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1971年の春、シャンパーニュ・メゾンとの契約更新のため、學はフランスに渡った。
肩書は酒類輸入部長になっていた。日本の商社として先陣を切ってフランスに渡り、有力なメゾンとの契約を勝ち取り、その後の洋風化の波に乗って、シャンパーニュやワインの取引量を大幅に増やした功績が認められたのだ。
學は崇に感謝していた。彼と出会わなかったら酒類部門へ異動することはなかった。もちろん、フランスへ商談に行くこともなかった。それに、咲や音が東京醸造大学へ進学して嬉々として勉強する姿を見ることもなかっただろう。ビジネスマンとして、父親として、幸せ過ぎる今の自分があるのは彼のお陰だと思っていた。だから、人生の転機を与えてくれた彼へのささやかな恩返しをしたいと強く思っていた。
シャンパーニュ・メゾンとの契約更新が完了したあと、パリに移動していた學の元に荷物が届いた。佐賀夢酒造の日本酒だった。フランスへ渡る前に日本から出荷していたものだ。
これがうまくいけば……、
學はある計画を実行しようとしていた。それは、パリのレストランを借り切った特別な催しだった。『日仏友好114周年記念「祝いSAKE」パーティー』。レストランやワインに関係する有力者を招待して、日本食と日本酒のマリアージュを楽しんでもらうための催しだった。しかも、それは単なる交遊会ではなく、強い目的を秘めていた。だから、成功させるために誰も思いつかないような準備をしていた。日本大使館に頼み込んで、特別な人を派遣してもらっていたのだ。その人は、公邸料理人。パリの日本大使館で賓客をもてなす一流の料理人である。
1971年の春、シャンパーニュ・メゾンとの契約更新のため、學はフランスに渡った。
肩書は酒類輸入部長になっていた。日本の商社として先陣を切ってフランスに渡り、有力なメゾンとの契約を勝ち取り、その後の洋風化の波に乗って、シャンパーニュやワインの取引量を大幅に増やした功績が認められたのだ。
學は崇に感謝していた。彼と出会わなかったら酒類部門へ異動することはなかった。もちろん、フランスへ商談に行くこともなかった。それに、咲や音が東京醸造大学へ進学して嬉々として勉強する姿を見ることもなかっただろう。ビジネスマンとして、父親として、幸せ過ぎる今の自分があるのは彼のお陰だと思っていた。だから、人生の転機を与えてくれた彼へのささやかな恩返しをしたいと強く思っていた。
シャンパーニュ・メゾンとの契約更新が完了したあと、パリに移動していた學の元に荷物が届いた。佐賀夢酒造の日本酒だった。フランスへ渡る前に日本から出荷していたものだ。
これがうまくいけば……、
學はある計画を実行しようとしていた。それは、パリのレストランを借り切った特別な催しだった。『日仏友好114周年記念「祝いSAKE」パーティー』。レストランやワインに関係する有力者を招待して、日本食と日本酒のマリアージュを楽しんでもらうための催しだった。しかも、それは単なる交遊会ではなく、強い目的を秘めていた。だから、成功させるために誰も思いつかないような準備をしていた。日本大使館に頼み込んで、特別な人を派遣してもらっていたのだ。その人は、公邸料理人。パリの日本大使館で賓客をもてなす一流の料理人である。



