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 ひと月ほど経った頃、見習い期間終了を示す言葉が一徹から投げかけられた。
「そろそろ行ってみるか」
 崇は一徹に連れられて全国の酒蔵を訪ねることになった。

 華村酒店の定休日は週に一度、月曜日だけだったが、月に一度は火曜日と水曜日も休みにして全国の酒蔵巡りをするのが一徹の決まり事だった。
 しかし、今回はいつもと違う。崇を連れた酒蔵巡りは一徹にとって特別な意味を持っていた。何十年という年月をかけて築き上げてきた酒蔵との関係を次の代へと引き継いでいく代替わりの挨拶は一世一代のもので、会社員が行う後任者との引継ぎとはレベルが違うのだ。しかも月に一か所しか行けないから、重要な酒蔵を回るだけでも2年では回れない。一徹にとって特別を超える意味合いを持っているのだ。

「酒蔵を見ずして酒は語れない」
「蔵元や杜氏と語らずして酒は語れない」
 酒蔵へ行く準備をしながら、一徹が何度も言った言葉が崇の信念になった。

『現場』『現物』『現実』という言葉がある。これを『三現主義』と呼ぶ。字の通り、現場へ行って、現物を見て、現実を知ることの重要性を説いたものである。机上で情報を集めて判断するのではなく、実際に起こっていることを肌で感じなければ本当のことはわからない。一徹の言っていることは正にその事である。酒蔵の歴史、代々引き継がれてきた想い、現在の蔵元の考え方、更に、実際に酒を造る杜氏の技術や想い等を直接感じなければその酒の本当の良さはわからない。だから、実際にその酒蔵へ行って、酒蔵の状態をつぶさに見て、同時に蔵元や杜氏と話をしなければならないのだ。

 酒蔵巡りを翌週に控えた日、一徹が日本地図を広げて、そこに印をつけ、酒蔵の名前を書き加え始めた。
 日本は狭いようで広い。北海道から沖縄まで総延長距離は3500キロメートルにも及ぶ。しかも47都道府県すべてで日本酒が造られていて、その数は1,500とも言われている。その中から選りすぐった30の酒蔵を引き継ぐのだ。それは全体の2%に当たり、まさに特別な酒蔵と言っても過言ではなかった。