今夜もドットは私の部屋に来て、夕食をともにしていた。
食べ終わったらさっさと帰ればいいのに、彼は私の勉強が遅れているとかで、今日は歴史の講義まで始めてしまう始末だ。
それにしても、カイルだってちょっとは私の心配をしてくれてもよくない? 
ドットのいない隙を見つけて、会いに来るなり何らかの合図を送ってくれても……。

「どうなさいましたか、ウィンフレッドさま。私の講義、ちゃんと聞いています?」

「いいえ。聞いてないわ」

「そこは嘘でも、ちゃんと聞いててくださいませんかね」

「何だかとても疲れてしまったの。てゆーか、あなたが毎晩のように部屋に来ていたら、カイルをここに呼べないじゃない。これでは、パンタニウムの花祭りにも誘えないわ」

「ウィンフレッドさまは、本気で彼をお誘いするつもりだったのですか?」

 ドットは珍しいほど目をまん丸にして、心底驚いている。

「何よ。悪い? ドットだって、会いたがっていたじゃない」

 彼は本心から盛大なため息をつくと、広げていた歴史の教科書を閉じた。

「全く。これは厄介なことになりましたね。初めはカイルがあなたに何かイタズラでもしたのかと思ったのですが……」

「イタズラって、なによ」

「チャームの魔法です。『魅惑』の術でもかけて、操られているのかと思ったのですが、どうもそうでもないらしい」

 言葉が出ない。
自分の顔がみるみる赤くなってゆくのが分かる。

「そ、そんな魔法に、私がかかるわけないじゃない!」

「だから余計に、厄介だと言っているのですよ」

 彼は分厚い教科書を閉じると、額に手を当て困ったようにうつむいた。

「全く。あなたのお父上とお母上に、なんと報告したらいいものやら」

「そ、そんなのドットの勘違いだから! 報告なんてしなくていいわ!」

「あぁ。分かりました。私が邪魔なのですね」

「そんなこと、いつ言いました?」

「ここ数日、彼に会えなくて寂しかったとか?」

「そんなことないって! 身代金の交渉が滞ることの方が問題よ!」

「なるほど。あなたの言い分もごもっともです」

 ドットはようやく重い腰を上げた。

「では、邪魔者は退散いたしましょう。くれぐれも彼に、心を許してはいけませんよ。それが彼らの罠であり手段であることを、決してお忘れなきよう」

「もちろんよ。私はそう簡単に、騙されるようなタイプじゃないわ」

「分かりました」

 彼はそういうと、素直に扉へ向かう。

「今日は、夢見の加護を付けないの?」

「それを付ければ、あなたは夜中眠ってしまいますよ」

「そ、それもそうね。そうなったら、困るもの……」

「今夜これから彼に会う予定なら、加護を付けない方がよいでしょう」

「ありがとう。カイルのことは、使者として丁重におもてなしするわ」

「では、ごきげんよう。あまり遅くならないよう、お願いします」

 ドットが出て行く。
彼が椅子から立ち上がった瞬間から、ずっとそわそわしていた。
扉が閉まった瞬間、さっと部屋を片付ける。
お茶とお菓子は十分に用意されていた。
私は胸の鼓動が高鳴るのを感じながら、数日ぶりに夜の窓を開く。

「カイル、カイル来て! あなたに、どうしても話したいことがあるの!」

 呼べば窓の外で待っていて、すぐに来てくれるものだとばかり思っていたのに、彼はなかなか現れない。

「どうしたのカイル、私の声が聞こえなくなっちゃったの?」

 今までなら、こんなにも大きな声で叫ぶ必要はなかった。
普通に呟けば、すぐに彼は来てくれた。

「カイル?」

 嫌われたのかもしれない。
私が彼の気に障るようなことを言ったから。
それとも、グレグに何かされた? 
カイルにグレグを裏切れだなんて、そんなこと、言わなければよかった! 

 両方の目から、ぽろぽろと何かがあふれ出す。
後悔したところで、言ってしまったことはなくならない。
もうこのまま会えることはないのかな。
窓辺に伏した私の耳に、突然それは聞こえた。