「先輩⋯⋯」





 縋るような弱々しい声が、私の口から漏れ出ていた。





 そこには、先輩がいた。





 濡れた傘を引き摺って、また黄色い線を超えられないまま、私を見据えて口元だけで微笑んでいる。






 「ほら、残念だったね。先輩んとこ、行っておいで」






 発車ベルが鳴る間際、サクが思い切り私の背中を押した。






 ホームに踏み出した足はそのまま、黄色い線の上に乗る。






 「フラグは回収しないと、でしょ。ちゃんと傘かえしなよ」





 なんて言葉を残して、サクを乗せた電車の扉がしまる。





 目の前には先輩。




 好きも、ありがとうも。
 言いたかったことはなにも言えずにいた先輩と、はじめて他人のような距離を超えて話せる機会がきた。




 やっぱり、雨の日は憂鬱なんかじゃない。
 だって、先輩と話せるから。






 なんて、とくとくと速なる鼓動とリンクするように……






 だんだんと速度を上げていく電車の風に煽られて、彼の重たい前髪が浮き上がる。






 溶けきったいちごみるくの飴が余韻を残す口をすこしだけ開けて、なんとか息を吸う。






 先輩の透明な瞳と、この時、はじめて目があった。





 飴玉みたいだね、先輩。
 ううん、ちがう。水晶玉みたいに透けていて。





 それでいて、雨のせいか濡れているところが色っぽい大きな瞳。






 「……う……ら……」





 ボソリと呟いた先輩の声がよく聞き取れない。





 でも、それでもいいやと思えた。




 先輩の瞳は、





 私を吸い込んで、離さない。
 目線も、息も、声さえも。






 先輩に引きつけられて、吸い込まれていく。






 そのまま、取って喰われてしまいたくなる瞳。






 「……ねえ、アメちゃん。もしかして、髪の毛変えた?」






 ふいに先輩のズレた言葉が耳に入り、瞬きをする。





 もう目の前には先輩の瞳はなく、重たい前髪があるだけだった。





 「……それは"あの時"からですか?」






 「そう、あの時のぼくにはアメちゃんの金色がすごく眩しかったんだ」





 「わたしの髪が眩しいって……わたしも先輩の瞳が眩しかったのに」






 「きっと、ぼくはね悪い子なきみが羨ましかったんだよ」






 恐る恐る紡いだ言葉に、先輩は笑った。
 やさしく、あたたかく。






 嬉しいからか早鐘を打つ鼓動と、胸の前で握りしめていた指先が震える。






 「ねえ、先輩」






 だけど、人間って欲深いの。
 一度その瞳に魅入られたことを知ったら、もっと……もっとって、渇望するの。






 だから、






 「じゃあ、悪い子になっちゃいましょうよ」





 「どうやって?」






 「このまま卒業式、サボっちゃいませんか?」






 カバンに入れたままの傘を返さないまま、いちごみるくの飴が消えた私は、次の電車が来るホームの上で彼をそっと抱きしめてみる。






 私の恋は、飴みたいに甘く溶けて消えてしまうものなんかにしたくなかったから。






 あわよくば、このまま留年してくれればいいのに。とはさすがに言えなかったけれど。





 一瞬、硬くなった背中が





 「それじゃあ最期まで一緒に、悪い子になってくれる?」





 と笑う。





 小刻みに震えて、泣いているみたいだった。






 「いいですよ」






 なんて返せば、抱きしめられたまま先輩が私の顔を覗き込んで






 「いちごみるくって、美味しいよね」





 なんて、なんの脈絡もなく唇を奪っていった。