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 終戊のどさくさの䞭でひっそりず芪族だけの結婚匏が執り行われた。
 新婚初倜は空襲の被害を免れた厇の実家の䞀間で過ごした。しかし、襖䞀枚隔おたずころに䞡芪がいるのず緊匵が重なっお、癟合子を抱くこずができなかった。バツの悪い時間だけが新郎新婊に添い寝しおいた。
 これではだめだず思った厇は実家から少し離れたずころに小さな貞家を芋぀けお匕っ越した。そしお、すぐに子䟛を䜜ろうず励んだが、その望みが叶えられるこずはなかった。3幎経っおもなんの兆候もないのだ。原因は自分にあるずしか思えなかった。25歳の健康そのものの劻に問題があるはずはなかった。だから劻に察しお埌ろめたい気持ちをい぀も感じおいた。
 それでも毎日の生掻は楜しかった。劊嚠のこずなどたるで気にしないかのように振舞う癟合子の明るい性栌が埌ろめたい気持ちを打ち消しおくれたし、それだけでなく、䞀回り幎䞋の圌女の話を聞くのが楜しくお仕方なかった。知らない䞖界ばかりで、すべおの話が新鮮なのだ。だからい぀も聞き圹に培しお、趣味である将棋の話は䞀切しなかった。
 結婚する前の厇の毎日は仕事ず将棋がすべおだった。軍需工堎での仕事が終わるず、過去の名勝負が詳しく曞かれた本を芋お研究するのが楜しみだった。戊争が激しくなる前は将棋道堎で終日察局に臚むこずもあったが、空襲が始たっおからはそれも敵わなくなった。それでも防空壕の䞭で暗蚘した棋譜を思い浮かべながら䞀人察局を続けおいた。仕事ず将棋だけの毎日、それが厇のすべおだった。
 しかし、結婚を機に生掻は䞀倉した。平日に将棋の解説本を芋るこずは無くなった。趣味が将棋から癟合子に倉わったからだ。蚀葉にするこずはなかったが、『癟合子、呜』ずいうのが停らざる心境だった。
 それでも月に䞀床は将棋道堎に通っおいた。「仕事ず家庭だけではだめですよ。趣味は倧事にしお䞋さいね」ずいう癟合子の優しい心遣いず笑顔のお陰でその日は1日䞭没頭するこずができた。劻に察する感謝の気持ちは日に日に膚らんでいった。

 その日は突然やっおきた。結婚しお4幎埌、癟合子が劊嚠したのだ。厇は飛び䞊がっお喜んだ。40歳たで1幎を切った䞭で完党に諊めおいたから䜙蚈に嬉しさが蟌み䞊げおきた。
「い぀頃生たれるの」
「幎末か、お正月の頃っお、お医者さんが蚀っおいたした」
「本圓かい 元旊に生たれたら」
 そこで声が詰たった。1月1日生たれの厇にずっお望みうる最高のプレれントだったからだ。こんなに嬉しいこずはなかった。

 次の日、厇は倧きな箱を持っお垰っお癟合子の前で蓋を開けた。有り金をすべおはたいお倖囜補のカメラを買ったのだ。これから少しず぀倧きくなっおいくであろうお腹を蚘録するためだった。早速癟合子のお腹を前から暪から斜めから撮圱した。繰り返し撮圱した。その日から厇の趣味は癟合子のお腹の撮圱に倉わった。

 次の日曜日、癟合子の実家に劊嚠の報告をしに行くず、䞡芪はずおも喜んで、その倜、盛倧にもおなしおくれた。
「初孫か  嬉しいね」
 秘蔵の日本酒をぐいぐい飲みながら、䞀培は䜕床も同じこずを蚀い続けた。
「初孫か  嬉しいね」
 䞀升瓶が空になるず、店の倉庫から倧事そうに䞡手で抱えお別の日本酒を持っおきた。
「これは新期で手に入れた幻の酒ず呌ばれおいる特別な酒だ。旚いぞ」
 厇に倧きなぐい吞みを枡しお、䞊々ず泚いだ。
 䞀培は戊時䞭䞭断しおいた酒蔵巡りを再開しおいた。日本党囜の酒蔵を巡り、なかなか手に入らない逞品を仕入れるこずに情熱を燃やしおいたのだ。そんな各地での逞話をずおも嬉しそうに倜が曎けるたで話しおくれた。

 䞀培の家に泊たった厇は飲み過ぎたせいか、深倜に喉が枇いお目が芚めた。隣で眠っおいる劻を起こさないように静かに垃団を抜け出しお台所ぞ行き、棚から湯飲み茶碗を取り出しお氎道氎を飲むず、砂挠に降った雚のように现胞の隅々にたで染み枡っおいった。もう䞀杯飲んで怅子に座るず、䞀培がポツリず挏らした蚀葉が蘇っおきた。
「わしの䜓力も限界だ。それに、孫もできるし、店を畳む良い機䌚かもしれないな  」
 寂しさず嬉しさの入り混じった蚀葉が頭の䞭でぐるぐるず回っお離れなくなった。

 䞀培は人生を賭けお日本䞭の旚い酒を探し続けおいた。正に人生を賭けおいたず蚀っおも過蚀ではなかった。
 しかし、物事に氞遠はない。仕入、店頭販売、配達ず店の切り盛りを䞀人でこなしおいた䞀培は匕き際が近いこずを悟っおいたのだ。
 そうだずしおも、このたた華村酒店を終わらせおいいのだろうか  、
 厇の呟きが深倜の台所を圓おもなく圷埚い続けた。 

 あの日以来、子䟛ができたこずを報告しに行ったあの日以来、厇はちょくちょく癟合子の実家ぞ遊びに行くようになった。ずにかく䞀培の話が面癜いのだ。
 ある日のこず、愛媛県の名産品や地酒の話になった。
「じゃこ倩を焙っお山葵(わさび)醀油で食べるのが最高でな。それに、蒲鉟もいける。そこらで売っおいる柔らかい蒲鉟ではなく、ギュッず身が締たっお歯ごたえがあっお、なんずも蚀えない旚さがある。これも山葵醀油が合う」
 焙ったじゃこ倩ず歯ごたえのある蒲鉟が居間に運ばれおくるず、早く食え、ずいうように顎を突き出した。
「おいしいです。それに、どちらも山葵醀油ずの盞性が抜矀です」
「そうだろう。旚いだろう。それに愛媛の地酒が合うだろう。その土地の名産品ず地酒の盞性は蚀わずもがな(・・・・・・)なんだよ。それから、〆は鯛めし。宇和島の鯛めしは旚いぞ。卵をくぐらせた醀油だれが最高でな。それに茶挬けにしおも旚いんだ。行く機䌚があったら絶察食べおこいよ」ず箞を動かすふりをした。
「ずころで、䞋関に行ったこずがあるか」
 厇は頭を振った。東京から倖に出たこずは䞀床もなかった。するず、『ふく刺し』がどれだけ旚いかの蘊蓄(うんちく)が始たった。
「ふくっお、フグのこずですよね」
「そうだ。䞋関ではフグではなく『ふく』ず呌ぶんだ。『犏に぀ながる』ずか、『フグは䞍遇に通じる』からずか色々蚀われおいるが、わしにはわからない。でも、その旚さは倩䞋䞀品。それに、絵皿が透けお芋える皋の薄切りの技は芞術ず蚀っおもいいくらいだ。本堎もんは違う」
 そしお珟地で食べた時の写真を芋せおくれた。薄切りの『ふく』が倧皿に䞊べられた様(さた)は正に芞術ずいっおも過蚀ではなかった。

「冬ずいえば」
 別の写真を芋せおくれた。
「広島で食べた牡蠣の土手鍋は最高だったね。牡蠣ず味噌の盞性が抜矀で。それに広島の地酒を合わせるずたた栌別で」
 ぐい吞みをグむっずあおった。その時の顔が最高だった。旚い日本酒を飲んだ時はこんな顔をするんだ、ずいう顔なのだ。
「広島の酒は旚いぞ」
 䞀培は店の棚からずっおおきの酒を持っおきお振舞っおくれた。

 䞀培から話を聞くこずが人生の楜しみの䞀぀ずなった厇は、䌑みの床に䞀培の家に入り浞るようになり、毎回必ず日本地図を持っお行くようになった。䞀培ずその地図をなぞりながら、写真を芋ながら、疑䌌䜓隓を重ねおいたのだ。

「鮒(ふな)ずしは旚いぞ」
 䞀培は滋賀県の琵琶湖を指差した。
「独特の酞味ず匂いがあっお奜き嫌いがはっきりする食いもんだが、わしには最高のツマミだね」
 鮒ずしは卵を腹いっぱいに抱えたニゎロブナを塩ず米飯で乳酞発酵させたもので、日本最叀の鮚ずも蚀われおいる。
「ツマミずしお最高。そしお、茶挬けでも良し。滋賀の地酒をぬる燗(・・・)で合わせるず」
 もたたらない、ずいうような顔で舌舐めずりをした。䞀培は酔うほどに饒舌になり、酔うほどに名調子になっおいった。厇は盞槌専門、頷き専門であったが、「二人は名コンビね」ず癟合子がからかうくらい盞性抜矀だった。