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 太鼓判を押した醸だったが、試したいことがもう一つあった。蕎麦湯割りだ。もちろん、ざる蕎麦との相性も確かめなければならない。すぐさま彼を蕎麦の名店に連れて行った。
 その店は、蕎麦割烹『ゆかい』。飲食業界で今一番注目を浴びている経営者であり、優秀な蕎麦職人でもある湯山開戸(ゆやまかいと)が経営する店だった。

 醸の横に座った彼は緊張の塊のようになっていた。まさかこういう展開になろうとは思っていなかったのだろう、テレビで頻繁に紹介されている名経営者をまともに見ることができないような感じだった。
「急なお願いにもかかわらずお時間を頂戴し、誠にありがとうございます」
 旧知の間柄である湯山だったが、蔵元の息子の手前、醸は丁寧に挨拶をした。
「いえいえ、とんでもない。いつもお世話になっている華村さんならいつでも大歓迎です」
 湯山もいつもと比べて丁寧に返してくれた。
「では、早速ですが」
 醸は蔵元の息子に目を向けて頷くと、彼はぎこちなく頷いてから湯山に向き合った。
佐久乙女(さくおとめ)です」
 自己紹介も挨拶もなくいきなりボトルを差し出したので醸は慌てたが、そんなことは気にしないというふうに、湯山はグラスを三つ持ってきて、受け取ったボトルからそれぞれに注いだ。
「では」
 グラスを少し掲げてから鼻に持って行き、口に運んだ。味わうように口の中で液体を遊ばせている様子だったが、ゴクリと飲み込むと、満足げな様子になった。
「今までにない香りと味ですね」
 余韻を楽しむように目を細めたが、「この香りと味は、もしかして……」と正解を手繰(たぐ)り寄せるような表情になった。すると、「蕎麦麹を使っています」と蔵元の息子が一転して胸を張った。
「なるほど」
 そう言うなり立ち上がると、「うちの蕎麦と合わせてみましょう」と厨房に入って蕎麦を湯がき出した。

「お待たせしました」
 ざるの上に乗ったつややかな二八蕎麦が今にも踊り出しそうだった。すると、すぐに若い蕎麦職人が蕎麦湯を持ってきて、受け取った湯山が佐久乙女を蕎麦湯で割った。
「いける!」
 飲んだ途端、湯山の顔が綻んだ。
「よかった……」
 蔵元の息子が大きく息を吐いたあと、やっと笑みを見せた。それで醸も一息ついて、蕎麦と蕎麦湯割りを合わせたが、何も言うことはなかった。それは湯山も同じようで、滅多に見ることができないような笑みを浮かべた。しかし、すぐに真顔になって蔵元の息子に向き合った。
「うち限定でお願いできませんか」
 いきなり頭を下げた。
 その展開に驚いたが、蔵元の息子も現実のこととは思えないようで、戸惑いを隠せない様子になった。あり得ないことが起こっているのだから当然と言えば当然だが、話題の経営者がこんな若い自分に頭を下げていることを真に受け取ることができないようだった。それで醸が助け舟を出した。「お受けしたらどうですか」と。
 すると、ハッと気づいたように彼は姿勢を正し、「こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」と体を二つ折りにするようにして頭を下げた。それで笑みを戻した湯山が醸に向き直った。
「醸さん、素晴らしい造り人を、そして、素晴らしい焼酎をご紹介いただき、ありがとうございます。佐久乙女はすべての量を責任もって仕入させていただきますので、今後ともよろしくお願いします」
 その瞬間、華村酒店が佐久乙女の専売取扱店となることが決まった。
 三方よし!
 湯山に頭を下げながら、醸は思わずテーブルの下で両手を強く握りしめた。