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 う~ん……、
 崇が諦めて帰ったあと、學は腕を組んで唸り続けていた。名案がないものかと思案し続けていた。会社に相談して欲しいと崇は言っていたが、落ち目の酒蔵の買収案件に会社が興味を示すはずがなかった。一蹴されることは目に見えていた。だから、会社を説得できる案をなんとか捻りだそうとのたうち回った。

 色々な案を無理矢理絞り出した。夜、これだという案が浮かんで書き留めたこともあったが、朝起きて見直してみると、たいしたアイディアではないことに気づいて落胆したこともあった。それでも諦めなかった。会社を動かすための方策を幾晩にも渡って考え続けた。

 そうこうしているうちに、フランスの取引先である有力メゾンの経営者が来日する日が近づいてきた。
 その準備をしている時、ふとあることが浮かんできた。もし彼が気に入ってくれれば、それは大きなきっかけになるかもしれない。うまくいけば起死回生の結果が生まれるかもしれない。そう思うと、突然、分厚い氷河の中から滲み出てくる透き通った水の流れが脳裏に浮かんだ。
 そうだ、どこにでも突破口はある。不可能なことはないのだ。
 そう思うと、居ても立ってもいられなくなった。一か八かかもしれないが、この機を逃してはならないと、學は意を決してその経営者を自宅に招いた。

「日本のSAKEを飲んでみませんか」
 まだ一度も日本酒を飲んだことがないというその経営者は、切子のグラスに注がれていく透明な酒を興味深そうに見つめていたが、ゆっくりと鼻に近づけると、おっ、というような表情が浮かんだ。
 いけるかもしれない、
 期待の目で見守る中、彼が口に含み、舌の上で転がすかのように口を動かした。
 どうかな? 
 彼の表情の変化を見逃さないように注意深く探り続けていると、彼は飲み込み、喉の奥で余韻を楽しんでいるような感じになり、鼻に抜ける香りを味わっているようにも見えた。
 どうかな? 
 彼の口元が動くのをじっと待っていると、味わい終えた彼はグラスを持ったまま學に視線を向けて微笑み、「おいしいです」と空になったグラスを差し出した。それは、お代わりの合図だった。
「一献盛・純米極上酒です」
 ヤッター、と叫びそうになるのを抑えて静かに酒を注いだ。表情を引き締めているつもりだったが、それでも、緩んでいくのを止めることはできなかった。注ぎ終わった時には顔中に笑みが広がっていた。

 佐賀夢酒造の売上は落ちる一方だったが、唯一、一献盛・純米極上酒だけは特別な愛着を持った熱烈なファンに支えられて、利益が出るギリギリの出荷を維持できていた。だから、その酒がフランス人に受け入れられるかどうか、どうしても確かめたかった。受け入れられれば突破口が開けると確信していたからだ。
「おいしいです」
 彼はまた、空になったグラスを差し出した。
「おいしいです」
 何度もお代わりを要求した。それは學にとって突破口にお墨付きを与えてくれる特別な言葉のように聞こえた。