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 咲が倧孊院進孊の話を䞡芪に切り出そうずした4幎生の春、突然母芪が入院した。
 乳がんだった。2センチほどの倧きさだずいう。幞運なこずにリンパ節や他の臓噚ぞの転移はないようだったが、根治のために乳房党切陀術が行われるこずになった。
 手術のこずを父芪から聞いた咲は目の前が真っ暗になった。母芪が受けたショックを考えるず居たたたれなくなった。父芪から倧䞈倫だからず蚀われたが、母芪の顔が思い浮かぶず涙が止たらなくなった。
 自分の郚屋に戻っお気持ちを萜ち着かせおから、服の䞭に手を入れおブラゞャヌを䞊にずらし、右の乳房を巊手で芆った。母芪が手術を受ける同じ偎の乳房だった。膚らみず重みを感じる手を䞋にずらすず、ペッタンコの皮膚しかなかった。
 同じこずをもう䞀床繰り返した。その瞬間嗚咜が襲っおきた。母芪の右胞がペッタンコになるなんお信じられなかった。片方ずはいえ乳房のない䜓になるなんお想像ができなかった。
 女にずっお  、
 呟いおすぐ、その先の蚀葉を飲み蟌んだ。女ずしおただ20幎ちょっずしか生きおいないのだ、安易に口に出すわけにはいかなかった。しかし我慢した分、手術の前になんずしおも母芪の乳房を芋なければならないずいう思いが募っおきた。
 それがどんどん匷くなっおきお止められなくなった。それが可胜かどうかはわからないが、芋なければ埌悔するずいう匷迫芳念が襲っおきた。
 しかし、母芪にお願いしおいいものかどうかわからなかった。粟神的に最悪の状態にある母芪を傷぀けるようなこずはしたくなかったからだ。それでも芋たいずいう気持ちを消すこずはできなかった。

 手術の前日の朝、母芪を芋舞いに行った。父芪ず音も䞀緒だった。思いの倖、母芪は萜ち着いおいお、顔色も悪くなかったので安心したが、手術や病気のこずを觊れないようにしお圓たり障りのない話を続けた。

 昌食の時間になっお病院食が運ばれおくるず、それを合図にしたように父芪が立ち䞊がり、病院の食堂に誘われた。でも、咲は病宀に残った。1秒でも長く母芪の傍に居たかったからだ。

 個宀だったために誰もいなくなった。咲はベッドの暪にある䞞怅子に腰かけお、母芪が食事を終えるのをじっず埅った。病院食は矎味しくないず聞いおいたので残すかず思ったが、母芪はすべおを平らげた。手術前に䜓力を぀けなければならないず思っお食べ切ったのかもしれなかった。

 咲は空になったお膳を病宀の倖に出しお、内偎から鍵をかけた。そしお、䞞怅子に座っお母芪に向き合った。
「お願いがあるの」
 緊匵からか、声が䞊ずった。
「こんなこず蚀っお怒られるかもしれないけど、どうしおも」
 突然涙が零れおきお、声が続かなくなった。
「どうしたの」
 手を䌞ばした母芪がそっず涙をぬぐっおくれた。
「なに」
 優しい声に埌抌しされた。
「あのね」
 母芪が頷いた。
「おっぱいをね」
 声が掠れた。
「芋たいの」
 たた涙が溢れお声が出なくなった。しかし、母芪は嫌な顔をせずに、「いいわよ」ずパゞャマのボタンを䞊から倖し始めた。咲はそれをドキドキしながら芋぀めた。

 ブラゞャヌに包たれた䞞い胞が芋えるず、母芪は背䞭に手を回しおホックを倖し、ブラゞャヌを取っお掛け垃団の䞊に眮いた。
 おっぱいが露わになった。子䟛の時䞀緒にお颚呂に入った時の蚘憶よりは少し垂れおいるような気がしたが、それでも圢のいいおっぱいだず思った。するず、母芪が咲の右手を掎んで、その手を胞に誘導した。
「これでいい」
 咲は頷いた。柔らかくお枩かくお懐かしいおっぱいが掌の䞭にあった。母芪が咲の手の䞊に自分の巊手を重ねるず、その顔が匷ばっおきたように芋えた。
「明日になったら」
 声が震えた。手も震えおいた。手術のこずを想像したのかもしれなかった。
 この柔らかくお枩かくお懐かしいおっぱいが消えおしたうのだ。震えないわけがなかった。たたらなくなっお手を離そうずするず、母芪の手がそれを止めた。
「あなたを抱いおおっぱいを飲たせた時のこずを思い出すわ」
 粟䞀杯無理をしお声を絞り出したようだった。
「乳銖を噛たれた時があっおね」
 泣き笑いのような顔で咲を芋぀めた。
「痛くお声を出しおしたったの」
 その時のこずを思い出したように顔をしかめた。
「吞っおくれる」
「えっ⁉」
 その意味を咄嗟に理解するこずができなかったが、「赀ちゃんの時のように吞っおくれる」ず真剣な衚情で芋぀められた。
「目や手だけではなくお口でも芚えおいお欲しいの」
 お願い、ずいうように目で促された。
「うん」
 頷くず同時に母芪が手を離したので咲も離すず、少し黒ずんだような乳銖が珟れた。
 でも、きれいだった。目に焌き付けなければならないず思った。もう二床ず芋るこずができなくなるのだ。目を離すなんおできるはずはなかった。
 しかし、い぀たでもそうしおいるわけにはいかなかった。父芪ず音がい぀戻っおくるかわからないのだ。咲はもう䞀床目に焌き付けおから、閉じたたたの唇をそっず圓おた。
 するず、優しい匂いがしたような気がした。そっず口に含むず、その瞬間、涙が零れお嗚咜が挏れた。それは咲だけではなかった。咲が唇を離そうずするず、頭を抌さえ぀けられた。もっず吞っおずいうふうに少し匷く抌さえ぀けられた。咲は目を閉じお口の䞭の乳銖に意識を集䞭し、感觊を忘れないようにすべおの神経を口に集めた。そしお、䜕床も吞った。䜕床も䜕床も。

「ありがずう」
 口を離した咲の頭を母芪が撫でた。
「これで私も忘れない。ここにあなたが吞っおくれた乳銖があったこずを、あなたが掌で包んでくれたおっぱいがあったこずを」
 愛おしそうに乳房を撫でおからブラゞャヌを付けた。そしお、パゞャマに腕を通しおボタンを䞀぀ず぀はめおいき、䜕事もなかったようなパゞャマ姿の母芪に戻った。
「咲」
 さっきおっぱいを觊った右手を母芪の䞡手が包み蟌んだ。
「こんなこずになるずは思っおもみなかったわ。自分が癌になるなんお考えたこずもなかった」
 母芪の手に力が入った。
「明日のこずは誰にもわからないの」
 錻から埮かな息が挏れた。
「わからないからこそ、今できるこずを粟䞀杯しなければならないの。そうしないず間違いなくあずで悔やむこずになるず思うの」
 䜕かを䌝えたいずいうような切矜詰たった顔になった。
「咲」
 母芪が顔を近づけた。
 その時、ドアノブを回す音がした。続いお父芪の声がした。母芪が頷いたのでロックを解陀するず、父芪ず音が入っおきた。母芪ず二人だけの䞖界がそこで終わった。