塔の窓を見上げる。
きちんと閉じられていたはずの窓が、わずかに開いていた。
薄紫色のパンタニウムの花が一本、窓辺に置かれている。
「ドット? ドットなの?」
そこへ駆け寄り、花を手にする。
摘み取られたばかりの花からは、初夏の花であるパンタニウムの爽やかな甘い香りがした。
その匂いに、ハッと気づく。
「カイル! ねぇ、来て。カイル!」
この窓から見える外の風景は、いつだって透き通るように澄んでいて、彼以外もう何も見えない。
「カイル! カイルが来ないと、私はここから飛び降りちゃうんだからね!」
羽音が聞こえた。
バサバサと打ち付ける黒い翼が、すぐに窓辺に舞い降りる。
「何を言ってるんだお前は。冗談も休み休み言え」
「カイル!」
カラスのカイルを、ぎゅっと抱きしめる。
いつものようにギャアギャアと騒ぎヤメロと暴れていた彼も、すぐに諦めて大人しくなった。
いつまでも彼を放そうとしない私の涙の痕に、カイルは頭をこすりつける。
「なぜ泣いていた」
「もう泣き止んだから平気よ」
「俺は泣いていた理由を聞いているんだ」
「カイルがいなかったからよ」
そう言った私に、彼はムッとしたくちばしを向ける。
「呼べば来てやると言っただろ。花祭りはどうした」
「もういいの」
太陽はまだ明るく輝いている。
窓の外にはパンタニウムの花街道が、どこまでも広がっていた。
「外に出たいと思ってたけど、出ない方がよかったみたい。だからすぐに戻って来ちゃった」
「楽しみにしていたじゃないか」
「もういいの。呼べばすぐにカイルが来てくれるのなら、私はずっとここで隠れて暮らせるから。ね、そうでしょう?」
カイルは私の腕の中から飛び上がると、丸テーブルの上に下りる。
「宮廷魔法師に夢見の加護をつけてもらったのか。丁度いい。その加護を利用させてもらおう」
「なに? どういうこと?」
「花を持ってここへこい」
私が言われた通りに花をテーブルへ運ぶと、彼はブツブツと呪文を唱え始めた。
「ねぇ、どうするつもりな……」
ボンッ! という白煙と共に、私の体が小さくなった。
指人形ほどの大きさしかない。
手も足も着ていた服もそのまま、すっかり縮んでしまった。
カイルはくちばしで私の服を掴むと、ひょいと放り投げ背に乗せる。
「ちょ、ねぇ、どういうこと!」
「あの花をお前の身代わりにした。しっかり掴まってろよ」
カイルが大きく両翼を広げる。
私は黒い羽根の首根っこにしっかりとしがみついた。
バサリと羽ばたいた体は、私を乗せふわりと宙に浮く。
窓から外へ飛び出したカイルは、あっという間に大空へと舞い上がった。
「なにこれ! 私、空を飛んでるの?」
風に流される赤い琥珀色の髪を手で押さえる。
眼下にはさっきまで閉じ込められていた、高い塔の先端が見えた。
大きな城が、すぐ足元に広がっている。
「カイル凄い! こんなことまで出来たのね!」
「ふん。たいしたことはない。日没までには戻るぞ」
「うんっ!」
ラドゥーヌ王国の街並みが視界いっぱいに広がる。
家々の窓からパンタニウムの花が咲き乱れ、通りは祭りを楽しむ人々であふれていた。
「きれい。こんな空の上からお祭りを見たのは初めて」
「どこに行きたい?」
「ねぇ、あの木の上にとまって」
街の中心部にある、広場の上空を滑空する。
レンガの石畳が敷かれた広場にある、大きな噴水の上を横切ると、その周囲を囲むように植えられた街路樹の一本にカイルは舞い降りた。
彼の首にしがみついたまま、街を見下ろす。
丸い噴水を中心にびっしりと立ち並んだテントでは、髪飾りや小物入れ、しぼりたての蜂蜜酒に焼いたソーセージも売られていた。
お年寄りから小さな子供たちまで、男女を問わずパンタニウムの花をメインに、この季節に咲く花々をあしらった花冠をつけるのが、この祭りの習わしだった。
「素敵! いつもこの輪の中に入りたいと思っていたの」
特別に設置されたステージでは、楽団員による音楽が奏でられ、腕に覚えのあるものが思い思いにそれぞれのダンスを披露している。
私と同じくらいの年齢の、赤い髪をした少女が仲間と共にステージでふわりと身を翻した。
パンタニウムの花冠の下で、長い髪がくるりと回る。
彼女はペアである男性と手を取り合い、軽快なリズムに合わせて器用にステップを刻む。
「私もあんな踊り、踊ってみたいなぁ」
私に許されているのは、幼い頃から叩き込まれた型どおりの優雅な社交ダンスだけだ。
「バカを言うな。こんなところで姿を見られるわけにはいかないだろう」
「言ってみただけよ」
カイルは私を乗せたまま、再び飛び上がった。
路地裏の屋根の上や、誰もいない閉めきられた窓の手すりの上。
私がよく知っている街なのに、一度も行ったことも聞いたこともない場所へ連れて行ってくれる。
カイルは街外れにある、とある古い家の開け放されたままになっていた窓辺に舞い降りた。
カラスのカイルがのぞき込むと、ベッドに寝たきりの少年が「こっちにおいで」と手を伸ばす。
「お前は隠れていろ」
そう言われ、羽根の中に潜り込む。
カイルが窓辺に咲くパンタニウムの鉢から、一輪花を摘み取って彼に差し出すと、代わりにパンの欠片を受け取った。
それを咥え、再び窓から外へ飛び立つ。
彼の住む家の屋根に下りると、そこへ私を下ろした。
「お前も食うか?」
「もちろんいただくわ」
きちんと閉じられていたはずの窓が、わずかに開いていた。
薄紫色のパンタニウムの花が一本、窓辺に置かれている。
「ドット? ドットなの?」
そこへ駆け寄り、花を手にする。
摘み取られたばかりの花からは、初夏の花であるパンタニウムの爽やかな甘い香りがした。
その匂いに、ハッと気づく。
「カイル! ねぇ、来て。カイル!」
この窓から見える外の風景は、いつだって透き通るように澄んでいて、彼以外もう何も見えない。
「カイル! カイルが来ないと、私はここから飛び降りちゃうんだからね!」
羽音が聞こえた。
バサバサと打ち付ける黒い翼が、すぐに窓辺に舞い降りる。
「何を言ってるんだお前は。冗談も休み休み言え」
「カイル!」
カラスのカイルを、ぎゅっと抱きしめる。
いつものようにギャアギャアと騒ぎヤメロと暴れていた彼も、すぐに諦めて大人しくなった。
いつまでも彼を放そうとしない私の涙の痕に、カイルは頭をこすりつける。
「なぜ泣いていた」
「もう泣き止んだから平気よ」
「俺は泣いていた理由を聞いているんだ」
「カイルがいなかったからよ」
そう言った私に、彼はムッとしたくちばしを向ける。
「呼べば来てやると言っただろ。花祭りはどうした」
「もういいの」
太陽はまだ明るく輝いている。
窓の外にはパンタニウムの花街道が、どこまでも広がっていた。
「外に出たいと思ってたけど、出ない方がよかったみたい。だからすぐに戻って来ちゃった」
「楽しみにしていたじゃないか」
「もういいの。呼べばすぐにカイルが来てくれるのなら、私はずっとここで隠れて暮らせるから。ね、そうでしょう?」
カイルは私の腕の中から飛び上がると、丸テーブルの上に下りる。
「宮廷魔法師に夢見の加護をつけてもらったのか。丁度いい。その加護を利用させてもらおう」
「なに? どういうこと?」
「花を持ってここへこい」
私が言われた通りに花をテーブルへ運ぶと、彼はブツブツと呪文を唱え始めた。
「ねぇ、どうするつもりな……」
ボンッ! という白煙と共に、私の体が小さくなった。
指人形ほどの大きさしかない。
手も足も着ていた服もそのまま、すっかり縮んでしまった。
カイルはくちばしで私の服を掴むと、ひょいと放り投げ背に乗せる。
「ちょ、ねぇ、どういうこと!」
「あの花をお前の身代わりにした。しっかり掴まってろよ」
カイルが大きく両翼を広げる。
私は黒い羽根の首根っこにしっかりとしがみついた。
バサリと羽ばたいた体は、私を乗せふわりと宙に浮く。
窓から外へ飛び出したカイルは、あっという間に大空へと舞い上がった。
「なにこれ! 私、空を飛んでるの?」
風に流される赤い琥珀色の髪を手で押さえる。
眼下にはさっきまで閉じ込められていた、高い塔の先端が見えた。
大きな城が、すぐ足元に広がっている。
「カイル凄い! こんなことまで出来たのね!」
「ふん。たいしたことはない。日没までには戻るぞ」
「うんっ!」
ラドゥーヌ王国の街並みが視界いっぱいに広がる。
家々の窓からパンタニウムの花が咲き乱れ、通りは祭りを楽しむ人々であふれていた。
「きれい。こんな空の上からお祭りを見たのは初めて」
「どこに行きたい?」
「ねぇ、あの木の上にとまって」
街の中心部にある、広場の上空を滑空する。
レンガの石畳が敷かれた広場にある、大きな噴水の上を横切ると、その周囲を囲むように植えられた街路樹の一本にカイルは舞い降りた。
彼の首にしがみついたまま、街を見下ろす。
丸い噴水を中心にびっしりと立ち並んだテントでは、髪飾りや小物入れ、しぼりたての蜂蜜酒に焼いたソーセージも売られていた。
お年寄りから小さな子供たちまで、男女を問わずパンタニウムの花をメインに、この季節に咲く花々をあしらった花冠をつけるのが、この祭りの習わしだった。
「素敵! いつもこの輪の中に入りたいと思っていたの」
特別に設置されたステージでは、楽団員による音楽が奏でられ、腕に覚えのあるものが思い思いにそれぞれのダンスを披露している。
私と同じくらいの年齢の、赤い髪をした少女が仲間と共にステージでふわりと身を翻した。
パンタニウムの花冠の下で、長い髪がくるりと回る。
彼女はペアである男性と手を取り合い、軽快なリズムに合わせて器用にステップを刻む。
「私もあんな踊り、踊ってみたいなぁ」
私に許されているのは、幼い頃から叩き込まれた型どおりの優雅な社交ダンスだけだ。
「バカを言うな。こんなところで姿を見られるわけにはいかないだろう」
「言ってみただけよ」
カイルは私を乗せたまま、再び飛び上がった。
路地裏の屋根の上や、誰もいない閉めきられた窓の手すりの上。
私がよく知っている街なのに、一度も行ったことも聞いたこともない場所へ連れて行ってくれる。
カイルは街外れにある、とある古い家の開け放されたままになっていた窓辺に舞い降りた。
カラスのカイルがのぞき込むと、ベッドに寝たきりの少年が「こっちにおいで」と手を伸ばす。
「お前は隠れていろ」
そう言われ、羽根の中に潜り込む。
カイルが窓辺に咲くパンタニウムの鉢から、一輪花を摘み取って彼に差し出すと、代わりにパンの欠片を受け取った。
それを咥え、再び窓から外へ飛び立つ。
彼の住む家の屋根に下りると、そこへ私を下ろした。
「お前も食うか?」
「もちろんいただくわ」



