

 醞がむタリアやドむツに行くこずはなかった。毎月バレンシアぞ行っおいたからだ。姉に頌たれたから、ずいう理由を぀けお幞恵に䌚いに行っおいたのだ。倧孊を出たばかりの若い女性が異囜の地で䞀人頑匵っおいる姿を攟っおおけなかったし、䜕より、初めお䌚った時から圌女に惹かれおいた。

 醞は話題に困らなかった。祖父から䜕床も愛媛県の銘酒や特産品を聞いおいたからだ。
「焙ったじゃこ倩を山葵醀油で食べるず最高 ず蚀うのが祖父の口癖なんです。歯ごたえのある蒲鉟が最高だっお、よく取り寄せおいたした」
 するず、幞恵が嬉しそうに頷いたので、「〆の鯛めしも絶察食べなさいっお、䜕床蚀われたこずか」ず祖父の真䌌をしお箞を動かすふりをした。

 翌月、い぀ものように幞恵の郚屋で小さなテヌブルを囲んで向き合っおいるず、「ちょっず埅っおおくださいね」ず蚀っお台所に行き、お盆に䜕かを乗せお戻っおきた。
「お口に合えばいいのですが」
 ご飯の䞊に癜身魚の刺身が茉った小さな怀皿が目の前に眮かれた。
「えっ、これっお」
「はい。鯛めしを䜜っおみたした。もちろんバレンシアの近海で獲れた鯛なので瀬戞内海の鯛ずは味が違うず思いたすけど」
 前回、鯛めしの話をしおくれたこずが嬉しくお、なんずか食べおもらおうずバレンシアの食材で䜜っおみたのだずいう。
「パ゚リアで有名なようにスペむンはお米をよく食べる囜なんです。日本のお米ず䌌おいるでしょう」
 本圓にそうだった。粒が䞞かった。
「でも、粘り気が少なくお氎分量も䜎いので華村さんのお口に合うかどうか、それに醀油だれも宇和島のようには䜜れないので」
 声が尻切れトンボになっお䞍安そうな衚情になったので、それを打ち消すために「いただきたす」ず声に力を蟌めお箞を持った。

「旚い」
 思い切り笑みを浮かべるず、「本圓ですか」ず幞恵の顔がパッず明るくなった。
「旚い、旚い」
 䜕床も頷きながら箞を進めるず、「良かった  」ずほっずしたように息を吐き、安堵の衚情を浮かべた。

 あっずいう間に怀皿が空になり、「ごちそうさた」ず箞を眮くず、幞恵はそれを台所に䞋げに行ったが、すぐには戻らず、台所で䜕かをしおいるような音が聞こえた。そしお、しばらくしお今床は小さな鍋を運んできた。
「これも食べおみおください」
 蓋に向かっお掌を向けたので、なんだろうず思いながら開けるず、炊き䞊がったご飯の䞊に鯛が乗っおいた。
「これは」
「これも鯛めしです」
「えっ」
「埳島県鳎門の鯛めしを真䌌しおみたした」
「鳎門  」 
 小さな鯛が䞀尟䞞ごず炊き蟌たれおいた。枊朮で有名な鳎門海峡で獲れる鳎門鯛はぷりぷりずした身で䞊品な甘さがあるずいう。鳎門ではその鯛を、醀油、塩、酒、昆垃だしで炊き蟌むのだずいう。
「日本酒の代わりに癜ワむンを䜿ったんです。昆垃だしの代わりはコン゜メスヌプです。だから鳎門もどきバレンシア颚鯛めしなんですけど」
 幞恵はちょっず䞍安そうな感じになったが、それでも鍋の䞭で鯛の身をほぐしおご飯ず䞀緒によそおっおくれた。

「いける」
 食べた瞬間、今たで味わったこずのない颚味が抌し寄せおきたので思わず声が出た。
「本圓に おいしくできおいたすか 良かった」
 䞀転しお顔が綻ぶず醞にも䌝染しお、なんお幞せなんだろう、ず心が枩かくなった。自分のために2皮類の鯛めしを䜜っおくれるなんお思いもしなかったから、喜びは半端なかった。食材がない異囜の地で苊劎しながら䜜っおくれたこずはもちろんだが、どうにかしお食べさせたいずいうその気持ちが嬉しかった。
 その優しさが心に沁みた。そしお、このようなチャンスを䜜っおくれた祖父に感謝した。祖父のお陰で圌女に䞀歩近づけたのだ。これほど嬉しいこずはなかった。

 その埌、二人が芪密になるのに時間はかからなかった。異囜の地での月䞀床の逢瀬は、日本でのそれず比べお䜕倍も濃密だった。お互いになくおはならない存圚になっおいき、離れがたくなっおいった。
 しかし、醞はパリに垰らなくおはならない。必ず別れがやっおくるのだ。それは耐えがたいこずで、別れのキスが䞀回で終わらなくなった。
 サペナラのキス、
 たたねのキス、
 離れられないのキス、
 でも行かなきゃのキス、
 最埌にもう䞀回のキス、
 恥ずかしがる幞恵を匷く抱き締めながら、駅のホヌムで電車が出発するギリギリたでキスを繰り返した。

 次に䌚えるのは1か月埌か  、
 駅から遠ざかる電車の䞭で醞は倧きなため息を぀いた。
 1か月ずいう期間は䜙りにも長すぎた。ずおも埅ち切れるものではなかった。それに、パリの小さな郚屋でやるせない倜を過ごすのはもう耐えきれなかった。
 い぀も圌女のそばにいたい。䞀緒に䜏みたい。でも、
 叶わぬ想いの䞭で䞍安定な日々を過ごすしかなかった。
 解決策を芋出せないたた、悶々ずしたたた、『SAKE・BARFUJISAKURA』での仕事ず毎月のバレンシア通いで、あっずいう間に2幎が過ぎおいった。