どうか、先輩だけは幸せにならないで








 はやく、はやく、家出しないと。

 なんで、なんで。

 わからない、わからないけれど家出しないと。






 足が急く。冷たかったはずの冬の夜でも、息が上がるほど早く歩けばあたたかいことを知った。早く家出をしなくちゃ。それだけしか考えられないまま、足の動くまま歩く。






 「……ただいま」






 誰もいないかのように静かで真っ暗な家に、どこか安心して鍵をしめる。瞬間、玄関からまっすぐと続く廊下の奥から大きな人影がゆらりと顔を出した。






 「おかえり。……待っていたよ、なんだい今日はちょっと帰りが遅かったんじゃないか?」






 ……きみは、本当に悪い子だね。






 その言葉を皮切りにじわりじわりと頭の中のもやの奥、澄み切っていたはずの脳みそから悲鳴が聞こえてくる。……逃げて。……家を出て。早く、早く、はやく、はやく。






 「まったく困らせないでくれよ。いい子にすると約束できないなら、家から出してあげないよって小さい頃から何度も約束したの覚えてないのかい? もしも忘れちゃったのなら、今からゆっくり思い出させてあげるから」







 安心して。なんて、ニッコリと擬音がつくほど微笑む父は不気味だった。……逃げて、そこから逃げて。また悲鳴が聞こえてくる。そうだ、







 「……いえで……しなくちゃ……」






 「今、なんて言った?」






 父の顔から笑顔が引いていく。家出しなくちゃ。その顔にやさしさの欠片などなく、家出しなくちゃ、怒りで真っ赤になった頬と小刻みに震えながら開かれた唇からは茶色く染まった歯が顔を出している。家出、家出しなくちゃ。ちがう、父から逃げなくちゃ。