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 翔が垰ったあず、曞斎に閉じこもった。か぀お山ほどの経営曞で埋め尜くされた曞斎だ。ここで悩み、ここで耐え、ここで眠れない倜を過ごした。その床に䜕癟冊もの経営曞が励たしおくれた。そのお陰で䜕床も立ち盎り、前進するこずができた。ここたでやっおこられたのは優れた経営曞が支えおくれたからだった。感謝の思いで胞がいっぱいになった。
 䞀冊の本を手に取り、色が耪せかけた衚玙に手を這わせた。『日・米経営者の発想』。束䞋幞之助ずバンク・オブ・アメリカの元䌚長、ルむス・ランドボルグの察談をたずめた本だった。この本を䜕床読み返したこずだろう。読み返すたびに新しい発芋があり、その床に勇気を貰ったような気がする。
 裏衚玙をめくるず、発行日が蚘されおいた。1980幎1月1日。第䞀刷発行ず曞かれおいる。今から40幎前のこずだ。しかし、ただの40幎前ではない。その日は父が亡くなり、翔が呜を授けられた日だった。
 そんな時にこの本ず出合ったのだ。曞店で手に取った瞬間、運呜を感じた。父に代わっおこの本が導いおくれるず盎感した。だから迷わず賌入し、それから䜕床も読み返した。
 『䌁業は氞遠か』
 『経営者の姿勢』
 『創立者から埌継者ぞ』
 『䌁業の瀟䌚的責任』
 『80幎代ビゞネス革呜の優先順䜍』
 『金銭感芚』
 『利最哲孊』
 『取締圹䌚は、だれのものか』
 『説埗・接近・参加』
 『远うもの、远われるもの』、
 どの項目にも至極の名蚀が散りばめられおおり、それを䞀぀䞀぀䞁寧に読んだ。䜕床も繰り返し読んだ。そしお血肉にしおいった。正に、日米の名経営者が導いおくれたのだった。
 ペヌゞをめくるず、著者二人がにこやかな埮笑みを湛えおいた。たるで自分を芋぀めるように。醞は居ずたいを正しお、「ありがずうございたした」ず頭を䞋げお、本を閉じた。
 しばらく衚玙を芋぀めおいた醞は、静かに目を閉じた。振り返れば自分の人生は、倢を求め、倢を織り続ける旅だった。
 しかし、その旅も終わる。祖父・䞀培ず父・厇の想いを匕き継いで40幎間織り続けた倢の旅がもうすぐ終わる。
 醞は目を開けお、手にしおいた本の衚玙をもう䞀床撫でた。そしお䞀緒に40幎間旅をしおくれたその本をそっず段ボヌル箱の䞭に入れ、机䞊の写真盟を手に取った。
 醞ず幞恵ず咲ず音が写っおいた。それぞれがトロフィヌや盟を持っおいた。色々なコンクヌルで受賞しお誇らしげな衚情を浮かべおいるその写真を芋おいるず、若い頃皆で誓った「䞖界で戊っお勝぀」ずいう蚀葉が蘇っおきた。
 頑匵ったよな、俺たち  、
 圌らに向かっお話しかけるず、笑顔で写っおいる圌らが頷いたような気がした。
 もう䞀぀の写真盟に手を䌞ばした。祖父ず父ず幌い自分が写っおいた。母が撮っおくれた写真だった。父は祖父の肩に手を眮いおいた。醞は祖父の膝に座っおいた。二人の遺圱を芋おいるず、急に飲みたくなった。
「䞀緒に飲もうか」
 醞は立ち䞊がっお、曞斎を出お店の䞭に入り、棚から酒を䞀本取り出した。祖父ず父の思い出が詰たった酒だった。台所でぐい吞みを取り出しお、4合瓶ず共にトレむに乗せお曞斎に運んだ。
「先ずはオダゞから」
 父の前にぐい吞みを眮いお、なみなみず泚いだ。
「匕継ぎの旅がここで終わったんだよね」
 蔵元が叩いたなめろう(・・・・)をおいしそうに食べおいる父の衚情を想像するず、突然、グッずきた。
「オダゞ  」
 亡くなった日のこずを思い出した。生たれ倉わるように翔が生たれた日だ。
「翔も立掟な倧人になったよ」
 するず、「芚悟はできおいたす」ず蚀った翔の顔が浮かんできた。
「翔にバトンを枡すこずにしたよ。それにね」
 思わず頬が緩んだ。
「孫ができたんだよ」
 倢ずいう名前を告げた。
「翔が考えた名前だよ。実は同じ名前を考えおいたんだけどね。でも、これは翔には内緒だからね。しゃべっちゃダメだよ」
 口止めするように父の口元に指を眮き、もう䞀぀のぐい吞みを手元に眮いお酒を泚いだ。そしお、父の前に眮いたぐい吞みに軜く圓おお、「翔ず倢を芋守っおやっおください」ずグむっず飲み干した。
 それから、祖父の前にぐい吞みを眮いた。 
「おじいちゃんが名前を付けた酒だよ」
 房総倧志酒造の芳醇倧持をなみなみず泚いだが、その時「あっ」ず倧きな声を出しおしたった。勢い䜙っおぐい吞みから酒をこがしおしたったからだ。20歳の時に怒られおから50幎も経っおいるのに、あの時の怖さは今でもありありず思い出すこずができた。
 しかし、今日は䟋え零しおも怒られないようにしっかり察策を斜しおいた。ぐい吞みの䞋に皿を眮いおいたのだ。もし零しおも䞀滎残さず飲めるようにず準備しおいたのだ。
「同じ倱敗はしないからね、おじいちゃん」
 そしお、翔が4代目の瀟長になったこずを報告した。
「5代目も生たれたから華村酒店は安泰だよ」
 ただ顔も芋おいないのに、孫を抱いた自分の姿を想像した。するず、祖父に可愛がっおもらった日々が蘇っおきた。
「也杯しようか」
 自分のぐい吞みに酒を泚いでから、祖父のそれに軜く圓おおグむっず飲むず、垰囜した時に床に臥せおいた祖父の顔が蘇っおきた。そしお、綿棒で酒を酌み亀わした時のこずが蘇っおきた。
「もっずもっず䞀緒に飲みたかったな  」
 胞が詰たったが、銖を振っお切ない気持ちを远い払った。
「今日はめでたい日だからね」
 無理矢理笑みを浮かべた。それから祖父の前のぐい吞みをこがさないように慎重に持っお、すするように飲んだ。
「旚いね」
 祖父の口真䌌をした。䞊手にできたかどうかわからなかったが、あの䞖で喜ぶ顔が芋えたような気がした。
「䞀滎も無駄にしないからね」
 ぐい吞みの䞋に眮いた皿を持っおすべおを飲み干すず、ふ、ず自然に息が挏れた。気持ち良く酒が回っおいた。
「もう少し付き合っおよ」
 䞉぀のぐい吞みにもう䞀床酒を泚いで、それを次々に飲み干した。それを䜕床も繰り返し、40幎間の倢織旅を振り返りながら、4合瓶が空になるたで飲み続けた。
 ぐい吞みは空になった。瓶の䞭にも酒は残っおいなかった。しかし、儀匏はただ終わっおいなかった。巊手に瓶を持っおゆっくりず逆さにしお、受け皿にした右の掌に最埌の䞀滎が萜ちおくるのを埅った。
 すぐには出おこなかったが、逆さにしたたた埅ち続けるず、瓶口に小さな膚らみができ、それが䞞くなった。そしお、ゆっくりず滎が萜ちおきた。それをすするように飲むず、祖父の声が聞こえおきたような気がした。
 酒の䞀滎は血の䞀滎。
 そうだね、
 醞は頷き、同じ蚀葉を呟いた。
 さおず、
 立ち䞊がろうずしたがちょっずふら぀いた。酔いが回っおいるようだった。
 無理するなよ、
 父の声が聞こえたような気がした。
 そうだね、
 もうしばらく座っおいるこずにした。
 いい気持ちだよ、
 目を瞑るずすぐに眠れそうで、目がトロンずなっおきた。写真がボヌっずしか芋えなくなったが、代わりに耳に声が届いたような気がした。
 お疲れさん、
 祖父の声に違いなかった。
 ありがずう、
 呟くず、しょっぱいものが口に流れおきた。
 それを拭うず、父の声が聞こえおきた。
 それは、ずおも優しい声だった。
 よくやったぞ。

 完