじゃない。私がどれだけ周りの顔色を見て、どれだけ無理してたか......」
「....嘘」
「嘘じゃないよ!!」
真穂の叫びが教室に響く。
「私はね、凛華みたいにずっと一緒にいてくれる友達なんていなかったんだよ!だから馴染むしかなかったの!ひとりになるのが怖かったから、笑ってただけなの!」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「......そんなの、知らない.....」
「知らないんじゃなくて、知ろうとしなかったんでしょ!」
「.....私たち、“友達”だった?」
その言葉に、真穂の目が一瞬揺れた。
「......っ」
「.....私、元に戻ろうって言ってくれた春日を殺した」
喉が震える。
「私たちは元に戻れない。今日のことを、なかったことにはできない」
「友達って言っても、ただの他人だよね」
私は笑った。
「たまたま保育園が一緒で、たまたま友達になっただけ。結局、自分がいちばん大事なんだよ」
「......ごめんね」
私は拳銃を握り直し、一歩踏み出す。
パンッ!!
銃声が響く。
真穂が私を睨みつけていた。
「来るなツ!止まって!」
彼女は銃を私に向け、震える指に力を込める。
カチカチーー
「えっ.....なんで......」
真穂の顔が凍りつく。
弾は、もう入っていなかった。
その瞬間、彼女の目に浮かんだ感情が、私には痛いほど分かった。
「......やだやだやだっ!」
真穂は歯を食いしばり、悔しそうに涙を流しながら、それでも私を睨み続けていた。
私はーー
引き金に指をかけた。
パンッ!!
銃声が響く。
真帆が私を見つめ、動きを止めた。
だがーー
弾は、真穂には当たらなかった。
私が見たのは、銃口が真帆から、神谷先生に向けられている瞬間だった。
私は息を呑んだ。
その時、すぐに神谷先生が目を見開き、顔色を変えた。弾は狙ったいちから少し外れ、脇腹にあたった。
「ぐっ」
神谷先生の体が揺れ、何かを言おうとしたが、すぐに顔を歪めて力なく膝をついた。
「どうして....」
真穂の目が私を捉えたまま、何も言わずに固まっていた。彼女の瞳の奥には混乱と驚きが交じっている。それでも、私は続けた。
「さっき言ったことは嘘じゃない。でもそれが全部じゃなかったから」
羨ましくて、嫉妬して、さっき言ったのは本音だった。でも、あの頃笑いあってたのは嘘じゃない。
「元には戻れないけどさ。それでいいと思う。戻ったところで私たちは友達でいられなかった」
「私たち、今初めて向き合えたのかもね」
私は神谷先生を見つめた。長い間抱えてきた疑問を、ようやく口にすることができた。
「神谷先生、先生はどうしてこんなことをしたんですか?」
その問いに、先生は少しの間沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「君たちには知る権利があるよな」
彼の目がどこか遠くを見つめるように向かい、言葉は重く、そして静かに続いた。
「最初に担任を持ったとき、俺はあの子を信じていた。彼女は、笑顔を絶やさない優しい子だった。でも、周りの環境が彼女を壊していった。俺は助けることができなかった」
***
赴任先の学校は、一見平穏そのものだった。だが、神谷が実際に働き始めてから、学校が抱える「闇」に気づき始めた。
あの時、ひとりの女の子が僕に懐いてくれた。
「神谷先生!ここわからないです」
「また来たのか。勉強熱心なのはいいが、いい加減覚えてほしいな」
「覚えても他の問題持ってまた来ますよ?」
彼女は真面目で成績優秀、けれどどこか無理をしている様子があった。
ある日、美咲が授業中に突然倒れた。彼女は過労とストレスによる体調不良だったが、さらにその背景にクラスでのいじめがあったことが明らかになった。
いじめを止めさせようと生徒たちに説得し、保護者や他の教師たちに協力を求めた。だが、学校は事なかれ主義に徹し、「生徒たちの将来に傷がつく」として問題を隠蔽しようとした。
そして、最悪の出来事が起きた。ある朝、美咲が遺書を残して自ら命を絶ったのだ。
遺書にはこう書かれていた。
「先生、ごめんなさい。先生は本当に優しい人でした。でも、私はもう無理です」
その言葉は、僕の心を完全に砕いた。自分の理想と念は、生徒の命を救うこともできなかった。僕は深い罪悪感に苛まれながら、学校を去った。
その後は教育現場を転々としたが、美咲の死が常に頭をよぎり続けた。
そして、どの学校に行っても、同じような問題に直面した。いじめ、嘘、裏切り一一人間の醜さが、子どもたちの中にも大人たちの中にも潜んでいた。
次第に思うようになった。
「本当に人間は善人でいられるのか?本当にじる価値があるのか?」
そして、そんな疑念が憎悪へと変わるきっかけとなったのは、美咲を追い詰めたクラスメイトたちの一人が後に有名な大学に進学し、社会で成功を収めたことを知ったときだった。
その生徒がテレビに出ていた。
「青春時代の友情は、私を支え続ける宝物です」
それを見た中で、何かが崩壊した。
「あいつらは何も感じていない。罪悪感も後悔もなく、善人の顔をして生きている」
そんなこと許せない。その時から「善人」という言葉を憎むようになった。そして、「本当に善人など存在するのか」という問いに取り憑かれるようになった。
もし、人間の本質を暴くことができれば、自分が抱える絶望に意味を見いだせるかもしれない。
***
「僕はこのクソみたいな社会を壊したい。けど、僕ひとりが喚いたところでこの社会はなにも変わらない。注目されるよう俺は今日の計画を立てた。明日にも、この事件はニュースになる。僕はすべてをそこで話す」
その言葉の裏に隠された長年の苦しみが、私たちには痛いほど伝わった。私の胸が痛んだ。神谷先生は、決して悪人ではなかった。むしろ、彼の心の中で最も強く求められていたのは「正義」だったのかもしれない。しかし、その方法が間違っていた。
「美咲が死んだあの日から、俺はずっと思っていた。『何もできなかった自分』が許せなかった。だから、何かしなければならないと思った。社会を変えるために、犠牲が必要だった」
先生の声が震えていた。それでも彼の目は、私たちをしっかりと見据えていた。
「先生がしたことは絶対に許されることのないことです。例えどんな理由があったとしても」
私はその言葉を口にしながらも、心の中では先生の痛みを感じていた。しかし、正義の名のもとに無辜の人々が傷ついていくことは、決して許されることではない。その思いを、強く胸に刻みながら、私は言葉を続けた。
「でも、先生、今からでも間に合います。止めてください。この道を進むことが、先生の求めていた『正義』につながるとは思えません」
その言葉に、しばらくの間、先生は黙っていた。まるで何かを決意したような顔をして。それから、彼は静かに、そして深いため息をついた。
「凛華は真穂を殺さなかったね。君は本当の善人なのか?」
「私...善人なんかじゃありません。でも善人になろうとしなくてもいいと思いまた」
先生は胸を押さえながら立ち上がり、少しだけ体をよろめかせた。その様子に私は驚き、すぐに手を伸ばそうとしたが、先生はそれを制止するように手を振った。
「大丈夫だ」
彼は優しく微笑んだが、その笑顔にはまだ深い悲しみが残っていた。人間らしい顔だった。
「先生」
真穂が小さな声で呼びかけた。
先生はしばらく黙って私を見つめ、目の奥にわずかな光が宿るのを感じた。それは、まるで長い間暗闇に閉じ込められていた人が、ようやく微かな明かりを見つけたような瞬間だった。
「ありがとう」
先生の声はどこか柔らかくなり、そして彼はゆっくりと答えた。
「でも、これは僕の問題だ。君たちはこの社会に負けないでくれ」
その言葉には、深い苦しみと共に、強い意志が感じられた。先生は自分の過ちを受け入れ、償うための一歩を踏み出す覚悟を決めたのだろう。
先生は静かに教室を出ていった。扉が閉まる音が、私たちの胸に重く響いた。しばらくして外が騒がしくなり、私は窓から外を覗き込んだ。真穂もそっと横に立つ。手を挙げて現れた先生は、警察に押さえつけられていた。その姿を見て、私は言葉を失った。先生がこの状況に向き合うために、どれだけの勇気を持ったのかを思うと、胸が痛む。
「私たち、もう一度やり直せるかな?」
真穂が静かに呟く。
私はしばらく黙って外を見つめていた。その先に見えるのは、無数の人々がそれぞれの思いを抱えて生きている世界。しかし、今、私たちにできることは何だろう?あの先生が言ったように、社会を変えるには何かを壊さなければならない。でも、壊すことで得られるものが本当にあるのか、それともただ無意味な痛みだけが残るのか。
「さぁ、何が起こるかわからないし、でも無理ではないよ。きっと」
私は少しだけ微笑んだ。
下から大勢の人が階段を駆け上がってくる音が聞こえる。
「これからどうなるんだろうね」
私はその言葉に答える代わりに、そっと視線を上げる。
空は真っ暗だが、月の淡い光が私たちを照らしていた。
「きっと、何かが変わるよ」
そう言って、私は真穂の目を見つめる。
どんな形であれ、私たちが選んだ道を、共に歩んでいけることをじて。
物語はまだ終わらない。それは、私たちがどんな決断を下すかによって、これからも続いていくものだから。
私はぎしぎしと音を立てる、立て付けの悪いドアを押し開ける。錆びた蝶番が悲鳴を上げる中、教室内の視線が一斉に私へ集まった。
「凛華が最後か」
晃が呟く。私は教室を見渡した。初めは楽しい遠足だと思って参加した40人全員の2年4組は、今や18人しか残っていない。
「ちょうど締め切るうとしてたところだ。凛華で最後にしよう」
神谷先生がドアから顔を覗かせ、廊下を確認しながら言った。
「このボタンを押して」
先生は無造作に、手に持った黒いボタンを朱里に差し出す。
「え.....な、なんで私が?」
朱里はおびえた声を漏らし、顔をこわばらせる。
「いいから押しなさい」
神谷先生の低く冷たい声に、朱里は震えながらも手を伸ばした。そして、意を決して、力強くボタンを押し込む。
「シューツ」という音が遠くから聞こえた。まるでどこかの管から何かが放出されたかのような音。
「画面を見てごらん」
神谷先生が壁際のパソコンを指さした。私は恐る恐る画面を覗き込む。他の生徒たちが映し出されている。別の部屋にいるはずのクラスメイトたちだった。
「う......っ!」
画面の中、彼らは苦しそうにもがき、やがて次々と倒れていく。
「な......なにこれ......?」
朱里の声は震えている。
「このボタンね、毒ガスを放出するためのスイッチなんだ。この階以外の空間に蔓延するように設定してある」
神谷先生は狂気じみた笑みを浮かべたまま、何でもないことのように言った。
教室内が静まり返る中、遠くからサイレンの音が徐々に近づいてきた。その音はまるで、どこか遠い世界からの救いの声のように聞こえた。しかし、私の心の中には不安しかなかった。
「驚察だ.....助かる.......?」
誰かがぼそりと呟いた。
「本当に助かるのかな......」
別の声が震えながら漏れる。神谷先生は冷笑を浮かべ、まるでこの状況を楽しむかのように口元を緩めた。「良かったね。もうすぐ『救い』が来るみたいだ。でも、みんなの顔を見てごらんよ。誰一人、希望を持った顔には見えないけどね」
私は周りを見渡した。誰も喜んでいなかった。教室中に漂うのは、ただ重苦しい沈黙と、瞳に宿る絶望だけだった。
ーーそうだ、誰も「助かる」という言葉に救いを感じていない。
理由は明白だった。この空間にいる誰もが、手を汚してしまったからだ。自分の手で、人を傷つけ、命を奪った。助かるということは、その事実に向き合わなければならないということだった。
私も同じだ。春日を殺した自分の手が、まだうっすらと震えている。彼女の顔が頭に焼き付いて離れない。思い出すたびに、吐き気を感じる。
「警察が来たところで、私たちは元には戻れない......」
私の口から漏れたその言葉が、教室の空気に溶け込むように響いた。
すると、朱里が膝を抱えて小さく震えながら言った「そうだよ.....捕まるだけだよ......私たち、もう終わりなんだ.......」
遠くからは、複数の車のドアが開閉する音、警察官たちの慌ただしさが伝わってくる。
ーーその時だった。
「ッ......!?」
私は息を詰まらせた。
神谷先生が、私を人質に取ったのだ。
ガタンツ!
神谷先生の腕が、私の首を掴み、強く締め上げる。
窓が勢いよく開かれる。
「こっちには生徒がいる。これ以上、近づくな」
先生の冷たい声が響く。
「近づいたら、生徒を皆殺しにする」
ゴリッ
拳銃が私のこめかみに強く押し付けられた。
「....何が目的だ!」
警察の声が鋭く響く。
先生は一瞬沈黙し、そして淡々とした口調で答えた。
「僕がやるしかないんだ」
その言葉に、警察は状況が理解出来ていないようだった。
「僕は”実験”をやめるつもりはない」
警察の怒声が飛び交う中、先生は気にしず窓を閉めた。
「では、最後の授業だ。いわゆる”デスゲーム”ってやつだね。ルールは簡単。“自分が死ぬか、相手が死ぬが”ーーそれだけだ」
頭が真っ白になる。
「ペアは僕が決める」
先生は無造作に指を動かし、次の瞬間、私の名前を呼んだ。
「最初は.....真穂と凛華」
息が詰まる。
「さあ、君たちが”最初からどう変わったが”見せてくれ」
そう言って先生は、机の上に2つの拳銃を無造作に置いた。
「さあ、始めようか」
ーーこれは、先生が用意した”最後の授業”なのかもしれない。
私は拳銃を握りしめる。同様に真穂も私と向き合った。
ゲームの最初が私でよかったと思った。他のクラスメイトは隣の部屋で待機させられていた。今、この教室には私と真穂、神谷先生の3人だけだった。
私たちは最初のように混乱に陥ってはいなかった。この状況でも私は驚くほど冷静だ。
「.....私たち、昔は喧嘩ばっかしてたのにね」
真穂がわずかに眉をひそめる。
「この状況で思い出話?凛華、頭おかしくなったんじゃないの?」
「思い出話じゃない。ずっと言えなかったこと、今なら言えると思っただけ」
「は?」
「.....私は真穂が嫌い」
真穂の表情が一瞬強張った。
「......なんなの急に」
「大っ嫌い」
彼女の目がかすかに揺れる。
「真穂はさ、いつも自分勝手で......」
「は?何それ」
「何も努力しないくせに、全部うまくいくじゃん。クラスにすぐ馴染んで、部活でも期待されて......」
「努力してない?ふざけないで。何も知らないくせに」
真穂の目に怒りが浮かぶ。
「試合に出るためにどれだけ練習したか、わかんないでしょ?クラスに馴染めたって、最初からそうだったわけじゃない。私がどれだけ周りの顔色を見て、どれだけ無理してたか......」
「....嘘」
「嘘じゃないよ!!」
真穂の叫びが教室に響く。
「私はね、凛華みたいにずっと一緒にいてくれる友達なんていなかったんだよ!だから馴染むしかなかったの!ひとりになるのが怖かったから、笑ってただけなの!」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「......そんなの、知らない.....」
「知らないんじゃなくて、知ろうとしなかったんでしょ!」
「.....私たち、“友達”だった?」
その言葉に、真穂の目が一瞬揺れた。
「......っ」
「.....私、元に戻ろうって言ってくれた春日を殺した」
喉が震える。
「私たちは元に戻れない。今日のことを、なかったことにはできない」
「友達って言っても、ただの他人だよね」
私は笑った。
「たまたま保育園が一緒で、たまたま友達になっただけ。結局、自分がいちばん大事なんだよ」
「......ごめんね」
私は拳銃を握り直し、一歩踏み出す。
パンッ!!
銃声が響く。
真穂が私を睨みつけていた。
「来るなツ!止まって!」
彼女は銃を私に向け、震える指に力を込める。
カチカチーー
「えっ.....なんで......」
真穂の顔が凍りつく。
弾は、もう入っていなかった。
その瞬間、彼女の目に浮かんだ感情が、私には痛いほど分かった。
「......やだやだやだっ!」
真穂は歯を食いしばり、悔しそうに涙を流しながら、それでも私を睨み続けていた。
私はーー
引き金に指をかけた。
パンッ!!
銃声が響く。
真帆が私を見つめ、動きを止めた。
だがーー
弾は、真穂には当たらなかった。
私が見たのは、銃口が真帆から、神谷先生に向けられている瞬間だった。
私は息を呑んだ。
その時、すぐに神谷先生が目を見開き、顔色を変えた。弾は狙ったいちから少し外れ、脇腹にあたった。
「ぐっ」
神谷先生の体が揺れ、何かを言おうとしたが、すぐに顔を歪めて力なく膝をついた。
「どうして....」
真穂の目が私を捉えたまま、何も言わずに固まっていた。彼女の瞳の奥には混乱と驚きが交じっている。それでも、私は続けた。
「さっき言ったことは嘘じゃない。でもそれが全部じゃなかったから」
羨ましくて、嫉妬して、さっき言ったのは本音だった。でも、あの頃笑いあってたのは嘘じゃない。
「元には戻れないけどさ。それでいいと思う。戻ったところで私たちは友達でいられなかった」
「私たち、今初めて向き合えたのかもね」
私は神谷先生を見つめた。長い間抱えてきた疑問を、ようやく口にすることができた。
「神谷先生、先生はどうしてこんなことをしたんですか?」
その問いに、先生は少しの間沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「君たちには知る権利があるよな」
彼の目がどこか遠くを見つめるように向かい、言葉は重く、そして静かに続いた。
「最初に担任を持ったとき、俺はあの子を信じていた。彼女は、笑顔を絶やさない優しい子だった。でも、周りの環境が彼女を壊していった。俺は助けることができなかった」
***
赴任先の学校は、一見平穏そのものだった。だが、神谷が実際に働き始めてから、学校が抱える「闇」に気づき始めた。
あの時、ひとりの女の子が僕に懐いてくれた。
「神谷先生!ここわからないです」
「また来たのか。勉強熱心なのはいいが、いい加減覚えてほしいな」
「覚えても他の問題持ってまた来ますよ?」
彼女は真面目で成績優秀、けれどどこか無理をしている様子があった。
ある日、美咲が授業中に突然倒れた。彼女は過労とストレスによる体調不良だったが、さらにその背景にクラスでのいじめがあったことが明らかになった。
いじめを止めさせようと生徒たちに説得し、保護者や他の教師たちに協力を求めた。だが、学校は事なかれ主義に徹し、「生徒たちの将来に傷がつく」として問題を隠蔽しようとした。
そして、最悪の出来事が起きた。ある朝、美咲が遺書を残して自ら命を絶ったのだ。
遺書にはこう書かれていた。
「先生、ごめんなさい。先生は本当に優しい人でした。でも、私はもう無理です」
その言葉は、僕の心を完全に砕いた。自分の理想と念は、生徒の命を救うこともできなかった。僕は深い罪悪感に苛まれながら、学校を去った。
その後は教育現場を転々としたが、美咲の死が常に頭をよぎり続けた。
そして、どの学校に行っても、同じような問題に直面した。いじめ、嘘、裏切り一一人間の醜さが、子どもたちの中にも大人たちの中にも潜んでいた。
次第に思うようになった。
「本当に人間は善人でいられるのか?本当にじる価値があるのか?」
そして、そんな疑念が憎悪へと変わるきっかけとなったのは、美咲を追い詰めたクラスメイトたちの一人が後に有名な大学に進学し、社会で成功を収めたことを知ったときだった。
その生徒がテレビに出ていた。
「青春時代の友情は、私を支え続ける宝物です」
それを見た中で、何かが崩壊した。
「あいつらは何も感じていない。罪悪感も後悔もなく、善人の顔をして生きている」
そんなこと許せない。その時から「善人」という言葉を憎むようになった。そして、「本当に善人など存在するのか」という問いに取り憑かれるようになった。
もし、人間の本質を暴くことができれば、自分が抱える絶望に意味を見いだせるかもしれない。
***
「僕はこのクソみたいな社会を壊したい。けど、僕ひとりが喚いたところでこの社会はなにも変わらない。注目されるよう俺は今日の計画を立てた。明日にも、この事件はニュースになる。僕はすべてをそこで話す」
その言葉の裏に隠された長年の苦しみが、私たちには痛いほど伝わった。私の胸が痛んだ。神谷先生は、決して悪人ではなかった。むしろ、彼の心の中で最も強く求められていたのは「正義」だったのかもしれない。しかし、その方法が間違っていた。
「美咲が死んだあの日から、俺はずっと思っていた。『何もできなかった自分』が許せなかった。だから、何かしなければならないと思った。社会を変えるために、犠牲が必要だった」
先生の声が震えていた。それでも彼の目は、私たちをしっかりと見据えていた。
「先生がしたことは絶対に許されることのないことです。例えどんな理由があったとしても」
私はその言葉を口にしながらも、心の中では先生の痛みを感じていた。しかし、正義の名のもとに無辜の人々が傷ついていくことは、決して許されることではない。その思いを、強く胸に刻みながら、私は言葉を続けた。
「でも、先生、今からでも間に合います。止めてください。この道を進むことが、先生の求めていた『正義』につながるとは思えません」
その言葉に、しばらくの間、先生は黙っていた。まるで何かを決意したような顔をして。それから、彼は静かに、そして深いため息をついた。
「凛華は真穂を殺さなかったね。君は本当の善人なのか?」
「私...善人なんかじゃありません。でも善人になろうとしなくてもいいと思いまた」
先生は胸を押さえながら立ち上がり、少しだけ体をよろめかせた。その様子に私は驚き、すぐに手を伸ばそうとしたが、先生はそれを制止するように手を振った。
「大丈夫だ」
彼は優しく微笑んだが、その笑顔にはまだ深い悲しみが残っていた。人間らしい顔だった。
「先生」
真穂が小さな声で呼びかけた。
先生はしばらく黙って私を見つめ、目の奥にわずかな光が宿るのを感じた。それは、まるで長い間暗闇に閉じ込められていた人が、ようやく微かな明かりを見つけたような瞬間だった。
「ありがとう」
先生の声はどこか柔らかくなり、そして彼はゆっくりと答えた。
「でも、これは僕の問題だ。君たちはこの社会に負けないでくれ」
その言葉には、深い苦しみと共に、強い意志が感じられた。先生は自分の過ちを受け入れ、償うための一歩を踏み出す覚悟を決めたのだろう。
先生は静かに教室を出ていった。扉が閉まる音が、私たちの胸に重く響いた。しばらくして外が騒がしくなり、私は窓から外を覗き込んだ。真穂もそっと横に立つ。手を挙げて現れた先生は、警察に押さえつけられていた。その姿を見て、私は言葉を失った。先生がこの状況に向き合うために、どれだけの勇気を持ったのかを思うと、胸が痛む。
「私たち、もう一度やり直せるかな?」
真穂が静かに呟く。
私はしばらく黙って外を見つめていた。その先に見えるのは、無数の人々がそれぞれの思いを抱えて生きている世界。しかし、今、私たちにできることは何だろう?あの先生が言ったように、社会を変えるには何かを壊さなければならない。でも、壊すことで得られるものが本当にあるのか、それともただ無意味な痛みだけが残るのか。
「さぁ、何が起こるかわからないし、でも無理ではないよ。きっと」
私は少しだけ微笑んだ。
下から大勢の人が階段を駆け上がってくる音が聞こえる。
「これからどうなるんだろうね」
私はその言葉に答える代わりに、そっと視線を上げる。
空は真っ暗だが、月の淡い光が私たちを照らしていた。
「きっと、何かが変わるよ」
そう言って、私は真穂の目を見つめる。
どんな形であれ、私たちが選んだ道を、共に歩んでいけることをじて。
物語はまだ終わらない。それは、私たちがどんな決断を下すかによって、これからも続いていくものだから。



