「公爵家の後ろ盾がほしい人がたくさんいてね。時々『事業案を聞いてほしい』って言われるんだ。だから、この部屋を使う許可を学園に申請していたんだけど、ちょうど良かったよ。ここなら、誰にも聞かれず君の相談に乗れる」

「そうだったのね。ありがとう、アラン」

 アランと二人きりになるのは少し怖かったが、ソルの命令を守れないほうがもっと怖いめにあいそうな気がして、ロベリアは大人しく多目的室に入った。

 多目的室の中は、中央に大きな机が一つあり、その周りに椅子が六脚置いてあった。部屋の隅に流し台があり、流し台の横の壁には窓がある。

(会議室っぽい部屋ね)
「どうぞ」

 アランは机の角にある椅子を引くと、ロベリアに座るように勧めた。そして、自分はすぐ近くの斜めの席に座る。遠すぎず、近すぎず話をするにはちょうどいい距離だ。

「で? どうしたの?」
(どうしたのと言われても……)

 悩みなんて何もないので、何を話せばいいのか分からない。すると、アランが代わりに口を開いた。

「そういえば、昨日の夜、食堂でリリーに会ったよ。君を待ってるって言っていたけど?」
「あ、リリー、やっぱり待っていてくれてたのね……」

 ロベリアは『リリー、ごめんね』と心の中で謝る。

「何かあったの?」
「実は私、昨日倒れてしまって保健室にいたの。それで、リリーと約束していたのに、食堂に行けなくて……」

 アランは「そうなんだ。それは大変だったね」と心配そうな顔をする。一度話し始めてしまえば、アランの絶妙な相づちや的確な質問に、言葉が溢れ出てくる。

 しばらくすると、ロベリアは「ダグラス様のことが大好きで、でも私なんて……」と赤裸々に恋愛相談をしている自分に気がついた。

(あれ? 私、アランに何を言っているの?)

 我に返ったロベリアに、アランは「苦しい恋だね」と切ない表情を向けた。その表情はまるで、一緒に悩み、自分の気持ちを分かってくれる親友のようだった。

(違う違う! ダメダメ、アランに心を開いちゃったらダメでしょう!?)

 アランの裏の顔を知っているのに、少し話しただけで、引き込まれるようにアランの話術にはまっていた。

(とんでもないコミュニケーション能力だわ!)

 それが、やっかいなことにとても心地よく、アランとずっと話していたいとさえ思えてくる。彼の周りに常に人がいて、たくさんの人に慕われていることが当然のように思えた。

(アラン、怖っ!?)

 ロベリアは、慌てて自分の口を手で塞ぎ、『私、おかしなことを言っていなかったかしら?』と考えた。幸いなことにリリーの可愛さと、ダグラスに片思いしていることしか話していない。

 急に黙り込んだロベリアに、アランは優しく微笑みかけた。

「あまり長く二人きりで話していたら、皆に誤解されちゃうね。も嘘ろそろ寮に戻ろうか」

 立ち上がったアランの服の袖を、ロベリアは慌てて掴んだ。ここでアランを寮に帰すわけにはいかない。ソルには『午後三時まで寮に戻すな』と言われている。

 困ったような笑みを浮かべながら、アランはロベリアの手に優しく右手を重ねた。

「ロベリア、僕だからいいけど、他の人にそんなことをすると誤解されちゃうよ?」
「誤解って?」

 アランは呆れた顔をする。

「君の実家のディセントラ侯爵家の淑女教育はどうなっているの?」
「淑女教育? ダンスとか礼儀作法とか、ちゃんと学んだわ」
「そうじゃなくて、男女間の作法のことだよ」

 そんな教育を受けた記憶はない。

「もしかして、侯爵家では、何も教えてもらっていないとか……ないよね?」

 ロベリアが困ってアランを見つめていると、アランはハァとため息をついた。

「君たち姉妹が、いつまでも妖精みたいに見えるのは、そういうことか。ディセントラ侯爵は、君たちにずっと子どものままでいてほしいみたいだね」
「どういうこと?」

 アランが言うには、王族や貴族の『男女間の作法教育』は、各家庭にまかされているそうだ。

「アラン、男女間の作法って?」

 アランは少し考えた後に、「例えば、どうやって異性を誘うかとか、何をどうすれば子どもができるとかだよ」と教えてくれた。

(あ、そういうこと……)

 ようやくアランの言っている意味が分かり、ロベリアの頬が熱くなる。

「皆、勉強していることなの?」
「まぁ、この学園に通えるくらいの家柄の生徒だと、皆しっかり学んでいると思うよ。だって、男女間の作法は家の後継ぎ問題に直結しているからね」
「そう、なん、だ」

 頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。呆然とするロベリアに、アランは「だからね、ロベリアに好きな人がいるなら、僕と長い時間二人きりはまずいでしょ?」と微笑んだ。

「まぁ、もう手遅れかもしれないけど」

 アランはポケットから小瓶を取り出す。

「それは?」
「媚薬だそうだよ。まぁ偽物だと思うけど。さっき君が男子寮に僕に会いに来たから、友達がふざけてくれたんだ。楽しんでこいって」

 アランは慌てて「あ、もちろん冗談だよ?」と言ったあとに、「ごめん、下品な冗談を聞かせて」と反省している。

「ねぇ、ロベリアは、媚薬ってどう思う?」
「どうって?」
「ダグラスに片思いしているんでしょ? 媚薬を使ってみたいと思う?」

 ロベリアの答えは一瞬で出た。

「やだ。使いたくないわ」
「どうして?」
「だって、そんなもので一時的に好きになってもらっても嬉しくないわ。それに……」

 媚薬なんて使ってしまったら、乙女ゲームの攻略対象者が初めから好感度MAXで全員主人公を溺愛しているような状態だ。それはそれで面白いかもしれないが、攻略も何もあったものじゃない。

「恋愛ゲームは、少しずつ気持ちが通じて、相手の好感度が上がっていくのが楽しいのに。初めから媚薬を使って、ゲームの難易度を下げたらつまらないわ」
(あ、ついゲームとか言っちゃった)

 ロベリアはあせったが、アランは「なるほどね。恋愛はゲームか」と納得したように頷いている。

「じゃあ、この媚薬は捨ててしまおう」

 アランは部屋の隅にある流し台に向かった。

「ちょっと待って! 本物だったらどうするの!?」
「そんなわけないよ」

 ロベリアが必死に止めたが間に合わず、アランは小瓶を開けて中の液体を流しに流してしまった。とたんに、どこかで嗅いだことのある匂いがする。

(これ、鍵の壊れた部屋で嗅いだ媚薬の匂いと同じ……)

 ロベリアは慌てて流し台に水を流し、窓を全開にして換気したが、手遅れだったようでまた頭がぼんやりとしてきた。

(そうだわ! 先生にもらった解毒剤!)

 ポケットに入れておいた解毒剤を取り出し、フタを開け一気に飲もうとして思い留まる。アランを見ると、苦しそうに床に座り込んでいた。

(私より小瓶を持っていたアランのほうが、たくさん媚薬を吸って苦しいはず)

 どうしようと悩んだ結果、ロベリアは解毒剤を半分飲むと、残りの半分を苦しそうなアランの口に突っ込んだ。

「早く飲んで!」

 驚いているアランだったが、ゴクッとのどが鳴り、無事に解毒剤を飲んでくれたようだ。

「えっと、ロベリア?」

 何が起こったか分からないアランに、ロベリアは話せる範囲で説明する。

「その媚薬、本物だったみたいね。今、飲ませたのは媚薬の解毒剤なの。半分こしたから、効果があるか分からないけど……。アラン、早く保健室に行きましょう!」
「そうなんだ。ロベリア、立つから手を貸してくれない?」

 アランの差し出した手をロベリアが握ると、グッと引き寄せられ、アランの胸に倒れ込んだ。耳元で「君は本当に不用心だね」と呆れた声がする。

「ねぇ、ロベリア。教えてあげるよ」

 急に色気を含んだアランの声に、背筋がぞくっと寒くなる。

「アラン、離して!」

 アランの両肩を押して離れようとしたが、腰に手が回され逃げることができない。

(ちょっと、どういうことなの!? また、主人公リリーに起こりそうなイベントが、悪役令嬢の私に発生しているんだけど!?)

 これがダグラスイベントだったら狂喜乱舞しているところだが、相手がアランでは少しも喜べない。

(これってもしかして、私が悪役令嬢を放棄したから、世界観やストーリーがおかしくなってしまったってこと?)

 アランはロベリアを抱き締めたまま優しく髪をなでた。

「これはただの授業だよ。大丈夫。ロベリアも知っておいたほうがいいよ」
「そうね……ってならないわよ!? アラン、落ち着いて! 貴方は今、媚薬でおかしくなっているの! こういうことは、好きな人としかしてはいけないわ!」

「大丈夫、男女間の作法を学ぶだけだよ。ロベリアは、ダグラスのことが好きなんでしょう?」
「そうだけど、だからこそ、こんなことはおかしいわ! 離して!」

 必死にアランから離れようとしたが、アランは抱きしめる腕を離そうとしない。

(現実でこれはダメでしょう!? こういう展開はゲームだから許されるのよ! こ、このまま、流されるわけにはいかないわ! アランを殴ってでも止めないと!)