先輩は一度も試合に勝ったことがない。




 窓も扉も、カーテンも閉めきった体育館。




 3番コートの脇でただ膝を抱えているだけで汗が噴き出してくる。書いていたスコアシートがあまりの暑さと汗で波打ってしまった。上手くシャープペンシルの芯が乗らずに歪んだ点数。




 スポーツタオルで雑に額を拭ってみても、汗は止まらず首筋にポニーテールの毛先をはりつけるだけ。




 そんな中、目の前からシューズが床に擦れる甲高い音が響いてきて、コートに立つ先輩に顔を向けた。瞬間、ラケットが振り降ろされる風切り音とラケットの中心にシャトルが当たる気持ちがいい音がする。息を飲むひまもなく、相手のコートのサイドライン上に綺麗にきまった先輩のスマッシュ。




 「ナイスです」




 なんて、何層にも重なった後輩たちの声援が真上の観客席から降ってくる。




 この大会を最後にコートに立つ先輩の姿をもう見られないのかと思うと、一戦でも多く勝ち抜いてほしい。そんな願いを胸に先輩に拍手を送った。生あたたかい汗が首筋を流れていく。先輩の引退がかかった重要な試合である男子シングルストーナメントの一回戦も、いよいよ大詰めを迎えようとしていた。




 「⋯⋯トゥエンティ、ナインティーン。サーバー、マッチポイント」




 ネットを張ったポールの前に立つ主審の声を聞き、コートの中に立つ先輩を見つめてみる。真一文字に唇を結んだまま、一度強く頷いた彼。




 ⋯⋯やっとここまできた。あと一点とれば、先輩の勝ち。ずっと負けてばかりいた先輩がやっと勝利を掴めるかもしれない、と思うと自然と心が浮ついてくる。表情がない先輩を横目に、小さく笑った。





 バドミントンの試合は基本的に21点先取。ここで先輩が相手のミスやアウトを狙うプレイか、シャトルを相手のコートに打ち付けることが出来れば確実に勝つことが出来る場面。けれど、一点でも追い付かれたら勝てるはずだった試合でもひっくり返されてしまうかもしれない⋯⋯そんな緊張感が伝わってきて、私の指先まで震えてきてしまった。今だけは相手が持つ19点がとてつもなくやっかいな数字に見えてくる。





 先輩は試合前になるといつも「腹壊しちゃったかも」とか言って、トイレに駆け込んでいくほどプレッシャーに弱いのに⋯⋯。あまり負担にならないと良いな、なんて思いながらコートに目を戻す。

  



 ちょうど先輩は肩で息をしながら相手からシャトルを受け取り、乱れた呼吸を整えようと短く息を吸い直しているところだった。




 試合の勝敗を左右するサーブの直前、特有の静けさが3番コートを包み込んでいく。敵も味方も関係なく静けさに飲み込まれるこの瞬間だけは、周りのコートに向けられる声援なんて耳に入らない。密閉された体育館の中に薄っすらと響いていたはずの蝉の声さえも聞こえない。かわりに嫌なくらい自分の心音が耳の奥に大きく響いて、息をすることも許されないかのように、静寂に圧倒されてしまう。