🍶 倢織旅 🍶 䞉代続く小さな酒屋の愛ず絆ず感謝の物語

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 ひず月ほど経った頃、芋習い期間終了を瀺す蚀葉が䞀培から投げかけられた。
「そろそろ行っおみるか」
 厇は䞀培に連れられお党囜の酒蔵を蚪ねるこずになった。

 華村酒店の定䌑日は週に䞀床、月曜日だけだったが、月に䞀床は火曜日ず氎曜日も䌑みにしお党囜の酒蔵巡りをするのが䞀培の決たり事だった。
 しかし、今回はい぀もず違う。厇を連れた酒蔵巡りは䞀培にずっお特別な意味を持っおいた。䜕十幎ずいう幎月をかけお築き䞊げおきた酒蔵ずの関係を次の代ぞず匕き継いでいく代替わりの挚拶は䞀䞖䞀代のもので、䌚瀟員が行う埌任者ずの匕継ぎずはレベルが違うのだ。しかも月に䞀か所しか行けないから、重芁な酒蔵を回るだけでも2幎では回れない。䞀培にずっお特別を超える意味合いを持っおいるのだ。

「酒蔵を芋ずしお酒は語れない」
「蔵元や杜氏ず語らずしお酒は語れない」
 酒蔵ぞ行く準備をしながら、䞀培が䜕床も蚀った蚀葉が厇の信念になった。

『珟堎』『珟物』『珟実』ずいう蚀葉がある。これを『䞉珟䞻矩』ず呌ぶ。字の通り、珟堎ぞ行っお、珟物を芋お、珟実を知るこずの重芁性を説いたものである。机䞊で情報を集めお刀断するのではなく、実際に起こっおいるこずを肌で感じなければ本圓のこずはわからない。䞀培の蚀っおいるこずは正にその事である。酒蔵の歎史、代々匕き継がれおきた想い、珟圚の蔵元の考え方、曎に、実際に酒を造る杜氏の技術や想い等を盎接感じなければその酒の本圓の良さはわからない。だから、実際にその酒蔵ぞ行っお、酒蔵の状態を぀ぶさに芋お、同時に蔵元や杜氏ず話をしなければならないのだ。

 酒蔵巡りを翌週に控えた日、䞀培が日本地図を広げお、そこに印を぀け、酒蔵の名前を曞き加え始めた。
 日本は狭いようで広い。北海道から沖瞄たで総延長距離は3500キロメヌトルにも及ぶ。しかも47郜道府県すべおで日本酒が造られおいお、その数は1,500ずも蚀われおいる。その䞭から遞りすぐった30の酒蔵を匕き継ぐのだ。それは党䜓の2に圓たり、たさに特別な酒蔵ず蚀っおも過蚀ではなかった。