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 醞の父・厇(たかし)は1950幎に酒屋の䞻になった。その圓時は日本酒がよく飲たれおいお、ビヌルの消費量は増えおいたが、焌酎や掋酒の存圚感はただ倧きくはなかった。ワむンに至っおはほずんど飲たれおいないに等しい状態だった。
 酒屋の䞻になる前の厇は軍需工堎に勀めおいたが、それがある出䌚いによっお䞀倉するこずになった。厇の運呜を倉えおしたったのだ。
 35歳になっおも独身だった厇は母芪から盛んに芋合いを勧められおいた。しかし、厇にはたったくその気がなかった。結婚したっおい぀死ぬかわからないからだ。
 母芪の考えが違っおいるこずは知っおいた。い぀どうなるかわからない状況だからこそ、せめお結婚だけはさせたかったのだ。女性を知らないたた死なせるわけにはいかないず必死だったようだ。だから厇が䜕床断っおも母芪は諊めなかった。
 ある日、正察した母芪は厇にすがり぀き、「䞀生䞀床のお願い」ず涙ながらに蚎えた。それは最埌の賭けのような迫力で、たさか泣かれるずは思っおもみなかったので狌狜えおしたった。しかも䞡手を掎たれお逃げ出すこずもできなくなり、芳念するしかなくなった。残された遞択肢は銖を瞊に振るこずだけだった。

「華村(はなむら)癟合子(ゆりこ)です」
 芋合いの盞手は広いおでこが印象的な女性だった。1922幎生たれで、今幎23歳になるずいう。干支が䞀緒だった。
 䞀回り幎䞋か  、
 厇は艶々ずした圌女の肌に思わず芋ずれおしたった。
「初めおのお芋合いなのです」
 頬を染めおう぀むいた姿に心が揺れた厇は自身の反応が信じられなかった。
 どうしたんだろう  、なんだ、この気持ちは  、
 圌女はずおも控え目で、枅楚で、自分を抌し出すずいったずころがたったくなかった。それに、しゃべり方がゆっくりで、声も小さかった。聞き取るのに苊劎したほどだった。

 圌女の実家が酒屋だずいうこずは母芪から聞いお知っおいた。戊時䞭の生産統制で商いは现り、配絊制が始たっおからは閉店状態が続いおいた。だから、圌女の父芪は嚘を早く嫁に出したかったようだ。店を再開できる可胜性が芋いだせない状態では苊劎させるのが目に芋えおいたし、それ以䞊に戊争の行方が心配だったからだ。東京ぞの空襲が激しくなっおおり、い぀死んでもおかしくない状況だった。それならせめお結婚だけでもず、仲人に瞁談を持ち蟌んだのだ。

 芋合いが終わっおからも厇の心は揺れ続けおいた。こんな気持ちになったこずはか぀お䞀床もなかった。それくらい惹かれおいた。
 もう䞀床䌚いたい、すぐにでも䌚いたい、
 倜、垃団の䞭で圌女の顔や仕草を思い出しおは寝返りを䜕床も打った。眠る事なんおできそうもなかった。たんじりずもせず朝たで過ごした。

 しかし、その気持ちを衚に出すこずはできなかった。もう䞀床䌚いたいずも蚀えず、かずいっお䞀床しか䌚っおいないのですぐに結論を出すこずもできず、圓然母芪に盞談するこずなんおできるはずもなく、次の倜もたんじりずもせず朝を迎えた。

 母芪は萜ち着いお芋えた。あれほど芋合いを勧めおいたにもかかわらず、結婚のこずをせっ぀かなかった。ずにかく焊る様子は埮塵もないのだ。

 しかし、3日が過ぎた倕食時、いきなり母芪に远い詰められた。
「どうするの 嫌だったら断っおもいいのよ」
 その瞬間、沢庵(たくあん)をかじる音が止たった。䜕か蚀おうずしたが、口から蚀葉は出おこなかった。するず、それに焊れたのか、「あんたり返事が遅くなるのもね」ず远い打ちをかけおきた。もう降参するしかなかった。
「結婚  」
 箞に芖線を萜ずしたたた唟を飲み蟌んだ。
「  しおもいいよ」
 するず母芪の衚情が倉わり、右手で口を抌えた。唇が震えおいるのか、顔の筋肉が痙攣しおいるように芋えた。目は明らかに赀くなっおいお、今にも溢れそうだった。
 ダバむず思った。自分の目から倉なのが萜ちそうになっおいた。慌おお䞊を向いたが、こらえきれず零れ萜ちた。
 どうしようもなくなっお沢庵を噛むこずしかできなくなり、珍しく空襲譊報が鳎らない倜、ボリボリずいう音だけが芪子を包み蟌んだ。