それから、なるべく彼から目を離さないように注意しながら、サクに腕を引かれるがまま開いた扉に足を踏み入れた。




 電車の中は、冷房が効いていて涼しかった。隊列を組み、規則正しく電車に乗り込んでくる人々の中で、なぜか彼だけがその場から足を進めないのを訝しみながらもじっと見つめた。





 黄色い線を越えられない彼の前で、無慈悲に道を阻んだホームドア。
 扉が閉まり、無情にも走り出した電車。





 「待って」





 その声を口に出せていたのかは、憶えていないけれど。サクの腕を振りほどいて、人を掻き分けて、私はドアの前まで駆けだしていた。





 一人、ホームに取り残された彼の前髪が、風圧でふわりと浮いたのを瞳にうつすことが出来て、安堵のため息を吐きだしたのは憶えている。






 彼は、私に、いや電車に乗ったみんなに





 「さようなら」






 と笑っているように見えた。体感二秒で過ぎ去っていった彼の瞳が、脳裏に焼きついて離れなかった。







 はじめて会って、はじめて見た彼の瞳は傘を滑る雨粒よりも透明で。






 溶けきる直前の透けた飴玉みたいに濡れていて、綺麗だった。






 距離的に見えないはずの長い睫毛も風に揺れているようで、彼の美しい瞳を際立たせていた。






 うまく息が出来なかった。吐き出した息が、吸えない。






 張り裂けんばかりに波打つ胸の高鳴りをはじめて肌で感じた。






 呼吸の仕方を忘れて、食いしばった口の中でいちごみるくが音をたてて割れる。思わず零れてしまったため息で、ようやく息ができるようになった。





 「アメ、具合でも悪いの? 帰る?」






 なんて、いつの間にか隣にきていたサクの声と不思議そうに顔を覗き込んできた目線で我に返った。






 ぼんやりとした視界の中、雨粒が吹き付ける車窓が見える窓に縋りついた私の指先は震えていた。