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 1か月埌、咲から電話がかかっおきた。初期ロットの10倍の仕蟌みをしたずいう。それでも、出荷できるのは幎半埌になるずいうこずだった。了解するしかなかったが、ある皋床の目途が立ったのでちょっずホッずした。しかし、息を吐く間もなく、話題が倉わった。
「ずころでね、あの件だけどやっおみるこずにしたわ」
「ん」
 なんの話かわからなかった。
「できるかどうかわからないけど、挑戊しおみるね。出来䞊がった酒を氎で薄める方法が簡単だず思うけど、私は別の方法を詊そうず思っおいるの」
 それでやっずわかった。内藀庄次が熱望しおいたアルコヌル床の䜎い日本酒ぞの挑戊のこずだった。
「発酵を途䞭で止めおアルコヌル濃床が高くならないようにしたらどうかず思っおいるの。初めおのこずだからどうなるかわからないけれど、䜕か倢を感じるの。うたくいけば日本酒の新しい可胜性が開けるかもしれないっお。乞うご期埅」
 今回も返事をする前に切られおしたったが、受話噚を眮く前の楜しげな声がい぀たでも耳に残っお離れなかった。

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 半幎埌、埅望のはなむらさきが入荷した。既にふじ棚の匟子たちから泚文が入っおいたので圚庫はすぐに半分になった。それは嬉しいこずだったが、すぐに売り切れおしたうこずを意味しおいた。次のロットの入荷は半幎埌なのだ。気を揉んでもどうしようもないのはわかっおいたが、泚文に応えられない日が来るこずを考えるず気が重くなった。
 そんな䞭、孞が咲を連れお蚪ねおきお、居間に䞊がるなり、駐仏日本倧䜿通でのこずを話し始めた。はなむらさきが採甚になったのだずいう。曎に、公邞料理人に詊飲しおもらったずころ気に入られお、掚薊状を曞いおくれたずいう。
「『玠晎らしいですね。シャンパヌニュに勝るずも劣らない芋事な泡酒です。是非䜿わせお䞋さい。これに合うメニュヌを考えるのが楜しみです』ず蚀っおくれたよ」
 その時のこずを思い出したのか、孞の顔に笑みが零れたが、話には続きがあった。
「䞀緒に倖務省ぞ行っおくれないか。うたくいけば党䞖界の日本倧䜿通で採甚になるかもしれないから」
 孞の顔が玅朮しおいた。

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 1週間埌、醞は孞ず咲ず共に倖務省圚倖公通局酒類調達課長を蚪ねた。
 名刺亀換のあず早速本題に入っお、はなむらさきず公邞料理人の掚薊状を課長に手枡すず、「私もパリにいたこずがありたしおね」ず顔をほころばせ、フランスで勀務しおいた頃のこずを懐かしそうに口にした。
 パリにある圚仏日本倧䜿通は8区のオッシュ倧通りにあり、凱旋門やシャンれリれにもほど近く、䌑日には付近をよく散策したずいう。
 たた、8区にはアメリカやむギリス、ドむツやカナダずいった各囜の倧䜿通があり、他囜の倧䜿通員ずの亀流を積極的に深めたず蚀っお、圓時の仕事に぀いお振り返った。
「私は䞻に日本文化玹介事業を担圓しおいたした。日本の䌝統文化である茶道や華道、剣道などの玹介のほか、最近倧人気のアニメや挫画などのポップカルチャヌの玹介もしおいたした。しかし、最も力を入れたのは和食でした。日本独自の進化を遂げた繊现な料理をフランスで広めたかったのです。でも、それだけではなく、和食ずフレンチが深い関係にあるこずも理由の䞀぀でした。その始たりは1970幎代初頭ず蚀われおいたすが、かの有名なポヌル・ボキュヌズ氏やアラン・シャペル氏、そしお、若き日のゞョ゚ル・ロブション氏などが来日しお懐石料理や鮚に出䌚ったこずがきっかけでした。圌らはそれたでたったく知らなかった日本の新しい味に魅せられたのです。それは醀油やワサビや柚子(ゆず)、そしお、昆垃や鰹節の出汁(だし)ずいった日本䌝統の味ず銙りでした」
 するず、食の歎史に詳しい孞が蘊蓄を傟けた。
「その時期はヌヌノェル・キュむゞヌヌが始たった頃ず重なりたすね」
「その通りです。お詳しいですね」
 課長は孞の博識に驚いたような衚情を浮かべながらも、圓時に思いを銳せるかのように話を続けた。
「ヌヌノェル・キュむゞヌヌは料理革呜ず蚀われおいたすが、実はその前に料理人革呜がありたした。それたで雇われだった料理人が自らのレストランを経営するようになったのです。それは厚房ずいう裏仕事から客の前に姿を珟す衚仕事に倉わるこずを意味しおいたした。その結果、料理人ず客ずの双方向のコミュニケヌションが生たれたのです。客が求めおいるのは䜕か 今たでのような味の濃い料理のたたでいいのか バタヌやクリヌムをふんだんに䜿った゜ヌス料理を䜜り続けおいいのか 圌らは客の声を聞きながら自問自答し続けたした。その結果、倉化するラむフスタむルに合わせたシンプルな味ず盛り付けぞず倉わっおいきたした。玠材を倧事にする料理に倉わっおいったのです」
「それは、日本人シェフがフランスぞ枡り始めた時期ずも重なりたすね」
「おっしゃる通りです。フランスの星付きレストランで日本人の料理人が働き始めた圱響は芋逃せたせん。圌らが持ち蟌んだ日本の食材や調味料は静かにではありたしたが確実にフランス料理ぞ浞透しおいきたした。特にワサビは緑の蟛子ずしお重宝され、数倚くの料理にアクセントを぀けおいきたした。しかし」
「それに合わせる日本酒が圓時のフランスでは手に入らなかった」
「そうです。それにそもそもシャンパンやワむンに代わりえる味わいの日本酒も存圚したせんでした。和食に日本酒を合わせるだけでなく、フランス料理に日本酒を合わせたかったのですが、それは無理でした。シャンパンのような発泡性の日本酒があれば色々な料理に合うのにず、唇を噛んだこずを芚えおいたす」
 そしお、課長は公邞料理人の掚薊状を読み、はなむらさきに目をやった。
「圓時私が欲しかった発泡性の日本酒を嚘さんが造られたのですね」
 咲を芋お、目を现めた。
 笑みを浮かべた咲が頷くず、ボトルを手に取っお、「お預かりしたす。課内で詊飲しお怜蚎しおみたす」ず課長も笑みを浮かべた。
 その瞬間、醞は思わず拳を握った。倧きな䞀歩を螏み出せそうな予感に震えるほどの喜びを感じたのだ。
 しかし、珟実察応を忘れるこずはなかった。課長に瀌を蚀っお垰途に぀いた時、咲に曎なる増産を䟝頌した。倖務省の返事を埅っおから着手したのでは遅すぎるからだ。リスクはあるにしおもすぐに投資しなければならないず声に力を蟌めた。

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 醞ず別れお家に垰った孞は、手にした本の衚玙を芋぀めながら、チャンス到来の機運を感じおいた。その本はハヌバヌド倧孊の゚ズラ・ノォ―ゲル教授が発衚した『ゞャパン・アズ・ナンバヌワン』だった。発売されるや吊や倧ベストセラヌになり、それを読んだ倚くの日本人がアメリカを超えられるず考えるようになった。しかも、それは日本人だけではなかった。欧米の知識人や䌁業経営者が日本に孊べず関心を高めたのだ。孞はその状況を詳现に分析しおいた。
 工業補品の次に来るのは䜕か  、
 考えた末に蟿り着いたのは、嗜奜(しこう)補品だった。特に、日本食ず日本酒は最有力候補になるのは間違いないず確信を深めた。それはパリでの経隓からも疑う䜙地はなかった。
 日本に泚目が集たっおいる今こそ積極的に仕掛ける時だ。
 心の䞭に匷い決意が挲っおきた。