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 3か月埌、埅ちに埅った知らせが倖務省から届いた。それは、「30か所の圚倖公通から詊したいず返事が来たした」ずいうものだった。課内の詊飲䌚で奜評を埗たので党䞖界の圚倖公通ぞ垌望を募ったずころ、詊飲の垌望が次々に寄せられたのだ。それは、補造元の日本倢酒造ず総代理店契玄を結んでいる華村酒店が倧きな䞀歩を螏み出した瞬間でもあった。
 䞖界ぞ
 醞は興奮した。それは咲も同じようで、喜びを抑えるこずなんおできないようだった。しかし、孞は違っおいた。冷静そのもので、䜕かを考えおいる間違いないように思えた。

 それを聞いた時は、さすがだず感心した。䞖界ぞ向けおの曎なる䞀手を考えおくれおいたからだ。それだけでなく、その亀枉を任せるずいう。〈荷が重すぎる〉ずいう蚀葉が䞀瞬頭を過ったが、貎重な経隓を積めるチャンスを逃すわけにはいかなかった。「やりたす」ずいう声に気合が入った。

 その翌週、アポむントを取った䞊で、孞ず共に酒類調達課長の郚屋を再び蚪れた。衚向きは埡瀌のためずしおいたので、先ずは、圚倖公通の件に぀いお孞が䞁重にお瀌を述べた。そしお、和やかな雰囲気になったずころで醞が次の䞀手を切り出した。
「䞀぀お願いがございたす」
「なんでしょう」
「実は、玹介状をお願いできればず思いたしお」
「玹介状」
 にこやかだった課長の顔に怪蚝そうな衚情が浮かんだ。
「はい。日本にある各囜の倧䜿通にはなむらさきを玹介させおいただきたいのです。日本酒の新しい味を知っおいただきたいのです。それができればパリで勀務されおいた時の課長様の想いも叶うず思うのですが」
 しかし、課長の衚情は奜転しなかった。ずいうより、前回の枩(あたた)かな衚情ずは打っお倉わっお、腕組みをしお眉間に皺を寄せた。
「䞀䌁業のために玹介状を曞くこずはできたせん」
 きっぱりずした口調で断られた。
 それでも醞は諊めなかった。はなむらさきの将来がかかっおいるのだ。そこをなんずか、ずもう䞀抌ししたが、課長の眉間の皺は曎に深くなった。
 そこで孞に袖を匕っ匵られた。䜕事かず思っお顔を向けるず、口を真䞀文字に結んで物凄い速さで銖を振った。それは、これ以䞊はやめおおけずいう合図だった。黙るしかなかった。
「無理なお願いをしお申し蚳ありたせんでした」
 孞は深々ず課長に頭を䞋げお立ち䞊がった。醞も慌おお立ち䞊がっお䜓を半分に折った。そしお、孞の背を远っおドアぞ向かったが、孞がドアノブに手をかけた時、背埌から声が聞こえた。
「私は玹介状を曞けたせんが、ここに行っおみたらどうですか」
 振り返るず、課長は立ち䞊がっお䜕かを差し出しおいた。急いで歩み寄っお受け取るず、それは名刺だった。『日本食文化振興協議䌚』ず蚘されおいた。
 それを芋た瞬間、熱いものが蟌み䞊げおきた。垌望は朰(぀い)えおいなかった。

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 アポむントを取った醞は、孞ず共に日本食文化振興協議䌚を蚪ねた。応察しおくれたのは、生え際が埌退気味で、でっぷりずした䜓栌の専務理事だった。矎味しいものをいっぱい食べおいそうなお腹だった。
 甚件を告げるず、「本省の課長からの玹介ですか、珍しいですね」ず目を倧きく芋開いたが、すぐに「うちは倖務省の倖郭団䜓で日本の食文化を䞖界に発信する圹割を担っおいたす。もちろん日本酒もその範疇に入っおいたす」ずパンフレットを開いお事業内容を詳しく説明しおくれた。
 それが䞀段萜した時、はなむらさきを枡しお日本で初めおの泡酒だず告げるず、「泡酒ですか。泡の出る日本酒  、初めお知りたした。面癜いですね」ず蚀うなり立ち䞊がっお机の䞊の電話を取り、誰かを呌んだ。

 数分埌、正確なリズムで2回、ノックの音が聞こえた。入っおきたのは若い男性だった。
「圌は駐日倖囜公通ぞ定期的に日本の食文化の情報発信をしおいる担圓者です。圌ならお圹に立おるかもしれたせん」
 それを受けお圌が名を名乗った。
「橋枡(はしわたし)䞀路(いちろ)です」
 いかにも真面目ずいった感じで、几垳面に頭を䞋げた。
 醞が蚪問目的を説明するず、はっきりずわかるような頷きを返し、専務理事の指瀺に察しおは、「承知いたしたした」ず答えた。そしお、「詊飲させお䞋さい。飲んだ䞊でどのようなやり方がいいのか考えおみたす」ず蚀っお、たた几垳面に頭を䞋げお、郚屋から出おいった。

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 橋枡が華村酒店を蚪ねおきたのは1週間埌のこずだった。朝から萜ち着かなくおそわそわしおいるず孞に笑われたが、圌の返事によっおはなむらさきの運呜が決たるのだから、萜ち着けるわけがなかった。

 玄束の5分前にやっおきた圌を奥の郚屋に通すず、お茶を䞀口飲んで口を開いた。
「日本倢酒造で取材をさせおいただきたいのですが」
 駐日倖囜公通ぞ情報発信をするにあたっお、補造珟堎の取材、特に、女性蔵元である咲ぞのむンタビュヌが重芁であるず考えおいるずいう。
「もちろんです。嚘も喜ぶず思いたす」
 孞は即答するず共に「醞君も䞀緒に行ったらどう」ず橋枡ずの関係匷化を促した。
「是非お願いしたす」
 醞も即答した。願っおもないこずだった。

 その10日埌、醞は橋枡ず共に䜐賀ぞ向かう飛行機に乗り蟌んだ。機内での䌚話は散発的なものだったが、圌が東京倧孊法孊郚を出お倖務省に入省したこず、30歳で日本食文化振興協議䌚ぞ出向を呜じられたこず、珟圚33歳で独身であるこず、などの情報を埗た。