【第四十四回デスペア優勝者『ミルキー&花雪りんご』の記録】
「……花雪りんごちゃんですか? ミルキーと契約して、魔法少女になってほしいのです!」
「え……?」
下校中目の前に突然現れた、白くてふわふわしてそうなうさぎのマスコット。
思わず腰を抜かした私は、呆然とそれを見上げる。しかし周りの通行人にはその謎のうさぎは見えていないようで、みんな私の様子を怪訝そうに、あるいは迷惑そうにしながら避けて進んでいく。
はっとした私は、慌ててそのうさぎを鷲掴みにして、路地裏まで走った。
「ぎゃー! 人攫いなのですー!」
「あんたどう見ても人じゃないでしょ!?」
手の中のうさぎの悲鳴に思わず突っ込みを入れつつ周囲を見渡す。ここなら誰にも見られずに済みそうだ。
「……えっと、なに? 夢? どっきり?」
「ちがうのです。ミルキーはフェアリーテイル王国の住人で、魔法少女のマスコットになるのが夢なのです」
「……フェアリーテイル王国? 魔法少女?」
訳のわからないファンシーな単語を羅列され、思わず頭を抱える。私はもう高三だ。数ヵ月後には進学せず就職することだって決まっている。そんな大人への仲間入りを目前とした状態で、この非現実的なものを受け入れることなんて到底できなかった。
「お願いなのです、花雪りんごちゃん。一週間でいいのです。りんごちゃんに、ミルキーの夢を叶えて欲しいのです」
「夢……?」
私をまっすぐ見つめる、丸くてキラキラとした、夢見る瞳。
私が捨ててしまった、かつての煌めきを思い出し、痛みとともに心が揺れる。
「試験に危ないことは何もないのです。ただミルキーに、人間のパートナーと過ごす時間をくださいなのです」
「……よくわかんないけど、一週間だけ、なら」
「わあ、ありがとう~! 一週間で十分なのです! 感謝感激雨霰なのです!」
「……」
こうして私は、謎のうさぎのマスコット『ミルキー』によって、魔法少女のマスコット選抜試験『デスペア』なるものに巻き込まれた。
ミルキーの説明はふわっとしていてわかりにくかったけれど、パートナーとなる人間は『魔法少女』に変身して魔法が使えること。その一週間の過ごし方や結果が試験に影響することだけわかった。
まあ、たった一週間だ。幸いあとは卒業まで消化試合のようなものなのだ。この子の夢の役に立てるなら、それでいいと思った。
家に連れ帰ったミルキーは、やはり私以外の誰にも見えないようだった。
「おかえり、りんご。遅かったわね?」
「ただいま。お母さん……ちょっと、変な動物に付きまとわれて……」
「ミルキー動物じゃないのです! フェアリーテイル王国の住人なのです!」
「あら、野良猫とか? りんごは動物に好かれやすいものね。……あ、今日はゆずるの塾が九時に終わるから、その頃お迎えにいってくるわ。お夕飯は十時過ぎね」
「……わかった。遠い塾、送り迎え大変だね」
「しかたないわよ。実績のある有名講師のいる塾の方がいいでしょう? ゆずるのためですもの」
我が家は、弟のゆずるを中心に回っている。両親の期待も、愛も、ゆずるが男の子というだけで一身に受けていた。
花雪家はかつては名家だったとかで、そんな時代遅れの男尊女卑の精神が残っているのだ。男の子は跡継ぎで、大切なもの。
食事は勉強を頑張っているゆずるが帰宅してから。お風呂もゆずるが一番。
女に学は必要ない、女にかける金はない。そんな理由で進学を諦めざるを得なかった私と、有名大学に通うためにと小学校からずっと塾や家庭教師をつけている中二のゆずる。
その扱いの差に、彼を恨んだことがないといえば嘘になる。
けれども仕方ないのだ。我が家はずっと、これが当然だったのだから。
「はあ……」
「りんごちゃんりんごちゃん、魔法少女になったら魔法が使えるのです。今の魔法石に入った力で使える魔法の効力はたかが知れてますけど……お試ししてみます?」
ベッドに寝転がると、そんなミルキーの声がした。私にとっての揺るがない現実の中で、明らかに異質なその存在を、じっと見上げる。
「魔法、ね……たとえばどんなことが出来るの?」
「たとえば……そうですねぇ、定番なのは空を飛んだりなのです」
「……へえ、楽しそう。それやってみたい」
「了解なのです! それじゃありんごちゃん、この魔法石を使うのです」
ミルキーが私に手渡したのは、キラキラとした青い半透明の石。羽のような形をしたそれは、触れると冷たいような温かいような、柔らかいような固いような、なんとも不思議な感触だった。
「これに変身魔法を使うためのエネルギーが詰まってるのです。魔法を使うとエネルギーは減っちゃうんですけど、足りなくなったら、りんごちゃん自身のエネルギーをチャージもできるのです」
「ふーん? モバイルバッテリーみたいなもの? エネルギーって、元気みたいな感じ?」
「たぶん……? よくわかんないけど、魔法石がりんごちゃんの魔法のお手伝いをしてくれるのです」
「雑な説明……」
「まあまあ。それじゃあ、早速変身なのです!」
「えっ」
魔法少女といえば、ひらひらの衣装に派手なカラーリングの印象だ。
けれどどうしたって、私にそんなの似合うはずがない。背が高くて、髪は短めで、それだけで女子高ではかっこいいと持て囃されるけど、別に綺麗とか可愛い訳じゃない。イメージの魔法少女とは対極の存在だ。
「さあ、魔法石を握って、光を思い浮かべるのです!」
「光……?」
そう言われて思い浮かんだのは、家族の中心のゆずるだった。
そして変身姿はせめて地味目でお願いしたいと思いながら魔法石を握りしめると、石は青くまばゆい光を放つ。
「魔法少女りんご、変身なのです」
「……!」
しばらくして光が収まり、おそるおそる部屋の姿見を見る。そこに映っていたのは、装飾こそレースが目立つゴシックな雰囲気ながら、少年風の服装をした自分だった。
濃紺の膝丈のズボンに、同じ色のジャケット。白いタイツに黒いブーツ。黒いシャツの襟元に締められているのは、制服のリボンとは違いネクタイだった。気付くとネクタイピンのようについた魔法石が、うっすらと光っている。
ボブの黒髪は変わらないものの、瞳は石と同じ青に輝いていた。
「私……?」
「変身姿は理想の反映でもあるのです。りんごちゃんは男の子っぽいのが羨ましかったのです?」
「……はは、そうなのかも」
変身すると、なんだか体が軽くなった気がする。魔法も感覚で使うことができ、ミルキーの説明を聞くより明瞭だった。
窓を開け、私は背中に光の青い羽根を生やし、夜空に向かって羽ばたく。
どこまでも広く、自由な空。家の中のルールも、閉ざされた将来の不自由も、空に居る間は忘れられる気がした。
見下ろす夜景は美しく、人は小さく闇に溶け、個々の悩みなんてないみたいに景色の一部になっていた。
「ありがとう、ミルキー……魔法って、結構いいかも」
「なのです!」
魔法少女一日目。私はすっかりその自由の魅力に取り憑かれた。
二日目の朝、昨日の魔法が夢でないことにどこか安堵しながら、セーラー服に着替える。
リビングに行くと既にソファーで新聞を読むゆずるが居て、眠たげに目を擦りながら私を見上げる。
私の肩の上で転た寝するミルキーのことは、やはり見えていないようだった。
「あ……りんご姉……おはよ」
「おはよう、ゆずる。眠そう……毎日勉強大変だね」
大変でも、期待されるだけましだ。私は期待もされないし頑張らせても貰えない。そう思うのに、ゆずるは私の言葉に顔をしかめる。
「あー……本当にね。何もしなくていいりんご姉がうらやましい」
「……私だって、好きでやらせてもらえないんじゃない」
お互い無い物ねだりをしているのだとわかりながらも、私は目の前の自分の不幸で精一杯だった。
私の家での立ち位置は、家の中だけでなく、外でも影響しているのだから。
ゆずるより先に家を出て、あと数ヵ月で通い納めの道を進む。すると前方に、見慣れた青いシュシュをつけてポニーテールを揺らす後ろ姿が見えた。
「あ、らいむ……おはよ!」
「り……、……」
私の声に反応して、反射的に一瞬振り返ったらいむ。しかし私の顔を見て、すぐに悲しそうに俯いた彼女は、私に追い付かれまいと駆け出す。
「……やっぱり、だめか」
私にも、昔は夢があった。親友のらいむと一緒に、大好きなケーキのお店を開く夢。二人で案を出して、らいむがケーキを作って、二人で売りながら、私が広報をする。私達は二人でひとつの夢を見ていた。
子供っぽい憧れだと知りながらも、夢を語り合った日々は私にとって宝物だった。
夢の実現のために、お菓子作りの勉強をするべく専門学校への進学を決めたらいむは、家の方針とはいえ就職を決め一方的にその夢を裏切った私を、決して許さないだろう。
現に進路を知られてから、私達は顔を合わせても口を利いていなかった。
もうあの瞳と、同じ方向を向くことはない。もう目を合わせることすらない。
だから私は、夢だと語ったミルキーの瞳に、あの頃の私たちを重ねていたのだ。
ミルキーの夢が叶えば、私のこの気持ちも報われる気がした。罪悪感も、少しは消える気がした。
「なるほど、ゆずるくんとらいむちゃん、二人がりんごちゃんにとっての悩みの種なのです?」
「……うん。そうだね、何とかなるといいんだけど……」
「魔法でどうにでもなるのです!」
「えっ、ほんと?」
「任せるのです! でも、そのためには魔法石に残ってるエネルギーが足りないのです。チャージする必要があるのです」
「……わかった。やれることがあるなら、何でもする」
その日の放課後、私はミルキーに促されるまま、エネルギーチャージをすることにした。
私の中のエネルギーをそのまま注ぐのでも問題ないけれど、それはやはり心身ともに負担が大きいのだという。
そこで、持っているエネルギーを更に増やす方法を教えて貰った。
「ねえ、本当に? これでエネルギーが増えるの?」
「本当なのです、ミルキーを信じるのです!」
「……」
ミルキーが促した行為は、友達の物を盗むことだった。ボールペン、リップクリーム、ヘアピン、何でもいいから親しい相手の物を盗む。
それは罪悪感と、こんな犯罪行為が明るみに出たら友達の信頼も内定も失うという恐怖心を煽る行動だった。
「ごめんね……」
それでもネガティブな気持ちが浮かぶ度、確かに魔法石にエネルギーがチャージされているのか、ポケットの中に入れた石が温かくなるのを感じた。
希望のための第一歩だと信じて、私はやった。魔法を使える期間は限られているのだ、これは私に与えられた最後のチャンスかもしれないのだ。
「……っ」
そうして覚悟して持ち帰ったものを、部屋の机の引き出しにしまいながら深く息を吐く。こんなこと、誰にも言えない。私は後悔とバレる恐怖に震えながら、その日は空を飛ぶ気すら起きなかった。
三日目、私はまた盗みを働いた。一度手をつけたからには、あとはもう何度やっても同じだろう。
そう思うのに、持ち主に紛失を気付かれる度に心臓が跳ねた。
「ねえ、りんご。あたしの消ゴム知らない?」
「……え? いや、知らない……」
「おっかしーなぁ、どっか転がってったかな。見かけたら教えてよ」
「わかった……」
「あ、らいむー。あたしの消ゴムさー」
らいむは、共通の知り合いを介しても、私とは目も合わせてくれない。仕方ないとはいえ、そのことが悲しくて、寂しかった。
だから私は、私を見ていないらいむからも、こっそり物を盗んだ。その時チャージされたエネルギーは、他のものより何となく熱かった。
友人に嘘をついている。してはいけないことをしている。しかしそんな背徳感はやがて、得体の知れない恐怖から、どこかすっきりとした気持ちに変わっていった。
危ないことをしている自覚はあるのに、その綱渡り感が癖になる。ストレス発散に盗みを働く人の心理がわかる気がした。
「りんごちゃん、あんまり身の回りで続けるとお友達にバレそうなのです。次は町でチャレンジなのです」
「え……」
私は放課後町に繰り出して、無防備に手荷物を置きっぱなしにしている人の鞄から適当に盗んだり、防犯カメラの少なそうな個人の商店で万引きをしたりした。
同じ盗みのはずなのに、友達の物を盗るのとは違う、謝っても許されない犯罪行為だ。
その夜は、もしバレたらと想像して眠れなかった。けれど恐怖と同時に、私にだって社会のルールに歯向かうことが出来るのだと、家に縛られているだけではないのだと、解放感と自信を持つようになった。
魔法のために必要なのだと大義名分を得た私には、すでにブレーキなんて存在しなかった。