「やっぱり、涼太君だ」

 次の部屋で待っていたのは委員長の亜沙子だった。白い椅子に座って手元のカードを見ながら待っている。そういえば、まともに座って待ってたのって亜沙子が初めてかも。だからなんだって話だけど。

「驚かないんだ」
「なんで? 涼太君はここまで残ってくると思ったよ。あとは、波奈ちゃんとか」

 亜沙子の表情はできの悪い生徒を教える教師のようだった。向かいに腰を下ろす僕をくまなく見てから、眼鏡の位置を小さく直す。ただ見られているだけなのに、これまでの誰よりもピリリと空気が鋭い。

「だって、涼太君も波奈ちゃんもクラスの人に心を開いてないから。だけど、皆勝手に君たちのことを素直で善良な人だと信じてる。どう? これまで勝負してきた人たちはあっさり君の言葉に騙されなかった?」
「そんな、ことは」
「特に涼太君は自分のことは隠しながら人のことをよく見てる。私は『真面目だけど健介君の問題は見て見ぬふりの頼りない委員長』ってところかしら?」
「……委員長こそ、よく見てるんだね。普段、ほとんど話さないのに」
「委員長だからね」

 僕の言葉は亜沙子の問いかけを肯定するものだったはずだけど、亜沙子は気にする様子もなく柔らかく微笑んだ。掌にじんわりが汗がにじむ。亜沙子はこちらを脅すわけでも揺さぶるわけでもなく、ただ座ってこちらを見ているだけだ。
 だからこそ、亜沙子が何を考えてるかわからない。けれど、これまで勝負した三人の誰よりも覚悟が決まっている感じがした。一瞬でも気を抜けば、飲まれてしまいそうだ。

「あのさ、委員長。あと四人だし、勝負しない道ってないのかな?」

 残るは四人。寿命を平等に分けたとして二十年ほどある。決して長くはないかもしれないけど、僕たちが生きてきた人生よりは長い時間だ。
 残るはあと四人。もしもう片方の部屋でも同じような話がされていれば、できないことではないと思う。
 亜沙子がすうっと目を細めて僕を見定めるようにじっと見つめてくる。

「私ね、隠し事は嫌いなんだ」
「……は?」
「涼太君。私に言いたいこと……ううん、聞きたいことかな。あるんじゃない?」

 亜沙子の指摘にびくりと体が反応してしまう。そんな僕を見てか、亜沙子が微かに体を前に傾ける。全てを見透かされているような緊張感に指先がピリピリとした。いつの間にか喉が水分を欲している。

「やっぱりね。それを教えてくれたら、涼太君の相談も考えてもいいけど」 
 
 挑戦的な亜沙子の視線。何のことだと誤魔化しても無駄なのだろう。
 伝えて状況が好転するような内容ではないのだけど、このままだと結局勝負するしかなさそうだし、亜沙子の希望通り聞きたかったことをそのまま聞くしかないようだ。

「委員長さ。途中でバスの運転手さんに差し入れたのって、ただのコーヒーだった?」

 僕の問いかけに亜沙子は楽しそうに笑う。ともすれば神経質な印象も抱く緊張感が表情から抜けていて、今日一日を通しても一番豊かな顔をしているかも。

「ただのコーヒーじゃなかったら?」
「例えば、睡眠薬を溶かし込んでた、とか」

 口にしながら、荒唐無稽な話だと思う。でも、亜沙子が通院しているという噂が本当だったら絶対にありえない話ではない。亜沙子は表情を変えることなく、肘をテーブルについて手を組んだ。

「涼太君って面白い人だったんだね」
「どうも」

 あまり褒められてる気はしないけど、とりあえず頷く。亜沙子は相変わらず笑みを浮かべながら小さく舌を出して唇をなめた。

「例えば、涼太君が言う通り、私が差し入れのコーヒーに睡眠薬を混ぜたとしたら。自分が乗っていたバスでなんでそんなことしなきゃいけないのかな?」
「……健介のこと、かな」

 亜沙子は基本的に健介に関わらないようにしていたけど、このクラスで問題が起こるときは健介絡みのことがほとんどだ。亜沙子が集団自殺願望を抱いていたみたいな極端な話がなければ、理由として考えられるのは健介のことくらいしか思い浮かばない。
 亜沙子は静かに目を閉じると椅子に深く体を預ける。ゆっくりと長く息を吐き出すと、薄目を開けた。亜沙子は変わらず笑っているはずなのに、その瞳が鋭く僕を射抜いている。

「まあ、そうよね。差し入れしてるとこ見られて、あの事故だもん」
「……じゃあ、本当に」
「そうよ。私が運転手さんに渡したコーヒーには睡眠薬を溶かしてた。本当は出発前に飲んでもらうつもりだったんだけど、二人ほど遅れてやってこないから探しに行ったりしてたら、渡し損ねて」

 亜沙子が漏らしたため息は酷く冷たい音がした。遅れてやってきた二人というのは、直樹のスマホをフロントに預けてた僕と波奈のことだろう。

「眠気で運転を続けたら危ないと思って止まるくらいに睡眠薬の量を調整したつもりだったけど、効きすぎたみたい。やっぱり素人仕事じゃ上手くいかないのね」
「それは、僕らのクラスの旅行を中止するため?」
「そうなったら最高だなって。そこまでは無理でも、行程が縮まるだけでも十分だった」

 亜沙子は当然のように語るけど、言っていることとやったことが上手く結びつかない。

「だからって、そんな危ないこと――」
「だってしょうがないじゃない!」

 それまで不気味なくらい落ち着いていた亜沙子の声の高鳴りに耳がキンとする。
 亜沙子はテーブルに手をついて立ち上がり、肩を震わせている。振り上げられた手がガンっとテーブルを打ち据えた。

「知ってる? 健介君達が何かやらかすたびに私が呼び出されて、尻ぬぐいさせられて。最近は『委員長がもっとしっかりクラスを引っ張れ』なんて言われて。あんなの私なんかにどうにもできるわけないじゃない!」

 亜沙子の肩が大きく上下する。ぜえぜえと息をついてから、すとんと脱力したように椅子に腰かけた。

「さすが涼太君だね。やっぱり寿命を平等に分ける件はなし」
「僕が話したら考えてくれるって」
「考えるだけ。やってあげるとは言ってない」

 揚げ足取りのような言葉を亜沙子は悪びれもせずに吐き出す。もしかしたら初めからそのつもりだったのかもしれない。ただ、その可能性を餌に、僕がどこまで気づいているか試したとか。

「健介はもういない」

 へえ、と亜沙子は息をこぼすように笑った。

「それを知ってるってことは、涼太君が消してくれたんだ。ありがとう」

 ありがとう。その言葉に悪寒が走る。
 僕たちが既に一度死んだ存在だとしても、生き返る可能性を直接潰した僕は三人殺してきたことに違いないんじゃないだろうか。部屋を出る前に聞いた直樹や玲美の声が今も耳に残っている。
 そこで気づいた。目の前で薄く笑っている亜沙子は僕たちのクラス全員を――担任や運転手を巻き込んで殺した張本人だ。落ち着いてるんじゃなくて、とっくの昔に振り切れてしまったのかもしれない。

「でもね、ダメ。涼太君を生かして返すわけにはいかないの。涼太君が真実を話せば、結局私は死んだも同然だもの」
「誰にも言わない」
「ダメ。仮に私が次の勝負で死ぬことになっても、涼太君だけは生き返らせるわけにはいかない」

 亜沙子は三枚のカードから一枚を選ぶと、迷いなくテーブルに伏せた。
 言葉通り僕にさえ勝てればいいと思っているなら、そのカードは一番強いカードの可能性が高い。迷いのない様子と亜沙子の性格から、おそらく100%のカード。
 僕の手元にも100%の夏帆のカードがある。だけど、それを出してもいいのか自信がなかった。僕も夏帆のカードを出して引き分けた場合どうなるのだろう。仕切り直しになるならいいけど、死神は「一度使ったカードは使えなくなる」と言っていた。引き分けたカードにもそれが当てはまるなら、後がなくなる。

「さあ、カードを置いて。勝負よ」

 亜沙子の声が僕をせかす。
 心配は引き分けることだけじゃない。健介との勝負の時、僕が出した乃利子のカードは僕への想いが100%だった。100%のカードが二枚以上持つことはあり得るのだろうか。そもそも手札が平等に割り振られているかもわからないけど、夏帆のカードがもしも100%じゃなかったら。
 他に方法は。死神の簡潔なルール説明の中にこの状況をどうにかできる方法は隠れてなかったか。思い出せ、思い出せ、思い出せ。
――ルールは簡単。お互いカードを出し合って、数字の大きさを比べてもらうわ。
 僕の手元には三枚のカード。勝てばもう一回勝負が残っている。

「さあ!」

 亜沙子の声に突き動かされるように僕はカードを場に伏せる。
 カードが光を纏ってひっくり返る。亜沙子のカードには知らない男性が描かれていた。少し年上だろうか。100%の数字の下に、同じく100%の数字が加わる。それはやはり、僕を確実に葬ろうとする切り札だ。
 対して、僕が伏せていたカードは中学時代からの陸上部の後輩の裕大だった。僕みたいな先輩を慕ってくれて、高校も僕を追いかけて同じ高校に進んできた。僕からの数字は80%で、裕大からの数字も80%だった。

「ふふ。残念だけど、涼太君はこのまま消えて――っ!?」

 亜沙子の言葉が途中で止まる。テーブルの上のカードの動きは止まっていない。
 裕大のカードの下にもう一枚忍ばせていたカードがひっくり返る。それは去年同じクラスだった男子で、顔見知り以上友達未満のような付き合いをしていた。僕からの想いは30%、相手からは25%だった。
 合計すると105%。亜沙子のカードを上回っている。

「に、二枚もカード使うなんて反則でしょ!」
「死神はルールを説明するとき、カードの枚数を指定しなかったよ」
「だからって……!」
「それに、勝負は最大で五回なのに、配られたカードは六枚。初めは誰の記憶を残して勝負するか試されてるのかと思ったけど」

 テーブルの上のカードが光の泡となって消える。僕のカードは二枚とも消えて、体には違和感はない。本当にできるか自信はなかったけど、死神がルールとして定めなかったことは自由が効くらしい。だから健介は無理やり人のカードを出させるなんてやり方で一回戦を勝てたんだろう。

「お、お願いっ!」

 亜沙子の声が震える。立ち上がった僕の足に縋り付こうとした亜沙子の手がすり抜けた。

「もし涼太君が生き返ることになっても、私のこと、誰にも言わないで!」

 命乞いを――寿命を平等に分ける話をされるのかと思ったら、違っていた。

「兄さんに迷惑かけたくないの! 兄さん、医学部で頑張っててっ。でも、妹が大事故の発端になったことが明るみになったら……。兄さんの夢、邪魔したくないの!」

 もしかしたら、亜沙子が使ったカードは兄だったのだろうか。兄の記憶を失っても、兄の未来を守ろうとした亜沙子は何を考えていたのだろう。胸の奥がギリギリと痛い。亜沙子がしたことは許されることじゃない。だけど。

「わかったよ」

 亜沙子が委員長として苦労していた時、僕は見て見ぬふりをしていたんじゃないか。誰かが亜沙子に寄り添ってあげられていたら、こんなことにはならなかったんじゃないか。
 今となってはもう確かめようもないけど、僕にも亜沙子を孤独に追い詰めてしまった責任があるんじゃないか。

「僕が見たことは、誰にも言わない」
「あ、ありがとう……!」

 亜沙子の目から涙が零れ落ちる。多分それは僕が見た亜沙子の最初で、最期の涙だ。
 これだけで亜沙子への罪滅ぼしになるとは思わないけど、少しでも憂いをなくせるのなら。全て遅すぎたけど、今やらない言い訳にはならない。

「涼太君!」

 扉に向かって歩き出した僕を亜沙子の声が呼び止める。

「生き返った人は、きっと生きる責任も同時に持って帰ると思うから。よろしくね」

 振り返った時に見えた亜沙子は、涙をボロボロとこぼしながら笑っていた。